ヒーリングサロン Vérité Ange
~ 神の使徒 ~
初めての方はこちらをご覧ください 
こんばんは KENJIです 
今日は『私の選んだ両親』完結編です 
今までⅠ〜Ⅲまでお読み下さった方々
ありがとうございます
初めての方は
下にリンクを貼っていますので
Ⅰ〜お読みいただけるとわかりやすい
かと思います
物語形式になっていますので
ご興味ある方は順番に
ご覧ください
では最終回よろしくお願いします
人は親を選んでやって来る
(私の選んだ両親) vol.Ⅳ
昨日の続きです 読んでない方はこちらより
vol.Ⅲ
vol.Ⅱ
vol.Ⅰ
私は中学生になった頃には
いつもと変わらぬ父親に対してだけは
強い反抗心を抱いていました
父親が躾と称してやって来た事には
何の説得力もなさない
矛盾した姿を自ら見せていたからです
私達の家庭は 1:4の割合で父親が
孤立した状態が続きました
これでは父親も味方がいない為
再起する気力さえも湧くことはなかった
であろうと思います
しかし同時に私達家族4人も
お父さんを気遣う心の余裕など
ある筈もなかったのです
私は高校進学を決める時に
母親に働くという事を伝えました
母親は反対しました
『助けてくれる気持ちは有り難いけどね
高校だけは出ておきなさい…
行かせてあげることは出来るから
大丈夫だから
高校だけは行きなさい』…と
私はその母の説得に応じ
工業高校へ入学しました
高校になったら新しい学生服を
周りの人は来ていましたが
私は中学生の時の物を
そのまま来て三年間を過ごしました
そういう事も手伝って
私はいじめにも合いました
とても辛かったです
しかし相談する人もいない
頼りに出来るのは自分だけです
学校の帰り道一人で歩きながら
『なぜ自分だけこんな辛い思いをしなきゃ
いけないのか?神様…
いるのならその理由(わけ)教えてください』…
そう言って泣きながら帰ったのを
覚えています
しかし神の声は聴こえず…
私はただ耐えながら過ごす日々を
送りました
高校を卒業すれば働ける
自分の自由に出来るんだ…
ただそれだけが希望でした
夢などなくとも
働ける…それだけで
私は幸せだと思っていたのです
その間も母親は働き尽くめ
父親は何度かお酒を断つといって
少しの間呑まずにいた事もありましたが
アルコール依存症は本当に怖く
またお酒を飲んでしまう…
そのような事が繰り返し繰り返し
何度もありながら
入退院も何回か繰り返し
一度は自ら
『もう自分ではどうにもならないから
アルコール依存症を扱う専門の病院へ
入れて欲しい』と言って来ました
三ヶ月程入院して数年呑まずに
いたのですが
一度だけと言って暑い日にビールに
手を出したら最後…
また元の木阿弥(もくあみ)となりました
そして今から三年程前
足の膝を悪くし同時に訳の分からない事を
急に言い始めた事で病院へ
肝硬変を患っている身体がもう
アルコールを処理出来なくなり
アンモニア等が脳へと入りその症状を
発症させているのがわかりました
これ以上アルコールを飲めば
間違いなく死にます!
という死刑宣告を受けました
そこで初めてお酒を完全に断つ事が
出来た訳です
アルコール依存症の脅威は
死と引き換えでないと
乗り越えられない程
怖い病気なのだと知りました
もちろん意志の弱い父親であるからこそ
こういう結果になったのだと思います
けれども世の中で覚醒剤や麻薬など
再犯が多いというのも私は納得がいきます
何かに依存してしまう事程
怖いものはありません
人への依存も同じようなもの
だからこそ本当に助けるというのは
どういう事なのか…
それをわかっていないと逆に
助けられる人でさえも
助けられなくなります
世の中にはアルコール依存症で
もっと酷い環境を体験しておられる
方もいることでしょう
この私の両親の物語をシェアすることで
何か世の中のためになればと思い
綴った次第です
ここまで読んでおられる方は
全てお読みになられた方だと
思います
どうもありがとうございました
何か感じた事がございましたら
コメントでもメッセージでも
良いので自由に書いていただけると
嬉しいです
それから今実際苦しんでおられる
ような方はご相談・ご質問など
お気軽にどうぞ
現在父親は79歳…
足のリハビリをしながら
今ようやく自分の人生を生きようと
奮起しています
KENJI





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