広島市内を流れる京橋川の川沿い
比治山の麓あたりに咲いてました

キンポウジュ(錦宝樹)
ブラシの木とも---

ほんとうにボトルブラシにそっくりです


さらに歩いて駅前通り
あらこんなところに枇杷---

4月5月となーんにも進歩ないまま
夏になって行きそうです



芸備線狩留家あたりから
湯坂峠を越えて
東広島市志和へ出ました

とってもいいお天気で
田んぼには空が映っていました


あっふふふ
おたまじゃくし・あめんぼがいます


鎌倉幕府で鎮西探題を務めた
天野遠景(あまのとおかげ)の子孫は
安芸国の志和で勢力をはりました

この小さな丘は
天野氏の米山城(こめやまじょう)
中世の山城です


田んぼの畦道や用水路沿いに回り込むと
土嚢の階段がありましたが
草深く途中で引き返しました


天野遠景の子孫で安芸国に至ったのは二派

金明山天野氏は
南北朝時代に南朝側の新田義貞に属して転戦
新田氏が没すると志和の金明山に居城
後に大内氏傘下に入り、毛利氏ら安芸国人と同盟を結ぶも、近世には周防久原へ移る

生城山天野氏は鎌倉時代より志和を安堵され
最初にこの米山城を築く
毛利氏ら安芸国人一揆契約を結び
大内氏、尼子氏、毛利氏と主を替えますが
後継なく
毛利元就の七男元政を婿養子に迎えます



生城山天野氏が尼子氏へ鞍替えした際
米山城は大内氏の軍勢が包囲し開城降伏---一時は大内氏の城となりますが
後に天野氏へ戻ります

そんな戦国のことなど夢のような
のどかな風景でした


いいお天気が続いています

広島市安佐北区狩留家(かるが)は
JR芸備線沿いで好きなドライブコースです

先日通りががると
『狩留家ミュージアム』という看板があったので
湯坂口交差点から山道へ入ってみました

進むほどに傾斜がきつく狭くなるのですが
なぜか対向車も多く
ところどころ離合する場所もあり
きれいに整備された道路が続きます

民家もあり
棚田でしょうか
石垣を組まれた田や畑が左右に広がっていて
かっこいい耕運機も見えました


2キロほど進むと道沿いに
『水車』がありました
ポンプで組み上げて回しているようです


車を降りてみると
水車の奥には小川が流れていて
この水をわざわざ引いているようです


調べると---
宝永5年(1708)油の専売統制が引かれ、広島藩は3箇所(狩留家、城下、瀬野)に藩営の油御用所を開設しました
狩留家では黒河新左衛門(大畠屋)が水車製油所を営んでいましたが、広島藩はこれを買収し、新左衛門を油方頭取役とし広くこの一帯を管轄させ、その下で御用所手伝として油絞り業が栄えました
(明治4年(1871)廃藩置県で廃止)

そんな歴史もあり、平成27年にNPO狩留家が、かつての活気ある狩留家を創造するきっかけにと水車を復元したそうです(かつての水車は山中ではなく街中にあったとか)

なるほど『狩留家ミュージアム』というのは
建物ではなく町おこしのネーミングのようです

ここで気になったことがひとつ---

道路の左右の森には段々の石垣があり、それがかなり高度が上がっても続いているのです

これは油と関係あるのでしょうか---


さて、ぐいぐいと山道をのぼり続け
何台かの対向車と離合しながら
湯坂峠へ来たら
道はするすると下りとなりました

もうあの石垣はみられません


やがて川を堰き止めた小野池が出てきました
小野池は このいけ と呼ぶようです

この先は東広島市志和です(続く)


