神魂神社に隠された、知られざる古代ミステリー | 運の良い座敷童子的な生き方

運の良い座敷童子的な生き方

運の良い経理事務。 神話ファン。星読みをしています。

 

こんにちは。

先日、林先生の番組で、八重垣神社や出雲大社の特集をしておりましたね。
タイムリーで嬉しいです✨



さて、わたしは島根県松江にある、神魂神社(かもすじんじゃ)に来ております。


日本最古の大社神殿 神魂神社

こちらは、現存する日本最古の大社造りの神殿です。

古代出雲大社を窺わせる高床式になっています。
この、古代出雲大社も、神魂神社も、未だに謎に満ちているのです。
さて、わたしはお柴さまから離れ、末社を参拝しました。
この、神仏を下すお柴さま😆
また青々としたときに参拝させてください。
さて、神魂神社の入り口に、こんな脇道があったのです。
あれは何だろうか、とずっと気になっていたのです。
すると、末社の脇道から、このように下る道がありました。

なるほど、この道が駐車場に続いているのだな、と予感しました。
ではでは、せっかくなので、帰りのルートはこちらを通りましょう‼️
森林浴です。
足元がこんなにコケが‼️

これって本物だろうか、と疑うくらいのグリーンです。
ああ、もう少しで太陽が沈んでいく…。
そろそろ、タイムリミットが近づいてきました。
広島市に帰らなくてはいけません。
ほら、あそこが入り口です😆
予感的中です‼️


と。


そのとき。
入り口とは逆方向にある、向こう側の木がとても気になったのです。

見てください、あの木のエネルギー‼️
すると、二本の木の間から、奥に向けて、石段がすうーっと伸びているのです。
えっ。
祠がある。

何も書かれていません。
案内板も、祠の名称も、何も書いてありません。
これは何だろう?
ああっ。
太陽が沈んでいく…。

広島に早く帰らないと、と頭を過ぎります。


太陽が沈む?


と言うことは、この方角の向こう側は、日没線が存在する?
と言うことは、あの方角にあるものは。
出雲大社がある。


出雲大社は、「天日隅宮」(あめのひすみのみや)」と呼ばれ、古代から、陽が沈む聖地とされてきました。



日が登る伊勢、日が沈む出雲。


古代大和政権よりもはるか昔から、人々は夕陽が沈む出雲を畏怖してきました。


この神魂神社辺りの、松江大庭は、古代出雲の中心地でした。

この神魂神社の創建者は、アメノホヒ。
アメノホヒは、出雲大社の宮司の先祖です。


と言うことは、この辺りの古墳や、古社も、出雲大社に関係あるのではないか、と思うのです。


ちなみに、出雲大社の宮司とは、出雲国造(いずもくにのみやつこ)と呼ばれ、古代大和時代に一大勢力を誇った豪族でした。
(出た)

豪族…‼️

身震いする…‼️


この島根県山間部には、熊野大社と呼ばれる、とても社格が高い神社があります。
何と言っても、もと国幣大社。


元々、この熊野の山には神がいるとされ、スサノオがそれに習合したとも言われています。


この、熊野大社を調べるうちに、この出雲国造と神魂神社を結ぶ内容が、松江市大庭の風土記の丘に載っておりました。


神魂神社は、出雲国造の別邸地だったと言うのです。


そうか、熊野大社が山深い場所にあるために、往来が厳しくて、このアメノホヒが建立したとされる神魂神社を、中継地点にしていたのです。


だって、神有月とされる旧暦10月(太陰暦11月)って、が降る頃なんだもの。


昔は車がありません。
ってか、車があっても行き来がけっこう大変です😅


し、か、も❗️


毎年の新嘗祭は、明治維新まで、神魂神社で行われていたんですって!
現在は、もちろん出雲大社の拝殿で行われています。
では、この祠は?


神魂神社の背後には、
出雲大社がある。


わたしたちは、神魂神社に手を合わせるときに、出雲大社にも祈りを捧げているということです。


要するに、神魂神社とは、古代出雲大社を見立てた、熊野大社のための拝殿だったんです。


だから、神魂神社は、古代出雲大社と造りが一緒なんだ‼️


と言うことですね。
な、長い😅
もちろん、間違っている可能性もありますよ。
この結論を出すのに、二日もかかってしまいました😅
では、この祠は、一体何なのでしょうか。


古代の別邸地の跡地じゃないかしら😅


そう言うことか。
分かりました。
じゃあ、次は熊野大社に行こう❗️


わたしにとって、熊野大社=プールに行くぞ❗️というイメージでしたが😅
※市民プールがあるんです。


熊野大社に行って、火の神を拝んでくるぞー‼️