火の鳥すらも惚れた!ヤマトタケルの魅力とは? | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。

いつも仕事を手伝っていただいているかたが、緊急手術のため、二人分のお仕事を抱えてしまったわたしです🥶

自分との戦い!

と言うわけで、精いっぱい頑張ろうと思います😅💦

更新時間が遅くなるときがあるかもしれませんが、よろしくお願いします😆✨

 

 

 

 

さて、今日は火の鳥すらも惚れた、ヤマトタケルについて語っていきたいと思います。

火の鳥とは、手塚治虫先生が描いた代表作に登場する不死鳥なのですが、この「ヤマト編」の主人公が、古代ヤマトの皇子、ヤマトタケルなのです。

 

 

 

ヤマトタケルというのは、古事記にも日本書紀にも登場する、十二代景行天皇の御子オウスです。




のちに成長すると、「ヤマトタケル」と呼ばれることになります。

漢字で書くと、倭建命、日本武尊ですね。


※手塚治虫作 火の鳥三巻

 

源義経と匹敵するくらいの悲劇のヒーローであり、少年時代から、死ぬところまで描かれている、ある種の完成された人物でもあります。




おそらく、実在する人物だったのでしょう。




なお、常陸国風土記では、ヤマトタケルは、皇子ではなく、「大王(天皇)」であると書かれており、非常に謎が多い、ミステリアスな人物でもありますよ。


※火の鳥ヤマト編より

 

 

火の鳥ヤマト編では、火の鳥がめずらしく、感謝の印に不死の血を分け与える、というシーンがあり、手塚治虫先生をはじめ、多くの作家を魅了していたことがわかります。




火の鳥ってもはやヤマトタケルが継承しているんじゃないかしら😅

 

 

 

さて、舞台は四世紀ころの日本です✨

 

 

 

今回は、「古事記に描かれたヤマトタケル」の魅力を追っていきます!

 

 

 

 

さて、少年時代のヤマトタケルは、天皇に命じられ、クマソ(九州の南部一帯)討伐に出かけます。




火の鳥ヤマト編ではラブロマンスになっており、

クマソの王の妹、カジカと恋に落ちてしまう話となっております😆✨




8歳のわたしがキュン死しかけたエピソードですね✨✨✨

 

 

 

ちなみに、ヤマトタケルが遠征を命じられたのは、天皇が息子を疎ましく思っていたためです😅←古事記だよ




兄を殺したヤマトタケルの残虐性に恐ろしさを感じたのかもしれません。




なお、このときの景行天皇と、少年期のヤマトタケルの会話から、




ねぎらう




という言葉が生まれております。

ねんごろ、と書かれているのですが、「神の加護を願う、神の心を大切にする」という意味であり、神職さんの禰宜(ねぎ)はここからきておりますよ。

 

 


 

なお、日本書紀では、ヤマトタケルは天皇に従順な息子として描かれているので、古事記との差が気になるところですね😅

 

 

 

まずは、魅力的なシーンといえば、これ。

女装してクマソの王(クマソタケル)に近づく、というシーン。




これは火の鳥でもございます。



※女装しております

 

 

この女装の衣装、どなたが用意したのか、ご存じでしょうか。

そう、倭姫(ヤマトヒメ)なのです❗️




何度も書きますが、古事記のお話ですよ😅




ヤマトヒメというのは、伊勢神宮の斎王であり、ご神託により、皇大神宮(内宮)を創建した人物です。

甥っ子がヤマトタケルなのですね✨

 

 

 

そう、衣装には、ヤマトヒメの呪力が秘められており、女装したヤマトタケルは、クマソタケルにとって、とても美しく映ったのでしょう。

このとき、ヤマトタケルは少年時代。




少年なのに、相手のアジトに忍び込み、

女装して、

隠し持っていた短剣で、

クマソタケルを刺し殺すというのは…なかなか肝が据わっておりますね😅💦

 

 

 

タケルというのは、猛々しい男、という意味なのですが、

名前はなんというのだ」とクマソタケルから聞かれると、こう答えます。

 

 

 

「わたしはヤマトオグナと申します」

 

 

 

この「オグナ」というのが、火の鳥での主人公の名前なのです。


 

 

 

その後に、ヤマトタケルという名前に変えたオグナは、次に出雲国のイズモタケルを討伐します。




これは、古事記のみの記載となっております😅💦





ここから、古事記では「出雲」という名前が出てこなくなりますので、おそらくヤマト王国は完全に出雲を制圧したのだろう、と思われます。

なお、このイズモタケル編は、日本書紀には登場しません。

 

 

 

そんな次なる、ヤマトタケルの魅力はこちら!

そう、ラストの死、ですね。



直接的な死の原因は、ヤマトタケルが伊吹山の神を見誤ったために怒らせて、病気になり、

各地を転々として、ついに伊勢の国で息だえます。





その死が都に報告されると、后や皇子が来て嘆き悲しみ、葬送の儀式を執り行います。

そこで、魂が白い鳥となって、天に向かって飛び翔っていくのです。

 


 

まさに、これこそ火の鳥の原型なのかもしれないですね✨✨

 

 

 

手塚治虫先生の「火の鳥」って、古事記のヤマトタケル伝説から生まれたのではないか…と思えるくらい、わたしは幼少期に火の鳥ヤマト編にのめり込んでおりました😅




今ももしかすると、




その情熱のありかを、追っているのかもしれません。



そんな悲劇の皇子、ヤマトタケルは、古事記では系譜が詳細につづられており、

こういった系譜が示しているのが、天皇の血筋である証、なのですね。

 

 

 

というわけで、お近くのヤマトタケルを祀る神社がありましたら、白い鳥を思い出してみてくださいね✨





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