むかしからよく聞かれるのが、
ヒデキのファンになったキッカケは?
実はデビュー曲『恋する季節』2曲目『恋の約束』(どちらも1972年発売)は
当時テレビで観た記憶が有りません。
なのでその時点ではヒデキを知らなかった可能性がある。
以前にも書きましたが、
まだまだ特撮やアニメに夢中だった小学生でしたから
大人の歌謡曲にはそれほど興味はなかった。
ただ、時代的に、流行歌は大人も子どももみんな知っていたので、
演歌でもムード歌謡も、GSもポップスも、
常に生活の中で流れてたから、子どもでも歌えてた…
私が西城秀樹という歌手を認知したのは3曲目の『チャンスは一度』
曲もですが何と言ってもその振り付け、当時からアクションと言われていたけど
その派手さが印象的でした。
実際『チャンスは一度』はそれほど売れてなかったが…(オリコン20位)
ただし、何の番組で観たかは定かではない。
たぶん紅白歌のベストテンではないかとは思う。
夜のヒットスタジオに出演した記録はあるけど、
10時からの歌番組を観てたとは思えない。
あの時代で歌番組と記憶しているのは、
他にベスト30歌謡曲とか、ロッテ歌のアルバムとか、歌謡グランドショーとか…
8時だよ!全員集合!!などのバラエティも、歌を聴ける番組だった。
決定打はやっぱり初のベストテンヒットになった『情熱の嵐』ですね。
あきらかにテレビの露出度が高くなった。
その頃からヒデキの曲ばかり聴いてた。
雑誌も初めて月刊明星を買ったりした。
実際は、同級生の女の子達からヒデキの記事の切り抜きを貰っていたので、
自分ではあまり雑誌は買ってはいなかったけど。
部屋にポスターを貼ったのもこの頃だったと思う。
当時の子どもは、女子より男子の方がヒデキファンは多かった気がする。
アイドルという概念はまだそこまで強くなくて、
男性歌手ではジュリーやフォーリーブス、堺正章が主軸、
野口五郎と郷ひろみの人気が急激に上昇していた頃でもある。
その他ではにしきのあきら、本郷直樹、野村真樹とかいたけど
あまり興味は持たなかった。
グループサウンズはもうすっかり無くなっていたし・・
いずれにしても男っぽくて、容姿端麗で、歌がうまくて、
曲のインパクトが強くて、迫力があって…
そんな歌手、他にはいなかった。
それが西城秀樹だった…衝撃だったと言うしかない…