楽に生きる。楽生きマスター’むらけん’の「楽生きズム」 -13ページ目
こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
幸せのパラメーターを変える
わたしのブログの読者様は
60歳代、50歳代、40歳代の方々が
およそ85%です。
読者様の多くの方が
実感してらっしゃると思うのですが、
歳をとると、食が細くなります。
わたしもそうです。
食べたい、という気持ちがあっても
もういいや、ってなります。
それは自然の摂理なので
仕方のないことなのです。
昔と同じ量が食べられない、
いろいろな種類ものが食べられない
のであれば満足感は落ちます。
その満足感を以前と同じくする、
もしくは増やすとなると、
感じ方を変える必要があるのです。
そのためには
積極的に味わうということをして
感度のセンサーを上げることで
幸福度は増すのです。
空腹を満たすために
量をたくさん食べるのではなく、
食事を「味わう」のです。
美味しいものを少し食べて
満足することや
ありふれた食事を
「おいしいなぁ」
と思って食べることで
満足することです。
このように
こころの在り方で
幸せのパラメーターは
変わるものなのです。
人生を深く味わう
「味わう」ということは
なにも食事にだけに
言えることではありません。
人生そのものに対しても
同じく言えるのです。
人生を深く味わうことで
違った見方ができたりするので
より人生を楽しむことが
できるのです。
情熱の薔薇
みなさんはTHE BLUEHEARTSの
「情熱の薔薇」
という曲をご存じでしょうか。
同年代の読者様なら
ご存じの方も多いでしょう。
ドラマの主題歌にも起用されましたね。
その歌詞がわたしの頭の中で
突然フッと浮かんだのです。
曲ではなく、歌詞が、です。
なんとなくわたしは
インスピレーションを感じて
その歌詞を味わってみたのです。
それがわたしが探求する
精神世界の核心を
表していると感じたので
ご紹介させていただきます。
以下THE BLUEHEARTS「情熱の薔薇」
甲本ヒロト 作詞
より引用させていただきます。
(緑色が歌詞引用部分です)
'永遠なのか本当か
時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない
そんな物あるだろうか'
これは諸行無常、ということを
伝えていることに他なりません。
すべては変わりゆくものである、
ということです。
'見てきた物や聞いたこと
いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう'
この現実は現実のように見えるけれど
実は臨場感のある仮想現実だ、
という考えがスピリチュアル的にあります。
わたしもそうだと考えます。
’答えはきっと奥の方
心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る
心のずっと奥の方’
すべては自分の内側にしか
答えはありません。
それなのに人間は
臨場感のある外側をなんとかしようとして
もがき苦しむのです。
’なるべく小さな幸せと
なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう
そんな気持ちわかるでしょう’
この世は陰と陽のバランスでできています。
それをたくさん集める、
ということはさまざまな経験をする、
すなわちその経験において
今世で魂を磨く、ということです。
’答えはきっと奥の方
心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る
心のずっと奥の方’
上記リフレインのため
論評は割愛します。
’情熱の真っ赤な薔薇を
胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう
心のずっと奥の方’
花瓶とは、自分自身の核です。
自分を満たさないことには
情熱は出てきません。
逆説的に言うと
情熱が出るようになるには
自分を満たす、ということです。
THE BLUEHEARTSは宇宙から応援されていた
わたしはこれを考えている時
ものすごく幸せな気持ちになりました。
と、同時にヒロトさんのすごさが
