こんにちは。
世界では争いごとが多いですが、日本はなんだかんだ自分の考えを主張しても、命の危険は伴わない、という割と自由な風潮です😅
この自由な風潮というのが、古代海人(あま)族の血脈なのですね😆
さて、わたしたち日本は海に囲まれた島国なので、海洋民族なのです。
この海人族が祀っていたのが、全国の「一宮」と呼ばれる神社の祭神です。
神宮とも限らず、大社とも限らず、地方神だったりとさまざまですが、大きな特徴がありました。
それは大体の一宮が、
・創建から2000年前後経っている
・地元の強い信仰を集めている
・地域名にもなっている(住所になっていたりもする)
・縄文時代からの聖地(山や森など)を引き継いでいる
・海や川の近くにある
という感じでしょうか。
日本は険しい陸路よりも、スムーズに進むことができる水路が中心だったのです。
そういった海の勢力はとても強い古代豪族となっていて、大和朝廷と言えども、簡単に退けさせることなどできないくらい、屈強でした。
そして、何より初代天皇となった神武天皇も、古代海人族だったのです。
神武天皇は、コノハナサクヤヒメ、トヨタマヒメ、タマヨリヒメなど、そうそうたる海人族の血脈を引き継いでいるのです。
海人族にはもうひとつ大きな特徴がありました。
それは、
「人は死んだら、神霊となる」
という信仰を持っていたのです。
これを「祖霊信仰」と呼びます。
のちの「御霊信仰(祟り神を鎮めるために祀る)」と合わさって、現在の神社の祭神となっていきますが、
古代はこの、
・自然を神として崇め、そこを聖地とする
・祖先を神霊として崇めて、聖地を祀る
という縄文と弥生の信仰が融合されているのが、日本なのですね🇯🇵
日本はですね、
ものすごい手腕を取ったのです😅
欧米と大きく違うのが、宗教戦争を起こらせず、「神々の共生」を実現させた民族なのです。
というのも、世界史というのは、そのまま宗教戦争の縮図だったりするのですが、植民地政策と地域の紛争は密接に絡みついているのです。
しかし、日本は中央政権が強くなっていっても、地方が独自に信仰する神を認めることで、「多神教」の国を作り上げていったのですね。
本当なら、「A神だけが正しくて、B神もC神も認めない!」という考えなら、地方神を退けてもおかしくなかったのですが、
大和朝廷は地方の神を認め、さらにその地域を豪族に収めさせ、さらに祭祀制度を残していったのです。
これが、
「神々の血縁化」
でもあるのですね。
そして一方で、大きな施策を打ち出しました。
「氏」と「姓(かばね)」を地方豪族に授与したのです。
これを「氏姓制度」と呼びます。
これが、
わたしたちの「苗字」となります😅
うっそん、
わたしたちの苗字ってまさかの神さま由来なの?
って感じですよね😅
※そうだ!
これは世界でも類を見ない日本独自の政策で、対立を避けるために、中央が推し進める神と地方の神との血縁関係を結んでいった結果、
それぞれの地方の豪族が、それぞれの祖先を崇めるという「氏神信仰」が続いていったのですね。
そうやって、古代豪族が崇めた神こそ、「一宮」でございます。
すると、そこにいる祭神は、わたしたちの祖先でもあるのですね😆
まさに、わたしたちの根源。
それが、古事記に出てくる神さまなのです。
実際に、一宮の神社は神陵であることが多く、例えば出雲国一宮である熊野大社のご神体の山には、スサノオノミコトが鎮まっています。
しかし、それも次第に古代の神は忘れ去られ、
祟りを鎮めるために祀るという、「御霊信仰」に移っていきます。
それくらい、「目に見えないもの」を祟りだと恐れていた人々の恐怖があったのでしょう。
なお、古代の日本人がもっともすごいところは、
縄文時代からの「自然を神として崇める」という太古の神々を、
本当の意味で、人間と融合させてしまったところであろうと思います。
よくわからない表現ですみません😅💦
つまり、
「太古の神々の系譜に人間を加えていった」
ということで、実は日本人というのは、ひとりひとりが「神の子孫」でもあるのですね😅
これはですね、宗教観だとか、ファンタジーだとか、理想とか幻想とかじゃなくて、
本当に「神人合一(しんじんごういつ)」をやってのけたのが、古代の日本人なのです。
これは、去年に知りまして😅
うっそん、とハラハラしてましたが、
太陽神はちゃーんと復活したわけです🌞
あの期間、
「新嘗祭ってすごいなあ」と感心すると同時に、古代の祭祀のすごさを目の当たりにしてしまいました。
というわけで、日本人は神々の子孫であるぞ、というお話でした😆✨
好きな神さまは、もしかすると、本当に血脈が同じ、だったりするかもですね。
(その逆もあるかもしれませんね)