       
広島市西区井口お散歩の続きです

広島市街から宮島方面へ向かう
海沿いには
広島電鉄宮島線とJR山陽本線が並走します

住宅地としても人気のあるエリアです


さて大歳神社から
急坂を降りて線路沿いの道を西に進むと
塩釜神社がありました

塩椎神を祀る神社です

昔、長野県松本市の松本深志高校へ行った時
近くに塩釜神社があり、その理由が日本海と繋がる『塩の道』があったからと知り感激したのですが

ここ瀬戸内にあると言うことは
製塩にかかわる人々がいたということでしょうか

それにしてもこのあたりは
そそりたつ断崖の上にも家々があり
かつては海が迫っていたことを思わせます


説明板によると
もともとは少し右奥にあったようですね


さて
線路沿いの道を東へと踵を返し
昔の井口港へいきました

ここが港(船溜り)の跡の一部のようです


すぐ東に広島藩の外港の草津港があるのですが
井口港の方が利便性が良かったようです


さてさて
いいお天気でのお散歩は
熱中症に注意

なので8500歩で切り上げました
山陽本線に貨物列車が通って行きます


広島は平地が少なく
山肌に住宅地が広がっています
車へ戻って
山側の井口台をドライブして帰りました(終わり)



広島市西区の海岸沿いには
井口(いのくち)という場所があります

かつて、鈴が峰が猪の口のように飛び出した半島だったから、あるいは古江港の江の口がいのくちと転じたのが地名の由来とか

さて、広島電鉄宮島線の井口駅の南は
井口明神という地名で
西部埋立第二公園があり
その中の池にぽっかりと浮かぶ小山があります

けっこうな高さです


ここは小己斐明神
もともとここは波洗う浜の男明神島でした

現在の海岸線はずっとずっと南ですから
びっくりするような干拓です

鳥居の右手の石組みは雁木の名残でしょうか


説明板によると---
『小己斐明神は、その昔、平清盛が厳島神社を造営の際、鈴が峰から木を切り出し刻印を打ち筏を組み、この明神の浜から送り出したことから「刻印の明神」といわれていた。

寛政三年(1791)に己斐村の人々が、阿瀬波地先に入川新海を造成、己斐旭山神社から分祀し、「刻印の明神」と併祀し、「小己斐明神」といわれるようになった。また、子宝の神「子乞明神」とも呼ばれていた。ご神体は、大正二年(1913)大歳神社に合祀された。

井口沖が、海だった頃、男明神と女明神と呼ばれた二つの島があり夫婦島として有名だったが、昭和初期、現在の国道建設で女明神島が姿を消し男明神島(現小己斐島)だけが残った。小己斐明神は、岡岷山の都志見往来諸勝図「井ノ口」にも描かれている。

昭和二十年代以降、小己斐島は船溜まりの防波堤の一部にもなり、井口漁港として使われた。今も当時の雁木の一部が残り、往時を物語っている』


ふむふむ---
それでは御神体のある大歳神社へいってみましょう

まずは国道と駅を越えて北上します


行く手は住宅地の急傾斜の坂道です

ふーふーあがっていき
標高はどれくらいでしょうか


説明板によると
『神武東征の際、神武天皇が井口に立ち寄られた際、船を繋いだと伝える場所を社地として、万寿元年(1024年)創建と伝わる』

こんな高い場所ですが、ここももともと海?
あるいは遷座してきたのか---

玉垣には船○さん廻船さんなどの名字が
並んでいます

『大正2年(1913年)に、先ほど行った小己斐島の小己斐明神・胡面の磐神社・龍ノ口の胡神社を合祀』


秋の例大祭には
井口神楽(子ども神楽)と火吹き花火が長く伝承されているとのことです

井口もうちょっと歩きます(続く)


前々々回くらいになるのでしょうか

陶芸家、十五代樂吉左衞門
隠居名 樂直入(じきにゅう)

日経新聞の私の履歴書のバックナンバーを
電子版で読みました

名跡を継ぐ重み---
「茶碗は匕首(あいくち) 時代を突く」

豊かな才能あれども
たいへんな重責と改めて---

京都の樂美術館へは10年ほど前に行きましたが
その時は
初代長次郎の黒茶碗ばかりみて
前衛的とも見える、十五代の作品にはあまり目がいかず---

もう一度行って見なければ

※菊池寛実記念 智美術館
※佐川美術館 樂吉左衛門館




お天気のいい日は
平和大通りをよく歩きます

非常事態宣言が解除されてから
人通りが戻り始め
今日からデパートも
時短ながら全館再開されましたが
まだちょっといく気になれず---

このクローバーのような葉っぱに咲くお花
葉っぱがハート型なのでカタバミ?
小さくて綺麗ですよね(半分しぼんでますが)


こちらはピンク色
こんなに密に咲いているのは珍しい---

というか違うお花でしょうか
イモカタバミ?




