「抱きしめてジルバ」は1984年10月15日発売シングル通算49枚目の曲
原曲は、ジョージ・マイケルの「Careless whisper」。

 


Wham!の大ヒットアルバム『Make it Big』に収録されている、ジョージ・マイケルのソロ名義の曲です。
原曲の方は、翌85年にシングルとして全米チャートの1位となり、85年・年間セールスでも1位となったビッグ・ヒットで、ヒデキのカバーは日本国内にこの曲を浸透させています。

 

ヒデキは当初「Wham!は好きではなかったが、この曲を聞いてジョージ・マイケルの歌のうまさに驚き、流行をいち早く取り入れたいという思いもあってシングルで歌うことにした」と語っており、楽曲の好みで選んだものではないとしています。

 

「実はワムの『ケアレスウィスパー』が発表になる前からテープを入手していて、シングルでいこうと決めていた(ヒデキスタッフ)」
「最初テープをきいたとき自然な感じがした。今まで僕がうたっていたコンサート曲とメロディーが似ていたしね。だから外国曲でも、すぐ体に溶け込んでいって、レコーディングもうまくいった/ヒデキ」

 

またこの曲はヒデキ版発売1ヶ月後に、郷ひろみがシングル「どこまでアバンチュール」とのカップリング両A面で「ケアレス・ウィスパー」のタイトルで発売し、競作となりました。
82年「カサブランカ」の際のように、郷ひろみからシングル発売の意向を聞いたヒデキは、「前回は譲ったが、今回は譲れない(笑)」とシングル化に踏み切ったとも語っています。「夜のヒットスタジオ」において競作対決企画としてヒデキ・ひろみの共演もありました。

 

この当時、シングル候補としてダウン・タウン・ブギウギ・バンド「裏切り者の旅」のカバーも用意されていて「抱きしめてジルバ」にシングルが決定後、カップリングとしてレコーディングされましたが、結局「ジェラシー」が採用されたため、「裏切り者の旅」はお蔵入りとなりました。

 

独立後、ヒデキはやりたいことをやってきてます。曲もこだわってリリースしている。

「ギャラン・ドゥ」「ナイトゲーム」に始まって、この「抱きしめてジルバ」

80年代、90年代はセールスこそ振いませんでしたが、曲は数々の傑作を作っています。カバーも含めて様々挑戦してましたね。

先日、ようやく映画「Michael」観て来ました。

マイケル・ジャクソンとはそれほど年齢が離れているわけではないので、まさしく時代を共にしたアーティストといってもいいですかね。さすがにジャクソン5の活躍はあまり知りませんけど、マイケルの黄金期は私の青春時代です。

 

この映画はジャクソン5の時代から1986年「BAD」までのストーリーでした。モータウンライブの「Billie Jean」やMTVの「Thriller」と「Beat It」のメイキングとか、ペプシのCMとか雰囲気出てました。さりげなくピーターパンのネバーランドとかオズの魔法使いの本とかあったりした。

 

 

その時代のマイケルを知っているファンにしてみれば、若干の違和感はあったと思うのですが、主演のジャファーが甥っ子だけあって、そっくりです。そこには違和感が無かった。

 

製作には様々な問題があったようなので、タラレバを言ってもしょうがないのですが、私として残念だったのは、ポール・マッカートニーとの「The Girl Is Mine」、ミックジャガーとジャクソン5の「State Of Shock」とか、「Billie Jean」が誕生した経緯などが出て来ない、何よりジャネットに関して触れられていないこと。切りがないですね。

 

この映画が公開されて間もなくの頃、娘の方が先に観ていて、私の影響でマイケルの曲を知っていたとはいえ、良かったと感想を聴かせてくれました。

 

「来日公演の時はバブルスっていうチンパンジー連れて来て…」って娘に話したら、「映画に出て来たよ」って、あまり知らなかったマイケルのプライベート部分が映画で披露されてた。ちなみにヒデキとの関連話も少し教えてあげた。

 

マイケルの曲の中で一番好きなのは「Human Nature」なんですが、娘も同じだって言ってました。

 

先日、弟夫婦が来て映画の話をしたら夫婦で2回観たらしい。弟もマイケルの時代をしっているけど、義妹はジャクソン5を知らなかった。弟とフィンガー5が和製ジャクソン5だって話したら、義妹はフィンガー5も知らなかった。

「学園天国って曲も知らない?」って聴いたら「それは知ってます、キョンキョンが歌ってたから」って、軽いショックですww。 

 

↑弟が持ってる「スリラー」の日本版シングル。

 

最近映画を見る機会がほんとに少なくなって、前回最後に映画を観たのは「ゴジラ-1.0」だし、洋画に至ってはここ10年で観たのはクイーンを描いた「ポヘミアン・ラプソディ」だけかも。80年代90年代、あれほど洋画を観ていたのに。

実際観たいと思える洋画が無いってこともあるかな。

 