本当の意味でわかりました。
これをきっかけに
ヒロトさんの書かれる歌詞を
他の曲も味わってみましたが
やはり、同じようなメッセージが
随所にみてとれました。
ヒロトさんの言葉には
普遍的なメッセージが
込められているからこそ
THE BLUEHEARTSが
宇宙の応援を受けて
一世を風靡したのでしょうね。
何事も「味わう」ことで豊かになる
わたしはこのことを通して
豊かな気持ちになれました。
それは自分が潜在意識やスピリチュアル、
哲学的なことに興味があり、
その琴線にふれたからです。
読者様にも共感いただけたら
幸いかと思いますが、
そうでなくてもいいのです。
いま、わたしが伝えたかったのは
自分の感想も然りですが、わたしが
「味わう」
ということを通じて
豊かな気持ちになった
ということなのです。
この「味わう」という行為は
ただの意識レベルでできることです。
なにも必要ない。
特段の技術も必要ない。
なのに、豊かになれるのです。
もちろん、イヤなことも味わえば
それが拡大されます。
それは一見ものすごくマイナスに見えるけど
「経験」というレベルで物事を
見るのであれば、それは
「豊かになっている」
とも言えるのです。
だからこそ、
「人生を味わう」
のです。
それがわたしたちを豊かにするのです。
もっとも簡単な入口は
やはり食事でしょう。
まずは、その量を少なくして
どんな味がするのか、
味わってみてください。
自分で意識を自由に
拡大、縮小することで
この世はいかようにも
感じることができます。
いろんな視点でこの人生を味わい尽くして
自然と豊かになっていくことで
あなたの花瓶に水が注がれ
情熱の薔薇が咲くのかもしれませんね。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
1人でも多くの人にわたしの記事を
読んでもらって幸せになってもらいたい、
そんな気持ちから
「にほんブログ村」に参加しました。
クリックのご協力よろしくお願いいたします。
↓
にほんブログ村

わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
幸せにすることが
わたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
よければフォロー、リブログ
お願いしますー
こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
機嫌をコントロールできないときもある
今日マジでムカついた!
感情をあらわにしてしまうことは
人間誰だってあることです。
もちろん、わたしだって。
この世界は自分の気分が
現実化したものだと言われています。
とするならいつも上機嫌でいることが
幸せな現実を創ることになります。
わたし、よく知ってます。
だからこそわたしは
少々の波なら受け流して
生きていますが、
ネガティブな感情が一気に
反応してしまうようなことが
起こったりもします。
斎藤一人さんも
小林正観さんも
不平不満愚痴泣き言文句
は言わないように、
とおっしゃっていましたが、
そんな教えも一気に吹っ飛ぶような
思いを感じることもあります。
機嫌は自分でコントロールするもの
だとわたしはよく言いますが、
それでもコントロールできない
ときもあるものです。
「楽生きマスターって
どの口言うとんねん!」
とはなりません。
わたしは、わたしに、優しい。
わかっちゃいるけどやめられない
だって人間だもの。
怒りを感じ切る
そんな時は
思いっきり極悪人になって
怒りを感じ切ってみるのです。
ひとりで悪態をつきまくる。
不平不満も、思いっきり言えばいい。
自分の中のリミッターを
外してしまえばいいのです。
あ、他人に言うと迷惑かかるので
自分で処理してくださいね。
他人に言うのは
他人の気分を害することなので
社会の迷惑です。
やめときましょう。
自分が蒔いた悪い種は
必ず自分で刈り取ることに
なるのですから。
で、悪態をつきまくったら、
そんなイライラした自分を
丸ごと認めてあげるのです。
「おお、そうかい。
イライラしていたんだね」って。
自分を受け入れ、認め、許し、愛する。
それで、いいのです。
自分に優しくしてあげてください。
