らすログ☆ -18ページ目

今日は懇談会

今日は保育園の懇談会でした。

まずは先生の話があって、その後、質問タイムだったのですが、みんな、悩んでるなぁ~、いろいろ心配してるんだなぁ~と感心しました。


年長さんということもあって小学校へあがってから大丈夫か?という不安を抱いてる人が多かったです。

特にうちの保育園は私立で人数が少ないので入学してから知り合いが少ないから仲間はずれになるんじゃないか?・・・とか、異年齢保育なんで同い年の友達とうまくやっていけるだろうか?・・・とか。


なんで私がこれらのことに不安を持たないんだろう?って考えてみました。

「子供を信じてるから」だろうなぁと思います。

これぐらいのこと、息子なら乗り越えられるって自然と思えてくるんですよねぇ~


じゃあ何故こんなに子供のことを信じることができるようになったか?というと、らすかる☆自身の自己肯定感を高める練習をしたからだと思います。

(私は4年ほど前から『“幸せなお母さん”になる為の子育て』というメルマガ&HP(http://www.age18.jp )&講座を読んでいます。そこではお母さんの自己肯定感を高めることの大切さについても書いてありました。)

具体的どんな練習をしたか?というと「いいとこ日記」を半年ほど、ほぼ毎日つけていました。

子供のよかったところ、主人のよかったところ、らすかる☆のよかったところを書くだけです。

ネタがない日は子供だと「保育園に休まず行った」とか主人だと「メールに返信してくれた」とか私だと「晩ご飯作った」とか当たり前のことしか書いていない日も多いです。


私たちは悪いところを見つけてそれを改善するということは慣れてますが、いいところを見つけて褒めるということは慣れてないんですよね。

だからこそ当たり前のことも褒めることによって褒める練習をしました。

当たり前のことをほめる練習をし始めると、「○もできるの?△もできるの?すごいな~」と自然と思えるようになりました。

そしていろんなことに感謝できるようになりました。

だってメールの返信が来ただけで心からありがたいな~って思えるんですよ(笑)

メールに返信するなんて当たり前って思ってたら感謝できないですよね?

褒める練習は感謝の練習にもつながりました。これは予想外の効果でした。


○○もできてない、△△もできてないからしなければいけない・・・と思うとイライラしてきますが、□□と☆☆はできてる!とできてることに目をやると、自然とイライラが治まってきました。

そうすると、子供たちに対しても自然と優しく接することができるようになりました。そんなお母さんを見て子供たちも自然と優しくなってきました。すると子供たちを叱ることも減って、ますます笑顔に!


そんな繰り返しで段々家庭の中が明るくなってきました。


子育てに大切なことはいろいろありますが、

お母さん自身が自分自身を認められるようになって笑顔になると子供たちも笑顔になる

ということを知っている人は少ないんじゃないかなぁと思います。

そして笑顔になった子供たちって自らいろんなことにチャレンジして乗り越えられるようになるんですよね。

今までなかなかできなかった「うんてい」の練習をしてできるようになったり、登り棒が登れるようになったり、自転車補助輪はずしが成功したりここ数ヶ月でめざましい進歩です。


そして最近、++アイサイさん など皇国女子軍団の方々に出会うことができました。

私は結構 しあわせもの と思ってましたが、彼女たちにはまだまだかないません(笑)

自分自身がしあわせって思ってる人たちと触れ合うと、私自身もしあわせ感がアップするんですよね~


皇国女子軍団の方々に日本の良さをいろいろ教えてもらって、日本人であることに自信を持ったので、ますます自己肯定感がアップしてきました。

そうすると益々笑顔に!そして毎日が楽しいです♪


皇国女子軍団の皆さん、本当にありがとうございます!



