富山と出雲を結ぶヤマタノオロチの軌跡 | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。

先月からずっと決算で忙しく、それなのに給料システムにまさかのランサムウェアウイルスが入り込み、小学校の執行部会、そして昨日の座談会で、怒涛の6〜8月でした😅💦

台風が九州を北上しますので、九州や四国、中国地方も気をつけてくださいね。

あともう少しでお盆、がんばります😅





さて、先日にヤマタノオロチの正体を書きましたが、出雲地方には石見神楽「オロチ伝説」があり、うちの団地にもヤマタノオロチとスサノオがやってきてくれました😆

イオンモール「ソレイユ」にもきてくれて、わたくし入浴剤をいただきました😅


※どどーん!



さて、古事記にはヤマタノオロチは「高志のヤマタノオロチ」と書かれております。

高志とは、越国のことで、越前越中越後、今の北陸地方ですね。


ヤマタノオロチの正体



これは、もしかしたら、越の国がかつて支配していた土地の広さ=ヤマタノオロチとして、シンボル的に例えられているのかもしれません。





なお、このヤマタノオロチの尾から出てきた「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」は三種の神器のうちのひとつであり、名古屋の熱田神宮のご神体となっております。





つまり、ヤマタノオロチは神として祀られ、その神霊は愛知県に移っているのです。





1945年8月15日のポツダム宣言受諾の表明のときには、八咫鏡とともに、岐阜の高山にある飛騨一宮水無神社に一時的に鎮座しました。


※けっこう旅をしたのよ♩



さて、ヤマタノオロチは八つの頭と、八つの尾があり、八つの谷、八つの峰に渡っていたと古事記には記されております。




めちゃくちゃ長いですね😅




よくぞ剣ひとつで、スサノオは倒したものだ、と感心するくらいスサノオは強かった、ということでしょうか。





実はその描写通りの地名が、越の国である富山県と、出雲と鳥取に残されているのです。


※とおりゃあ!



 

なお、先日わたしが偶然にたどり着いたクシナダヒメの実家の地名も、奥出雲の「八頭」でした。

この八頭は、鳥取県にも八頭郡として残っており、富山県にも八頭町があるのです。




越の国には立山や白山、ニ上山、宝達山など、たくさんの山々があり、この山脈のラインこそ、ヤマタノオロチの長さだったのかもしれません。






まさに越の国がかつて支配していた勢力圏の広さが、出雲地方の奥出雲まで伸びて、年に一度「娘を食べに」やって来るのです。


※ふふふ…



クシナダヒメは、クシ+イナダヒメであり、出雲地方の巫女だったのかもしれませんが、ヤマタノオロチを倒したスサノオはこの地の英雄となり、クシナダヒメと結婚します。



※イナダヒメの実家



さて、高天原を追われたスサノオが降り立ったのは、船通山の麓の鳥髪(とりかみ)というところなのです。





スサノオは新羅の国からの帰路に、島根県の大田市にある五十猛町に辿り着きます。

このとき、韓国で生まれたイソタケルなどの子供たちを連れて帰ってきているのですね。




石見の海岸一帯には、カラ崎・カラ山・韓神・新羅などの地名が多いのです。

ここで、スサノオたちは、三方向に分かれて進みます。

イソタケル、コヤツヒメ、オオヤツヒメも大浦海岸に上陸をしたのですが、ここでイソタケルとオオヤツヒメ兄妹が涙を流して別離をしたのです。




この場所は神分れ坂と呼ばれています。


※五十猛神社⛩️



この地名はオオヤツヒメから付けられ、「大屋町」というのですが、イソタケルはその後、今の和歌山県である、紀伊国に向かったのです。





だから、和歌山は木の国、なのです。

イソタケルによって植林がなされ、木の国になったからですね。

なお、神武天皇はナガスネヒコに苦戦をしたとき、和歌山に隠れてタイミングを見ていたのですが、

オオクニヌシも和歌山のイソタケルを頼って逃げているので、和歌山は懐が深いのです。






なお、超古代には、徳島県(阿波)に巨大な都があったので、和歌山もそりゃあ栄えていたのでしょう。

だから、淡路島は、「阿波への路」なのです。





これは、月読命(ツクヨミ)ルートとなり、食物の女神オオゲツヒメが徳島に住んでいたからですね✨





昨日の座談会でもお話しをしましたが、ツクヨミは富士山に王朝を作っております。

アマテラスやスサノオよりも早くに都を作っていたのは、実はツクヨミだったのですね🌕





このような感じで、越の国のヤマタノオロチを倒したスサノオは、を手に入れたことからわかるように、越の国の軍事王としても君臨したのかもしれません。






なお、オオクニヌシの時代には、糸魚川の女神ヌナカワヒメと結婚をして、出雲と越の国は交流を深めていきます。

越の国もまた、米所としても知られるように、実は稲作が入ってきたのは、ここが一番速いのではないか…と思っております😅






そんなヤマタノオロチの神霊は、愛知県で輝いております。

だから愛知はものづくりパワーがすごいのかなあと密かに思っているのです😅




ということで、ヤマタノオロチの軌跡でした❗️





なお、このスサノオの息子や娘が八王子と呼ばれる八柱の神々で、出雲系となります。

神武天皇以前にヤマトに都を作ったのは、もしかしたらこの八王子なのかも、しれないですね。




日御碕神社


スサノオを引き継いだ神


富士山の祭神