都会の神さまと、田舎の神さま | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。

日本の神話を追っていくと、なんと「日本人の誕生」までたどり着くという、世界最古の国家、日本🇯🇵の歴史におののいております😅




今日は、「国津神」と「天津神」を日本の歴史からざっくりと説明したいと思います✨



 

この神々の系統は、「土着の神」か、「渡来してきた神」かに分かれるのです。

そして、そんな神の系統を追っていくと、なんと、わたしたち日本人の民族の歴史が、浮き出てくるのです。

 

 

 

 

さて、わたしの会社はアジア系の外国人が非常に多いのですが、

離職率も非常に高く、都会(近畿や関東)を目指して、皆さん転職してしまいます😅

なんと、転職率はほぼ100パーセントに近い😅💦

やはり住みやすい平野部が多い都会へと移動してしまうのです。

 

 

 

 

これ、古代もまったく同じだったようですね😅

 

 

 

 

そう、日本にやってきた渡来系の人々は、畿内や関東を目指して移住するのですね。

例えば、東京、横浜、名古屋、大阪、福岡などです。

いわゆる、日本列島の中心部の中央軸(東京~博多)に、天からくだった天津神が多く集っているのは、やはり神さまも都会がお好き♪なのかもしれないですね✨


※日御碕神社⛩️

 

 


その一方、土着の日本人は、わりと生まれ育った場所から、そんなに遠くから離れようとはしません。

そう、もし生まれ育った場所から離れるときは、「土地を追われるとき」だったのです。

これが、いわゆる「国津神」となりますよ。




氏神さまでもありますね✨

 

 

 

 

国津神は、国土にもともと住んでいた神、だったのです。

天津神は、から下った神、つまり「海流に乗って現れた神」ですね。



 

オオクニヌシの出雲の国譲りは、まさしく、「国津神→天津神」への政権交代だったのですね。

「イズモ」という名称も、ヤマト政権が付けた名前なのですが、縄文時代からの日本は、割と「短い名称」を土地に付けていたのです。


※考古学研究家からお借りしました✨




出雲にも「意宇(おう)」という古代出雲の中心部がありました。

かつての中心部にあったのが、出雲国一宮熊野大社ですね。

出雲大社が出雲国一宮なのは、この意宇郡の出雲国の人々が、西側にお引越ししたからなのです😅

 

 

 

 

なにがあったかは…

神のみぞ知る、ですけどね。





わたしは昨日、

オオクニヌシを殺した張本人を突き止めてしまい、あの灼熱の中で、どうしようもない感情に囚われておりました。



 

「ヤマト」という名称は、実は天津神が名付けたのです。

それは、日本は「山」が多かったから。

平野部が少なく、火山帯だったため、西日本はあっちこっちに「山」があります。

今も、東京の平野部に住む人が四国に来たら、「山がたくさんある!」と思うのと、古代も全く同じだったわけですね😅

 

 

 

日本=山がある

 

 

 

 

だから、「ヤマト」なのですね✨

 

 

 

 

なお、天津神と国津神の戦いは、侵略ではなく、「婚姻」にて混血として混ざっていきます。

この、侵略だけではない大きな証拠が、「やまとことば」となります。

縄文時代からの言葉が今も残っているのは、揺るぎのない縄文時代からの血脈が今も続いている証拠なのですね。



 


だから、わたしたち日本人のルーツは、「縄文の土着+弥生の渡来+古墳時代の渡来+飛鳥時代の渡来…」と、

今もずっと「渡来」が混ざっているのです。




渡来人といっても、十数万人が移住してくると、そりゃあ、文化もひっくりかえりますよ😅

それが、今の関西エリアなのです。





渡来系が悪いとか土着が良いとか、そういった問題ではなく、そもそも日本は「世界の東」に位置するので、シルクロードから伝わるあらゆる文化を内包しているのですね🌙

 

 

 

 

そして、イザナギが禊で生まれた三貴神、「アマテラス、ツクヨミ、スサノオ」は、それぞれ辿っていったルートが違うよ、ということなのです。



 


アマテラスとスサノオは一時期、同じ部族だった歴史がありました。

そこで生まれたのが、宗像三女神などの八王子であります。

 

 

 

 

ツクヨミは、先日記事を書いた通り、ルートが違うのですね😅


月の女神



ここはかなり封印されているルートなので、かなり深く沈みますが、おそらく、ツクヨミのルートには、「食物の女神」が誕生しております。

 

 

 

スサノオのルートも複雑でして、スサノオが「韓国の神」という説があるのは、これは、「韓国から戻ってきた」からなのです😅





なお、対馬海流の勢いが強いので、もしかしたら九州に落り立つつもりが、出雲に流れ着いてしまったのかもしれません😅



 

出雲は、「対馬海流によって流れ着く」場所でもあるのですね。

 

 

 

 

そんなスサノオは、ひょんなことからヤマタノオロチをやっつけて、クシナダヒメと結婚して、最終的にその地で没します。

スサノオが亡くなったとされるのが、須佐神社なのですね。

あの須佐神社の近くにある宮尾山には、たくさんのイワクラがあるのですよ。



 


日御碕神社は、「みさき」なので、陸と海の境界線です。

「あの世とこの世の境界線」で、だから「御先」なのですね✨

出雲地方が「黄泉の国」だと伝わるのは、それだけ多くの国津神が亡くなり、

本当にさまざまなものが「流れ着く」ことが多かったかもしれないですね。

 

 

 

 

なお、アマテラスも、スサノオも、そしてツクヨミも、おそらく南九州の琉球王国からやってきたのではないかな、と思っております😆✨✨




南方系ルートですね‼️





ポセイドンであるワダツミや、オオヤマツミの神さまも、こういった南九州から始まったのかもしれないですね。


 

 

 

なお、東日本と西日本とでは、歴史が違います。

今の東北人は、もともと畿内にいたナガスネヒコがヤマト朝廷に追われて東北に逃げた、「エミシ」の血脈なのだろうと思うのです。





ナガスネヒコと組んでいたのがニギハヤヒなのですが、そもそもナガスネヒコが神武天皇に敗北した背景には、ニギハヤヒの死があったのだろうと思われます。


 

 

 

神武天皇は、なんといっても九州のポセイドンの血脈を持つので、そりゃあ勢力も拡大して強かったはずです😆

しかし、ナガスネヒコは強かった‼️

なお、こういったさまざまな戦いは、神話を通して見えてくるのかもしれないですね✨

 

 


 

どうして、

 

 

 

 

アマテラスが奈良県の桜井市から出なくてはいけなかったのか、

 

 

 

 

なぜ、元伊勢を転々としなくてはいけなかったのか、




もしかしたら、古墳時代にやってきた第三の勢力に追われてしまったからかも、しれないですね。

 

 

 

 

卑弥呼が死したあと、大量の渡来人が畿内に向けてやってきて、一気に日本の文明ががらりと変わっていくからです。

 

 

 

 

というわけで、どの文明も、桜の花が開いて散っていくようですが、皆さんはどの時代がお好きですか?

もしかしたら、血に沈んだDNAによって、そういった嗜好があるのかもしれないですね✨




灼熱の出雲大社


エネルギー


悪魔