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國體護持 第六章 第一節 (飽和絶滅)-5

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(飽和絶滅)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277872799.html



第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (飽和絶滅)-5


 萬(万)物の中で、無限に成長するものなどあり得ない。人類が無限に增(増)殖すれば、飽和絶滅が待つてゐる。にもかかはらず、永久に「成長」するとの邪教が蔓延してゐる。資本主義も共産主義もこれに毒されたものである。成長に陰りが出てくると、「新たな成長モデル」を模索し、成長信仰を捨てることがない。



 技術の進歩により社會(会)生活が便利になればなるほど、人々はそれを共通して活用し、それがあることを前提として競爭(争)することになるから、他人との「相對(対)速度」は變(変)はらない。むしろ、その技術を使はずに競會(会)から取り殘(残)される者との間の相速度が大きくなるだけである。それが格差を生む。そして、社體(体)の絶速度が大きくなることは、それだけ生活が慌ただしく煩瑣(はんさ・こまごまとしてわずらわしいさま)になるだけである。人にとつて最適な、ゆつたりした生活速度は壞(壊)され、人の思考が瑣末(さまつ・重要でない)なものとなり、生命力を低下させ人類の退化と老化が促進される。まさに繁榮(栄)頽廢(退廃)との間には相關(関)關係があるのである。



 文明とは野蠻(蛮)なものである(南洲遺訓)。文明進歩史觀(観)は必ず差別と殺戮を生む。進歩しない劣等人種(民族)と進歩する優等人種(民族)との區(区)別からくる差別と殺戮がある。文明(civilization)の語源は、市民(civil)であり、都市化することが文明である。生産と消費の一體(体)的生活であつた農業、林業、漁業から消費生活だけを分離し、生産と消費の分離、さらに細分化した分業、工業化の促進などによつて農地と森林が破壞(壊)され、これによつて水源が枯渇し、ついに文明は飽和絶滅によつて崩する。



 このことについて、アメリカの文化人類學(学)者エドワード・T・ホールは、人類の都市と文化の問題を動物の集團(団)との比較において次のやうに述べた(文獻(献)60)。「動物の集の場合は、解決はきわめて簡單(単)であり、われわれの都市改造計畫(画)や郊外の無秩序な擴(拡)大において見うけられるものに驚くほど似ている。ネズミの集の密度を高めて、しかも健全な標本を維持するためには、ネズミを箱に入れて互いに見えないようにし、かごを清潔にし、十分な食事を與(与)えればよい。箱は望みのまま積み重ねることができる。殘(残)念なことに、かごに入れた動物は愚鈍になりやすい。これは積み重ね方式の拂(払)わなければならない高價(価)な代償である。」と。



 つまり、シカやネズミなどの場合は、過密によつて各個體(体)の生活圈(圏)が確保できないことのストレスによつて自殺的行爲(為)や共食ひなどの異常な行動が見られるといふのである。これは、文明の過剰發(発)展が飽和絶滅に至ることを防ぐ種族保存本能が事前に作動して、文明の展を阻止して縮小させるための「自淨作用」の本能によるものであることを示してゐる。



(經濟學の迷走)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10282706484.html

國體護持 第六章 第一節 (飽和絶滅)-4

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(飽和絶滅)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277872799.html



第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (飽和絶滅)-4


 これと對(対)極にあるのが、ダーウィンの進化論から發(発)展した「優生思想」である。優生思想は差別思想の源泉であり、その誤りは進化論の誤りにある。優生思想と進化論は、いづれも唯物論であり、人々を理性論に洗腦(脳)させ、人間の思考能力、運動能力などの數(数)値的能力を測定して生産性の大小で差別する。決して、德性の高低で人の價(価)値を判斷(断)するのではない。進化論は、類人猿を人類の直近の祖先とすることであり、敬神(神)崇祖によつて培はれてきた人類の德性を否定する思想である。人は、猿を祖先と崇めて德性を高めることができないのである。人は、猿から進化したのではなく、から退化したものと信じなければ、德性の高い理想世界に到達できない。



 ともあれ、人類の生存が地球環境を變(変)化させ、地球の再生能力の限界點(点)(飽和)に至る許容總(総)量は未知數(数)ながらも限界定的に決まつてゐる。それを地球上の人口總數で除した値が一人あたりの許容量となる。その一人當(当)たりの許容量は、人口が增(増)加すれば、それに反比例して減少する。そして、一人たりの許容量は、消費生活における一人たりの消費量に比例するから、消費生活の工夫によつて一人あたりの消費量とその加速度を調整することには自ずと限界がある。しかも、人口がえれば、その一人たり消費量の限界量も減少するので、個人の自助努力で解消できる問題ではない。それゆゑ、殘(残)る方法としては、人口の調整といふことに歸(帰)結することは確かである。地球規模の問題して提起される環境問題、公害問題などの究極の到達は、この人口問題なのである。