どんな自分もありのままで認める
それでもイライラした自分を
許すことのできない自分がいるなら、
そんな自分を丸ごと
許してみましょう。
さあ、口に出して言ってください。
「~~という自分を
受け入れ、許し、認め、愛しています」
と。
とはいえ自分で受け流せるレベルのものは
受け流したほうがいい。
そうすることで自分の許容範囲が増えていく。
当たり前のレベルが上がっていく。
そうすることで
機嫌が悪くなることは少なくなる。
本来、こうあったほうがいいのです。
でも、それができないのなら
無理に怒りやネガティブを
感じなかったことにする必要は
ありません。
自分から出てきた気持ちも
自分の本心。
それをゆがめてしまうと
自分に嘘をつくことになります。
自分への嘘は必ずバレます。
誰よりも自分には
正直に生きたほうがいい。
自分の嘘からは
逃げられやしませんよ。
自分の嘘は、
いずれ回収することになります。
ありのままを認めると楽に生きられる
悲しみだってそう。
溢れてくる感情は
感じ切ることです。
感じ切った後で
自分を認めること。
この「自分を認める」
ということをしない人が多いから、
自分を受け入れられていない
人が多いのです。
自分を認められないと
ありのままの自分が
わからない。
ありのままの自分がわからないと
自分にとって
何が必要で、何が不必要かも
わからないのです。
等身大の自分をわかったのなら、
自分を偽らなくてすみます。
そうなると飛躍的に
楽に生きられるようになるのです。
あなたには伸びしろしかない
完璧なんて、ありえない。
良いところも、
悪いところも、
すべては自分の一部。
怒りっぽくても
ネガティブでも
いいじゃないか。
まずはそんな自分を認めることから
次のステップが始まるのです。
ありのままの自分がわかれば
あとは伸びしろしかないのですから
ここまでお読みいただきありがとうございます。
1人でも多くの人にわたしの記事を
読んでもらって幸せになってもらいたい、
そんな気持ちから
「にほんブログ村」に参加しました。
クリックのご協力よろしくお願いいたします。
↓
にほんブログ村

わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
幸せにすることが
わたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
よければフォロー、リブログ
お願いしますー
こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
「転ばぬ先の杖」をやめる
「転ばぬ先の杖」って言葉
ご存じでしょうか?
「失敗しないように
前もって準備する」
という意味のことわざです。
まじめな方ほどこの
転ばぬ先の杖を無意識に
発動させて生きづらく
なっていることがあります。
「失敗をしたくない」
「あとで困るのがイヤだ」
「失敗後のリカバリーの時間が
もったいない」
「周りに迷惑をかけたくない」
「準備していると気が楽」
そんな人はそういう
「価値観」なのです。
それが良いとか悪いとかは
ありません。
ただ、自分がそんな価値観によって
今に息苦しさを感じているのであれば
見方と行動を変えたほうが
いいのかもしれません。
何らかの原因があって
人はそれぞれの価値観を形成していきます。
ほぼ、無意識的に。
で、それを、「当たり前だ」と
これまた無意識的に受け入れている。
それが自分にとって
ふさわしくないな、
と感じるのであれば、
そこから抜け出すことも
可能なのです。
そのイヤな思い込みも自分が創っている
ただ、人間は変化を嫌います。
意識的に変容すると決めないことには
なかなか変わることができません。
スケジュールがどんどん埋まっていく。
すでにタスクが飽和状態。
期限も迫っている。
なんて場合には
余白の時間=プライベートを
リソースにして処理をする
そんな対応をするかたも
いらっしゃるでしょう。
わたしはそんな気持ち
よーくわかります。
でも、よくよくひとつひとつの
タスクの中身をじーーーっくり
見てみましょう。
本当は、その期限なのか?
⇒自分が勝手に決めたものではないか?
本当に、それが必要不可欠なのか?
⇒最悪、それがなかったとしても
なんとかなるんじゃないか?
