ヒデキがデビューした1972年は、歴史的にもなかなか騒がしい年だった。

 

例えば

グアム島で元日本兵の横井庄一さんが発見され帰国。

戦後27年も経っているのに、まだ戦争が終わっていない人がいたなんて、

日本全国、みんなビックリしていた。

もっとも2年後、もう一人小野田さんが発見されるわけだけど…

 

札幌冬季オリンピック開催。

初の冬季五輪開催で、スキージャンプ70m級で日本がメダルを独占。

俗にいう"日の丸飛行隊"

この大会はドキュメンタリー映画にもなって、翌年だったか、私の学校でも生徒が招待されて観た。

 

連合赤軍による「あさま山荘事件」発生。

毎日学校から帰るとおじいちゃん、おばあちゃんがテレビの生中継をずっと観ていた。何でこんな事件が起こっているのか、当時の小学生にはイマイチわかっていなかった。

 

沖縄がアメリカから日本へ27年ぶりに施政権返還、本土復帰。

沖縄の存在を意識していなかった私ですが、前年にデビューした南沙織さんに独特な雰囲気を見た。拓郎さんだったか「南沙織のデビューは国策かと思った」ってww

翌年フィンガー5のデビューと1975年の沖縄海洋博で沖縄ブームが来る。

 

田中角栄内閣が発足。

「日本列島改造論」がベストセラー、田中角栄ブームも。私の同級生が田中角栄首相のファンで、政治の話題に詳しくなった。子どもにとって政治が身近になったことは間違いない。

 

日中国交正常化とパンダ来日。

田中角栄首相が中国を訪問し、日中国交正常化実現。その結果として上野動物園に日本初となるジャイアントパンダ"カンカン""ランラン"が来た。ここからパンダブームが始まる。地球上にこんな動物がいるのかって衝撃を受けたことを覚えている。

 

歌謡界では、ぴんからトリオの『女のみち』が325万枚の大ヒット、16週1位だった。世の中どこへ行ってもこの曲が流れてた。ドリフの全員集合でカトちゃんがこの曲を歌いながら自転車に乗って登場するという警察官コントが大人気。子どももみんなこの曲を歌えた。

 

歌謡大賞は小柳ルミ子さんの『瀬戸の花嫁』レコード大賞はちあきなおみさんの『喝采』

 

他にも平田隆夫とセルスターズ『悪魔がにくい』『ハチのムサシは死んだのさ』

ペドロ&カプリシャス『別れの朝』、チェリッシュ『ひまわりの小径』

ビリー・バンバン『さよならをするために』

よしだたくろう『結婚しようよ』『旅の宿』を筆頭にフォーク・ブーム

天地真理、小柳ルミ子、南沙織の三人娘ブーム

『どうにもとまらない』の山本リンダ・ブーム

「子連れ狼」に「ゴットファーザー」の大ヒット。等々。

 

そんな時代にヒデキも郷ひろみもデビューした。

後に新御三家と呼ばれる2人がデビューした年として1972年はファンに永遠に刻まれる。

ヒデキの歌手デビューは1972年3月25日

曲は『恋する季節』

 

ヒデキファンじゃない人は知らないでしょうね。

それほど売れてないですから。

 

72年のヒデキはシングル3枚リリースしましたが、鳴かず飛ばず…

その年の新人賞は、どの音楽祭でも取れなかった。

 

とはいっても、デビュー曲こそ5.8万枚の42位でしたが、

2曲目14万枚の18位、3曲目で10万枚の20位

新人としては頑張っていましたよね。

 

だけど、同期ライバルが半端無かった。

ちなみに72年のレコード大賞・新人賞受賞曲の売上は次の通り。 

 

『太陽がくれた季節』青い三角定規/50.1万枚

『芽ばえ』麻丘めぐみ/42万枚

『雨』三善英史/38.8万枚

『せんせい』森昌子/34.6万枚

『男の子女の子』郷ひろみ/27.8万枚

 

 

『恋する季節』西城秀樹/5.6万枚 ・・ちょっと差がありますね

ちなみに同期の伊丹幸雄『青い麦』は10万枚。

 

新人賞はセールスだけでは決まらないですけど、

受賞者の5組をみると、やっぱりヒデキの受賞は厳しかったよね。

むかしからよく聞かれるのが、

ヒデキのファンになったキッカケは?

