こんにちは😃
久しぶりののんびりとした週末を過ごしております。
台風は大丈夫だったでしょうか?
今年はスーパーエルニーニョ現象が起こっているようで、まさしく備えが大切ですね😅
さて、今日は古代ヤマト国のかつての王の話です。
近畿地方を統治していたかつての王と言い換えても大丈夫です😅
邪馬台国の前身の統治王でもありました。
なんと話は2000年をさかのぼりますが…
このかたの子孫こそ、
東北の縄文時代の神、アラハバキ王国をまとめ上げ、なおかつ後に蝦夷(エミシ)と呼ばれる部族となりますよ。
歴代の卑弥呼たち、という記事で、近畿地方(ヤマト国)にはとても強い勢力がいて、天孫軍は何度も近畿地方から離れないといけなかった、と書きましたが、
この近畿を統治していた王の名前は、長髄彦(ナガスネヒコ)と言います。
別名、トビヒコとも呼ばれています。
悪役として出てくる場面が多いのですが、物部氏の祖先とされるウマシマジの伯父でもあり、
ニギハヤヒが降臨した鳥見白庭山(現在の生駒)を本拠地としておりました。
ナガスネヒコの妹が、ニギハヤヒに嫁いだからですね。
神武天皇とナガスネヒコの死闘は、地名に残されております。
東大阪市の盾津は、ナガスネヒコの軍が襲撃してきたときに、神武天皇が、「みんな盾を持って戦え!」という由来になっているのです。
この戦いがもとで亡くなったのが、神武天皇の兄の五瀬(イツセ)です。
太陽に背を向けて戦ったから、名前がイツセ、として残っているのです。
なんでナガスネヒコは負けてしまったのか、というと、
やはり、
ニギハヤヒが神武天皇側に付いたから、なのですね😅
ニギハヤヒは卑弥呼側についた…とも言い換えられます😅
しかし、なんと攻防は何世紀にも続き、だからこそ東北は長いことヤマト朝廷に従わない部族となったのです。
かつての王はどっちだったのか、ということでしょう。
ヤマト朝廷に従わない部族を、「まつろわぬ神」と呼びます。
ナグサトベ、ニシキトベ、エウカシ、ヤソタケル。
そして、吉備国を治めていた、のちに桃太郎の鬼のモデルとなった、温羅(うら)。
この時代は「倭国大乱」と呼ばれる、60カ国が入り乱れるすさまじい勢力争いがあったのですね。
氷川神社は出雲系ですが、もともとはアラハバキ神を祀る土着の人々の聖地でした。
おそらく、全身に入れ墨をいれた、
東北の血脈を引き継いだ、
最後の縄文の王だったのかもしれません。
出雲系とは仲が悪くなかったのだそうですよ😅💦
「敵の敵は味方」みたいなところがあったのかもしれないですね。
疲れ果てたエミシの人たちをもてなしたのも、また出雲系だったからです。
このナガスネヒコの生き残りが、エミシと呼ばれる東北の勢力となります。
ジブリ映画「もののけ姫」でも出ておりましたが、アシタカたちはエミシなのですよ。
※アシタカ
ナガスネヒコが統治した勢力圏が、凄まじく広いのです😅
しかも、ジャンプの主人公と同じ、ナガスネヒコには出生の秘密がありますが、これは口伝となっております😅💦
ここで発表しても、9割の人が「だれ?!」となるのですが…😅
ナガスネヒコの始祖は、なんだか伝説の人だったのかも?と思っていただけたら幸いです😅
もともと、東北には縄文時代からの王国があったのです。
このエミシを討伐したのが、
坂上田村麻呂なのです。
そうです、阿弖流爲(アテルイ)ですね。
東北屈指のヒーロー、アテルイはもしかすると、アラハバキ神の生まれ変わりだったのかもしれないですね。
※アテルイ
そして、物部神社は、祖神であるニギハヤヒを祀っていません。
母方がエミシですので、ウマシマジもまた、ナガスネヒコの血を引いている、というとても微妙な立場だったわけです。
なお、古事記では、神武天皇とナガスネヒコの戦いで、金色のトビが飛んできた、と伝えておりますが、
これは、八咫烏(ヤタガラス)なのです。
このヤタガラスは京都の上賀茂神社、下鴨神社で祀られております…😅
ニギハヤヒだけではなく、神武天皇側についたのが、この賀茂神社でもあるのですね⛩️
というややこしい感じですが、アラハバキ神を祀る神社は、宮城県の多賀城近くの荒脛巾(アラハバキ)神社⛩️ですね。
スネ…脛
ですね😅