楽に生きる。楽生きマスター’むらけん’の「楽生きズム」 -17ページ目
こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
評価は他人がするもの
自分で自分のことを評価している。
その評価を
セルフイメージ
と呼びます。
自分の思い込みが生み出す苦しみは
セルフイメージと現実との乖離。
自分が自分に過剰に期待している、
を通り越して、
「わたしは~~である」
と思い込んでいることにこそ
原因があるのです。
自分に「評価」という色付けは
しないほうがいい。
評価は他人の専売特権です。
自分に評価を下して、
それがありのままの状態から
ズレている分だけ
苦しみがうまれるだけです。
自分はただ、ありのままを
認めるだけでいいのです。
ここんとこをわかっていない人が多い。
だから、自分で自分を
苦しめている人が多いのです。
評価というのは
他人が勝手にするものであって
それによって自分自身の価値が
変わることはありません。
だから、本来気にすることはないのです。
ありのままの自分を認める
ただ、人の間で生きている人にとっては
社会性、という意味においては
気にする必要もあるかもしれません。
今の自分から何かしらの
アクションを起こして変わろうとするなら
自分の現在地、すなわち
ありのままの自分というものを
確認する必要があります。
なぜなら、正しい位置がわからないと、
向かいたいところへのルートや、
距離も明らかにならないからです。
そのためには自己受容が
必要となってきます。
自己受容のやり方
自分をありのままを認める
自己受容
がわからない方には、わたしは
まなゆい
という方法をおすすめしています。
なぜなら、最もシンプルで、
わかりやすくて、続けやすいから。
「~~という自分を
受け入れ、
認め、
許し、
愛しています」
と、ただ言うだけです。
~~には自分のおかれている
状態を入れてください。
やり方が合わなければ、
違う方法を試せばいいのです。
ググればいくらでも情報はもらえます。
他者に依存しない
でも、こんな方は要注意です。
必死こいてスピリチュアルに傾倒し、
セミナーに行き倒して、
ワークやメソッドをやりまくって、
いろんな本を読んで、
とっかえひっかえ味見だけしたけど
なにも現実が変わらない人。
こういう人は、
マインドを根こそぎ変えないと、
永遠に堂々巡りです。
必死は不足の波動です。
不足からは、不足しか生まれません。
まずは「必死」を手離すこと。
誰かに自分を変えてもらおうとする
依存心こそが、
自分が変わらない理由です。
そんな方はこの機会に
スピリチュアルジプシーから
卒業してください。
人間も、あんまり好き好き言われると
うっとうしくなりますよねw。
余談ですが、今思うと
高橋真梨子さんの「for you…」
って曲、ヤバくないですか?
「あなたが欲しい、あなたが欲しい、
愛がすべてが、欲しい」
依存心の塊にもほどがありますねw。
(高橋真梨子さんゴメンナサイ)
この歌の主人公は確実に
自分の人生でなく他人(好きな男性)
の人生を生きています。
自分の人生を生きないことには、
本当の幸せには気づけません。
自分をありのまま認めることで
自然と愛はあふれてきます。
すると、自分の外側に
愛を求めることは
少なくなっていくものです。
なぜなら、自分自身が
すでに満たされているからです。
弱い自分も愛おしい
カッコ悪い自分、
情けない自分、
大人げない自分…
どんな自分も丸ごとひっくるめて
受け入れてしまうのです。
自分に対して
「評価」自体をしない。
すべてが愛おしい自分の
一部なのです。
自己受容ができていない方は
ぜひチャレンジしてみてください。
きっと、今以上に
楽に生きられる現実が
やってくるはずだから
ここまでお読みいただきありがとうございます。
わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
幸せにすることが
わたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
よければフォロー、リブログ
お願いしますー
こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
無駄な足し算
すべての物事の本質とは
シンプルなものです。
なのに、わたしたちはあえて
難しく考えて、
無駄な足し算ばかりしていませんか?
