1978年7月22日、その日、初の後楽園球場でのコンサートが行われた。

大阪球場ではすでに4回スタジアムコンサートが行われていましたが、東京のスタジアムでは念願のといった感じでした。

 

この年は4月のキャンディーズ解散コンサートに次いで2組目の後楽園球場使用です。ゴンドラやファイヤーバードでの空中浮遊、トレーラー・ステージ等々。お馴染みの演出が次々飛び出しましたが、大変だったのは機材の搬出でしょう。翌日の23日にはピンクレディーが球場を使用したのだから・・・

 

そしてこの模様はテレビ中継録画放送されて、今年2026年、ついにDVD化されました。

あれから48年後の7月22日、そのDVDを鑑賞しました。当時スタジアムで観たあのライブを今改めて観てみると、やはり若いヒデキの全力で楽しそうに歌う姿には感激しました。

 

 

そしてあの日を思い出します…

 

あの年の7月22日は夏休みの初日だったと思う。 夕方、一人で後楽園球場に着いた私は、ヒデキ以上に念願のスタジアムライブに胸躍らせていました。この日は快晴で気持ちが良かったのを覚えています。

 

でも、球場周辺は当然ながら女性ファンで賑わっていて、居心地の悪さでウロチョロしてたんだと思います、記憶無いけど。

 

パンフレットが買いたかったんですが、男というのは女性の集団の中では、本当に意気地なしです。 開演前の場外のグッズ売り場、あのお姉さん方に割り込んでパンフレットを買う勇気が出なかった。だから客が開場入りしてある程度店から客が引いたのを見て、買いに行きました。そんなくだらないことが思い出されます。

 

でも、ほんとは、自分では買えないかもしれないと保険をかけて、その日にコンサートに来ていた同級生の女の子に、パンフレットを自分の分も買っておいて欲しいとお願いしていたのでした、結局パンフは2部購入したことになりますけど。(この子はクラスも違うので、会ったことも無く、名前も知らなかったんですが、友達を通じてお願いしました)

 

そして、コンサートがスタート。

黄昏色の空にスポットライトで浮かび上がったヒデキは“神”だった…

 

ライブ・アルバムやTV放送でもはカットされてしまいましたが、オープニングはこの年日本で大ブームを巻き起こした「スターウォーズ」のテーマ曲に乗っての登場。 そしてフォガットの『フール・フォーザ・シティ』『スロー・ライド』と飛ばすヒデキ。

 

 私がこれまで観たライブの中で、BIG GAME'78 in 後楽園球場が最高のライブです。

 

今回発売されたDVDは当時フジテレビで放送されたものですが、ビートルズのカバー『ドント・レット・ミー・ダウン』がカットされていたので残念です、藤丸さんとの絡みが素敵で、一番見たかった曲なのですが・・

 

 

 

 

1974年4月25日に発売された初めてのスタジオ録音による洋楽カバーアルバム「秀樹! EXCITING★POPS」。

 

デビュー時からライブでは洋楽を多投していたヒデキ。洋楽カバーアルバムも何枚か出しています。60年代から70年代初頭にかけては、洋楽カバーをする歌手も多かったし、GS時代も洋楽を扱うバンドも多かった。

 

ヒデキは学生時代から洋楽を聴いていたし、お兄さんとのバンド活動もあり、たくさん洋楽と接して来た。それが歌手デビュー後も、個性の発揮として活きていた。

 

このアルバムでは、60年代ポップスを代表するような有名どころを選曲していて、特にビートルズが4曲、モンキーズが3曲あります。オリジナルではなく洋楽カバーのアルバムなのに、オリコンアルバムチャート11位っていうのは、結構すごいことなのではないかと思います。まだヒデキは18才でした。

 

内容は、オープニングからザ・ビートルズの曲が3曲、『ヘルプ』『アンド・アイ・ラブ・ハー』『シー・ラブズ・ユー』

A面4曲目『モンキーズのテーマ』5曲目『デイドリーム』6曲目『アイム・ア・ビリーバー』の3曲はザ・モンキーズの曲です。

 

B面は『ダンス天国』ウィルソン・ピケットの66年のカバーヒットで始まり、スタジオ録音なので聴衆がいないのですが、ヒデキは「もっと激しく腰を振って!!」「そうそう!」と声をかけます。

 

B面2曲目は『孤独の太陽』ウォーカー・ブラザーズ、

B面3曲目ビートルズの『オール・マイ・ラビング』

B面4曲目の『朝日のあたる家』はアニマルズの63年の曲で、78年にディスコ・シーンでリバイバルヒットした時もライブで歌っています。

 

B面5曲目にはプレスリーの『ハウンド・ドッグ』とジーン・ヴィンセントの『ビー・バップ・ア・ルーラ』をメドレーで歌っています。

 

その後、同じ年の10月に発売された「ロックの世界」は前述の「秀樹! EXCITING★POPS」から7曲と、73年に行われた2つのコンサートライブから7曲のカバーを選んで収録されています。

1986年にはアルバム 「STRANGERS IN THE NIGHT」も発売。

 

ファンの人以外にはあまり知られていませんが、ヒデキのライブ構成は、その1/3が洋楽カバーです。

それもマニアックな曲を含む。

当時の10代の女の子ファンには、何だこれ?っという選曲だったでしょう。

特に日本語詞で歌ったものは、それがヒデキのオリジナルと勘違いしていた子も多かったとか。

ヒデキをキッカケに洋楽にハマったファンもかなりいたと思います。

 