最後にマイケルとヒデキの話。マイケルのソロアルバム「オフ・ザ・ウォール」を気に入って聴いていたこととか、マイケルが来日コンサートを行う際、ヒデキのスタジアムライブ映像を見てヒデキのチームを借りたいと打診して来たこととか。結局競演は無かったですけどね。

1982年9月30日発売の『漂流者たち』はシングル43枚目で、独立前の芸映プロダクション所属で最後の曲です。この曲はヒデキ自身が主演を務めたドラマ「ホーム・スィート・ホーム」の主題歌にもなっていますが、残念ながらベストテンには入りませんでした。ベストテンにはこの曲から連続して10曲ランクインしていません。

 

郷愁のある曲ですが、若干演歌っぽい雰囲気で過去のシングルとは毛色の違った一曲になっています。その理由は演歌を多く手がける石坂まさをさんの作品だからでしょう。石坂作品の代表曲は藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」や「命預けます」郷ひろみさんの「花のように鳥のように」等々

 

この曲で印象的なのは歌番組やライブで泣きながら歌ったことでしょう。特に11月8日の「夜のヒットスタジオ」で2コーラス目から涙を拭いながら歌う姿に出演者たちもテレビを見ていたファンも驚きを隠せませんでした。番組には問合せが殺到したようです。

 

 

ヒデキはその歌詞の中に出てくる情景が自分が広島から家を飛び出して苦労したデビュー時のことを思い出してしまったためと話します。

「この歌をうたうと、上京したばかりの自分を思い出して自然と泣けてくるんだ」


「歌詞の一部に”夕焼けには父母も薄れ、戻れる道もない″という一節がある。旅立ちの日と歌詞がオーバーラップして、レコーデイングのときに声をつまらせていた(RCA岡村ディレクター)」

 

後年、テレビ番組でこの曲について「ホントを言うと暗くてあまり好きじゃなかった」と話すヒデキ、でも暗いから好きじゃないというより、若い頃の苦労を思い出して嫌なんじゃないかな。それに何度も泣いたからかもね。ライブでもなかなか歌ってくれないナンバーになっています。

 

私にとっては地元を離れ東京で初めての一人暮らしを始めた年の曲、最初の半年は学校やバイト、そして東京生活に慣れるまでバタバタしていたので感傷に浸る間もありませんでしたが、9月ともなると秋の気配も併せて、何となく物哀しい日々を送るようになりました。

 

よく学校帰りやバイト帰りに、暗くなった夜道をこの曲を口づさみながら、家路についた記憶が鮮明です。今でもこの曲を聴くと、あの時代を思い出して切なくなります。

ジェームズ・ディーン(以降ジミー)は生涯の主演作品が3本、24歳の若さで自動車事故により亡くなった俳優です。その3本の主演映画も2本は死去後の公開で、すでに公開されて大ヒットしていた初主演作品「エデンの東」1本でスターの座に登り、その矢先での事故でした。それゆえに多くのファンは彼がこの世を去ってからスクリーンで彼を見ることになります。

 

それが伝説の始まりで、死去後公開された「理由なき反抗」「ジャイアンツ」も大ヒットし、アカデミー賞に2度ノミネートされ、しかも1度はアカデミー賞史上初めて死去後本人不在でのノミネートとなりました。

 

1950年代以降、男の子なら一度は憧れる永遠のスター、それがジミーですが、ヒデキも多分に漏れず憧れがあったようです。ジミーが反抗児という若者の象徴であったように、十代のヒデキも長髪、絶叫、型破りなパフォーマンス、そして「愛と誠」の太賀誠を演じたことで世間には不良のイメージを持たれたり、大人からは批判的な扱いもされてました。

 

共通するのはそれだけではありません。ジミーが亡くなった1955年はヒデキ誕生の年です。そして1975年にはジミー主演映画「理由なき反抗」のリメイクを松竹がヒデキ主演映画として企画検討していました。ちょうどこの頃、ジミーのリバイバルブームが起こりました。

 

しかし、ドラマ「寺内貫太郎一家2」での脱臼の怪我により大幅なスケジュールの変更が生じ、「理由なき反抗」の制作も翌年76年夏に延期されてしまいました。

 

この企画を意識してか、ちょうどその頃にテレビ番組「セブン・スター・ショー」で、ジミー主演映画3本「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」のテーマ曲に詞を付けて歌っています。

 

脚本の見直しとして延期されていた映画の話は、結果的に実現することはありませんでした。

その後81年に日テレで「青年・さらば愛しき日々よ!」という2時間ドラマに出演しましたが、このドラマの家族設定のモデルになったと言われているのが「エデンの東」です。

 

私はジミーの映画リアルタイム世代ではないですけど、家にあった映画音楽全集の中に「エデンの東」「理由なき反抗」のテーマが入っていて、作品自体を見たことはなかったのですが、映画音楽があまりにも美しいので興味を持ちました。母に映画のことを聞くと知っていて、ジェームズ・ディーンという俳優のことを教えてくれました。