すべてを疑いの目で
見てみるのです。
すると、気づくのです。
大体は、起こりもしない
「面倒な思い込み」が
雪だるま式に重なって、
こころの中に増殖して、
いらぬ不安を感じることで、
自分がしんどくなっている。
というのが事の顛末だったということに。
まさにいらないものを
自分が創り出しているのです。
そして、そんな世界を
自ら選んでいるのです。
自分のありたい像を「決める」
量子物理学の概念では
パラレルワールドが
あると言われています。
そこには時間に追われていない
自分も同時に存在していると
考えられます。
忙しく過ごす今の自分を選んでいるか、
そうでない自分を選んでいるか、
その差なのです。
時間に追われない自分に
シフトしていくには、まず
「時間に追われない」ということを
「決める」
ということです。
「決める」ということは
そこに責任を発生させます。
自分のコンフォートゾーンに
ない概念ならハードルも
高くはなってしまいますが、
それを飛び越える勇気を
「決める」ということなのです。
しょうもないこだわりや執着は「暇つぶし」
体力的に疲労困憊、
その上に重圧がのしかかって
もうヘトヘト。
そんな時は正常な判断が
つきにくいものです。
そんなときは
まずはしっかり体をケアする。
自分の好きなものを食べる。
心地よい時間を過ごす。
こんなことをして自分を
「元」の「気」に戻してください。
元気になるのです。
現実のシフトはそれからです。
やらない、と決めたら
その期間はタスクを
自分の目の前から排除する。
厄介なのは脳内です。
今までの思考回路のルーティンは
気になることをどんどん
生成していって
グルグル回すようになるでしょう。
結局それも
思考の執着
なのです。
考えない人は、全く考えない。
だけどあなたは考える。
ただ、それだけです。
だから、考えない、ということも
難しいことではありません。
そういう世界を選ぶのです。
執着というのは、
こだわる、ということです。
それが楽しいものであれば
結構なのですが、
面倒なものにこだわっているのは
残酷に聞こえるかもしれませんが、
それはただの暇つぶし
です。
時間は万人にとって自由です。
そんな自由に使える時間を
面倒くさいことに使うという
選択をわざわざしている人は
人生の暇つぶし
をしていることに
他ならないですよねw。
過去の自分もそうでした。
そして客観的に自分を観察することで
現在このような考えに至りました。
すべてはうまくいく
壮大な願望実現のためには
タイムラグがある場合が多いです。
ただ、転ばぬ先の杖をやめる、
ってのはそんなに大きな願望では
ありません。
今からだってできるのです。
そのためには、まず
「決める」
ということから。
決めて、それに
「責任を持つ」
ということ。
そして
「なんとかなる」
という気持ちでいること。
宇宙は寛大です。
今までなんとかならなかったことって、
ありましたか?
そりゃあ、短期的に見ると
なんとかならなかったことも
あるかもしれませんが、
今その問題がない、
というのであれば
起こることはすべて
結果的になんとかなっているのです。
また、今抱えている問題がある方も、
いずれはなんとかなるのです。
だから、安心して
コンフォートゾーンの外に
ダイブしていいのです。
すべてはなんとかなる、
うまくいくように
この世界はできているのです。
決めて、行動するから世界が変わる
「決める」ことをしたら
次は具体的になにが自分を
苦しめているのかを書いて、
物質化
していきましょう。
言葉や思いは物質化することによって
客観的に見ることができます。
思考の中だけで
コントロールできないのなら
書いてみましょう。
脳は思いを物質化することで
自分から出た別のもの
という認識をします。
思考を整理するためには
書き出すことが良い
とされるのはこういうことなのです。
そして、物質化された
言葉をながめて、
本当に必要なのかどうか、
ということを冷静に
判断するのです。
なんなら、すべてやめてもいい。
別に世界は終わりはしません。
それくらいのことです。
やめてみてから、考える。
それくらいのスタンスでも
いいのかもしれませんね。
とにかく、
コンフォートゾーンには
とどまらないことです。
現実化には行動がつきものです。
新しい世界にシフトしたら
その世界を味わえばいい。
そしてその世界が気に入らないなら、
違う世界にシフトすればいい。
簡単に言うと
違う選択を自己責任でやっていく