 そして、この人口問題こそが、温室效(効)果ガスの排出量を制限して地球の負荷を輕減しようとする取り組み以上に、最優先の課題であることが殆ど忘れ去られてゐる。「持續(続)可能な」經濟(経済)發(発)展のために温暖化對(対)策を行ふといふやうな聞こえの良い言葉は、人類は永遠に展しけるといふ進歩史觀(観)と成長信仰に根ざしたものであつて、人口增(増)加は基本的には「進歩」ないしは「國(国)富」との認識から拔け出せないで居る。成長信仰に毒されて、少子高齡化を「危機」と捉へることなどは、その典型例である。まさに「マッチ・ポンプ」の樣(様)相である。



(飽和絶滅)-5 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277876094.html

國體護持 第六章 第一節 (飽和絶滅)-3

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(飽和絶滅)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277872799.html



第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (飽和絶滅)-3


 そして、このやうなこれまでの孤獨(独)相の自殺は、これから豫(予)測されるであらう群生相の自殺を暗示するものであり、そして、現に一部では集團(団)自殺といふ形態で起こり始めた群生相の集自殺を警告し續(続)けてきた現象であつたといふべきであらう。國(国)連の推計によると、平成二十二年には、世界の人口は約六十九億人、そしてさらにその二十年後には約八十四億人とされてをり、人類の歴史は、かつてない人口增(増)加とそれによる飽和絶滅への危機に直面してゐる。それゆゑ、これからは、人口急激な減少によつて一氣(気)に危機を回避するため、それを實(実)現しうる戰爭(戦争)發(発)と集自殺の群生相が世界的に形成される危險(険)度は益々高まつてゐるのである。



 このやうな飽和絶滅の危機感に基づく自殺は、病氣(気)藥(薬)害による幻覺(覚)、極限的な苦惱、それに宗教的な洗腦(脳)による自殺との區(区)別をすることが困難であり、それらが明確な自に基づくものか否かにかかはらず、すべて輪廻轉(転)生(歸(帰)巣本能)を目的とするものや「捨身往生」によるものに收斂(しゅうれん・集約)されることになる。たとへば、イジメによる子供の自殺報道に對(対)して、メディアが自殺した子供に同情と理解を示し、その常套(じょうとう・ありふれたやり方)文句として、自殺した子供について「天國(国)に行つた○○ちゃん」とすることがある。そして、この同情による美化が同じ境遇に置かれた子供への洗腦(脳)となつて自殺の連鎖を生む。この自殺の連鎖を防ぐためには、「自殺すると地獄へ落ちる」と啓蒙すれば良いのに、自殺して天へ行かうといふ自殺の美化と同情で報道し續(続)けてゐる。しかし、どうしてこの程度の洗で子供は自殺をするのだらうかと翻(ひるがえ)つて考へてみると、メディアを含む社會(会)體(体)と子供自の本能的劣化が進んでゐるためである。それもまた飽和絶滅の危機に向かつてゐることの證(証)左と云へよう。



 ただし、このやうな自殺とは全く無縁の自殺があることも事實(実)である。それは、本能に基づいた覺(覚)悟の自殺である。たとへば、「宇治」の語源となつた菟道稚郎子尊(うぢのわきいらつこのみこと)の自殺は、應神(応神)天皇の皇太子でありながら、後に仁德天皇となる兄の大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)の即位を促し、皇長子優先の皇位繼(継)承秩序の確立を目的とした皇統護持の本能によるものであつた。また、戰爭(戦争)末期の集團(団)自決のやうに、單(単)なる歸(帰)巣本能を超えた「留魂」の自殺もある。そして、現代においては、生命保險(険)金によつて家族の生計維持が現できるとする家長の自殺は、家族維持本能による行動と云へる。



