実は
10日ほど前
相方さんと2人で
流行りの感染性胃腸炎にかかってしまいました
 
症状は軽い方だと思いますが
しばらく食欲もなく
大好きな珈琲も飲みたくなく
食事もセーブして
ゆっくりゆっくり回復に向かい
 
もう大丈夫かな
という感じになりました
 
そして
お蕎麦屋さんへ
 
天丼+小うどんは美味しかったけど
用心の為に
食後に太田胃酸飲みました(笑)

 

 

広島駅に着いた頃には
暗くなってしまいました
 
駅ビルMinamoa(ミナモア)の完成まで
あと1週間ほどです

 

 

ペデストリアンデッキができていました

 

 

一階へ降りましたが

平日のちょうど帰宅時間で

駅へ通じる道は

通勤ラッシュの人の波です

 

 

ところで

今回は初めての場所へも行ってみました

 

駅のほんのちょっと西側の大須賀町に

古い飲み屋街があります

 

駅西(エキニシ)と言います

なかなか味わいありますね

 

 

カウンターだけの

小さなお店が並んでて

2時間飲み放題1600円のような感じ

 

外国人も見かけました

お酒が飲めたら楽しいところでしょう

 

 

さてさて再び

駅へ戻りました

駅ビル一階にできたバスターミナルへ

 

ここもたくさんの人ですが

意外とすんなり乗れて帰宅しました

 

1時間半ほどのお散歩を

3回にわけてアップ

歩数は約9000歩でした

 

 

広島城まで
歩いて来ました
 
表御門です

 

 

門をくぐると二の丸

内堀に張り出した馬出で

戦いの時は本丸を護る仕組みです

 

右手奥に太鼓櫓

それに続くのが多聞櫓と平櫓

 

中の様子は何度かアップしていますが

 

 

ちょうど梅が咲いていました

 

 

あっ鳥がいます

メジロかな・・

 

でも夕暮れ近くでよく見えず

 

 

ところで

表御門の手前は三の丸エリア

 

今月末から

新しく商業施設が開業と

聞いていたのですが

 

 

あれ・・もう人が入ってる

 

聞いてみると

この建物はSokoCafe

茶道の上田宗箇流和風堂が運営するカフェで

この日は内覧日だとか

 

他にも

鰻屋・お好み焼き屋・お土産屋さんが

できるようです

 

 

そしてその隣りには

広島城三の丸歴史館が建つようです

これは楽しみです

 

 

広島城を後にして

幟町(のぼりまち)・上八丁堀を経由し

広島駅方向へ歩きました

 

途中にあるこのタワーは

アーバンビューグランドタワーと言って

築22年のマンション

建った当時はとても話題になりました

 

山本浩二さんが

住んでおられるとかいないとか言われますが

ほんとうのことは知りません

 

エレベーターがスケルトンなのに

初めて気がつきました(続く)

 

 

遠目には見ていましたが
初めて
Edion peace wing Hiroshima
へ行ってみました
 
サンフレッチェのホームグラウンド
この日は試合のない日でした

 

 

レストランやカフェなどもあって

ここはサンフレッチェグッズのお店

 

 

選手のいろいろも売られていました

(ごめんなさいお名前わからず)

 

 

南東ゲート手前まで行けました

シートも紫色ですね

 

 

ちょっと違う角度からみると

こんな感じです

 

 

これはHiropa(ひろぱ)という

商業施設で

スタジアムとは別棟の建物

 

ひろしまスタジアムパークという

芝生エリアの一角にあります

 

 

芝生の向こうに

広島城天守閣が見えるでしょうか

 

このあたりは

もともと武家屋敷が並ぶところで

明治になって陸軍第五師団が置かれましたが

戦後は撤去され

広い中央公園となりました

 

 

ここと広島城は

ペデストリアンデッキで結ばれているので

向かってみました(続く)

 

 

野球のことは
よくわかりませんが
達川光男さんはよく知ってます
 
銀行ATMの近くに
こんなポスターがありました
 
独特のイントネーションの
広島弁が聞こえてきそうですが
 
でも現役時代には
明るいささやきとおたっしゃなトークで
相手選手を心理的に撹乱させ
 
「グラウンドの詐欺師」
と呼ばれることもあったとか(笑)
 
八丁堀の交差点は
交通の重要な基点で
 
岸田元首相が演説したりもする場所です

 

 

近々バスで出かける予定があり

なんでも八丁堀バス停から乗るとあります

 

ちょっと

下調べにと八丁堀バス停へ行ってみると

あれあれ・・

乗る予定のバスが書かれてない

 

もしかして八丁堀バス停はひとつじゃない?

