國體護持 第六章 第一節 (飽和絶滅)-4 | らすログ☆

國體護持 第六章 第一節 (飽和絶滅)-4

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

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(飽和絶滅)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277872799.html



第六章 萬葉一統

 第一節 世界的危機の諸相
  (飽和絶滅)-4


 これと對(対)極にあるのが、ダーウィンの進化論から發(発)展した「優生思想」である。優生思想は差別思想の源泉であり、その誤りは進化論の誤りにある。優生思想と進化論は、いづれも唯物論であり、人々を理性論に洗腦(脳)させ、人間の思考能力、運動能力などの數(数)値的能力を測定して生産性の大小で差別する。決して、德性の高低で人の價(価)値を判斷(断)するのではない。進化論は、類人猿を人類の直近の祖先とすることであり、敬神(神)崇祖によつて培はれてきた人類の德性を否定する思想である。人は、猿を祖先と崇めて德性を高めることができないのである。人は、猿から進化したのではなく、から退化したものと信じなければ、德性の高い理想世界に到達できない。



 ともあれ、人類の生存が地球環境を變(変)化させ、地球の再生能力の限界點(点)(飽和)に至る許容總(総)量は未知數(数)ながらも限界定的に決まつてゐる。それを地球上の人口總數で除した値が一人あたりの許容量となる。その一人當(当)たりの許容量は、人口が增(増)加すれば、それに反比例して減少する。そして、一人たりの許容量は、消費生活における一人たりの消費量に比例するから、消費生活の工夫によつて一人あたりの消費量とその加速度を調整することには自ずと限界がある。しかも、人口がえれば、その一人たり消費量の限界量も減少するので、個人の自助努力で解消できる問題ではない。それゆゑ、殘(残)る方法としては、人口の調整といふことに歸(帰)結することは確かである。地球規模の問題して提起される環境問題、公害問題などの究極の到達は、この人口問題なのである。



 そして、この人口問題こそが、温室效(効)果ガスの排出量を制限して地球の負荷を輕減しようとする取り組み以上に、最優先の課題であることが殆ど忘れ去られてゐる。「持續(続)可能な」經濟(経済)發(発)展のために温暖化對(対)策を行ふといふやうな聞こえの良い言葉は、人類は永遠に展しけるといふ進歩史觀(観)と成長信仰に根ざしたものであつて、人口增(増)加は基本的には「進歩」ないしは「國(国)富」との認識から拔け出せないで居る。成長信仰に毒されて、少子高齡化を「危機」と捉へることなどは、その典型例である。まさに「マッチ・ポンプ」の樣(様)相である。



(飽和絶滅)-5 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277876094.html