 さて、再び人口問題に話を戻すことにする。

 マルサスは、『人口論』において、人口は幾何級數(数)的(等比列的)に增(増)加するが、食料生産量は算術級的(等差列的)にしか加しないといふ人口法則を明らかにした。人口と食料の不均衡は不可避的なものであり、このことは、現在では人口問題を考へるについて公理として認められてゐる。そして、マルサスは、飢饉、貧困、惡(悪)政(戰爭(戦争)、内亂(乱))などは人口調節のための人口抑制要因としての自然現象に起こるもので、資本主義經濟(経済)など社會(会)制度の缺陷(欠陥)が原因ではないとし、人口加抑制政策としては、道德的抑制(家族扶養能力がつくまで結婚年齡の延期、その間の性的自制など)に求めた。しかし、道德的抑制では實效(実効)性に乏しいことから、マルサスの考へを引き繼(継)いだ者(新マルサス主義)は、受胎調節、産兒(児)制限の必要を説き、勞(労)働者階級は社主義ではなく産制限によつて貧困から脱却できるとした。



(飽和絶滅)-4 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

國體護持 第六章 第一節 (飽和絶滅)-2

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(飽和絶滅)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277872799.html



第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (飽和絶滅)-2


 『自殺論』を著したフランスの社會學(社会学)者E・デュルケームは、戰爭(戦争)時よりも平和時の方が自殺が多いことに着目し、もし、自殺の動機が生の過酷さにあるとすれば、戰爭のときに最も多くなるはずであるのに、平和時に多くなるのは、平和によつて社發(発)展、混亂(乱)したときに、アノミー(anomie)の状態になるとした。aは否定、nomieは規則の意味であるから、「規範崩壞(壊)」といふことであり、いままで依據(拠)してきた社的な基準、規則が役に立たないとき、人間は目標を失つて自殺しやすくなるといふのである。



 しかし、どうして平和時にアノミー状態になるのかが全く解らない。社會學(社会学)的な考察だけでは解明できないのである。ここでも、この解明はやはり本能論によることになる。まづ、神經(神経)系について考へてみると、これには中樞神經系(腦(脳)と延髄)と末梢神經系とがあり、末梢神經系は體(体)神經系と自律神經系に別れる。そして、神經系は感覺(覚)神經と運動神經とに、自律神經系(間)は交感神經と副交感神經區(区)別される。つまり、これは、擴(拡)大と縮小、張と收縮、促進と抑制の均衡のための重層構造であり、この神經系に築かれた本能についても、その行動意識にも促進と抑制の均衡によつて保たれてゐる。ある欲望を促進することに對(対)して、それを抑制するのも他の欲望によるものである。欲望の均衡こそが本能原理である。



 しかし、たとへば、イナゴが普通の状態で生存してゐる「孤獨(独)相」の場合と、大群になつて一つの生き物となつたかのやうな「群生相」の場合とは、同じ種であるにもかかはらず、それぞれの本能行動を著しく異にするのはなぜか。決して種が變(変)化したり本能が化したのではなく、「孤相」も「群生相」もともに個體(体)の本能として宿つてゐるものであり、それが情況の化によつて本能の發(発)現態樣(様)が別れるのである。それは、人類についても同で、個人個人の場合の「孤相」での行動特徴と、群衆の場合の「群生相」での行動特徴とは異なるが、いづれも人類に備はつた本能なのである。それゆゑ、孤相での自殺と群生相での自殺とは區(区)別して考へる必要がある。



 まづ、平和時における孤獨(独)相の自殺は、腦(脳)の機能缺(欠)損や不全などの疾病や受傷による場合以外は、おそらくその殆どに共通した根底的な原因がある。それは、自殺するに至る表面上の辯(弁)とは別に、その潛在的な根底に、人類の「飽和絶滅」の危機があり、それを通常人よりも強く感受した者の本能行動に他ならないと考へられる。「漠然とした不安」といふ言葉で自殺した芥川龍之介にもそれが見て取れる。「漠然とした不安」の源泉は、紛れもなく「飽和絶滅」の恐怖とそれを回避するための自裁に他ならない。


