鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

村の宿屋の番頭、大阪から来た客に「手水を廻してくれ」と言われたが何のことか分からず、主人も板前も分からないと言う。村で一番の物識りで通っている住職に訊くと、「“ちょうず”とは“長頭”のことじゃ」と言うので、隣村の頭の長いことで有名な男を呼び出して客の前で頭をぐるぐる回させる。客は何のことやら分からず、「早う廻して」と催促するばかりなので、男はこれでもかと精一杯速く頭を回す。ついに男は目を回してぶっ倒れ、客は馬鹿にされたと怒って帰って行った。これでは宿屋業が務まらないと、主人と板前が大阪の宿屋を見学に行くことになった。

 

一泊した翌朝、主人が期待を込めて「手水を廻しておくれ」と頼む。間もなく女中が、お湯を一杯張った金盥(かなだらい)

に塩と草楊枝を添えて持ってきた。つまり“手水”とは洗顔セットとも言うべきもので、草楊枝で歯の汚れを取り、塩を指に付けて歯茎に擦り込む。その後、金盥の水で口を漱ぎ、顔を洗うというもので、これを“手水を使う”と言った。

 

物の正体は分かったがどうするものかは分からない。主人は朝食の一部と思い、盥に塩を入れて草楊枝でかき混ぜて飲み始めた。お腹がだぶだぶになるのを我慢してなんとか半分ほどを飲み、残りを板前に渡す。板前も同様に飲み、主人が「どうだ、うちでも作れるか?」と訊く。「はい、大丈夫です。これならわざわざ大阪まで勉強に来ることはなかったです」と言いながら番頭はやっと飲み干した。そこへ宿の女中が金盥セットをもう一つ持って来て「お待たせしました、お連れさんの分です。ここへ置いておきます」と言う。“えッ! さっきのは私だけの分だったのか”と内心で驚く主人が知った風に言った、「女中さん、これはお昼に戴きます」。

「手水廻し(ちょうずわまし)」という滑稽噺である。“聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥”という格言があるが、この噺はその教訓的なものと言えようか。

それにしても住職が“ちょうず”から聞き慣れない“長頭”を連想したのには驚かされる。広辞苑で“ちょうず”を調べても“長頭”は載っていない。また、宿屋を営む主従が、いかに田舎者といえども“手水”を知らないのは不自然である。ちょっと作者が技巧に走り過ぎた感がある駄作である。

 

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酒屋と饅頭屋が向かい合って商売をしている。酒屋の息子・新吉と饅頭屋の娘・お仲は恋仲である。ところが、酒屋と饅頭屋の主人同士は犬猿の仲にある。その理由は、新吉が3歳の時に饅頭屋が掲げている虎の絵の看板を見て泣き止まず、饅頭屋にちょっとの間、看板を下ろしてくれと頼んだが断られ、両家は喧嘩状態となったからである。酒屋は清正公(せいしょうこう 加藤清正)さまに祈願して泣き止ましたという経緯があり、以来、酒屋は清正公さまを信仰している。

 そんなわけで、若い二人の仲が認められるはずはなく、心中しようと高輪の海に飛び込んだ。そこへ清正公さまが現れて新吉を助ける。新吉が「お仲さんも助けて上げて下さい」と頼むと「それはできぬ」と清正公は言う。「不義ゆえですか?」「いや、俺の仇の饅頭屋の娘だからだ」。

「清正公酒屋(せいしょうこうざかや)」という滑稽噺である。秀吉の家来で後に家康に仕え、虎退治で有名な加藤清正は人気者で、熊本を中心に“清正公さま”として神さまに祭り上げられている。彼は毒饅頭を食べて死んだという言い伝えがあり、この噺はそれに題材を採ったものである。

 マイナーな噺で、四代目柳家つばめが得意にしたようである。

 

(#273将棋パズルの解答例)

 

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酒の勢いで無一文なのに吉原遊廓へ上がり、大散財した男がいた。翌朝、店の若い衆に勘定を請求され、「実は無一文だ。知り合いのおじさんに金を拵えて(こしらえて)もらうから付いてきてくれ」と言って廓を出る。朝湯に入り、迎え酒を一杯やって、勘定は付き馬の若い衆に立て替えさせる。

 

付き馬を通りの角に待たせておいて男は道の向う側の早桶屋へ入る。まったく見ず知らずの家だが「おじさん!」と付き馬に聞こえるように大きな声で気安く呼び掛ける。怪訝そうにしている早桶屋に、「あの通りの角に待たせている男の兄貴が夕べ腫れの病で急死しました。肥っていた上に腫れの病で死んだので普通の棺桶には入れられません。ずば抜けて大きい棺桶を急いで作ってほしいんですが、拵えてくれますね」と最後の部分だけ大声で言う。早桶屋が頷くのを付き馬にも見させておいて付き馬の傍へ行き、「おじさんが拵えてくれると言っていますから“出来たよ”と言うまで黙って待っていて下さい。私はちょっと行く所があるので先に失礼します」と言って無一文男は走り去って行った。

