ちょっと歴史ドライブママさんの投稿。
からスピンオフ記事です。
遺新羅使船や平清盛も乘ったという唐船など。
沿岸を通って、関門海峡まで行ってたらしいという。
高校生の頃の広島~徳島セーリング・クルージング。
まさにその逆で、瀬戸内の広島・岡山沿岸部は、暗礁の危険と潮流のはやい難所続き。
斎灘(いつきなだ)・燧灘(ひうちなだ)の大海原を渡って行きました。
徳島。
次男が転勤で住んでいたので,何度も訪れて滞在した町のひとつです。
初めて徳島へ行ったのは,1974年の事。私はまだ高校生の時でした。
2回目は1975年。
徳島ヨットクラブか主催する阿波踊りヨットレースにセーリングクルーザのクルーとして2回参加させてもらいました。
1974年は24ftの木造艇
1975年は28ftの木造艇
1回目の1974年 往路。
母港(たぶん江波だったと思う)を出航。
音戸の瀬戸をスラック(潮どまり)に通過。
沿岸を離れて斎灘(いつきなだ)を来島海峡へ向けてセーリングする。
本船の往来が激しい来島海峡はさけて、潮流は早いけれど本船の通過がない宮ノ窪瀬戸。
(しまなみサイクリングで陸から能島を見てるけれど、この時、既に、すぐ近くを通っていたんだと、今、気づきました)
燧灘(ひうちなだ)へ出ると大海。
亜硫酸ガス公害で教科書にも載っていた四阪島を右手に見て、高井神島か魚島に入港。
燃料補給とかしたのかな。
その後は、一気に高松港までセーリング&機走です。
高松では、みんな栗林公園観光とかに行ったけれど、まだ高校生だった自分は全く興味がなくて、キャビンで寝ていた記憶。
高松から鳴門海峡までは一気です。
やはり本船が多い鳴門海峡はさけて、小鳴門を通過。
太平洋=紀伊水道にでた途端、波長が長くて波高も高いうねり。
そんなうねりを幾度も乗り越え、乗り越えて、太平洋をセーリング。感動しました。
徳島のハーバーに入港
1回目の1974年の阿波踊りレース
早朝,暗いうちのスタート。しかも台風が近づいていて強めの順風。一番下っ端のクルーで何もできなかったけれど,暗闇の中,間近を行きかう赤・青の航海灯と波しぶきの音。セールを照らすライトや権利主張の掛け声。夜が明けるにしたがって浮かびあがってくる危険な岩礁帯。
とてもエキサイティングだった映像が頭の中にいまだに残っている。
次の日は台風が通過して,レースは中止。阿波踊りレース大会は終了した。
大会終了後,うねりがまだ相当大きい中,ちいさなセンターボーダが出航したらしいと大騒ぎになった事。鳴門か小鳴門を通過中,オールハンズがかかっていたにも関わらず自分は眠っていて座礁する夢を見ていた時,本当に物凄い揺れがきた事=海峡に突っ込むときにうねりが大きく増幅されて,艇はサーフィングしながら,物凄いスピードで海峡をつっきった事は直後に聞いた。まだ高校生だった私をデッキに出さない方が安全だろうという判断とまだ寝かしといてやれ・・・というキャプテン達の優しさだったんだろう。
来島海峡は大型船の往来が激しいので,宮窪の瀬戸を抜けて帰ろうとしてエンジンが故障して,セーリングで港に入った。狭い海峡向かい風。なんどもタッキングを繰り返して,港に入ったんだった。
艇は修理工場に預けてフェリーとJRで帰りました。
2026年10月04日 投稿
-------------
この記事は,過去の想い出記事から抜粋・加筆して再掲しました。
-------------