(飽和絶滅)-3 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277874066.html







國體護持 第六章 第一節 (飽和絶滅)-1

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html



第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (飽和絶滅)-1


 人類には、地球上に生を享(受)けたことに對(対)する感謝と愼みが必要である。「ケイザイバンザイ、ナンデモケイザイ」と大合唱して、經濟(経済)しか人生の關(関)心がなく、生産と消費の量に比例して幸福が高まると信じ、利益の追求と欲望の滿(満)足しか眼中にない。そして、この拜金(拝金・金銭を最高のものとして、極度に尊重すること)主義を全世界の隅々にまで擴(拡)散して飽和状態に至つてゐる。



 さらに、「少子化」は經濟(経済)を失速させるなどと喧傳(伝)(けんでん・盛んに言いはやして世間に広く知らせること)し、「産めよ增(増)やせよ」を肯定して人口問題を忘れ去つてゐる。しかし、人類による破壞(壊)の速度とその總(総)量が、地球の再生能力による治癒の速度とその量を超えたとき、地球は再生不能の状態に陷(陥)り、人類は「飽和絶滅」するのである。飽和絶滅とは、たとへば、ガン細胞は、生體(体)に限りなく殖し續(続)けても、それが生のすべての臓器と細胞にまで及んで飽和状態になれば、生が死滅することになるが、それによつてガン細胞全も死滅するといふやうに、寄生對(対)象の生まで殖して飽和状態になれば生が死亡すると同時に、これに寄生したガン細胞も絶滅するに至るといふことである。これが、地球環境に負荷を與(与)へる人類と地球との關(関)係に似てゐる。



 つまり、經濟(経済)國(国)際競爭(争)力なるものは、決して世界平和に貢獻(献)しないのに、これを持て囃(はや)し、ますます過激に拜(拝)金增(増)殖させることによつて、大量生産と大量消費を可能にし人口爆發(発)に至る。



 しかし、盛者必衰、極盛必敗、生者必滅である。地球環境を再生不能なまで破壞(壊)しうるのは人類だけであり、そのことは、人類が飽和絶滅しうる可能性があるといふことでもある。そして、その最大の懸念要素は、人口增(増)加問題、つまり、世界の人口が地球の負荷の限界點(点)を越えつつあることにある。それゆゑ、人類がそのやうな事態に至らないために、保存本能を作用させるとすれば、自らの殖能力を低下させ、少子化、劣子化、短命化による人口調整作用を働かすことになり、個體(体)の免疫力の低下と生命力の減退などによる疫病等の大流行による人口の急激な減少もまた飽和絶滅を回避するための人類の保存本能の働きとして現れてくる。



(飽和絶滅)-2 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10278293043.html

國體護持 第六章 第一節 (地球の再生能力の限界)-4

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

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(地球の再生能力の限界)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277105836.html



第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (地球の再生能力の限界)-4


 また、水は、人の生命を維持する飮(飲)料水や生活用のものだけでなく、農業用、工業用などもあり、食料生産や産業生産を支へるものであるが、すべて淡水であり、この淡水量は地球上の水としては餘(余)りにも少量なのである。


 さらに言へば、人類にとつて食料や水の確保は必要不可缺(欠)ではあるが、さらに、生存のための生體(体)的な安全が確保されなければならない。しかし、これを脅かすものとして、「核」の存在がある。


 核保有國(国)の原爆や水爆は、世界を何回となく滅亡させる數(数)量であり、その管理についても政府の不安定化などによる核汚染の不安がある。その上、昭和四十年に、アメリカの軍艦が沖繩近海の海中に落としてしまつた水爆一基や、同六十一年に、バミューダ諸島東海域において舊(旧)ソ連の原子力潛水艦が三十二基の核彈(弾)頭、二基の核魚雷、二基の原子爐(炉)と共に沈んだことなど、現在、判明してゐるだけでも、世界の海に沈んでゐる五十基の核兵器と九基の原子があり、さらには、海洋投棄されてゐる無の放射性廢(廃)棄物による放射能漏れの脅威がある。核保有はこれらの回收責任を果たさず、核の絶について合意すら行つてゐない。地球上に紛爭(争)が多してゐることなどからして、核戰爭(戦争)や原事故などの最大の「人災」が今後とも生する危險(険)はある。


