美神誕生記念GIG!
1985年9月8日 新宿ロフトにて。
(この月のライブは他に9月29日目黒鹿鳴館?「SEX GIG」
共演は、ガーゼ、リップクリーム)
RAPの1stEP「WRAP」の発売記念として行われました。
DOLLの広告などの前評判と、
この日のライブでは発売より1ヶ月早くEPが買えるとあって
動員数はかなりのものでした。
共演はリザード、そして同じく、
モモヨプロデュースでデビューしたバルバラ。
バルバラとRAP、静と動のように対照的なバンドでした。
荒削りでハードパンク色の強いRAPに対し、
バルバラは計算尽くされたアバンギャルドさ。
2つのバンドを対比させる事で、よりお互いの魅力を際立たせたように思えます。
この日のステージは色んな雑誌で絶賛されました。
この日を境にリザードと共演する
ロフトでのステージが多くなっていきました。
翌月10月19日は、リザードのシリーズGIG「兆」に出演。
今までの「ハードパンクバンド」というイメージから
モモヨの愛弟子バンド=東京ロッカーズの流れをくむバンドとして
幅広いファン層を獲得していきました。
RAP初の関西ツアー
レコーディングが終ったRAPは、初の地方遠征に出かけました。
名古屋ハックフィン、京都大学西部講堂、姫路(野外)
同行したのは、リップクリームとW・P・Cインディアン。
(残念ながら私は、夏休みにも関わらず、
中学生だったのでバイトも出来ず金欠で、
受験の為の夏期講習などもあり行く事が出来ませんでしたので、
RAP通信を元に書いていこうと思います)
何方か行かれた方、コメント頂けると嬉しいです。
RAP通信はこの頃から発行され始めました。
Vol1はメンバー紹介。(1985、8月発行)
Vol2はツアーレポートが書かれています。(同9月発行)
RAP通信というのはRAPのメンバーの手書きで書かれた
ファン宛ての機関紙のようなもので
ライブ告知やスタッフ募集、その他、日常生活や
曲について、ライブレポートなどが詳細に書かれています。
RAPというBANDを理解するのに重要な役割を占めていました。
雑誌などの意図に囚われないありのままの彼女達の
真の姿が描かれていました。
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■RAP通信Vol2より
「リップクリーム&WPCインディアンの襲撃!?」
名古屋の夜の話。
RAPはハックフィンの上のホテルに泊まったのだけど
打ち上げが終わりRAPはホテルに戻り眠りについた頃
突如!
ナオキさん、山崎くん、SHIN、ミノル、フニャラ君たちが
おそってきたのです!
MISAとルージュはすでに、寝入ってしまったのだけど
おきていたみんなは大変!
男連中は「こげよこげよ もっとこげよ川下り~♪」とか
「マイムマイム」とか歌い続け、
みんなは静めようとPILさんを連れてきたのだけどムダでした。
朝まで騒ぎ続け、この騒ぎの中でも図太く眠り続けたルージュは、朝、歯磨き粉だらけにされた自分の顔を見て初めて、
この夜のすさまじさを悟ったのでした。
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ライブレポートじゃありませんでしたね(爆)
他にもこんなエピソードも載ってます。
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ニシキの使っている白いテレキャスターは
モモヨのお下がりだと知ってます?
レコーディングの時、かつてからボロかったニシキのギターを
本人がいじっている時、いきなり中の配線が切れてしまったのです。
その時
「ついに切れてしまった~~~!」と2回も繰り返した
モモヨの叫びはRAPの間で一時大流行!
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という感じで時にはほのぼの、
時には社会批判などもありました。
丁度この頃、RAPにスタッフが増えました。
機材車の運転手(それまではニシキが運転していたそうです)
ライブ時のスタッフ、事務スタッフ、そしてマネージャー。
私も応募したのですが見事に落ちました(涙)
「私が一番のRAPファンよ」という自負があり納得出来ませんでしたし、いつもメンバーの傍にいるスタッフの方々を恨めしく思いました。
でも今思えば、中三=受験という呪われた(?)年齢と
金銭的負担を考えてくれたのだと思います。
これからはRAP通信の記事を抜粋しながら書いていくつもりです。
(画像は名古屋ハックフィンでのライブとRAP通信1、2)
「WRAP」より
「Rock Magazin」
Rock Magazin すごいね!
Rock Magazin 素敵ね!
並の哲学ふりかざしても
Rock Magazin にかなわない
状況の認識 現状からの突破
自分だけの 精神世界
プログレスした 観念
Rock Magazin すごいね!
Rock Magazin 素敵ね!
