ちょっと歴史ドライブママさんの投稿。
からスピンオフ記事 広島~徳島セーリングの想い出 その壱 の続きです。
2回目1975年
往路。
母港(たぶん宇品だったと思う)を出航。
前年とほぼ同じコースです。
音戸の瀬戸をスラック(潮どまり)に通過。
斎灘(いつきなだ)~宮の窪瀬戸から燧灘(ひうちなだ)。
やはり高井神島か魚島に入港。(どちらの港にも入港した記憶だけはあるので)
高松港入港。高松から鳴門海峡までは一気です。
今回も本船が多い鳴門海峡はさけて、小鳴門を通過。
太平洋のうねりと風。前回より大きい船なので余裕の帆走です。
徳島のハーバーに入港
阿波踊りレース
この時のレースの記憶はなぜか全く残っていません。が、忘れられないのは,その夜の事。
徳島ヨットクラブの方の心遣いで,「ヨット連」に入れてもらって、阿波踊りを踊りながら待ちを練り歩いたのです。事前の練習でキャプテンのMatumo氏が地元民並みの踊りを披露して喝采を浴びました。
初めての阿波踊りが、連に入っての阿波踊りデビュー。今,考えると、とてもラッキーな事だったと思います。
帰りはやはり荒れ気味の天候となりました。備讃瀬戸でビュンビュンのブロー。ジブセールを降ろすのに製造時のミスでジブハリヤードが短くて,パルピットの上に立たなければ,セールのピークに手が届かない。自分が出来ずにもたついていると,背の高いMatumo氏が「僕がやろう」と私をコックピットに下げてくれて,パルピットの上での危険な作業を完遂しました。
阿波踊りや日頃のおちゃらけぶりとは偉いギャップです。
高松港では,時化の航海の緊張から解放されたせいか、みんな羽目を外しました。呑んで大騒ぎ。打ち上げ花火を数本束ねて打ち上げたら,綺麗に開いて流れたのに感激したのかw・・・向かいの桟橋にいた小さな?女の子が大声で「あなたに女の子の一番大切なものをあげます」と大声で言いました。それ聞いたM氏は大喜びして,すぐに向こうの桟橋に行きそうになります。時化た海の上とは大違いでまたまた大爆笑になりました。
高松港出航後は、風もおさまりました。
船が大きいので宮窪瀬戸ではなく,来島海峡を通過する予定で機帆走。
ふと気が付くとエンジン順行なのに,船の位置があまり動いていません。
潮流の速さを示す電光表示が2knot・3knotとどんどん上がっていきます。
あわててエンジン全開でのりきりました(滝汗)まったりしすぎましたw
ヨットの機走。エンジン全開でも5knot(時速約10km)。
それに対し来島海峡の急潮は最大10knot(時速約18km)達することもあります。
え、そんな速度で広島~徳島までたどり着くの?と思われるかもしれませんが、給油のための入港を除き、セーリングクルーザの場合、24時間艇を走らせ続けます。3チーム編成で4時間おきに交代。ウォッチ(操船と見張り)・休養と食事作り等・睡眠の循環です。その間に海峡通過や入港等の時、オールハンズ(全員が操船にたずさわる)がかかります。
単純に言って24時間×10kmで一日240km。
陸上と違って、ほぼ最短のコースを通ります。
広島~徳島。海上では約250km。
その他の事を考慮して、2日で到着です。
凪の燧灘では救命浮環を流してもらって海水浴。落水救難訓練がわり?w
航海の最後。当時の彼女(今の妻)がくれた巨峰を絞ってジュースで飲みました。Y氏はこんな贅沢なジュースは丘の上でもなかなか飲めないぞ・・・と感激していました。その時、ラジオでかかっていた音楽が岩崎ひろみの「ロマンス」。その頃は洋曲,特にロックばかり聞いていた。ロマンスはこの時に初めて聴いたのですが,ダイスキになりました。
ロマンスが新曲としてラジオから流れていた頃,1975年8月の事です。
2026年10月05日 投稿
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この記事は,過去の想い出記事から抜粋・加筆して再掲しました。
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