 このやうに、シュメール文明やエジプト文明の崩壞(壊)は森林の過剰伐採といふ「人災」に原因があつたことの教訓を生かしきれずに、世界は混迷してゐる。文明の崩の原因は、人類の營(営)みが、地球上の他の動植物との共生といふ自然な地球のみから大いに逸脱して、地球の最外層(地殻)から成層圈(圏)に至るまでの物質循環に急激で大量の人爲(為)變(変)更を加へたことによるものである。これを推進してきたのは、地球は人間のものであり、總(総)ての動植物などは人間のために生け贄として生存を認められ、文明とは人間と自然との對(対)決であつて、その目的は人間が自然を征服することであるとする「天に唾する」人間中心思想によるものである。そのため、文明の崩は、この思想がもたらす自業自得の「人災」なのである。


 以上のことは、人類及その他地球上の總(総)ての生物は運命共同體(体)であることのみならず、地球自が一個の生命であつて、進歩主義文明といふ人類の自然破壞(壊)活動によつて、傷ついたを自然治癒できる能力(再生能力)にも限界があることを物語つてゐる。



(飽和絶滅)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277872799.html

國體護持 第六章 第一節 (地球の再生能力の限界)-3

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(地球の再生能力の限界)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277105836.html



第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (地球の再生能力の限界)-3


 ともあれ、地球かこれから温暖化に向かふのか寒冷化に向かふのかは不明であるとしても、著しい異常氣(気)象は確實(実)增(増)大する傾向にある。その原因は、大循環速度の低下やその運動停止による攪拌(かくはん)状態だとの説明もある。いづれにせよ、どのやうな原因であらうと、各國(国)の穀倉地帶に異常象が起これば、結果的には食料難が發(発)生することだけは確かである。つまり、温暖化(減速)對(対)策が必要なのではなく、食料(確保)策が喫緊の課題であつて、温暖化策の大合唱に目を奪はれて、食料問題と人口問題を疎かにしてゐることこそが世界最大の問題なのである。



 そして、これらの問題の根底には、水の問題がある。そもそも、文明は「水」に始まるものである。インダス文明と呼ばれる「インダス」とは、サンスクリット語では「川」のことであり、考古學(学)的に認識しうる初めての文明とされるメソポタミア文明の地域はシュメールと呼ばれたが、このシュメールといふのは「葦の多い地方」といふ意味である。『古事記』上卷(巻)には、「次稚如浮脂而、久羅下那州多陀用弊流之時、如葦牙因萌騰之物而成名、宇摩志阿斯訶備比古遲神(つぎにくにわかくうきしあぶらのごとくして、くらげなすただよへるとき、あしかびのごとくもえあがるものによりてなれるかみのなは、うましあしかびひこぢのかみ)」とあり、天壤無窮(てんじょうむきゅう・天地と共に窮(きわ)まりが無く永遠である)の御神敕(神勅)(日本書紀第二代下第九段一書第一)にも「葦原千五百秋之瑞穗」(あしはらのちいほあきのみづほのくに)とあるのは、このことを意味する。


 人の生命を維持するのは、水と空氣(気)と食物である。これらがいづれも複合的に汚染すれば、當(当)然に體(体)も命も汚染される。は、殆ど水でできてゐるから、水が歪めばも歪む。治水が文明の基礎であることと同樣(様)に、人のも水でできてゐるといふ現實(実)に目を塞ぎ、現代醫(医)療は、食同源といふ療の原點(点)を見失ひ、限りなく生命攝(摂)理に背馳(はいち・反対になること)して歩んでゐる。ところが、燒(焼)け石に水の如く、難病、奇病、慢性病が蔓延して不健康社會(会)となり、療費負擔(担)が急激に增(増)大し、これに反比例して勞(労)働能力と質的な生活水準は低下する。さらに、世界の異常象の多發(発)と人口の爆加を考慮すれば、食物の源泉である農林水産資源を遍く將來(将来)的に繼續(継続)確保しうるかについて著しい不安がある。穀物については後述するとして、世界の漁業資源の減少については深刻なものがある。國(国)連食糧農業機關(関)(FAO)によると、世界の漁業資源のうち、十七パーセントは亂(乱)獲の状態にあり、八パーセントは枯渇の状態にあるといふ。そして、資源の大半にあたる五十二パーセントは、資源の再生維持の限界點(点)まで漁獲されてをり、漁獲總(総)量を増加しうる資源は極めて少ない状態にあるとされてゐる。



