土津神社 | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

土津神社と書いて
”はにつじんじゃ”と読みます。
磐梯山の麓で、標高は600~700メートルはありそうな高台です。

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徳川2代将軍秀忠のご落胤として生まれたのち
4代将軍家綱の時世には、後見役として手腕をふるまった
保科正之(ほしなまさゆき)の墓所。

江戸時代初期の三代名君の一人となっており
最近評価が赤丸急上昇といったところでしょうか。
確かに明暦の大火(1657年)の対処の仕方なんて見事なものですよね。

この保科正之は会津松平藩の藩祖でして
会津の領民にも数々の善政を行なったと伝わります。

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上の画像の土が盛り上がったところに正之は埋葬されているそうです。
会津の地元でも名君の誉れ高く、彼の教えは21世紀になっても
会津の人々の精神的なよりどころになっているようです。
その教えとは・・・・・・・・・・・・・・

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この会津っ子宣言は保科正之の家訓15条に遡るらしい。
この愚直さが会津の人々のエッセンスかなぁ~?
確かに白虎隊の悲劇なんて、徳川家への忠誠を最優先させているふしがりますからね。
でも、思想的な自由度という面では・・・・・・・・・・・・ どうでしょう?

余りにも藩祖が偉大過ぎると、その教えを守る事が優先され
新しいものが生まれる余地がなくなる。
そういう事も言えるのでは?

明治維新の際
江戸城は無血開城したのに
会津や函館で戊辰戦争を続ける必要性ってあったのかなぁ~
特に会津藩は生贄のような気がしてなりません。

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この神社、創建当初は日光東照宮に匹敵する程の作りだったそうですが
戊辰戦争で会津藩が降伏した時に焼かれてしまったとか・・・・・・・

政府軍にとって、会津や新撰組は憎しみの塊だったのでしょうね。
それと同時に、会津の人々には反逆性が残ってしまったのかも・・・・・・・

東北のエッセンスはやはり「反逆性」だな。