ヒデキ関係をつぶやいていますと、

当然のごとくヒデキ関連のつぶやきやサイト、配信動画等が流れてくるのですが、

最近急に流れてきた動画配信サイトがあり、そちらをちょっと紹介してみたいと思います。

 

もう3年程前から、昭和歌謡をとりあげて感想配信動画を作られている

アーティスト夫婦(30代?)がいらっしゃいます。

その中でヒデキの曲を数十曲取り上げてくれていますから、

ヒデキファンの方ならご存知の方もいらっしゃると思います。

肝心な曲はほぼほぼ扱ってくれています。

 

ヒデキを知らない若い世代の方の率直な感想が面白い。

他にいくつかの方の動画を見たことがありますが、

私には、こちらの2人の動画が一番良いかな…

 

『傷だらけのローラ』や『ジャガー』の回は感想が面白かった。

興味がある方はご覧になってみてください。

 

当時、リアルタイムで観ていた私ですが、

当時の衝撃とはまた違った、数十年経った時代の驚きが新鮮です。

 

何かのキッカケで、ちょっとでも、西城秀樹というシンガーを知ってもらえると嬉しいな。

 

 

 

⭐️咲寺

『ジャガー』

 

 

『至上の愛』

 

 

 

レコードジャケット・シリーズ

ヒデキ、五郎とくれば、新御三家のもうひとり

郷ひろみさん。

 

私も郷さんのレコードを2枚持っています。

郷さんのレコードジャケットなら、

『よろしく哀愁』とか『モナリザの秘密』とか素敵なものはありますが、

私にとっての郷ひろみのイメージは『裸のビーナスの』可愛い王子さまの姿です。

当時17才の彼。

 

 

1972年のデビューからトップアイドルになった郷ひろみ。

この『裸のビーナスの』がリリースされた1973年、

リリースしたシングル4枚がすべてオリコン2位という圧倒的な人気で

73年の歌謡大賞放送音楽賞を受賞しています。

 

この年ヒデキは『ちぎれた愛』でオリコン1位を獲りましたが、

1年間の活躍ということであれば、やっぱり郷さんだろうなと思います。

 

ちなみにオリコンの1位獲得数はヒデキ3曲、ひろみは『よろしく哀愁』の1曲ですが、

2位獲得数はヒデキ3曲に対し、ひろみは9曲という…

状況が違ったら凄い数の1位を獲ってたかもしれないわけで・・

一応野口五郎さん、1位は2曲、2位は6曲

 

この数だけみても、新御三家が凄かったことはわかると思います。

昭和の売り上げランキングって、上位を獲るのはなかなか難しい時代でした。

ヒデキがデビューした1972年は、歴史的にもなかなか騒がしい年だった。

 

例えば

グアム島で元日本兵の横井庄一さんが発見され帰国。

戦後27年も経っているのに、まだ戦争が終わっていない人がいたなんて、

日本全国、みんなビックリしていた。

もっとも2年後、もう一人小野田さんが発見されるわけだけど…

 

札幌冬季オリンピック開催。

初の冬季五輪開催で、スキージャンプ70m級で日本がメダルを独占。

俗にいう"日の丸飛行隊"

この大会はドキュメンタリー映画にもなって、翌年だったか、私の学校でも生徒が招待されて観た。

 

連合赤軍による「あさま山荘事件」発生。

毎日学校から帰るとおじいちゃん、おばあちゃんがテレビの生中継をずっと観ていた。何でこんな事件が起こっているのか、当時の小学生にはイマイチわかっていなかった。

 

沖縄がアメリカから日本へ27年ぶりに施政権返還、本土復帰。

沖縄の存在を意識していなかった私ですが、前年にデビューした南沙織さんに独特な雰囲気を見た。拓郎さんだったか「南沙織のデビューは国策かと思った」ってww

翌年フィンガー5のデビューと1975年の沖縄海洋博で沖縄ブームが来る。

 

田中角栄内閣が発足。

「日本列島改造論」がベストセラー、田中角栄ブームも。私の同級生が田中角栄首相のファンで、政治の話題に詳しくなった。子どもにとって政治が身近になったことは間違いない。

 

日中国交正常化とパンダ来日。

田中角栄首相が中国を訪問し、日中国交正常化実現。その結果として上野動物園に日本初となるジャイアントパンダ"カンカン""ランラン"が来た。ここからパンダブームが始まる。地球上にこんな動物がいるのかって衝撃を受けたことを覚えている。

 

歌謡界では、ぴんからトリオの『女のみち』が325万枚の大ヒット、16週1位だった。世の中どこへ行ってもこの曲が流れてた。ドリフの全員集合でカトちゃんがこの曲を歌いながら自転車に乗って登場するという警察官コントが大人気。子どももみんなこの曲を歌えた。

 

歌謡大賞は小柳ルミ子さんの『瀬戸の花嫁』レコード大賞はちあきなおみさんの『喝采』

 

他にも平田隆夫とセルスターズ『悪魔がにくい』『ハチのムサシは死んだのさ』

ペドロ&カプリシャス『別れの朝』、チェリッシュ『ひまわりの小径』

ビリー・バンバン『さよならをするために』

よしだたくろう『結婚しようよ』『旅の宿』を筆頭にフォーク・ブーム

天地真理、小柳ルミ子、南沙織の三人娘ブーム

『どうにもとまらない』の山本リンダ・ブーム

「子連れ狼」に「ゴットファーザー」の大ヒット。等々。

 

そんな時代にヒデキも郷ひろみもデビューした。

後に新御三家と呼ばれる2人がデビューした年として1972年はファンに永遠に刻まれる。