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らくやの楽屋のブログ

「らくや」の活動をお知らせしたり、「らくや」メンバーがそれぞれの活動をつづります。




らくやの「楽屋」4回目
2012年12月7日(金)〜12月10日(月)
@京王井の頭線・東松原 Broader House

皆が、同じ戯曲を何度も読み込んでいるのにも関わらず、

そこから受ける様々なイメージは、それこそひとりひとり・・・喰い違っています。

舞台上にひとつの世界観を立ち上げるには、

各々のイメージの違いを明確にさせて、

皆が納得いくまで、イメージをすり合わせていく作業が必要になります。

この作業・・・果てしなく細部にまで及ぶので、手強いです。

稽古場だけでは追いつかず、たとえば酒場などに場所を移して、

そういった作業工程をこなしておられる芝居関係者も多いとお察しいたします。


最も誤差が無く伝わる言語は、数学だと、聞いたことがあります。

文化的、言語的な認識差の影響を受けない、数字による情報の伝達!


デジタルってすごい!


しかし、数字で書かれた台本をコンピューターに演じてもらう・・・ことって、

それはそれで、また別な苦労がたくさんあるんだろうな・・・。


・・・アナログって愛しい!






身を投げ出す・・その感覚が、俳優のがんばりどころというか、

気持ち良さにつながる、仕事の醍醐味のひとつのような気がいたします。


覚えた台詞をすべて無視して、

役の当事者性にのみ集中して舞台に立つこと。

客席の大海原に、海水浴で遊ぶ子どものように、

無我夢中で身をゆだねること。

台本に書かれ、ふりかかってくる過酷な運命や試練を、

自分の力で変えてやる!と、

舞台上で大の字に立ちふさがること。


昨日のこと、明日のこと・・・そんなこと考える余裕もなく、

ひたすら舞台上の今に、役としてふんばること。


身を投げ出して、ふんばること・・・。


胆の底から笑った気持ちよさ・・・と、どこか近い感覚がありますね。





昨夜、 『バブルへGO!』  という2007年制作の映画をテレビの深夜放送で観ました。


21世紀(2007年)から、1990年←だったっか?にタイムトラベルした30前後の女性が

奮闘努力して活躍する・・・というお話。

主人公の女性(広末涼子さん)は、バブル時代の生理(能天気さ?)を知らないので、

タイムスリップしたバブル東京で、文化的に浮きます。

それはきっと、演出の狙い通りです。


しかし、21世紀と1990年の両方の時代に登場する二人の男性、

阿部寛さんと劇団ひとりさんの役に、あたしは感じるものがあったのでした。

阿部寛さんは、バブル時代、既に俳優として活躍しておられました。

だから、バブルの時代の役柄を実感持って演じておられます。

しかし、劇団ひとりさんは、年齢的にバブルの時代に社会人ではなかった・・・ので、

なんというか、バブル時代に若者だったあたしには、

バブル時代とは微妙に違った青年像に見えた。

バブル時代の実感を、いまひとつ感じられなかった。


現代のシーンでは、すごくリアルな芝居をされていたのに・・・と、

この名優にして、時代の空気を意識し、表現することの難しさを感じたのです。


俳優が、意識して準備すべきことはたくさんありますが、

その時代、環境に生きていた人たちに少しでも納得の上でご覧いただけるものを準備する覚悟は、

できるできないは別として、大事なことだと個人的に思います。

(ひとりさんの覚悟と努力は充分伝わっておりました!)


・・・生意気言ってすみません!


byまんた