こんにちは。
先日、林先生の番組で、八重垣神社や出雲大社の特集をしておりましたね。
タイムリーで嬉しいです✨
さて、わたしは島根県松江にある、神魂神社(かもすじんじゃ)に来ております。
古代出雲大社を窺わせる高床式になっています。
この、古代出雲大社も、神魂神社も、未だに謎に満ちているのです。
また青々としたときに参拝させてください。
あれは何だろうか、とずっと気になっていたのです。
なるほど、この道が駐車場に続いているのだな、と予感しました。
ではでは、せっかくなので、帰りのルートはこちらを通りましょう‼️
これって本物だろうか、と疑うくらいのグリーンです。
そろそろ、タイムリミットが近づいてきました。
広島市に帰らなくてはいけません。
予感的中です‼️
と。
そのとき。
見てください、あの木のエネルギー‼️
案内板も、祠の名称も、何も書いてありません。
太陽が沈んでいく…。
広島に早く帰らないと、と頭を過ぎります。
太陽が沈む?
と言うことは、この方角の向こう側は、日没線が存在する?
と言うことは、あの方角にあるものは。
出雲大社は、「天日隅宮」(あめのひすみのみや)」と呼ばれ、古代から、陽が沈む聖地とされてきました。
日が登る伊勢、日が沈む出雲。
古代大和政権よりもはるか昔から、人々は夕陽が沈む出雲を畏怖してきました。
この神魂神社辺りの、松江大庭は、古代出雲の中心地でした。
この神魂神社の創建者は、アメノホヒ。
アメノホヒは、出雲大社の宮司の先祖です。
と言うことは、この辺りの古墳や、古社も、出雲大社に関係あるのではないか、と思うのです。
ちなみに、出雲大社の宮司とは、出雲国造(いずもくにのみやつこ)と呼ばれ、古代大和時代に一大勢力を誇った豪族でした。
豪族…‼️
身震いする…‼️
この島根県山間部には、熊野大社と呼ばれる、とても社格が高い神社があります。
何と言っても、もと国幣大社。
元々、この熊野の山には神がいるとされ、スサノオがそれに習合したとも言われています。
この、熊野大社を調べるうちに、この出雲国造と神魂神社を結ぶ内容が、松江市大庭の風土記の丘に載っておりました。
神魂神社は、出雲国造の別邸地だったと言うのです。
そうか、熊野大社が山深い場所にあるために、往来が厳しくて、このアメノホヒが建立したとされる神魂神社を、中継地点にしていたのです。
だって、神有月とされる旧暦10月(太陰暦11月)って、雪が降る頃なんだもの。
昔は車がありません。
ってか、車があっても行き来がけっこう大変です😅
し、か、も❗️
毎年の新嘗祭は、明治維新まで、神魂神社で行われていたんですって!
現在は、もちろん出雲大社の拝殿で行われています。
わたしたちは、神魂神社に手を合わせるときに、出雲大社にも祈りを捧げているということです。
要するに、神魂神社とは、古代出雲大社を見立てた、熊野大社のための拝殿だったんです。
だから、神魂神社は、古代出雲大社と造りが一緒なんだ‼️
と言うことですね。
な、長い😅
もちろん、間違っている可能性もありますよ。
この結論を出すのに、二日もかかってしまいました😅
古代の別邸地の跡地じゃないかしら😅
そう言うことか。
分かりました。
じゃあ、次は熊野大社に行こう❗️
わたしにとって、熊野大社=プールに行くぞ❗️というイメージでしたが😅
※市民プールがあるんです。
熊野大社に行って、火の神を拝んでくるぞー‼️
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