ということです。
水は澱むと腐ります。
わたしたちも違和感を感じたら
同じところにとどまらずに
変化変容をして、
より自分に合った世界で
生きていくことが
楽に生きることにつながるのです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
1人でも多くの人にわたしの記事を
読んでもらって幸せになってもらいたい、
そんな気持ちから
「にほんブログ村」に参加しました。
クリックのご協力よろしくお願いいたします。
↓
にほんブログ村

わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
幸せにすることが
わたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
よければフォロー、リブログ
お願いしますー
こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
願望が叶う人と叶わない人
皆さん、それぞれ
願望というものをお持ちでしょうか。
ささやかなもの、
壮大なもの、
人それぞれ何かしらは
きっとお持ちでしょう。
それが、叶っている人も、
そうでない人もいるでしょう。
本日はそれが叶う人と
叶わない人の違いが何か、
ということをお伝えします。
願望は、具体的に思い描く。目的は、抽象度を上げた明確なものを。
願望があるから、そこを目指して
自動的にナビゲーションが働きます。
多くの自己啓発関連で
「願望は明確にする」
ということがいわれるのは
このことが所以です。
願望の先には必ず目的があります。
目的は明確なものがいいのですが、
その抽象度をあげたほうがいいのです。
目的の抽象度を上げる、というのは
自分から他者、他者から社会、
社会から世界へと拡大していくこと。
宇宙は1人よりも2人、
2人よりも多数が幸せになることを
喜ぶものです。
自分が宇宙であるという
視点に立ってみると、
自分1人のための願いよりかは、
たくさんの人が幸せになる願いを
叶えたいと思いませんか?
他者を巻き込むエゴの望みは叶わない
わたしは若かりし頃
自分のエゴにまみれた
夢しかありませんでした。
音楽を志すわたしは
ただの自己顕示欲のかたまりでした。
他人を、周りを、社会を
幸せにしようなんて
思いもしませんでした。
だから当然、結果的に
うまくいきませんでした。
そんな人に
宇宙がほほ笑むわけはありません。
今ならはっきりわかります。
他者を巻き込もうとする
エゴの望みは叶いません。
エゴの望みは
自分だけで処理しましょう。
利己から利他へ
昨年6月に始めたこのブログも
今や2600名程度の方に
フォローいただいております。
いつも読んでいただき、
いいねをしていただく皆様には
日々本当に感謝しております。
いつもありがとうございます。
そんなわたしも最初の頃の記事は
利己的で、利他精神が少なかった。
なんか、薄っぺらい。
だから書いた記事も
なかなか読んでもらえませんでした。
勉強をしていくうちに
他者貢献というものが
自分の内側から湧き上がってきたとき、
本当に真摯に
「誰かの幸せを願って
記事を書くんだ」
と思うようになってから、
記事の内容の密度も変わり、
読者様も増えていきました。
ブログは自分のために
書くものではなく、
読んでもらった人に
幸せになってもらいたい、
人生を少し違う角度から見て、
感じ方を変えるきっかけに
なればいい、と
自分という「個人」より階層が上の
「大多数の人々」に抽象度を上げて、
その人たちの幸せを願う、
ということにフォーカスすることで
変わっていったのです。
わたしのサンプルは一例です。
人により願望や目的が違います。
全員が全員他者貢献を
する必要もないと思っています。
ブログも自分の記録用に、
と考えの方もいらっしゃいます。
それは、それでいいのです。
趣味というのは
自己完結をすればいいのです。
「地球のみんな、オラにちょっとずつ元気をわけてくれ」by孫悟空
ただ、願望自体が
大きなものであればあるほど
自分一人の力では
どうにもなりません。
ドラゴンボールZに登場する
主人公、孫悟空が放つ
「元気玉」
という技があります。
これは地球にいる
生きとし生けるものの
「元気」をほんの少しずつ
わけてもらって、
それを光の玉にして、
敵に放つ、というものです。
わたしたちも
大きな願いであればあるほど、
達成には「元気玉」が