 

棺桶を勘定と勘違いした付き馬が早桶屋へ行く。「大丈夫ですか?」「大丈夫です、引き受けました。拵えてあげますから安心して下さい」「では待たせてもらいます」。中で小僧が仕事に掛り、特注の棺桶が出来上がる間、早桶屋は死人の昨夜の様子を訊き、付き馬は無一文男の昨夜の様子と思って答えるというチグハグな会話が玄関先で行われ、笑いを誘う。

小僧が中から“出来上がりました”と言う。「おお、そうか。お待たせしたね、出来ました。どうやって持ち帰られます?」「はい、懐に入れて」「!? 棺桶ですよ」「そんな物、注文した覚えはないよ」「先程のお連れさんが注文していかれましたよ。あなたのお兄さんが亡くなられたのでしょう?」「兄なんかいませんよ」。“拵える”対象物が違っていたことに付き馬はやっと気がついた。「騙されたのです」と付き馬は自分の出費の大きさを考えてしょげかえる。「それはお気の毒です。特別サイズの物で他には転売できない代物だから材料費だけでも払って下さい。手間賃はおまけします」と早桶屋は言う。「湯銭や迎え酒代などを立て替えさせられて、懐はすっからかんだよ」と付き馬が答えると「なに?銭がない?小僧、吉原までこいつの馬に行ってこい!」。

付き馬に付き馬が付く「付き馬(つきうま)」という洒落た廓噺である。廓で遊んで金が足らなかったり一文無しであったりした場合は、翌朝、店の若い衆(若者という意味ではなく、雑用係である年寄りの店員)が客に同道して家などへ料金を貰いに行くことがよくあったようで、この若い衆即ち集金人を“付き馬”と呼んだ。

言葉、会話の行き違いで笑いを呼ぶという落語でよく用いられる手法で、こういう噺はテンポの良い三代目三遊亭金馬の一席が安心して聴ける。「早桶屋」という別題もある。早桶屋というのは棺桶を作る職人ではなく、葬儀屋というイメージである。

 

“付き馬”は正式名を妓夫太郎(ぎゆうたろう 通称ギュウ)と言った。元々は吉原行きの客目当てに浅草に拠点を置いていた馬子たちが廓の楼主の依頼を受けて、客を馬に乗せて(つまり馬を付けて)自宅などへ同道して集金を代行したのが始まりであった。ところが馬子が、集金した金をごまかすケースが多発するようになり、店員の若い衆が付き馬になるようになり、馬はいなくなったが名前だけ残ったという説が伝わっている。

付き馬は「突き落し」(上方では「棟梁の遊び」)にも登場するが、ここでも散々な目に遭わされている。余程、廓客に憎まれた存在であったのだろうか?

 

 

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 7年ぶりに上方から江戸へ帰る途中の新次郎が箱根の山中に差し掛かった時、見知らぬ男が「私は閻魔の庁の小役人です。寿命の尽きたあなたを迎えに来ました。同道して下さい。この谷底に地獄があり、閻魔の庁へ通じています」と言う。新次郎は信じられない思いで「えッ!本当ですか? まだ若い私がもう寿命ですか?何かの間違いでは?」「いえ、間違いありません。『新次郎、元雪駄作りの腕の立つ職人、親方の娘・お房といい仲になったが仲間の和吉の巧言令色に騙されて心変わりしたお房に振られて上方へ行く。その際、旦那寺の和尚から10両借りた。それを元手に上方で悪質な商売をして大儲けをした。よって地獄へ呼ぶものなり。閻魔大王』とある」「よくご存じで」「なにしろ“閻魔帳(えんまちょう)”ですから」「…、わかりました。でも私、江戸へ帰りたい訳があるのです。一つは和尚に借金を返したいこと、もう一つは今は和吉の女房になっているお房に金持ちになったところを見せて見返してやりたいのです。その上で地獄へ同道します」「よし、わかった。借金返済は閻魔様も認めています。江戸へ行きましょう」。二人はもう亡者となっているので関所の役人には姿が見えず、難なく江戸へ入ることができた。

 

新次郎は、地獄の小役人は生の牛肉が大好物であると以前、何かで読んだことがあった。それに、小役人は道々、「のんびり暮らせる極楽へ行きたい。それには寺へ多額の志納金を納めなければならないので俺には無理だが」と漏らしていた。新次郎はまだ命が惜しかったので、小役人を買収して生き返ろうと決意した。「お役人様、あなたに生の牛肉をご馳走し、極楽へ行けるよう寺へ志納金を納めて上げますから、私を生き返らせてくれませんか?」「出来ない相談ではないが、数合わせをしなければならないんだ。お前の身代わりにする同い年の男を知らないか?」「和吉が同い年です」「よし、決まった。俺に任せて成り行きを見てろ」と相談がまとまった。

 