(地球の再生能力の限界)- 4 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277125987.html

國體護持 第六章 第一節 (地球の再生能力の限界)-2

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html

(地球の再生能力の限界)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277105836.html



第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (地球の再生能力の限界)-2


 また、氣(気)學(学)的知見ではなく、地質的立場や宇宙物理學竝(並)びに全體(体)的な地球科の見地からすれば、現在の地球は間氷期後期であり、五度目の氷河期に向かつて寒冷化傾向となる時期でもある。その一方で、太陽の活動度が高まつてをり、太陽面爆發(発)(フレア)現象による太陽系全の温度上昇があり、CO2のない火星でも温度上昇が觀(観)測されてゐる。これまでの歴史からすれば、太陽活動の減衰傾向があれば日光照射量の低下し、食料減産を來(来)すことになる。温暖化傾向といふのは、これまで人類にとつては食料減産から增(増)産へと轉(転)換しうる結果を生んできたので、一般には望ましい傾向であつた。歴史的にみれば、寒冷化は食料問題を引き起こし、これまで食料を求めて民族の大移動が起こつてきた。たとへば、皇紀十世紀から十一世紀(ほぼ西紀四世紀から五世紀に對應(対応))にかけてのゲルマン民族の南下大移動によるローマ帝國(国)領への侵入は、小規模な寒冷化による食料問題によるものであつたが、それの引き金となつたのは、東ヨーロッパに居住してゐたゲルマン民族居住地に、これもまた食料問題が原因でフン族が侵入してきたことによる。騎馬による戰(戦)闘能力に長けたフン族は、支那北方の匈奴(きょうど・前3世紀末から後1世紀末にかけて、モンゴル高原を中心に活躍した遊牧騎馬民族)ではないかと推定されてゐるが、フン族の侵入によりゲルマン民族は西へ一齊(斉)に大移動した。そのころ、日本へも支那大陸から一萬(万)人もの歸(帰)化人の南下してきた。これもまた主に食料問題によるものである。


 さらに、皇紀十四世紀(西紀七世紀末)に、高句麗の復興を目指して建國(国)された渤海が契丹族の建てた遼の侵入(926+660)で滅亡したが、二年後に遼は舊(旧)渤海の領地を放棄したことがあつた。この渤海の滅亡と遼の領地放棄の原因については、我がの東北地方にまで火山灰が降り積もつた白頭山の大噴火による食料問題ではないかとの見解(金子史朗)もある。また、モンゴル帝擴(拡)大も人口問題、食料問題が原因してゐる。このやうに、文明の盛衰と氣(気)變(変)動とは因果關(関)係があると云へる。


 ところで、宇宙物理學(学)的知見からすると、地球磁場が弱化してゐることから、銀河宇宙線(雲の凝縮核)の飛來(来)量の增(増)加し、その結果、雲量の加して氣(気)温の低下が起こりうるとされる。磁場變(変)動や地軸動がこれに關(関)連するか否かは不明であるが、昭和十五年から昭和五十五年までの四十年間における温の推移からすると、〇・一度の温低下が觀(観)測されてゐるが、これについてのIPCC(動にする政府間パネル)の説明によると、石油、石炭燃燒(焼)によるエアロゾル(浮遊粉塵)の大量飛散によつて地球の薄暮化による日傘效(効)果に加へて、雲が加したことによる温低下とされるが、支那やインドなど急激な産業化によつてエアロゾル(浮遊粉塵)の大量飛散してゐる地域に温低下が見られないのは、この説明の科的根據(拠)に疑問が投げかけられてゐる。