わたしの属する組織では
11月くらいから次年度の予算を
作成していくのですが、
毎年、その予算のフォームが
アップデートされたものを使用します。
頭のいい作成者はよかれと思って、
より詳しく作成できるような形に
毎年アップデートしているのですが、
その機能自体が複雑すぎて使いにくい、
使う人のレベルが追い付かずに
そこまで意識が及ばない、
など、アウトプットとしては
グレードダウンしていることが
散見されるのです。
複雑になると、本質から遠ざかる
頭のいい人ほど思考することに
酔ってしまいがちです。
思考を複雑にすると、
無駄な足し算が増えて、
プロセスが複雑になります。
これでは、結局
何をしたいのか?
という目標、ゴールから遠ざかります。
本当の意味で頭のいい人は
引き算ができる人です。
細かい計算をして、
時間をかけて、詳しく情報を集めて、
エビデンスを作ったとしても、
所詮、過去なんて、過去です。
未来には1ミリたりとも
関係はないのです。
エビデンスとは、
現在の自分を納得させる、
肯定するためだけの
安心材料なのです。
足し算にこだわれば、精度が高くなり、
それに伴いアウトプットも
大きくなる、という思い込み。
どうせこだわるのなら、同時に
引き算にこだわればいいのに。
どんなに計算をしたとしても、
この世は、
なるようになっているものです。
それを、人間様がコントロールしている、
なんて思っている。
人間の中で相対的に
頭が良かったとしても、
所詮波動の低い生命体です。
宇宙の「流れ」には抗えません。
なんで、そんなに複雑になるの?
もっと近道あるよ、って。
これは、お仕事だけでなく
人生全般にも言えることです。
シンプルにして汎用性を高める
複雑にすると、その機能に
リーチできる人は少なくなります。
頭のいい一部分の人しか使えないものと
誰でも使えるものなら
後者のほうが社会貢献度は、高い。
スペックの高いものが
正義ではないのです。
例えばスマホの機能のアップデートは
目を見張るものがありますが、
多くの人はその機能を
使えていないのが現実です。
でもそれも、価格に転嫁されています。
シンプルにして、
本質に特化する方が
社会貢献できるのです。
自己満足は、趣味の範囲に
とどめておいたらいいのです。
働き方改革よりこころの改革
変化しないと、
アップデートしないといけない、
なんて思い込んでいる。
それは、そうかもしれない。
だけど、
足し算がアップデートなんて
誰が言った?
誰が足し算こそがアップデートだと
刷り込んだ?
本当は、必要なところに特化し、
その他は大胆にそぎ落とす、
引き算こそがアップデートなのです。
より、シンプルにして、
使いやすくするのです。
日本人は、手の抜き方を知らない、
という国民性にも通じてくるものです。
だから労働生産性で
先進国の多くに劣っている、
という現実があるのです。
働き方改革、と言われていますが、
わたしたちはそれ以前に、
こころの改革
が必要なのです。
抽象度をあげて、幸せの本質を考える
難しく考えることで
ミクロの世界に入っていきます。
「神は細部に宿る」
という言葉もあるので、
一定、こだわることも大事でしょう。
特に発展途上の段階においては。
でも、それと精度は比例しません。
現状から深掘りして
アップデートを試みるのなら、
それに加え、全体の抽象度をあげて、
「これはなんのためにするのか」
「受け取り手のどういう状態を
目指すのか」
「より多くの人が幸せになるのか」
という視点を併せ持つことが
必要なのです。
孤高の芸術家なら
自分の思いのたけを
やりたいように作品に昇華すればいい。
そして、好きな人だけに
賛同してもらえばいい。
それがWIN-WINの世界。
だけど、多くの人の仕事は
オファーがあって、受け取り手がいます。
誰かが喜んでくれることで、
その関係は成立します。
この世は受け入れられて、なんぼの世界
それが、他者貢献なのです。
お互いがお互いを補い合い、
成立する世界なのです。
なのでなるべく、人に喜んでもらうことで
自分の幸福度も上がっていくのです。
難しいことは美徳ではない
そういう意味で
難しくすることは美徳ではない。
やさしくすることが美徳なのです。
わたしにとって
こころの世界もそうありたいと考えます。
わかりやすく説明して、
理解する人が増えて、
楽に生きる人が増える。
それがわたしの願いです
ここまでお読みいただきありがとうございます。
わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
幸せにすることが
わたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
よければフォロー、リブログ
お願いしますー
こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
皆さん、毎日
無理していませんか?
