昭和から平成に掛けて活躍し、私の人生に彩を添えてくれた落語家のスターたちについて、何回かに分けて私の感想を記しておくことにする。「私の落語家列伝」というべき一つの見方であるが、何かの参考になれば幸いである(#は拙ブログの番号で、配列は生年順とした)。なお、落語家としての優劣を指すものではないが、
名人(●):芸域が広くて持ちネタが多く、話芸にも優れている
上手(◆):持ちネタは多くはないが話芸の達人
人気者(★):どちらかと言えばキャラクターで人気を得た
という区分で百花繚乱のパーソナリティーを表示した。また、顔写真に代えて花写真を入れた。花図鑑としても楽しんでいただければ幸いである。
落語家は一匹狼では仕事ができない。誰もが師匠を持ち、一門という大きな流れに属している。現在活躍中の落語家を私なりにグループ分けすると、19のグループ(G 一門とは異なる)に分けられるかと思う(かっこ内はその源となっている落語家である)。
<上方>松鶴G(六代目笑福亭松鶴)、染丸G(二代目林家染丸)、露の五郎兵衛G(二代目露の五郎兵衛)、春團治G(三代目桂春團治)、文枝G(五代目桂文枝)、米朝G(三代目桂米朝)
<東京>圓歌G(二代目三遊亭圓歌)、圓生G(六代目三遊亭円生 但し、円楽一門会は独自の活動を行っている)、圓馬G(四代目三遊亭圓馬)、可楽G(八代目三笑亭可楽)、金馬G(三代目三遊亭金馬)、小さんG(五代目柳家小さん)、小文治G(二代目桂小文治)、志ん生G(五代目古今亭志ん生)、助六G(六代目雷門助六)、彦六G(林家彦六)、文楽G(八代目桂文楽)、柳橋G(六代目春風亭柳橋)、落語立川流G(七代目立川談志)
1●三遊亭圓朝(1839-1900 さんゆうてい えんちょう)
(サクラ 上野恩賜公園・東京 2007年)
明治維新を契機として日本の政治、経済、文化や社会体制など色んな分野で西欧化が進展し、同時に科学性も求めて行った。一方で、伝統を守った古典芸能もあった。そんな中で落語は圓朝の出現によって江戸落語から東京落語へと近代化し、現在に伝わったと言われており、彼は近世落語中興の祖と呼ばれている。
彼は二代目三遊亭圓生の弟子で、彼自身は25人という実に多くの弟子を持った。その弟子たちは上述した圓歌G、圓生G、圓馬G、金馬Gへと受け継がれており、やはり今なお大きな影響力を持っていると言えよう。
彼は噺家であると共に落語作家でもあった。音源が残されていないので話芸の実力は評しようもないが、作家という側面が大きく評価されているように思う。「芝浜(#109)」「文七元結(#105)」「死神(#213)」「鰍沢(#130)」という現在に生きている名作や「粟田口」「札所の霊験」「塩原多助一代記」という長編時代劇が彼の創作と伝えられている。そして何より高く評価されているのが「牡丹灯籠」「四谷怪談」「真景累ヶ淵」「怪談乳房榎」という怪談の創作である。怪談や長編時代劇は落語を越えて大衆小説として広い読者を得たようでもある。怪談の創作に際して蒐集した幽霊画50幅が彼の墓所である全生庵(東京・谷中)に保存されているそうだ。
近年、三代目桂米朝が文化勲章を授与されたが、これは与太話とされていた落語を文化というレベルにまで高めた功績を評価されたものと私は思っている。当時の円朝も与太者芸であった落語を一つの芸能に高めたという功績が近世落語中興の祖と呼ばれる所以であろう。だが、圓朝という大名跡は現在に受け継がれておらず、一代で終わったようだ。
2★七代目 桂文治(1848-1928 かつら ぶんじ)
(ウメ 大阪城梅林・大阪 2020年)
現在の落語界にあって上方と東京にわたって一大勢力の落語家を有している一門(私のグループ分けで言うと、小文治G・春團治G・米朝Gを合わせたもの)の源となっている上方落語家である。短気で早口、威圧的な風貌をした親分肌の人で、政治的な手腕に長けた人物であった。弟子を従えて繁華街を闊歩する姿がよく見られ、大阪市の上町(うえまち)という所に住んでいたので“上町の師匠”として恐れられたという。こうした情報に接すると、侠客集団ないしは反社会的勢力を連想するが100人もの弟子を抱えたれっきとした落語家集団であった。と言っても脱落者も多く、系図に名を残したのは三代目桂文團治、初代桂春團治、二代目桂小文治など10名ほどであった。だが、弟子が弟子をまたその弟子を呼んで拡がっていき現在の一大勢力の源となっている。
音源が残されていないので話芸の方の評価は出来ないが、「三十石(#25)」「野崎詣り(#190)」「佐々木政談(#225)」や「住吉駕籠」を得意ネタとしたと言う。落語史を語る上で外せない人物である。
3◆五代目 三升家小勝(1858-1939 みますや こかつ)
(ハナショウブ)
私は落語家170人、総計1,300席ほどの落語の音源(「私のライブラリー」)を持っており、これを基にしてこのブログを書いているものである。この「私のライブラリー」の中で生まれ年が一番古いのが五代目小勝である。演目は「米屋の腹切り」という聞き慣れない一席だけである。滑稽噺を得意とした毒舌家という専らの評で、東京落語協会(現・落語協会)の第3代会長も務めた。当時としては貴重品であったSPレコードが多く残されているそうだから、人気と実力の持ち主であったと思う。少し落語を研究したいという方にとっての研究対象になりそうな落語家と言えよう。
名跡は現在に受け継がれており、当代は八代目で文楽Gに属している。