こんにちは😃
わたくしは昨日の土曜日、島根県大田市にある、五十猛(イソタケ)神社を参りました⛩️
スサノオの息子、五十猛(イソタケル)は植物の種を持ち帰ってくれた植物の神ですが、スサノオとともに、新羅の国から戻ってきた最初の場所が、この大田市なのですね。
海辺のすぐ近くでした❗️
そして、この日本に森林が多いのは、木の国と言われる、紀伊国(きいこく)ですね。
和歌山と出雲には、どちらも「熊野」と呼ばれる大社があります。
出雲国一宮、熊野大社と、
熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社は、
どちらも熊野として、不思議な繋がりを持つのです。
紀伊と出雲には、地名や伝承に共通点がいくつも見られます。
なんといっても、古事記と日本書紀でも、二つの熊野に記述が分かれているのです😅💦
そのキーワードこそ、この五十猛(イソタケル)にあるのです。
イソタケル→イタケル
紀伊→木の神イタケル→キイ
イソ→石(いそ)→石上神宮
だと思っております😅
つまり、イソタケルは、父であるスサノオとともに、新羅の国から帰ってきたあと、そこから和歌山に拠点を移して、和歌山の王となっていたのです。
だから、
熊野大社の分霊→熊野本宮に移っているのです。
古事記では、イザナミは比婆山に葬られたとありますが、
日本書紀では、紀伊国の熊野に葬られたとあるのは、どちらの熊野にも同じ伝承が残っているから、ですね。
なお、分霊を移したのは、他でもない、熊野大社の神主さんらしいですよ😅
神主さんが、移住する人々と一緒に、その先で分霊を祀ったのが、熊野本宮の始まりでした。
※熊野大社伝承より
なお、和歌山の熊野神発祥の地である阿須賀(飛鳥)は、熊野川河口にあります。
そこから上流に向かうと、熊野本宮があり、そこからさらに奥に向かうと、玉置神社があります。
玉置神社は三狐神(みけつ)神を祀り、熊野神はケツミコなので、どちらも食物神です。
ミケツカミ=ケツミコ、ということでしょうか。
伏見稲荷大社の稲荷山も、秦氏が来日する前から、食物神がいたのです。
そして、和歌山の熊野信仰が全国に伝わるよりもずっと前から、出雲には熊野大社がありました。
※意宇川
八雲町の熊野大社は、旧石器時代のめのう石器が見つかっているので、歴史はなんと五万年前まで遡るそうです😅
なお、オオクニヌシが、兄の八十神に殺されそうになったとき、
母であるサシクニワカヒメから、「木の国に行きなさい!」と命じるのは、
木の国を統治していたのが、スサノオの息子であるイソタケルだったから。
イソタケルを頼っていきなさい、ということだったのかもしれないですね😅
なんと、ここまでにオオクニヌシは二度も殺されているので、よほど切羽詰まっていたのだろうと思われます💦
なお、オオクニヌシは、木の国→根の国に向かったとき、葦原色許男(アシハラシコオ)と名前が変わっています😅
淡路島のおのころ島から、和歌山県がまさに見えたのが、印象的でした。
海のルートだと、けっこう和歌山は近いのですね👀
※後ろは和歌山県♪
そこからスサノオがいる根の国に向かったオオクニヌシは、スセリヒメと出会い、一目惚れをします。
この根の国の入り口とは、
和歌山県有田市にある須佐神社
じゃないのかなあ〜思っております😅
そう、なんと須佐神社もどちらにもあるのですね。
出雲の須佐神社は、スサノオが自分の名前を地名に付けた場所ですが、和歌山県の須佐神社は、根の国への入り口だったのかもしれません。
根の国のことはよくわかりませんが、実は和歌山県って、
南海道なんです😅
淡路島も今は兵庫県ですが、古代では、南海道なんです😅
すると、和歌山と淡路島は四国でもあったのですね😅💦←失礼?
オオクニヌシは何度も殺されては蘇っているので、
実際は和歌山県にも追ってくる八十神から、なかなか逃げきれなかった…のかもしれないですね。
逃げ切れたのは、
スサノオの末娘、スセリヒメと結婚したから、なのです。
ということで、出雲にも紀伊にも、二つの熊野があって、どちらも縄文時代からの聖地であって、熊野神はアスカの始まりでもあるよ〜というお話でした✨
アスカ=スカ=スガスガしい✨