こんにちは。

今日は飛鳥時代に起こった日本最古の南海トラフ地震についてですが、これは「確実に記録された日本最古の大地震」でもあります。

これが起こったのが、飛鳥時代の天武天皇の御代でした。




この天武天皇というのは、現在の日本のアイデンティティを作り上げた大改革をしているのですが、この背景にはいったい何があったのかは、今では知る由もありません。

ですが、「人間の意識変容」というのは、なかなか簡単に起こることではなく、何かのきっかけで「国がひとつにならなければ」と思ったのであれば、それもまた、時代の象徴なのかもしれません。

 

 

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さて、飛鳥時代の西暦684年に、マグニチュード8.4と推定されている白鳳巨大地震が起きております。

これは日本書紀に記録されている日本最古の南海トラフ地震で、そうとうな壊滅的な被害を、少なくとも四国や和歌山といった太平洋エリアが受けており、伊豆諸島の噴火や三瓶山の鳴動の記録も残っているので、かなりの広範囲に及んだのではないかと推測されます。

この翌年に、浅間山が噴火をしております。

この地震の記録は、徳島県阿南市にて、「山崩れ、河湧き、諸国の百姓倉、寺塔、神社の倒壊多く、人畜の死傷多し」と書かれているので、相当にひどかったようですね。



 

 

 

さて、この白鳳地震よりももっと前から、わりと頻繁に天武天皇の御代には地震がよく起こっていたのだそうです。

そんな天武天皇は、現代まで残るような大改革を成し遂げているのですが、その背景に災害があったのだとしたら、その心中ははかりしれません。

さて、この飛鳥時代における天武天皇の大改革を、簡単に箇条書きにしてみました✨✨

 

 

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その一、天皇という尊号の創始

 

 

天武天皇は「壬申の乱」にて勝利を収めて、日本で初めて「天皇」という尊号を使い始めたのですね。

 

 

 

その二、大嘗祭の制定

 

 

 

天皇の代替わりの究極の祭祀、大嘗祭が始まったのも、天武天皇の時代です。

 

 

 

 

その三、伊勢神宮の式年遷宮の始まり

 

 

 

はい、20年おきの遷宮はここから始まったのですね。

まさに神のリフレッシュと、技術を引き継ぐ継承はこの飛鳥時代から続いていたのです。

 

 

 

 

その四、三種の神器の制定

 

 

アマテラスの八咫鏡をはじめとした三種の神器を制定したのも、天武天皇です。

背景には、「鏡は太陽、剣は兵力、勾玉は月」という象徴なのですが、天武天皇がなにを重要視していたのか、わかるような感じですね😅

 

 

 

その五、古事記と日本書紀の編纂を命じる

 

 

日本書記では上下2巻を費やして天武天皇について書かれておりますが、古事記もこの天武天皇が稗田阿礼に命じて詠ませた帝紀と旧事を、のちに太安万侶が編纂して、712年に進上されたのです。

 

 

 

その六、陰陽寮の設置

 

 

陰陽寮というのは、陰陽師が勤務する部署のことです😅

そうです、陰陽道はまさにここから花開いたのですが、これは古神道と古道教を源流にした日本の陰陽道による国作りの始まり、なのですね。

 

 

 

その七、占星台の設置

 

 

 

これは天文台の設置なのです。

太陽、月、金星、水星、火星、木星、土星などの観測をしており、星の配置によって天変地異を読んでいたのですが、安倍晴明は天文博士だったのです。

 

 

 

その八、都の制定

 

 

これが画期的なシステムなのですよ😅

藤原京の選定・設計は、天武天皇が行ったのですね。

この都が平城京や平安京に移されて、現在は東京になっておりますが、城下町も陰陽道によって選定されています。

 

 

 

その九、日本という国号の採用

 

 

日本は「日のもと」にある国、なのですね🇯🇵

 

 

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このほかにもいろいろあるのですが、この天武天皇…すなわち、壬申の乱を勝ち抜いた大海人皇子(おおしあまのみこ)は相当なカリスマ力を持っており、さらに古神道や道教の知識に精通して、それをさらに融合させ、政治や宗教、文化や法律に至るまで統合しようとしたのです。

 

 


 

まさに、日本の土台は天武天皇によって成し遂げられており、わたしがこうやって古代史のロマンを堪能できるのも、ひとえに天武天皇のおかげなのです😆✨✨

 

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ここまでの日本(ヤマト)はまだまだ混沌としていて、ひとつの国としてまとまるには、まだまだ共通の文字もないですし、ひとつの氏族だけの勢力で統治ができていた時代ではなかったのです。




なぜ「都」を作り上げることができたのか、その背景には、もしかしたら、度重なる災害による人々の恐れや不安、恐怖などを一掃するべく、国をまとめ上げようとしたのかもしれません。

 


 

 

なお、この後の時代も、城下町は陰陽道によって選定されており、なんとそれが今でも栄えているというのが、すごいですよね😅

 

 

 

ということで、日本の基礎が築かれたのは、けっこうむかし、飛鳥時代❗️

というお話でした✨✨

ぜひ、災害の備えをしてみてくださいね。