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國體護持 第六章 第一節 (地球の再生能力の限界)-1

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

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第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (地球の再生能力の限界)-1




 振り返つて我が國(国)と世界の現状を考察するに、今やの内外における政策の行き詰まりや矛盾が山積みされてゐる。一つの問題を解決するために小手先の付け燒(焼)き刃的政策を行ひ、そのために却つて(かえって)多くの問題が發(発)生するといふやうな、イタチごつこの有樣(様)である。このやうな混迷の原因は、「政策」の誤謬(ごびゅう・まちがい)にあるのではなく「思想」の誤謬にある。「現代は政策の時代であつて思想の時代は終はつた」との巷の喧傳(伝)(けんでん・盛んに言いはやして世間に広く知らせること)流言蜚語(りゅうげんひご・口づてに伝わる、根拠のない情報)の妄想にすぎない。現代は政策繁多な時代ではあるが、逆に、それらを制御統制する明確な思想が缺(欠)如してゐる時代なのである。そして、聞こえはよいが實(実)現性のない空想論や建て前論、提唱者自身ですら自己規律しえないやうな精神(神)論だけが賑やいでゐる。今こそ、日本を救ひ、世界を救ふための世界思想が確立し實踐(実践)されない限り、このままでは、日本はおろか世界や地球に未來(来)はない。


 これまでに起こつた大規模な異常氣(気)象や天變(変)地異は、動亂(乱)、内戰爭(戦争)などの異をもたらしてきた。平和時に構築された法體(体)系は、そのときには役には立たず、喧し(かしまし)く主張されてきた人權(権)條(条)項は空文化し、實(実)定法の愚かさを感してきたのが人類の歴史である。これからも、想像を絶する「局時」に遭遇する危險(険)は益々高まつてきた。現在、國(国)境や地勢地形區(区)分を越え、人種・民族・宗教の別なく、地球規模で生態系環境の破壞(壊)と汚染が進行し、それが近宇宙にまで擴(拡)散してゐる。成層圈(圏)の異(オゾン・ホールの大など)、大氣圈や大の汚染、海洋・河川・湖沼・地下水などの水質汚濁と化學(学)物質及び放射能による水質汚染、作物土壤などの化物質汚染及び放射能による地質汚染など枚擧(挙)に暇がない。さらに、これらの汚染が象現象等によつて地球全域に散して生態系に組み込まれ、これに自然現象や人爲(為)的な要因も加はつて、再生不能な伐採と酸性雨や旱魃(かんばつ)等の災害による熱帶雨林などの森林の消失と砂漠の大、有害異物の大飛散と廣(広)域雨散飮(飲)料水・食物・資源の汚染、公害病、奇病、奇形の發(発)生など人類その他の動植物の生内汚染と異、種の絶滅の危機、といふやうに生態系全の汚染と破が進行してゐる。生態系環境の汚染と破の範圍(囲)は、いはゆる「天・地・人」の地球總(総)ての事象に及んでゐる。


 また、世界の平均氣(気)温が年々上昇し、暖冬・冷夏・寒波・熱波・集中豪雨・集中豪雪などの異常象現象が連續(続)發(発)生してゐるため、各地に農作物などの壞滅(壊滅)的被害が多してゐる。この原因の一つが、埋蔵燃料(石炭、石油、天然ガスなど)の燃燒(焼)使用の急激な增(増)大と森林の急速な消失との相乘(乗)效(効)果が原因と説明されてゐるが、必ずしも科學(学)的には明確ではない。しかし、二酸化炭素などの大中の濃度が著しく上昇することによる「温室效(効)果」といふ積極要因と、逆に、メキシコのエルチチョン火山やフィリピンのピナトゥボ火山の大噴火などの火山活動によつて大量の亞(亜)硫酸鹽(塩)微粒子が成層圈(圏)にまで噴き上げられた結果として、地表面に達する日射量を減少させる「日傘效(効)果」など消極的要因とが複雜に絡み合つてゐることは推測できる。



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