面倒くさいことを楽しんでやるなら
大いに結構。
ですが、苦痛があるなら
それは、違うのです。
本当の自分からズレているのです。
○「そういうもんだ」
無理をしている現実を
自分に納得させるために使うのが
「そういうもんだ」
「仕方ない」
という言い訳です。
どうにかして
「今」を肯定したいのです。
それは変わることが怖かったから。
変わることが面倒くさかったから。
わたしの前職はブラック企業でした。
約15年間働きましたが、最終的に
過労と自律神経失調症で
強制終了となりました。
こころの奥底では
このまま続けていくのは難しい
なんて思っていたのに15年間も続けたのは
・どうせ他に行ってもできることなんてない
・せっかく乗り始めた船だから
転職するとまた1からのキャリア形成になる
・今もしんどいけど、
転職すると、もっとしんどくなるかも
・縦はともかく、横の人間関係だけは
悪くないしな
と、言い訳で自分を納得させていたからです。
強制終了の半年前には
これは時間の問題で体が壊れる、
とわかったら、
やっぱり強制終了になったのです。
○並行世界
日本人って、多くは若いときから
無理を強いられて
育ってきているのだと思います。
ひとつでも偏差値の高い学校を受験する、
なんてのはその最たるものです。
人生なんて自分に合うところに
自然に行きつくようになっています。
なのに、相対的に上の方がいい、
なんて思い込んでいる。
ラッキーで自分の学力より上の学校に
入学して落ちこぼれる人もいます。
自分にふさわしい学校を選んで
幸せに過ごす人もいます。
無理をしている現実があるならば、
並行世界で無理をしていない現実も
同時に存在しているものです。
要は、どちらを選ぶか、ということです。
そして、どちらを選んでも、
なるようにしかならないのです。
○両極を知る
我慢を強いているなら、もうやめましょう。
もちろん、若い人で
ガマンのガの字も知らない人もいます。
そんな人は、少し経験してもいい。
自分の最大値を知ることも重要です。
何事も両極を知ることで、
その価値がわかるものです。
それが、この3次元の相対性の世界です。
ただ、人生も半分くらい生きてきたら、
もう無理はしなくていいのです。
それまで経験してきたことから、
不要なものをそぎ落として、
毎日、心地よく過ごすことが、
幸せそのものだと気づくからです。
○組織への警鐘
今の組織に入り約5年たちます。
実は入った直後に、経営の構造として
今後は難しくなっていくだろうと
思っていましたが、
今、それが顕在化しています。
利益の出にくい構造から、
無理をして利益を出そうとすると
いろんなところに軋轢が生まれます。
この2年くらいは大丈夫ですが、
数年先はドラスティックに変化していかないと
立ち行かなくなります。
でも、経営陣は、変えようとしない。
変わろうとしない。
無策だから、
現状にしがみつくしかないのです。
そして、それを知りつつ
わたしはそこに属していますw。
とはいえ、しがみついているわけでは
ありません。
もちろん、このような話を直接
経営陣にしたりもしますが、
自分がその立場でやりたいとは
微塵も思いません。
わたしはこころの世界を探求することが
最もやりたいことなのです。
生業とは自分にとって、
いろいろな経験をさせてもらう場所なので
これはこれで、楽しんでいるのです。
○泥船から降りる
無理が常態化すると泥船になります。
泥船からは沈んでいく前に、
軽やかに次のステージに
飛び移っていきたいものです。
心地が悪い、ことがあれば、
心地がいい、ことも同時にあります。
心地よさを求めて、変化していく。
自分のこころに従えば、
行きつくところに行きます。
それが楽に生きることにつながるのです
ここまでお読みいただきありがとうございます。
わたしは
楽に生きる
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組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
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ストーリー」