並の哲学ふりかざしても
Rock Magazin にかなわない
マスターベーションの固り
本という名の○○
それを なめて喜ぶ子供
そこから 生まれる 赤ん坊!
Rock Magazin すごいね!
Rock Magazin 素敵ね!
並の哲学ふりかざしても
Rock Magazin にかなわない
反逆の教育
規格外品 造り出す
規格外の規格品
反逆という名の服従
Rock Magazin 終わりね!
Rock Magazin 先が無い!
いかに もがき続けても
Rock Magazin は かなわない!
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「アクシデント」
戦線孤児の行先不明
闇夜に光るナイフの様に
オマエの声は叫びにならず
もがき続ける敗戦敗国
戦災 火災 水害 雪害
毒殺 自殺 撲殺 刺殺
戦災 火災 水害 雪害
毒殺 自殺 撲殺 刺殺
救済防国 観念主義者
集団自殺の強制劇に
オマエの体は もろくくずれ
悲痛な声をさけびつづける
戦災 火災 水害 雪害
毒殺 自殺 撲殺 刺殺
戦災 火災 水害 雪害
毒殺 自殺 撲殺 刺殺
競争国を 裏切るよりも
自分の地位を 自分で きずけ
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「飾り窓」
言葉うばわれ
あたし立ちつくす
高速道路の車から見えた
砕けちり 割れたガラスのかけら
核それぞれが 世界を写し…
窓を飾る人形達よ
閉じ込めた心
いま解き放て ガレキの都市に
存在は う・ら・は・ら
生と死の はざまで
あなたを さそうわ…
窓を飾る人形達よ
閉じ込めた心
いま解き放て ガレキの都市に
RAP「WRAP」レコーディング
DOLL1985年10月号を参考に。
7月5日新宿にあるスタジオ・ディグにて。
BAND経験は豊富な彼女達ですがレコーディングは初体験。
「とにかく緊張した」そうです。
途中はしゃぎすぎてモモヨに怒られたとか(笑)
レコーディング方法はライブ感を出すために
あえて8トラック(EP全てがそうだそうです。HYSTERIAのライナーでモモヨが書いてました)
ほぼライブと同じ「一発録り」で、それにSEなどを加えた
簡単な手法だそうです(メンバー談)
ライブとレコードの差はないものの、本番勝負だったので
余計緊張したとか。
それでも「ライブとレコードの差がない」というのは
ライブバンドとしてのRAPには必要不可欠で
今思えばモモヨのプロデューサーとしての腕を感じます。
EP用に「RockMagazine」「アクシデンツ」「飾り窓」
それとオムニバス用に「DA・TA・I」「MACHINE」「LOVESONG」
「RockMagazine」「アクシデンツ」は
元々ライブで人気の高かった2曲。
「RockMagazine」はルージュがRAPの前のバンド
(後にリザードのメンバーとなる人達とやっていたバンド)の曲をRAP用に作り直したそうです。
「アクシデンツ」はニシキ作。やはり前のバンドの為に作った曲だそうで、ダムドの曲のリフを効果的に使っています。
その為、この曲だけを聞くと「ダムドのコピーバンド?」と思われたりしたそうです。
「飾り窓」はEPの為にルージュが書き下ろしたそうです。
歌詞にあるように、高速道路で事故を目撃した時に突然、詩とメロディが浮かんだそうです。
オムニバス用の3曲はレコーディングされたものの、
オムニバスは発売中止になったそうで、
後にファンクラブである「RAPARMY」会員限定に発売された
ビデオの中でのみ聞く事が出来ます。
(ちなみに私は持ってません。涙)
「RockMagazine」はROCK雑誌を否定している曲なのですが、
皮肉にも、RAPは、DOLLの森脇氏に見初められた事からもわかるように
業界ウケのバンドでした。
ライブの模様はPUNK系のROCK雑誌だけでなく、
「ぴあ」や「シティーロード」などの情報誌でも絶賛され、
派手でセクシーな衣装もあって男性誌からのインタビューも多数受けました。
「フォーカス」系の雑誌の表紙を飾ったりしました。
(男性誌の写真やインタビューに関してはルージュは「嘘吐きばかりだ。事実と違うことしか書いてくれない」と、立腹してました。その後は取材の全てを断ったそうです。)
後期には、RAPのメッセージ性、演奏力の高さを評価され、
当時、インディーズを全く取り上げていなかった
「プレイヤー」などの雑誌にもよく取り上げられていました。
RAPがインディーズBNADのメジャー誌への進出の突破口を作ったのかも知れません。
そして、「WRAP」はみごと発売同時にチャートの2位を飾り、
後の3部作~アルバムへ続きます。
レコードリリースまでのRAP 2
スミマセン。手元に残っている「RAP通信」を見たら
最初の思い出にすでに間違いが(^^;
私がRAPのメンバーを知ったのは「RAP通信」ではなく
ライブのチラシでした。
RAP通信が発行されたのは、もっと後でした。
ここからは「HYSTERIA」のライナーノートを参考にしつつ(^^;
私が初めて体験したエクスプロージョンでのライブ、
同じ日に運命的な出会いがあったようでした。
リザードのモモヨも見に来ていたのです。
(ルージュがチケットとテープを送ったそうです)
そしてDOLL編集長の森脇美貴夫さんに
「良いバンドを見つけた」と話をしたら
「丁度オムニバスのデモテープが届いている」という話になり
オムニバスではなく単独でレコードリリースする話が持ち上がったそうです。
(この話はリリースを申し込まれたとき、森脇美貴夫からメンバーが経緯を聞かされたそうです)
オムニバス用に用意したのは
ハードパンク色の強い3曲、ライブで人気の高かった
「DATAI」「マシーン」「LOVEソング」でしたが、
シングルとなるとメンバーは困ったそうです。
各メンバーの好みが全く違い、EP1枚にまとめられないと。
それで売れ行きを見ながら(1stが売れたら?)
