歴代の卑弥呼たち | 運の良い座敷童子的な生き方

運の良い座敷童子的な生き方

運の良い経理事務。 神話ファン。星読みをしています。

こんにちは。

今日は昨日から雨ですが、座敷童子的座談会があります。

久しぶりなのでワクワクしております✨✨





さて、今日は「歴代の卑弥呼たち」ですが、2回に分けて邪馬台国の謎について迫ろうと思います😆✨


※阿蘇山



邪馬台国というのは、有名な「魏志倭人伝」という中国の歴史書「三国志」に載っていた、日本のクニなのですが、

この時代は「失史八代」と言われる時代でして、古墳時代ではなくて、弥生時代の終わりとなります。




※この時点であれ?と思われた歴史に詳しい方、どうぞスルーしてください。

 

 

 

 

「失史八代」というのは、第2代天皇~9代までの事績や崩御の干支が失われているのですよ。

ですが、建国の歴史をさかのぼるのに、神話まで辿らないとルーツがわからない日本の歴史はすごい、ということでもあります。




 

 

そんなミステリアスな時代に、中国の歴史書には少しだけ残っているのが、「卑弥呼」という女王にまつわる記述ですね。

 

 

 

この卑弥呼というのは、特定の人物を指すのではなく、太陽神に仕える巫女自身が、特別な存在として崇められていた祭祀王であった、とわたしは思っております。

つまり、太陽神アマテラス=卑弥呼なのですね。



 


アマテラスの本名は日本書紀では、「大日孁貴(オオヒルメノムチ)」という難しい漢字が使われていますが、この「孁」は「巫」と同意語なので、

「太陽神に仕える巫女」こそ、天照大神そのものであり、なおかつ神の代弁をすることで、クニをまとめていた、のです。





だからアマテラスは日本では女性神として描かれているのかな、と思います😅

世界では太陽神は男神なので、「男神に身を捧げる巫女」こそ、アマテラスなのかもしれないですね。

 

 

 

 

なお、過去記事でも書きましたが、日本は弥生時代が始まりではなく、縄文時代から人間が居住する国ですので、そういった「クニ」はたくさん各地にあったはずです。





それを、「東征」したのが神武天皇率いる天皇家の始祖であった、ということですね。




 

天皇家の始まりはここですね、日向の国。

阿蘇山の近くにある高千穂がある南九州エリアですが、この阿蘇山周辺に邪馬台国の前身は存在していました。




なお、

 

 

 

邪馬台国=ヤマト国

 

 

 

倭国=和国

 

 

 

が正しいのかなと思います😅

「この写真を使ってくれ」と言われてますので、こちらをどうぞ。




阿蘇山から拝む集落です。

火山とともに、わたしたちの暮らしは始まったのですね。


 

 

 

さて、縄文時代の人たちが顔に赤い塗料を塗っていますが、これが「辰砂(しんしゃ)」、別名を「朱砂(しゅさ)」と言います。


※石見神楽



スサノオはスサの王、朱砂の王、だったのかもしれないですね。

これは祭祀にも使われておりました。

日本はこういった鉱物がたくさん取れて世界に流通していたのですね。

邪馬台国も、こういった辰砂が取れるクニだったと書かれております。

 

 

 

 

 

なお、今でも阿蘇山は「世界一のお役立ち火山」として名高く、土に含まれるは今でも加工して全国で使われております😆

 

 


 

 

祭祀王は未婚の女性がつとめ、

統治王は男性が担っていたのですね。

この祭祀王こそ卑弥呼ですが、役職名なので、歴代に何人もいらっしゃるのです😅





それにしてもなぜ「古事記」や「日本書紀」で「ヒミコ」が出てこず、「ヒミコ」を祀った神社がないのかというと、

卑弥呼は個人名ではないから、なのですね。

 

 

 

 

と言うことで、有名な卑弥呼だった方々のお名前を書いていきたいと思います✨✨

なお、




卑弥呼=日巫女=ヒメミコ=皇女ですね。





つまり、





もしも現代でも卑弥呼の制度があったとすると、





現代の卑弥呼は、






愛子さまだったのかもしれません。






すみません、過去最大に長くなったので、続きは今夜か明日に更新します😅←この倍ある





つづく





高千穂


東日本の聖地


縄文と弥生の境目


日本誕生にまつわる秘密