 

実はデビュー曲『恋する季節』2曲目『恋の約束』(どちらも1972年発売)は

当時テレビで観た記憶が有りません。

なのでその時点ではヒデキを知らなかった可能性がある。

 

以前にも書きましたが、

まだまだ特撮やアニメに夢中だった小学生でしたから

大人の歌謡曲にはそれほど興味はなかった。

 

ただ、時代的に、流行歌は大人も子どももみんな知っていたので、

演歌でもムード歌謡も、GSもポップスも、

常に生活の中で流れてたから、子どもでも歌えてた…

 

私が西城秀樹という歌手を認知したのは3曲目の『チャンスは一度』

曲もですが何と言ってもその振り付け、当時からアクションと言われていたけど

その派手さが印象的でした。

実際『チャンスは一度』はそれほど売れてなかったが…(オリコン20位)

 

ただし、何の番組で観たかは定かではない。

たぶん紅白歌のベストテンではないかとは思う。

夜のヒットスタジオに出演した記録はあるけど、

10時からの歌番組を観てたとは思えない。

 

あの時代で歌番組と記憶しているのは、

他にベスト30歌謡曲とか、ロッテ歌のアルバムとか、歌謡グランドショーとか…

8時だよ!全員集合!!などのバラエティも、歌を聴ける番組だった。

 

決定打はやっぱり初のベストテンヒットになった『情熱の嵐』ですね。

あきらかにテレビの露出度が高くなった。

その頃からヒデキの曲ばかり聴いてた。

 

雑誌も初めて月刊明星を買ったりした。

実際は、同級生の女の子達からヒデキの記事の切り抜きを貰っていたので、

自分ではあまり雑誌は買ってはいなかったけど。

部屋にポスターを貼ったのもこの頃だったと思う。

 

当時の子どもは、女子より男子の方がヒデキファンは多かった気がする。

アイドルという概念はまだそこまで強くなくて、

男性歌手ではジュリーやフォーリーブス、堺正章が主軸、

野口五郎と郷ひろみの人気が急激に上昇していた頃でもある。

 

その他ではにしきのあきら、本郷直樹、野村真樹とかいたけど

あまり興味は持たなかった。

グループサウンズはもうすっかり無くなっていたし・・

 

いずれにしても男っぽくて、容姿端麗で、歌がうまくて、

曲のインパクトが強くて、迫力があって…

そんな歌手、他にはいなかった。

それが西城秀樹だった…衝撃だったと言うしかない…

オフィシャルで公示された秋のフィルム・コンサート

「HIDEKI FESTA2026」

9/15~21にかけて、東京と大阪で特別上映されます。

 

 

今回目新しいのは「JUST RUN '84」の映像が観られることです。

当時モーニングサラダ用に撮影されたもののようです。

 

木曜スペシャルの番組が解禁されたこともあって

日本テレビに残されている映像が使えることになったのでしょうね。

ありがたいことです。

 

そういえばネットで私が過去にアップした「JUST RUN '84」の動画や、

写真を使っている人たちがいます。

私のところではすでに削除してしまったのですが…

他のファンの方に聞くと、動画や写真を巡っては揉め事も多いようですね。

 

そもそも私も動画を勝手に流していますから、

肖像権などの問題で"ごめんなさい"の意味で早々に削除しているんですけど(苦笑)

先日テレビ朝日で放送された「昭和の名曲」特番

今回のテーマは「人生で最も聴いた夏うた」でした。

 

そこでは80年代のジャンルでヒデキの『ギャランドゥ』が流れた。

こうして取り上げてくれるのはヒデキファンにはありがたいことです。

 

が、一言余計なことを言わせて頂くと、『ギャランドゥ』は夏うたではない。

むしろ冬~初春の曲です。

多分ですが、ギャランドゥ=へそ毛=水泳大会=夏

といった思考で選ばれたのではないか?(笑)

 

流れたヒデキの映像は83年夏の大阪球場ライブの模様ですから、

映像は夏っぽいけどね。

 

それにしても、定期的に放送されるこの番組、毎回マニアックな映像が流れます。

スタッフさん、頑張ってます。

 

今回の放送で私が一番印象に残ったのは

弘田三枝子さんの『渚のうわさ』

 

弘田さんと言えば『バケーション』とか『人形の家』が有名ですが、

私の世代だとジャングル大帝の『レオのうた』ですね。

 

いまでは有名アーティストがアニメの曲を歌うのは当たり前ですが、

当時は、なかなか少なく、この弘田三枝子さんや

『カムイ外伝』の水原弘さんなどが先駆者ではないですかね。

 

で、この番組で流れた弘田三枝子さんの『渚のうわさ』は

最初"知らないなぁ"と思って観てたんですけど、

“あれ? 歌えるぞ?…なんで知ってるんだろ?”

と思いながらサビになったところで、

“これって岡崎友紀さんが歌ってた”って気づきました。

 

オリジナルは弘田さんなのか…

それも橋本淳さんと筒美京平さんコンビの作品、

1967年の曲だったが、私は記憶になかった。

可愛い曲なんですよね。