8歳で亡くなった悲運の安徳天皇を祀る赤間神宮を参ろう! | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。
このブログは不思議なことを呟いたり、参拝日記を付けておりますよ。




今日は夏至ですね。

アジサイが見頃です♪

我が家も今年は見事な大輪の花が咲きました。



前回はこちらから。


 

さて、私は昨日、山口県下関市にある赤間神宮を参拝しました。

ここは1185年、壇ノ浦の戦いで、わずか8歳で源平合戦の犠牲者となった安徳天皇がご祭神です。

 

 

奇しくも7歳の娘を持つものとして、参拝せねばと思っていたのですが、ちょっと苦手な場所があったので躊躇しておりました😅

 

 

 

 

さて、ここは下関市阿弥陀町というのですよ。

この町の名前が示す通り、実はここにあったのは赤間神宮ではなく、阿弥陀寺というお寺だったのです。

 

 

 

 

そしてこちらのお寺こそが、耳なし芳一の舞台となった場所なのです。

 

※盲目の琵琶法師 芳一堂

 

 

赤間神宮の端にあるこの小さなお堂が、この赤間神宮の前身です。

ここをお参りせずして、赤間神宮を参ったとは言えないのです。





盲目の琵琶法師、芳一が夜な夜な平家の怨霊たちに弾き語りを聴かせていたのは、この場所なのですね。





このすぐ側には、平家の武将をまつった七盛塚がありますが、もちろん写真には撮っておりません。

すごい空気です…😅

 

 

 

 

さすが天下の平家の怨霊のお墓…!

 

 

 

 

さて、壇ノ浦の戦いからわずか6年後、1191年に安徳天皇の御影堂(みえいどう)が建立されました。

 

※安徳天皇の御陵

 

 

明治維新後の神仏分離の令によって、阿弥陀寺は廃されました。

御影堂は残り、昭和天皇によって、1940年に赤間神宮へと改称されています。

 

 

 

 

神宮と名前が付くのは、本来は伊勢神宮だけなのですが、天皇と特にゆかりの深い神社は「神宮」と改称しているのです。

 

 

昭和天皇も強く思うことがおありだったのでしょう。

この日、娘を連れて拝殿に向かうと、ちょうど御祈祷が始まりました。

 

 

 

 

拝殿の中に水場があるなんて。

娘が、「プールがある!」とさっそく目をつけていました😅

 

 
あまりにカッコいい狛犬さまなので、娘が必死になでなでしています😅
 
 
すごく凛々しいですね♪
獅子❗️
という感じで素敵です。
 

目の前は海、まるで竜宮城のような赤間神宮は朱色が映えてとても華やかです。
 
 
 
 
ここは安徳天皇と一緒に入水して亡くなった祖母(平時子)の詠んだ句をもとに、竜宮城に似せて造られた竜宮造りとなっているのですよ。



祖母の時子は平清盛の妻であり、
あの「平家にあらずんば人にあらず」と暴言を吐いた平時忠の姉でもあり、
平家の滅亡を招いた平宗盛の母親でもあります。
 
 
 
 
今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 
 
 
 
波の下 みやこありとは
 
 
 
 
「海の中にも都はあるのですよ」
と言い聞かせ、安徳天皇と一緒に入水した時子はどんな思いでそれを口にしたのでしょう。
 
 
 
優しいウソ、なのでしょうか。
それとも…。
 
 
 
 
この時子こそが、平家物語の冒頭を象徴する人物なのでしょうか。
 
 
 
 
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 


 
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
 


 
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
 


 
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
 
 
 
 
歴史の片鱗を感じ取り、
この艶やかな水天門にも、儚き平家物語の夢が映し出されます。
 

こんなに艶やかな神社を前にして娘が何度も、
「もう一回行こう、あの怖いところ」
と何度も連れていかれる芳一堂😅
 
 

 
もう何度、平家のお墓を見たことか…。
 
 
 
 
頭がずきずき痛くなってきた…。←やばい
 
 
こんな不気味なエリアの先にあるのですが、
娘が何度目かの合掌のあとに、青ざめた顔で、
 
 
 
「思い出した、このはなし、知ってる…」
 
 
 
 
 
と、震える声で話をしてくれます。
 
 
 
 
 
「おぼうさんがお札を投げたら、川になっておばあさんが追いかけてこれなくなったやつだ…」
 
 
 
 
 
(それ3枚のお札や)
 
 
ん?
耳なし芳一堂とは反対方向に、ひっそりと社がありますよ。
 

あ、平家の武将の皆さまのお宮ですね。
そうですよね、早くここにも参らんか!
ですよね😅
 
 
 
大変失礼いたしました。
 
 
 
そうそう、平家の落ち武者は四国と関連が強いのですよ。
 

さて、赤間神宮の奥にあるのは、不老長寿の守護である大連神社と、紅石稲荷神社です。
 

こちらは明治天皇が祀られておりますよ。
趣のある山奥の神社といった趣でした。
 

ここは江戸時代には外国からの賓客の宿舎としても使われていたのです。
シーベルトも来られたのですね。
 
 
 
 
北条、足利、大内、毛利などの将軍や大名からも崇拝が高く、今日までこの地で愛されて残ってきました。
 
 
 
 
やはり、下関という海上の要に位置していたため、日本国のシンボルのような意味合いもあったのでしょうね。
 

硬く閉ざされた安徳天皇の御陵に手を合わせながら。
 
 
 
 
8歳の悲運の幼き神様と、7歳の娘のこれからの幸せを祈って。
 
 
 
 
以上、平家物語の悲哀に満ちた赤間神宮でした❗️






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