必要なのかもしれません。
その「元気」を集める源が
「他者貢献」というマインド
なのだと思うのです。
他者貢献というギブを考えるから
元気が入ってきて、
宇宙に願望実現の背中を
押してもらえるのです。
他者貢献で社会に生かされる
うまくいっている企業だってそう。
たくさんの人が喜ぶから、
大きな利益が出る。
それが結果的に経済を回すことになり、
その企業も繫栄する、ということです。
最終的に自然な形で
他者貢献ができる人、企業などが
この社会で残っていくのです。
利益が出ない、続かない、というのは、
構造的に間違っていることが
多いものです。
継続的に成り立たないものは、
あり方として、間違っているのです。
願えば、あとは日々を一生懸命生きるだけ。
願望は、願ったら結果に執着するな
なんて言われます。
わたしは結果だけでなく
過程にも同じことがいえると考えます。
願望を明確にすれば、
願望達成のルートは考えない。
「こうなって、こうなって、
こうなるから…こうなるだろう」
みたいなことです。
つまるところ
願望は、具体的に思い描き、
目的は、抽象度を上げた
明確なものをかかげて、
あとは、目の前の人生を
一生懸命生きることこそが
大切なのです。
そうしていくことで
望む現実が創られていくのだと
わたしは信じています。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
1人でも多くの人にわたしの記事を
読んでもらって幸せになってもらいたい、
そんな気持ちから
「にほんブログ村」に参加しました。
クリックのご協力よろしくお願いいたします。
↓
にほんブログ村

わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
幸せにすることが
わたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
よければフォロー、リブログ
お願いしますー
こんにちは。
楽生きマスターの’むらけん’です。
このブログでは
「何物でもない人間がなんでもない
毎日を幸せに生きられるようになる
ストーリー」
をつづっていきます。
愛に見返りを期待しない
わたしの娘と母。
いわゆるおばあちゃんと孫
という関係なのですが、
娘が成長するにつれて
おばあちゃんに
なつかなくなってきています。
こどもは、子供扱いされると
イヤになります。
「こうしなさい、ああしなさい」
には、反抗期というものも
あるのでしょうがこころのどこかで
リスペクトがない、
ということを見抜いているのです。
また、必要以上にゴキゲンを
とろうとするのも
イヤだと感じるのでしょう。
そして娘はまだ語彙力が十分ではなく
浅い思慮で発した言葉が
おばあちゃんを傷つけてしまって
いたりします。
それがおばあちゃんにとっては
悲しいものなのです。
娘がもっと小さい頃は
おばあちゃんにたまに面倒を
みてもらって、
お互いが楽しく過ごすことも
あったのですが
娘の自我の発達とともに
関係がこじれてきました。
娘が一方的におばあちゃんを
嫌っているという構図なのですが、
娘だけが悪者、
というわけでもありません。
一定、娘には
共感できるところもあります。
おばあちゃんも、
実の息子のわたしからしても
少々面倒くさいところがあります。
特に歳をとると、くどくなったり
するのは仕方のないことです。
本人はやさしさからなのでしょうが
よかれと思って言うことが
うっとうしかったりするのです。
わたしは今でこそ、そういう人だ、
とありのままを理解したり、
いろいろしてもらってきたことに
感謝を感じているため、
そのような観点で
接することができるのですが
40歳を過ぎるまでは
なかなかそうは思えませんでした。
それを小学校低学年の娘に
理解させるのもナンセンスな話です。
おばあちゃんにとっては
「これだけしてあげてるのに」
「この子のことを思って言ってるのに」
という気持ちがあるのでしょう。
だから無反応であったり、
居心地よくされなかったりすると
悲しくなってしまうのです。
「何かをする」というのは
1人称の勝手。
それに対して「どう思う」かというのは
2人称の勝手。
別々の「勝手」を
ごちゃまぜにするから
面倒くさくなるのです。
おばあちゃんには
おばあちゃんの課題、
娘には娘の課題があります。
わたしは事あるごとに
このように考えますが、
説教くさくなるのもいやなので、
