こんにちは。
最初にお知らせです😅
明日の7時から、座敷童子的座談会やホロスコープ鑑定の募集をするのですが、前回の優先予約により、すでに3名がエントリーしております。
と言うことで、明日は、朝の7時〜7時5分まで受付をいたします。
もし定員をオーバーしても、次回優先とさせていただきますので、気になる方はエントリーしてみてくださいね♪
さて、昨日に座談会があったのですが、なんと来月に旅行に行く場所から来てくださった方がいらっしゃいました😅
昨日のメンバーは霊感が強い、敏感なかたばかりで、いつもだったら、「ええ~!!」みたいな感じなのが、「ふむふむ、わかるわかる」とうなずくばかりで、ちょっと面白かったです😅
そこで、このような話題になりました。
「辿り着けない神社がありますよね」
ありますよね😅
わたしもあるのですよ。
ブログ的には、参拝したほうが良いはずなのに、イマイチ気持ちが向かない神社があるのです。
それは古代から存在するといわれる、とても立派な神社で、出雲系ですし、ブラタモリにも出ていました。←笑
そこを庭にして生まれ育った氏子さんが、友人にいるのですが、気が向かない理由というのは、彼女からの言い伝えがけっこう大きかったのです。
「あそこってね、大きな女が社にしがみついているんだよ」
当時は「ひえー」くらいだったのですが、口伝やルーツを知った今となっては、心底理解できました😅
あそこ、かなり、すごいことを、やっちゃっていたのだなあ、と。
だからこそ強力な神を祀っている古社なのだな、と知りました🥶
やはり、真実は祭祀にひそむ‼️なのですね。
さて、昨日確信したことなのですが、「気が乗らない」ことはしないほうがいいようです。
この気が乗らない、というのは適切な表現ではないのかもしれませんが、「生気を吸い取られているような感じ」がするときです。
それをしようとしたら、やる気が起きない、
いつもは行動的なのに、それをやろうとすると、生気を吸われるような気がする、
みたいなところでしょうか。
もしかしたらそれは、
「後ろにいるスピリットの自分」が必死に止めようとしてくれているのかもしれません。
守護霊が止めようとしている、とも言えます😅
昨日の座談会にきてくださったかたは、
「どうしても、出雲大社には行けないのです」
とおっしゃってました。
そうね、そりゃあ、天孫系の地から来たからね、とわたしは思いました😅
こういうことを書くと、「信じない!」というかたがいらっしゃるかもしれませんが、
かの水木しげる先生も同じことをおっしゃっております。
「古代出雲の青年が夜な夜な枕元に立って訴える」と。
※水木しげる「古代出雲」より
ある種の使命を持っていないと、この根幹には近づけないのかもしれないですね。
旧武蔵国の神社は、半数が出雲系(オオクニヌシ系)ですが、おそらく出雲族は東に向かって勢力を拡大していった、というよりは、「追われていった」のかもしれません。
さて、こういった「ご縁のある神社」は、「産土神」と、住んでいる「氏神」でも判断ができたりします。
ご縁というのは、自分が生まれる前から知っている、のかもしれないですね😅
だからこそ、相性が悪い神社仏閣というのも、そりゃあ、存在するのではないかしら、とも思っています。
例えば、織田信長の子孫は、比叡山延暦寺で、とてもすがすがしい気分になる、というのはなかなか難しいと思うのです😅💦
※おととし和解されたようです
そういう、自分のルーツに沈んだ「何か」に反応しているのかもしれませんし、
魂に刻まれた記憶の片隅では、本当はあらゆることを「知っている」のかもしれません。
さて、「辿り着かない神社」の反対で、「相性が良い、ご縁がある神社」というのは、感極まるような感じがあります😅
これは、来る時期に応じて、準備がなされている、のかもしれないですね。
みずみずしい朝のように、時は満ちた、というのでしょうか。
そういった節目に訪れる神社というのは、確かにあります。
こういった、
「真の自分を知る旅路」
の覚醒は、まさに「今」なのかもしれません。
覚醒というよりも、「徐々に、思い出している」といった感じでしょうか。
真の自分を、段階に応じて、思い出しているタイミングが、「今」なのかもしれないですね。
だから、しっくりこないことはやめてみる、
もしくは、やり方を変えてみることが必要で、
だからこそ、去年の夏に何かのショックが起きたかた、体調不良になったかたが多いのかもしれないですね。
ということで、辿り着かない神社には、無理にいかなくてもいいですよ、というお話でした♪
日本って、
世界の東の果てにあるもので、
あらゆるものをホールドしているのですよ😅