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○ひまつぶしのセンサー
わたしたちは日本に住んでいると
ありとあらゆる情報があふれていて、
望もうと、望まないと
その渦の中で生活しています。
本来垂れ流されてくる情報を
取捨選択する権利があるのに
無防備にすべてを受け入れている人が
多いものです。
その筆頭がTVだとわたしは考えます。
もちろん、災害時となれば
必要な情報を得られる手段でもあります。
しかしながら、普段TVをつけていて
どうしても必要な情報ばかりが
得られるとは思わないのです。
なんとなく、気になる。
なんとなく、楽しい。
そう、こころから思って行動することは
本当の自分につながる素晴らしいことですが
それが、無条件に与えられたものであるならば
自分の気持ちではないことがほとんどです。
ただ単にひまつぶしのセンサーが
反応しているだけなのです。
わたしの家にはTVがありますが、
わたしはほとんど見ることがありません。
見たくないのでリビングにもいません。
誰かが不倫した、トラブルになった、
事件があった、政治家が不祥事を起こした…
こんな情報は自分に1ミリも関係ありません。
なのに、それに対して、しなくてもいいのに、
そんな情報が入ってくると、意識してないのに
わざわざ同調したり、論評したりする。
自動的にジャッジをしてしまうものです。
例えばフジテレビの会見を見て
あーだこーだいうネットの書き込み。
自分に全く関係ないのに。
みんなひまか?とw。
特にニュースから出る情報は
ほとんどがネガティブ。
見ていてあまりいい気にはなりません。
不用な情報は雑音でしかないのです。
わたしたちはこの3次元世界に
生まれ落ちた瞬間に
4ぬまでの時限爆弾のスイッチが入ります。
この有限の世界で何を大切にするかは
その人次第なのですが、個人的には
もっと自分の時間を大切にしたらいいのに、
って心底思うのです。
○必要な情報を「取りに行く」
と、いうわたしもかつてはテレビっ子でした。
学校から帰るととりあえずTVをつける。
そこに意味なんてありませんでした。
もちろん、何となくエンタメを見て
リラックスするのもいいと思います。
ただ、そのエンタメが、
本当に自分の見たいものか、ということです。
どうせ同じ時間を使うのなら、
本当の自分が最も喜ぶような
時間の使い方をしたいものです。
本当に興味のある、必要な情報は
自分で取りに行くものです。
そして、その情報と交わる時間を
自分でコントロールするということです。
自分が情報を選ぶ、という意識をもって
なんとなくのメディア、SNSとのつながりという
ループから抜け出すだけでも
まったく違う世界が広がります。
サブリミナル的な
ネガティブ情報が少なくなれば、
潜在意識的にポジティブになっていきます。
そうなると、幸せに気づく可能性も
圧倒的に上がっていくのです。
大切なのは、基本的に
自分に関係ない情報に関しては
受け入れない、スルーしてしまって
必要な情報で自分を満たしてあげることです。
○祈りの力
ただ、災害、戦争、環境問題、疫病など
自分には直接的には関係ないことだけど
マクロな視点で見ると関係あるようなことは
その情報をただスルーするのではなく
祈る
ということをしたいものです。
お悔やみをする。
調和のとれた世界の実現。
安心できる世界への祈り。
起こる現実には意味がありません。
だから、ネガティブな感傷に浸らずに
ただ、祈るのです。
祈りは誰も傷つけません。
祈りは集合的無意識を通して
世界へ響き渡るものです。
祈ったとしても、一見、
何も現実は動かないように見える。
でも、見えないところで
作用はしているものです。
それが、祈りです。
古来わたしたちはテレパシーで
意思疎通ができていましたが、
その機能が低下し、
現代では使えなくなった人がほとんどです。
でも、祈ることは、通じます。
積み重なると、大きな力になります。
それが、現代人の持てる
パワーなのだと思うのです。
○意識の向ける方向
あなたはどんな人生を送りたいですか?