「3部作として違う色の曲もリリースする」という条件で
シティーロッカー(ドグマ)と契約したそうです。
そして、1st「WRAP」は、発売同時にインディーズチャートの2位を飾るHITになったのですが
これは、また後にお話します(^^;
モモヨ&ワカとルージュ、ミサ
ガスタンクのメンバーとRAP
レコードリリースまでのRAP
僭越ながら当時を知っているファンの1人として
私の目からみたRAPの足跡を
その頃の日記などを元にお伝えして行こうと思います。
なにぶん昔の話なので記憶が間違っていたらすみません。
RAPとの衝撃の出会いのあと
その後は憑かれたようにPUNKにのめりこんで行きました。
放課後、週末、時間があればJPDOLLに通い
ルージュとミサから色んなことを教えてもらいました。
ルージュからは東京ロッカーズやNEWWAVE
ミサからは日本のインディーズバンド。
その頃のRAPと仲の良かったバンドには
ガスタンク、リップクリーム、ゾルゲ、ゴメス、X(後のXジャパン)、ムルバス(後のイエローモンキー)などなど
当時インディズシーンで人気のあるバンドばかりでした。
RAPはそれらのバンドと一緒に演奏する機会が増え
渋谷屋根裏を中心にハードコアバンドとのGIGが多く
私も自然とRAP以外のバンドにも詳しくなっていきました。
特にガスタンクとリップクリームのメンバーは
仲がよく、よくJPDOLLにも遊びにきていて会いました。
ライブの動員も多くなり大きなイベントにも参加するようになって行きました。
ファンも増え、毎日のようにJPDOLLはファンで賑わうようになり
私は少しだけメンバーが遠くに行ってしまったような
寂しさを感じたりしました。
そして、ある日、ルージュが言ったのです。
「もしかしたらオムニバスアルバムに入れるかも知れない」
「DOLL」という雑誌が主催するレーベル
「シティロッカー」でオムニバスに入るバンドを募集していて
デモテープを送った所、好感触だったそうです。
飛び上がるような気持ちでした。
しかし、もっと大きな追い風がRAPに吹いてきたのです。
つづく
私とRAPの出会い
1985年。
当時、私は中学三年で進路に悩んでいました。
PUNKなどに興味があったわけではなく
その頃穴あきファッションなどファッション的にPUNKぽいものが流行っていて
何気なく上野にあるPUNKショップ「JP DOLL」に立ち寄ったのでした。
そこにいたのは、赤い髪とピンクの髪のお姉さん2人。
(VoのルージュとDrのミサでした)
あまりの派手さ綺麗さに唖然としました。
その時に店においてあった「RAP通信・鏡よ鏡」という
ちらしで
彼女達が「RAP」というバンドの
メンバーだという事を知りました。
速攻でサインを貰いドキドキして家に帰り
即ファンレターを出したのです
手紙に悩みを書き連ねました。
何故か彼女達ならわかってくれるようなきがしたのです。
返事は期待していませんでした。
それが・・・・来たのです!ルージュから!!!
丁寧に便箋3枚に渡ってアドバイスして下さっていました。
「ライブにも是非きてください」との事。
そして初ライブハウス体験。
神楽坂のエクスプロージョンでした。
ステージでの彼女達は女神のように見えました。
それから私の人生が変わったのです。
つづく