和吉の家を新次郎と小役人が覗いている。和吉が作った雪駄の出来が悪いと問屋から文句を言われたとお房が和吉に苦情を言っている。和吉は元々から口先は上手いが腕の悪い職人であった。「もっとしっかりしておくれよ」「後悔してるんだろう?俺と所帯を持ったことを。別れたっていいんだよ」「私ッてあの時魔が差したのね」「今頃、新次郎が恋しくなったのか? いつだって別れてやるよ」と遂には夫婦喧嘩となり、お房は泣き出す。“今頃になってやっと和吉の本性に気付いたか、ざまあ見ろ”と新次郎は内心でほくそ笑んだ。

 

和吉はぷいと家を飛び出し、むしゃくしゃした気持ちで通りを歩いていた時、侍にぶつかった。侍は有無を言わさず「無礼者!」と即座に無礼討ちにし、和吉は即死した。これが小役人の代替のシナリオであった。ところが和吉の死を知ったお房は侍に取りすがり、「あの人が死んだのでは生きていても仕方ありません。私も殺して下さい」と哀願した。人を斬って興奮状態にあった侍はお房も斬り殺した。これには新次郎は驚いた。「お房だけ生き返らせて下さい」「それは私にはできぬ。お房の死はシナリオになく、閻魔様の管轄だ」。新次郎は諦め顔でお房の死顔を見つめた。笑みをたたえた穏やかな満足気な顔であった。お房は和吉を本当に愛していたことを知った新次郎は自分の負けを認め、潔く死を選択し、小役人と地獄へ向かうことにした。シナリオを元に戻したのであった。お房と和吉は生き返った。

 

「さあ、地獄へお供します」「生の牛肉がまだだよ」「閻魔様がお待ちかねだ」「私も御伴しなければなりませんか?」「当たり前だ、旅は道連れだ」。

劇作家・榎本滋民(えのもと しげたみ)作の「旅は道連れ(たびはみちづれ)」という聞くことの少ない人情噺で、恋愛をテーマにした味わい深い文芸作品である。同氏は落語の研究者でもあったようで、著作が数点あるようである。

筋書きは初代金原亭馬の助の高座に依った。彼のために書き下ろした作品かと思う。名前は“新次郎”、“和吉”、“お房”を当てたが原作と違っているかも知れない。

最近はストーカーだとか逆恨みだとか陰湿な事件を引き起こす男性が多い中、この噺の新次郎には潔さはもとより爽やかさも感じさせられる。榎本氏も新次郎に望ましい男性像を見たのではなかろうか。

 

(箱根旧街道 2016

 

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インターネットは調べものをするのに便利なツールとして評価して来たが、このところ矢鱈と広告が多くなり、検索スピードが遅くなってきたと同時に買う方向に誘導されそうな気がして怖くなっている。商品名が変わるだけのワンパターンが多い通販のテレビ広告にも辟易しており、スマモも要らぬ広告が飛び込んで来て煩わしい。今の世の中、広告と引き換えに無料のツールや利便性が提供されている感が強い。これからも拡大して行くのであろう。有料でもいいから広告のないツールを指向したいという思いになっている。

さて、江戸時代に既に宣伝業を興していた武家一家がいたという噺を聴いてみよう。「高田馬場(たかだのばば)」という滑稽噺である。

 浅草・奥山でガマの油売りの大道芸を演じていた一組の若い男女が一人の老武家の刀傷(かたなきず)に目を留めて名前を訊く。老武家は岩渕伝内と名乗った。名前を聞いた二人は「我々は二十年前、我らが母に懸想した貴様に父を討たれた遺児の兄妹である。大道芸で各地を転々としながら貴様を探していた者だ。父の仇、おとなしく討たれよ!」と顔色を変えて抜刀する。たちまち周りに人垣が出来る。老武家は落ち着き払って「討たれてやりたいがやり残したことがある。明日まで待ってくれ。明日正午、高田馬場で仇として討たれよう」と言う。大道芸人二人はこれを信じて日延べを了承し、老武家は去って行った。

 

(隅田公園浅草側・東京 2007年)

 

翌日、高田馬場は仇討を見ようと大勢の人が出て、普段は閑散としている茶店が軒並み大繁盛となっている。だが、正午を過ぎても兄妹の姿はなく、仇討が始まらない。野次馬の一人が、一軒の茶店の片隅で一杯飲んでいる昨日の老武家を見つけ、「仇討はどうなったんです?」と訊くと、「あれは芝居じゃよ。あの二人は拙者の息子とその嫁じゃ。仇討を予告したことによって人が大勢集まり、大儲けとなる茶店から2割のマージンをもらうことを商売にしている仲の良い3人家族じゃよ」。

 

一般題を「仇討屋(あだうちや)」という。浅草の奥山は宣伝するまでもなく人出の多い場所であるから宣伝効果はないと言ってもよい。それに対して高田馬場は田舎で人出も少ない。従って、宣伝効果は大きく、父子3人の場所選定は適切であったと言えよう。ただ、高田馬場は堀部安兵衛の仇討で名高いという意識もあったことは否定できない。

 

 

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