自分が意識を向けた方向に
人生は進んでいきます。
なんとなく過ごす日常に
「どこに意識を向けるか」
ということを少し考えて過ごすだけで
人生の豊かさは変わります。
そうやって本当の自分につながることで
楽に生きていくことができるのです
ここまでお読みいただきありがとうございます。
わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
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さらにその周りの人たちを
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こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
皆さんは
他人に対して厳しいでしょうか。
それとも優しいでしょうか。
他人に厳しい人は、
だいたい自分にも厳しい。
他人に優しい人は、
だいたい自分にも優しい。
わたしは
自分にも、他人にも
優しくした方が、幸せ
なのだと気づいて、
自分に優しくするようになりました。
本日はそんなお話です。
○自分を許せない
他人のあらが気になる。
間違いは、正すべき。
原田泰造なみに曲がったことが大嫌いw。
他人に対して厳しくなるのは、
自分を許せていないからです。
では、なんで自分を許せないか?
その原因の多くは、思い込み、です。
わたしたちは生きてきた途中で無意識に
こうあるべき
こうしないといけない
という自分の中の法律、ルールができています。
わたしたちは
自分が自分自身の奴隷でもあり、
マスターでもあるのです。
そんなルールはまやかしです。
そんなのは元々、ないのです。
自分の正義は、思い込み。
他人に対してイライラするのなら、
自分の正義を、疑いましょう。
「この考えが正しいと思ってたけど…」
って疑うことができたら、前進です。
まずは、スタート地点に立つことです。
○自分を許せない理由
わたしたちの思考の多くは
環境により形成が左右されます。
厳しくしつけられたこと。
右に倣えの学校教育。
見方をかえれば
マインドコントロールとも取れます。
良かれ、と思い込んだ大人が
やっている場合もありますが、
統率するにはルールがあると便利、
という大人のエゴがそうさせている
ことが多いものです。
特に、まじめな人ほど、
誰に教わったわけでもないのに
他人に厳しくしてしまいます。
自分の中の「正義」という価値観を
無意識に押し付けてしまうのです。
○変わるかどうか、
決めるのは、自分
わたしも自分が嫌いで
他人も許すことができない人間でした。
今は、許せない人はいません。
過去にいじめられた相手も、
パワハラを受けた相手も、
無理な割り込みをしてくるドライバーも、
もう、どうでもいいのです。
なんで変われたのか?
それは、わたし自身の思考が
自分を苦しめていると気づいたからです。
牢獄に閉じ込めた自分の心を救うのは、
そのカギを持っている自分自身しかいない、
ということに気づいたのです。
そして、そのカギを開けて
外に出るか、出ないかをきめるのも
自分次第なのだとわかったからです。
わかったのなら、やるしかない。
○許す、とは緩めること。
正しいと信じて、握りしめているものを
離してみるのは、怖いものです。
離すのが難しければ、
その手を、緩めてみる。
許す、とは緩めること。
そう考えると、簡単にも思えてきます。
手離しても、自分はなくならない。
高いところから飛び降りるような
勇気が必要に思えるものですが、
ずっと、地に足はついたままです。
安心して、手離せばいい。
変わる、ということは
reborn(再生)するということ。
自分は消えません。
何かをなくして、
何かを手に入れるのです。
捨てないと、入ってきません。
それまでの自分の価値観の一部を
手離してみてください。
とはいっても…
そんな簡単に自分は変われない、
なら、それもいいでしょう。
ジレンマがあってもいいのです。
その変われない自分を、
受け入れ、認め、許し、愛すればいいのです。
口に出して言えばいい。
「~~という自分を、
受け入れ、認め、許し、
愛しています」と。
○ただ、事実しかない
自分と同じように、
相手にも正義があります。
悪いとわかっていながら、
あえてそうしてしまった、
ということも考えられます。
例えば割り込みをするドライバーは、
土地勘がなくレーンの案内表示に
気づくのが遅かった、のかもしれません。
そんなことは、
正直、どうでもいいのです。
ただ、そこにあるのは
「そうなった」
という事実だけなのです。
他人や起こる事象だけでなく
自分自身にも同じことが言えます。
「自分はダメな人間だ」
「自分なんて価値がない」
と思うのは、
思い込みがそうさせているだけ。
そこには、事実しかない。
自分の色眼鏡を通さずに
ありのままを受け入れられたら
楽に生きられるのです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
幸せにすることが
わたしのねがいです。
最後までご覧いただき
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