 

google mapで見ると

交差点をはさんでバス停がいくつか見えます

番号順に確認してきました

まず八丁堀バス停1番のりば

 

 

高速バスも停まるようで

ちょっと遠距離が多いバス停でした

 

 

次に

八丁堀バス停2番3番のりば

 

 

ここは

広島駅を経由して

東や北へ行くルートでした

 

 

そして

八丁堀バス停4番のりば

 

 

ここだけ南北の中央通りに面してます

 

広島駅行きや

市内循環のまちのわループバスや

大きく迂回して東区の奥まで行きます

 

 

まだまだ続く

八丁堀バス停5番のりば

 

 

たぶんこのバス停が

交差点に一番近いのでバス便も多いです

 

都心循環のまちのわループバス

広島駅行きに並んで

宮島・草津と西方向の海沿いや

宇品のプリンスホテルやマツダスタジアム・マツダ本社などつなぐすごいバスもありました

 

 

いよいよラスト

八丁堀バス停6番のりば

 

 

映画館の前にありました

牛田山の早稲田小学校行きと

「ボンバス」という

八丁堀と西広島を基点に住宅地をまわるバスでした(経営は広電100%出資の会社)

 

ということは・・

上りなのか下りになるのか

反対方向もあるはずなので

八丁堀バス停はこの倍あるということです

 

下調べしてよかった・・

きっと広島の方は

〇番のりばとわかっているのでしょうね

 

ぐるぐる歩き回りましたが

新しいことがわかって

いいお散歩でした

 

 

追記

バス停の地図がsったのでみてみたら

中央通りの南側にもうひとつありました

 

ということは

八丁堀バス停は全部で14あるようです

 

 

ここところ
最高気温は17度18度

東京は20度だそうです
 
ヒーターも設定温度を少し下げ
コートも
少し薄手にかえました
 
夕方のお散歩中に
アンデルセンのお庭に寄ってみたら
ラッパ水仙が咲いていました

黄色がとっても綺麗

 

 

SNS見てたら

呉市上蒲刈島の県民の浜の

河津桜が満開のようです

 

いつもなら

2月が満開なのだそうです

 

嬉しい春が来た

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友人が
ミステリーツアーに行ってきたと
写真をLINEで送ってくれました
 
ミステリーツアー?
 
知らなかったのですが
目的地やホテルは直前までわからないツアーで
料金だけは決まってて
露天風呂・クルーズ・オーシャンビューホテル
と言うようなキーワードで選ぶようです
 
彼女(1人旅)の今回は
草津〜北軽井沢〜塩沢宿で一泊
大きなホテルでカニ食べ放題
費用はというと安くてびっくりでした
 
それではと
ミステリーツアーだけでなく
いろいろなツアーを検索してみるのですが
代金がお高いですね
 
彼女は旅慣れているので
上手にツアーを選べるようです
 
また別の友人が言うのは
「ここのところ旅行関係はすごくあがってて
それでもツアーが一番安いよ」と
 
一度ツアー体験してみようかと思うこの頃

 

 

血液検査の結果を聞きに
もう一度
かかりつけ医へ行きました

いつもは金座街という商店街を
抜けていくのですが

今回は用事があって
中央通りから行きました

金座街と中央通りは
東西に並行する道で
八丁堀の交差点にでるところが
一本違います

ところが
私はいつものように
右→左→右と歩いたら
あれあれなんだか違う風景の中に

一瞬頭の中が真っ白

私はどこにいるの?
◯◯クリニックはどこ?

落ち着いて落ち着いて
はぁふぅはぁふぅと大きく深呼吸
少し考えて

歩いてきた道を戻りつつ
クリニックを見つけました

もしかして痴呆?
と思いましたが
「方向音痴のせいでしょう」と(笑)

検査の結果は特に問題なし
常備している
半夏瀉心湯が減ってきたので
いただいて帰りました



日経新聞のweb版
『私の履歴書』は
会員でないとよめませんが
 
産経新聞の『話の肖像画』は
ネットでも見られるのですね
 
現在の連載は
観世流二十六世宗家『観世清和』さん
 
天皇陛下と学習院の同級生なので
65歳でしょうか
 
2015年に
GINZA SIX地下に
観世能楽堂が移った時は
以前の松濤(渋谷区)の観世能楽堂に
なじみがあったので
複雑な想いでしたが
 
銀座はもともと観世ゆかりの地
 
3代将軍徳川家光から京橋弓町(現在の銀座2丁目)の500坪を拝領し、能舞台も蔵もある観世屋敷があり、大政奉還で返還するまで236年間おられたと
 
一度
GINZA SIX地下の観世能楽堂へ行きましたが
どうも地下というのが・・
でも銀座に国立能楽堂のような
平家造りを建てるのは
地価が許さず(チカ違い)ですね
 
銀座の観世能楽堂に
二十五世観世左近記念と冠するのは
 
1900年観世会が創設され
東京都牛込区新小川町に観世舞台を開場
清和さんのお父上(二十五世)が
1954年小川町に観世会館を創るも
道路拡張工事などのため
1972年に渋谷区松濤へ移転し43年
 
そんなお父様への想いを込めたようで
銀座へは
松濤の檜舞台も移築されました
 
一方
宗家に伝わる一子相伝の書
世阿弥直筆の風姿花伝なども
代々守り続けられ
大震災や戦災も逃れてきましたが
 
清和さんが家元を継承した翌年の平成3年
先祖伝来の貴重な面や装束、文書の保存、能楽普及を目的として財団法人「観世文庫」を設立。
その後、同文庫が所蔵する約6000点の文献資料をインターネット上で検索・閲覧できる「観世アーカイブ」として無料公開されています
 
貴重な能装束や面は
大きな舞台で使われることもあるそうです
 
連載は今月末まで続くので
まだ途中ですが
歴代の宗家の方々のエピソードには
歴史上の人物もでてきてわくわくします
 
そして宗家当主として
能楽の鍛錬や弟子の指導だけではない
責任の大きさを
改めて感じています