今から半世紀前(半世紀って書くととても遠く感じますが)

50年前の1976年、当時の歌謡界はどういう年だったのか?

 

私は中学生でした。なので、かなり覚えています。

今では"中二病"という言葉がありますが、

14才頃の出来事や感情、好きになったモノや人は、

その後の人生に大きく影響を与えると言われていて、

私にとってもまさにそういう時代になりました。

 

歴史的には、例えば…

鹿児島で日本初の五つ子誕生。

ロッキード事件

 

流行なら

犬神家の一族、JAWS、オーメン、

トラック野郎、嗚呼!!花の応援団、

およげ!たいやきくん、ピンクレディー、キャンディ・キャンディ等々…

 

歌謡界は、ある2曲が、ほぼ話題を独占していました。

シングル年間売上1位の『およげ!たいやきくん』(11週1位)と

年間2位『ビューティフル・サンデー』(15週1位)

1年の半分はこの2曲がトップに君臨していたので、

2位止まりの曲も沢山あったでしょう。

 

キャンディーズの『春一番』も、中村雅俊さんの『俺たちの旅』も、

そして私がファンの太田裕美ちゃんの『木綿のハンカチーフ』も

残念ながら2位止まり。

ヒデキの『君よ抱かれて熱くなれ』も、この2曲に完全に押さえられました。

けっこう売れたんですけどね。

 

その他には

百恵ちゃんが『横須賀ストーリー』『パールカラーにゆれて』

の2曲で12週1位。

映画「犬神家の一族」の主演の1人、そして『あなただけを』で6週1位になった、あおい輝彦さん。

この1976年のオリコンチャートでは、1位が年間8曲しか誕生してないんですよ。

 

76年には、

ヒデキと一緒にラジオパーソナリティになった斉藤こず恵ちゃんの

『山口さんちのツトムくん』も50万枚の大ヒット!

昭和最高の名曲と言われるイルカの『なごり雪』

ディスコ・ブームの先駆け的インスト曲『ソウル・ドラキュラ』

 

思い出すだけで懐かしい。

 

この1976年の夏のヒデキは『ジャガー』のヒット、

そして8月には『若き獅子たち』のリリースと、

第3回大阪球場コンサートが行われています。

私個人の初ヒデキ・コンサートも、この8月でした。

 

それにしても、この年の『およげ!たいやきくん』シングル売上453万枚は、

50年経った今でも抜かれることはありませんでした。

 

すごいです。

1978年7月22日、その日、初の後楽園球場でのコンサートが行われた。

大阪球場ではすでに4回スタジアムコンサートが行われていましたが、東京のスタジアムでは念願のといった感じでした。

 

この年は4月のキャンディーズ解散コンサートに次いで2組目の後楽園球場使用です。ゴンドラやファイヤーバードでの空中浮遊、トレーラー・ステージ等々。お馴染みの演出が次々飛び出しましたが、大変だったのは機材の搬出でしょう。翌日の23日にはピンクレディーが球場を使用したのだから・・・

 

そしてこの模様はテレビ中継録画放送されて、今年2026年、ついにDVD化されました。

あれから48年後の7月22日、そのDVDを鑑賞しました。当時スタジアムで観たあのライブを今改めて観てみると、やはり若いヒデキの全力で楽しそうに歌う姿には感激しました。

 

 

そしてあの日を思い出します…

 

あの年の7月22日は夏休みの初日だったと思う。 夕方、一人で後楽園球場に着いた私は、ヒデキ以上に念願のスタジアムライブに胸躍らせていました。この日は快晴で気持ちが良かったのを覚えています。

 

でも、球場周辺は当然ながら女性ファンで賑わっていて、居心地の悪さでウロチョロしてたんだと思います、記憶無いけど。

 

パンフレットが買いたかったんですが、男というのは女性の集団の中では、本当に意気地なしです。 開演前の場外のグッズ売り場、あのお姉さん方に割り込んでパンフレットを買う勇気が出なかった。だから客が開場入りしてある程度店から客が引いたのを見て、買いに行きました。そんなくだらないことが思い出されます。

 

でも、ほんとは、自分では買えないかもしれないと保険をかけて、その日にコンサートに来ていた同級生の女の子に、パンフレットを自分の分も買っておいて欲しいとお願いしていたのでした、結局パンフは2部購入したことになりますけど。(この子はクラスも違うので、会ったことも無く、名前も知らなかったんですが、友達を通じてお願いしました)

 

そして、コンサートがスタート。

黄昏色の空にスポットライトで浮かび上がったヒデキは“神”だった…

 

ライブ・アルバムやTV放送でもはカットされてしまいましたが、オープニングはこの年日本で大ブームを巻き起こした「スターウォーズ」のテーマ曲に乗っての登場。 そしてフォガットの『フール・フォーザ・シティ』『スロー・ライド』と飛ばすヒデキ。

 

 私がこれまで観たライブの中で、BIG GAME'78 in 後楽園球場が最高のライブです。

 

今回発売されたDVDは当時フジテレビで放送されたものですが、ビートルズのカバー『ドント・レット・ミー・ダウン』がカットされていたので残念です、藤丸さんとの絡みが素敵で、一番見たかった曲なのですが・・

 

 

 

 