 

当時はビデオが無い時代だったので、初めて作品を観たのはリバイバル上映があった高校生の時でした。

作品も見てないのに部屋にはパネルを飾り、写真集、そしてセリフ集のLPレコード、映画のサウンドトラック等々を購入。パネルの隣はもちろんヒデキでしたww

 

(↑この写真のパネルを飾ってた)

 

私は3本の中では遺作となった「ジャイアンツ」が好きでした。

いわゆる大河ドラマで、大スターだった主人公役のエリザベス・テーラー、ロック・ハドソンと堂々と渡り合い、むしろこの映画はジミー(の演じたジェット・リンク)が主役と言ってもおかしくない作品です。

「ジャイアンツ」はアカデミー賞に10部門でノミネート、監督賞を受賞しています。

 

「ジャイアンツ」での自身の撮影クランクアップから数日後の9月30日、レース参加へ向かう途中、自分のスポーツカーで事故にあい、この世を去りました。

 

 

1973年9月24日、ヒデキは『ちぎれた愛』で初めてオリコン1位に立ち、4週トップの座を守った。

 

1973年9月5日に発売された『ちぎれた愛』は第6弾シングル。

チャート初登場14位の翌週、9月24日付けで第1位になりました。

新御三家の中で最も早く1位に到達。年間売り上げでも15位にランクされています。

 

 

「1位になったときは、びっくりして信じられない思いでした。デビューしてから、眠る時間は3~4時間。当時のテレビ番組はVTRがないので、生放送なんですよ。音楽番組が多くて、週5本はあったかな。今、思えば、未成年なのに仕事は深夜まで。そういうもんだと思っていました。あの年齢だからできたんじゃないかな。若いせいか、寝たくないし、嫌だとも思っていませんでした。子どもが大人の世界に入って、いつもドキドキ新鮮っていう感じです/ヒデキ」

 

それまでの「たかたかし/鈴木邦彦」の作家陣から「安井かずみ/馬飼野康二」による作品に・・。

特に作詞家の安井かずみさんにヒデキは以前より憧れがあったようで

「大人の女性に恋焦がれることってあるじゃないですか、素敵なお姉さんというか学生と家庭教師、気持ちはそんな感じ(笑)」念願叶った一曲となりました。

 

「好きだ! 好きだよ! 好きなんだよ~!!」というセリフが特に印象的で、最初は本人もかなり抵抗があったよう。

「レコーディングでも”これは言えない”って。でもみんなに励まされて、恥ずかしいからガーッとシャウトしたら、それが良いって言われた。本番はいいんですけど、音合わせのときが嫌なんですよ」この曲以降の『愛の十字架』『傷だらけのローラ』『白い教会』等々につながる、絶唱型の原点となった作品。

 

「(ディレクターの)ロビーさんが洋楽のレコードをいろいろ持ってきて、2人で話し合いました。母音をいれる歌い方というのかな。”ふたりだけに~”を”ふうたありぃ”っていう風に歌うアメリカのボイストレーニングの方法があるんですよ。ボイスのレッスンで母音を入れるとリズム感がよくなるんです」

 

同時期に発売され大ヒットした『神田川』を歌うかぐや姫の南こうせつさんは後に

「ヒデキの歌があったから『神田川』の1位は絶対無理だと思っていた」と当時の思いを語っていました。

 

第15回日本レコード大賞歌唱賞を男性最年少18才で受賞。

しかし残念ながらNHK紅白歌合戦には落選。

第4回歌謡大賞もノミネートされますが放送音楽賞は取れませんでした。

 

当時の歌う姿は73年の松竹映画「恋は放課後」で見ることが出来ます。

また、TVドラマ「刑事くん」ではこの曲をモチーフにしたストーリーにゲスト出演しています。

タイトルはズバリ「ちぎれた愛」ヒデキの迫真演技は必見です。

 

2年後の1975年にはフランス語盤『傷だらけのローラ』の成功で、『ちぎれた愛』がフランス語盤第二弾として企画されましたが、進展せず。

 

1位になった9月24日付けのTOP10は次の通り

 

1、ちぎれた愛

2、心の旅/チューリップ

3、草原の輝き/アグネス・チャン

4、わたしの彼は左きき/麻丘めぐみ

5、胸いっぱいの悲しみ/沢田研二

6、てんとう虫のサンバ/チェリッシュ

7、ロマンス/ガロ

8、色づく街/南沙織

9、イエスタデイ・ワンス・モア/カーペンターズ

10、十五夜の君/小柳ルミ子

 

とにかくこの曲は当時の子どもには衝撃的だった。

こんなに激しく歌う歌手を見たことなかった(実際はGS時代にはいたんですけど)

セリフというか絶叫ですよね。

カラオケでまともに歌える人はいない!

私のヒデキ熱を爆燃させた曲!!

 

 

 

 

咲寺/シンガー夫婦で「ちぎれた愛(西城秀樹さん)」を聴いてみた