江の川は
広島・島根の県境の
安佐山(広島県北広島市)が源です

南東へしばらく流れたかと思うと、毛利元就の根拠地の吉田町で北東へと大きく進路を変え、さらに三次市で三川合流すると北西へと進んで島根県で日本海へ注ぎます

中国山地ができる前の『先行河川』ゆえの
不可思議な流路です

この江の川が吉田町へと達する手前に
本流を堰きとめた八千代湖があります

雨上がりにドライブしてみると
あら---何という花でしょうか


八千代湖は桜の名所で
周囲にはサイクリングコースもあり


穏やかな湖では
カヌー競技もよく行われています

ところで
このあたりの地名は土師(はじ)

土師氏は伴造土師連の品部で
古墳や埴輪や土師器を作る職人集団ですが
この地にもそういう人達がいたのでしょうか


湖の出口は土師ダム

江の川の治水や水力発電だけでなく
分水嶺を越えて
太田川水系へ連絡し
広島市内へ上水道・工業用水を供給しています

下からみると
見上げるようなダムでしょうね
(群馬県四万温泉でも同じようなダムをみました)


田園風景が広がっています
雨上がりのドライブでした



奇しくも

検察庁法改正法案が見送られた今日
かねてより友人から薦められていた
映画『新聞記者』をみました
 
原作は東京新聞記者の望月衣塑子さん
ストレートな質問で
菅官房長官が苦手な新聞記者として知られる存在です
 
さて主人公は
女性新聞記者と
内閣情報調査室に外務省から出向している若い官僚
 
若い官僚は
『元上司』の自殺の原因が
公文書の書き換えや特区承認などの責任を
ひとりで負わされていて
それに自らが所属する
内閣情報調査室が関わっていると気づき慟哭
 
一方、
新聞記者は内部告発のfaxを受け取っていました
「国家戦略特区の新設大学が細菌兵器研究に関わっている」
その真相を追っていましたが、やがて送信者が若い官僚の『元上司』とわかります
 
二人の危機感は一致しました
若い官僚は内部資料をコピーし
新聞記者はスクープを出します
けれど---
 
劇中、時事ネタのキーワードが続出し
元文部省事務次官の前川喜平氏や望月衣塑子さんが背景のテレビ画面を通して登場します
 
内閣情報調査室の仕事は
国内外の情報収集や分析と聞いていますが
劇中ではTwitterで世論誘導したり、情報操作したりとかなりブラック---
 
真実はわかりませんが
政権の都合の良いように
事態が動くようにみえる昨今
 
今回、検察庁法改正法案が見送られ
声をあげれば届くのだという希望も
少し見えました(でもまだ『見送り』だけです)
 
2019年日本アカデミー賞最優秀作品賞など受賞
 

 
 
『唐人相撲』という
和泉流の狂言があります

華やかな唐人衣装の数十人が
能舞台狭しと登場し
組手あり曲芸あり柱によじ登りありと
アクロバティックで大掛かりな狂言です

さて
2017年に野村萬斎芸術監督企画
世田谷パブリックシアター開場20周年記念公演
『唐人相撲』が開催され

それがなんとなんと
5/15からYouTubeで無料公開されています


で---観ました!48分
橋掛りを左右と背後に立体化し
シルエットで
唐の帝や大相撲団を見せる趣向もあり
妙ちくりんなんだけど時々わかる中国語が飛び交い
あっという間の48分でした

こんな贅沢な舞台を観せていただけるとは
ありがたやありがたや---

出演は
野村万作 野村萬斎 石田幸雄 深田博治 高野和憲 月崎晴夫 ほか「万作の会」と『唐人相撲』公募出演者の総勢50人
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「唐人相撲」は15日から、「鏡冠者」は22日から、「髭櫓カケリ入」は29日から公開予定