1974年4月25日に発売された初めてのスタジオ録音による洋楽カバーアルバム「秀樹! EXCITING★POPS」。

 

デビュー時からライブでは洋楽を多投していたヒデキ。洋楽カバーアルバムも何枚か出しています。60年代から70年代初頭にかけては、洋楽カバーをする歌手も多かったし、GS時代も洋楽を扱うバンドも多かった。

 

ヒデキは学生時代から洋楽を聴いていたし、お兄さんとのバンド活動もあり、たくさん洋楽と接して来た。それが歌手デビュー後も、個性の発揮として活きていた。

 

このアルバムでは、60年代ポップスを代表するような有名どころを選曲していて、特にビートルズが4曲、モンキーズが3曲あります。オリジナルではなく洋楽カバーのアルバムなのに、オリコンアルバムチャート11位っていうのは、結構すごいことなのではないかと思います。まだヒデキは18才でした。

 

内容は、オープニングからザ・ビートルズの曲が3曲、『ヘルプ』『アンド・アイ・ラブ・ハー』『シー・ラブズ・ユー』

A面4曲目『モンキーズのテーマ』5曲目『デイドリーム』6曲目『アイム・ア・ビリーバー』の3曲はザ・モンキーズの曲です。

 

B面は『ダンス天国』ウィルソン・ピケットの66年のカバーヒットで始まり、スタジオ録音なので聴衆がいないのですが、ヒデキは「もっと激しく腰を振って!!」「そうそう!」と声をかけます。

 

B面2曲目は『孤独の太陽』ウォーカー・ブラザーズ、

B面3曲目ビートルズの『オール・マイ・ラビング』

B面4曲目の『朝日のあたる家』はアニマルズの63年の曲で、78年にディスコ・シーンでリバイバルヒットした時もライブで歌っています。

 

B面5曲目にはプレスリーの『ハウンド・ドッグ』とジーン・ヴィンセントの『ビー・バップ・ア・ルーラ』をメドレーで歌っています。

 

その後、同じ年の10月に発売された「ロックの世界」は前述の「秀樹! EXCITING★POPS」から7曲と、73年に行われた2つのコンサートライブから7曲のカバーを選んで収録されています。

1986年にはアルバム 「STRANGERS IN THE NIGHT」も発売。

 

ファンの人以外にはあまり知られていませんが、ヒデキのライブ構成は、その1/3が洋楽カバーです。

それもマニアックな曲を含む。

当時の10代の女の子ファンには、何だこれ?っという選曲だったでしょう。

特に日本語詞で歌ったものは、それがヒデキのオリジナルと勘違いしていた子も多かったとか。

ヒデキをキッカケに洋楽にハマったファンもかなりいたと思います。

 

ヒデキ関係をつぶやいていますと、

当然のごとくヒデキ関連のつぶやきやサイト、配信動画等が流れてくるのですが、

最近急に流れてきた動画配信サイトがあり、そちらをちょっと紹介してみたいと思います。

 

もう3年程前から、昭和歌謡をとりあげて感想配信動画を作られている

アーティスト夫婦(30代?)がいらっしゃいます。

その中でヒデキの曲を数十曲取り上げてくれていますから、

ヒデキファンの方ならご存知の方もいらっしゃると思います。

肝心な曲はほぼほぼ扱ってくれています。

 

ヒデキを知らない若い世代の方の率直な感想が面白い。

他にいくつかの方の動画を見たことがありますが、

私には、こちらの2人の動画が一番良いかな…

 

『傷だらけのローラ』や『ジャガー』の回は感想が面白かった。

興味がある方はご覧になってみてください。

 

当時、リアルタイムで観ていた私ですが、

当時の衝撃とはまた違った、数十年経った時代の驚きが新鮮です。

 

何かのキッカケで、ちょっとでも、西城秀樹というシンガーを知ってもらえると嬉しいな。

 

 

 

⭐️咲寺

『ジャガー』

 

 

『至上の愛』

 

 

 

レコードジャケット・シリーズ

ヒデキ、五郎とくれば、新御三家のもうひとり

郷ひろみさん。

 

私も郷さんのレコードを2枚持っています。

郷さんのレコードジャケットなら、

『よろしく哀愁』とか『モナリザの秘密』とか素敵なものはありますが、

私にとっての郷ひろみのイメージは『裸のビーナス』の可愛い王子さまの姿です。

当時17才の彼。

 

 

1972年のデビューからトップアイドルになった郷ひろみ。

この『裸のビーナスの』がリリースされた1973年、

リリースしたシングル4枚がすべてオリコン2位という圧倒的な人気で

73年の歌謡大賞放送音楽賞を受賞しています。

 

この年ヒデキは『ちぎれた愛』でオリコン1位を獲りましたが、

1年間の活躍ということであれば、やっぱり郷さんだろうなと思います。

 

ちなみにオリコンの1位獲得数はヒデキ3曲、ひろみは『よろしく哀愁』の1曲ですが、

2位獲得数はヒデキ3曲に対し、ひろみは9曲という…

状況が違ったら凄い数の1位を獲ってたかもしれないわけで・・

一応野口五郎さん、1位は2曲、2位は6曲

 

この数だけみても、新御三家が凄かったことはわかると思います。

昭和の売り上げランキングって、上位を獲るのはなかなか難しい時代でした。