もみじ饅頭がにしき堂の製品と信じているソコのアナタ!
けっしてコメントに「にしき堂以外にモミジ饅頭あるかいね?😲わからんわぁ」って書いてた田舎大好きさんのことではありません(ホントはそうだけど)
という軽口はソコソコにして,今日は腰痛リハビリと写真撮影を兼ねて,宮島もみじ饅頭ウォーキングに行ってきました。
おいしい日本酒をおいておられる宮島のやまむら商店店主さんが,ちょうど以下の記事を書いておられたので参考にさせてもらいました。
いろんなハプニング・失敗もありましたが,投稿頻度を上げて,もみじ饅頭の記事をアップしていきます。
もみじ饅頭について。
ウェブ上の情報を簡単にまとめさせてもらいました。(敬称略)
一部,私の私見も含まれますが,さらっと読んでください。
元祖もみじ饅頭は,1906(明治39)年に高津常助が生み出した「紅葉形焼饅頭」と言って良いようです。
その後,高津常助は職人気質で技を身内にも明かさなかった半面,もみじ饅頭を独占しようとはせず,宮島島内いくつかのお店が手焼きでもみじ饅頭を焼いて販売しはじめました。
1920年代後半頃(大正末期)から,第2次世界大戦前の1940年前半(昭和初期)には,近年のもみじ饅頭屋のほとんどが出そろいました。
1950年代 宮島への観光客数が増加。製造機械の進歩によって大量生産も可能になりました。
徐々にもみじ饅頭の知名度も全国的になって行きました。
広島市の中心部,紙屋町のバスセンターに店舗を構えていたにしき堂が,県外客のつぶあん嗜好や他県の菓子を参考にして中身がこし餡でないもみじ饅頭を販売開始。関東・関西のお客にも好まれるようになっていきます。
ちなみに1960年代,もみじ饅頭の中身はこし餡がほとんどで,子供だった私はこし餡でないもみじ饅頭はニセモノだ!と思ってたくらいですwww。
実際は,最初の紅葉形焼饅頭はつぶあん。そして,元祖つぶあんを名乗る岩村もみじ屋も昭和初期につぶあんのもみじ饅頭の販売を開始されています。
そして1980年代の漫才ブーム。広島出身のB&B島田洋七の「もみじまんじゅう~」というギャグで,もみじ饅頭そのものも爆発的ヒット。
その後,宮島島内のお店中心に,伝統を守りつつあらたな商品の開発も進み,今ではバリエーション豊富なもみじ饅頭を食べられるようになりました。
に続きます。