普段の会話の中にエッセンスを
入れるようにしています。
そうすることで
わたしを取り巻く世界が
じわじわと変わっていけばいいなぁ
と考えています。
与えるだけの愛にシフトする
本来愛というのは
与えるだけのものです。
求めるものではないのです。
求めるから、つらくなる。
別に愛されても、愛されなくても
どちらでもいい。
ただ、愛することなのです。
これを宇宙の愛と
呼ぶことにしましょう。
わたしたちが一般的に
愛と呼んでいるものは
宇宙の愛とは少し違います。
「なんかちょうだい」
ってのを無意識に要求している。
何かしらの見返りを
期待しているがゆえに
見返りがないとがっかりする。
わたしはもう、そんなのは
疲れてしまったので
与えるだけの愛にシフトしました。
すべてにおいて、
いちいち反応することに
疲れたのです。
ニコニコして「ありがとう」って
言ってるのに、目も合わせず
ブスッとして去っていく。
でも、いいじゃないか。
客から「ありがとう」と言われている
レジの店員さんが
「ありがとうございます」
を言わない。
でも、いいじゃないか。
いちいちそんなので
自分の気分が悪くなって、
望まない現実が創られるのは
まっぴらごめんなのです。
感情のコントロール
究極的には愛は与えるだけのものです。
宇宙は何も見返りを期待してきません。
この地球があること、生命があること、
この世界でさまざまな体験ができること、
すべては宇宙からの愛です。
そして、それらはすべて
当たり前のように存在しているのです。
愛を、欲望として昇華するのであれば、
結果は手離すこと。
イコール
見返りを期待しないことなのです。
見返りを期待することが
自分を苦しめるのなら
そんなのははじめからなければいい。
ただ、起こることに意味づけをする。
それが感情というものです。
意味づけを定義することで
感情が成り立つのであれば、
感情はコントロールできる
ということです。
もちろん反射的に起こる嫌悪感も
時には感じるでしょう。
それは隠す必要なんてありません。
自分についた嘘は、必ずバレます。
そんな時はイヤな気分になった自分を
「イヤだと感じてしまったんだね」
と、ありのままを
認めてあげればいいのです。
自分という存在は
そのままで完全なのです。
いいところも、悪いところも
どちらも存在しているので
完全なのです。
だから、そのままを認めてあげる。
その状況が気に入らないなら、
この先どうするか、という考えに
シフトすればいい。
今起こった現実を
変えることなんて
できやしないのです。
器の小さい自分が
気に入らなかったとしても、
それが等身大の自分自身。
今日のところは、
認めてあげましょう。
現状をありのまま認めることから
次の現実創造ができるのです。
今は、今、それが続くわけではない。
だから気に入らない自分自身に
抗うことなく今を認めるのです。
現実と感情の分離
皆さんは、
今日どんなことが起こりましたか?
その時の感情を思い出してください。
イヤな気分があったなら、
それが成長の種です。
そんな気分になった自分を
愛してあげてください。
それを繰り返していくことで
現実と感情の分離ができるようになり
楽に生きられるようになるのです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
1人でも多くの人にわたしの記事を
読んでもらって幸せになってもらいたい、
そんな気持ちから
「にほんブログ村」に参加しました。
クリックのご協力よろしくお願いいたします。
↓
にほんブログ村
わたしは
楽に生きる
ということをテーマに生きて、発信をしています。
めちゃくちゃ心の学問に関して
特別にこのフィールドで
アカデミックに研究してきました!
というのではなく、
いろんなことを
「楽に生きる」というテーマで昇華できるよう
組み合わせて紹介しています。
自己受容、量子力学、心理学、開運方法、
神恩感謝、先祖供養、ものの見方、その他
をわたしの経験と合わせてお伝えし、
楽しく幸せに生きる人を1人でも増やすこと
がわたしの幸せです。
こころの世界はつまるところ
本当の自分を知る
ということです。
このブログを通して、
わたしにそのお手伝いをさせてください。
皆様の毎日が幸せにつつまれ、
さらにその周りの人たちを
幸せにすることが
わたしのねがいです。
最後までご覧いただき
本当にどうもありがとうございました。
よければフォロー、リブログ
お願いしますー

