2月15日、大阪の淀屋橋から京阪電車に乗り京都に向かいました。
下車したのは神宮丸太町駅。
ここから京大病院に沿って東側に向かうと、道は緩やかに上り坂になります。
そして静かな住宅街に入れば目指す金戒光明寺は直ぐです。
大河ドラマ「八重の桜」の放映中に訪れた事がありますが
境内の内部はあまりよく見ていません。
今回は真如堂も散策しました。
境内はガラガラで、閑古鳥が鳴いています。
やっぱ武漢肺炎の影響が大きいのでしょうねぇ~
でも、寺は静寂がなにより。
こういう機会に京都の寺院を訪れるのも良いかもです。
金塊光明寺のあたりは「黒谷」と呼ばれておりまして
比叡山の黒谷で修業していた法然上人が山を下りて
最初に庵を結んだ場所とされております。
東山には浄土宗の名刹が多い。
場所的に比叡山の山麓にあたるのと
徳川幕府が浄土宗を庇護した事が影響していると思います。
今の京都の基礎を作ったのは秀吉と家康で
その前は応仁の乱で焼けてしまい、殆ど何も残っていません。
こちらのお寺で人気なのが五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆい あみだぶつ)です。(↑)
他の寺院でも拝む事が出来るようですが、石仏は珍しいそうです。
チコちゃんみたい!
インスタ映えしそうだなぁ~
幕末、金戒光明寺の境内は京都守護職の拠点だった事から
会津藩士が都の警護にあたりました。
その関係で、藩士の墓地があります。
その入り口付近に当時の藩主、松平容保の石像が置かれています。
150年の時間が流れているのに、この忠誠心には脱帽です。
以前会津を訪れた時に思いました。
会津はず~っと「ならぬ事はならぬものです!」を続けているのでしょうね。
凄いと言えば、凄いけれど
少々、遮眼帯的な印象も・・・・・・
会津旅行記のリンクを貼っておきます。
金戒光明寺は微高地になっておりまして
京都盆地が一望できます。
このロケーションは軍事拠点としては申し分なし。
本当に良く見渡せます。
墓地の一番高台は清和天皇の火葬塚です。
清和天皇って、あの清和源氏の天皇さんですよねぇ~
ここで荼毘にふされたのか。
こちらのお寺で熊谷直実が出家したそうです。
「直実が脱いだ鎧を掛けた木」なんてものもありました。
直実といえば平敦盛。
御影堂の前に直実と敦盛の供養塔が向き合っています。
オヤジも直実の敦盛(謡曲)は大好きです。
人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり
一度生を受け 滅せぬものもあるべきか
ちなみにワタクシは、50を過ぎてしまいました。
黒谷から真如堂まで、歩いて5分くらい。
この日は本当にだ~れも居なかった。
これほど静かな京都は久しぶりですねぇ~
本当は庭園も見学したかったのですが
準備中という事で、断念しました。
よくよく考えればこの日は2月15日
願わくば、花の元にて 春死なん
その如月の 望月の頃
2月15日はお釈迦様の入滅の日です。
真如堂には斎藤利三のお墓が・・・・・・
斎藤利三は明智光秀が最も信頼したといわれる家臣。
春日局の父親でもあります。
徳川家は天下統一の後に
明智光秀を供養しているのではないかと思われる痕跡を多く残しています。
「天海は明智光秀だった」みたいな憶測が流れるのも
そういう事と関係しているのかもしれません。
この後、久々に銀閣へ向かいました。