ごきげんよう♪
RAKU fellowのおおもりめぐみこともぐ子です。

「あなたは今、本当に幸せですか?」
数年前のわたしは、この問いに答えられなかった。


忙しい毎日をこなし、責任も増え、気づけば自分のことは後回し。
40代のキャリア女性には、そんな“頑張り続ける癖”がしみついています。
今日は誰もがうっすら気づいてるけど、見ないフリをしている、”そのまま流されて本当に大丈夫?”って話をします。

 時間は未来から流れてくる


私は40代に差しかかったとき、この言葉に出会いました。そして思ったんです。
「このまま“いい人”として生きて、本当に満足?」
「今死んで後悔しない?」と。

そこから、死ぬ瞬間から逆算して“今”を見る生き方を意識するようになりました。
すると、怖いほどいろんなものに気づきました。

後回しにしてきた願い
何となく惰性で続けている習慣
本当はもう向き合わないといけない「自分」

未来から時間が流れてくると考えると、今という瞬間は“消費するもの”ではなく、“選ぶもの”に変わります。今どんな選択をしたら未来の私が喜ぶのか?どうしたらなりたい未来が叶うのか?より意識するようになりました。

 未来は選べないと思っていた


学歴は高卒。子なしアラフォー。特別な取り柄もなく、「私なんて…」が口ぐせ。そんな過去の私には、選べる未来なんてないと思ってました。とりあえず平凡に生活できれば良い。
仕事を選べたり、ましてや好きな事を仕事にするなんて選択肢は特別なひとだけのものなんだと。信じて疑いもしませんでした。
私でも、その未来からの視点だけはなぜかしっくりきた。逆算してみたら、不思議と「私にも出来るかも」そう思えるようになったんです。

 自分で選ぶ勇気


未来の私はきっとこう言うだろう。
「そのまま“いい人”として生きて、本当に満足?」
今考えてみたら、わたしは”いい人”というより、自分で選べなかっただけでした。誰かのためと言い訳をして、他人の意見に流されたフリをして自分への逃げ道を作っていたんです。
そんな自分のまま死んだら絶対後悔する!

だから、私は動きました。
誰かの人生を変えるほどの大きなミッションもなかったけれど、”未来の私が喜ぶ選択”をひとつひとつ積み重ねただけ。自分の人生自分で責任を取るそう決めただけなんです。

 歩き続けた先にあるもの


最後の日に後悔しない自分でいると決めてからは、とにかく諦めずに、望んだ未来へ向かって歩き続けました。すると、気づけば、ただのアラフォーだった私が、全国から「会いたい」と言ってもらえる人になっていたんです。


これ、奇跡でも才能でもなく。
未来から逆算して生きた結果 にすぎません。

40代になると、多くの女性が「今は忙しいから」「落ち着いたら」と後回しにし始めます。
でも、それは未来から見たとき一番もったいない。

あなたが惰性で過ごしている“今日”を、未来のあなたはどう評価しますか?

仕事の肩書きも、周りの期待も、世間の「普通」もいったん脇に置いて、
“死ぬ瞬間のあなた自身”が喜ぶ選択だけ を選んでほしい。

未来のあなたは、もうあなたを待っています。
今のあなたが、その手を取りに行くかどうかだけ。

そして問います。
このままで、本当にいいの?
ぜひ一度自分に聞いてみてください。

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。



SNSには、昔出会ったまま

時間が止まっている“友達”がいます。
連絡をしようと思えばできるのに、

しないまま何年も経ってしまった人。


その存在をふと思い出すと、

「私はこのつながりをどうしたいんだろう」と、

どこかモヤッとした気持ちになります。

 

韓国出身のAさんも、そんな存在のひとりです。

 

あの頃、とても近くに感じていた人

韓国出身のAさんと出会ったのは、
私が社会福祉士の資格を取るために通っていた

通信制のスクールでした。

スクール卒業後、先生から声をかけてもらい、

こっそり会社に内緒でスクーリング運営の

アルバイトをしていた時期があります。


そのとき、一緒にスタッフとして働いていたのがAさんでした。

年齢も近く、明るくて、日本語も上手で、

とても可愛らしい人でした。
休憩時間に一緒にご飯を食べたり、
「イケメンいないかな?」なんて、

密かにウォッチし合ったり(笑)。
深い友情というより、

“一緒に働く時間が楽しかった” そんな関係でした。

 

自然に途切れたつながり

アルバイトの期間が終わってから、

私たちは連絡をとらなくなりました。
喧嘩したわけでも、

気まずい理由があったわけでもありません。
ただ、日常がそれぞれ動き始めていく中で、

声をかけるタイミングがなくなっていっただけ。

 

こういう自然消滅って、ありますよね。


「またね」と言いながら、

そのまま“また”が来ない人。
でも、だからといって消えてしまうほど軽い存在でもない。

その微妙な距離感のまま、

Aさんはずっと私のFacebookに残っていました。

 

SNSの「つながっているのに、つながっていない感じ」

Facebookでは“友達”としてつながっている。
だけど、メッセージを送ったことはない。
Aさんの投稿もいつの間にか止まっていて、
画面の向こう側でどんな生活をしているのか、

私は何も知らない。

 

ただ、SNSの「つながり」という仕組みが、
半端に縁だけを残してしまうことって、ありますよね。

 

“切れてはいない。
でも、続いてもいない。”

 

そんな宙ぶらりんな感じ。

 

心に残っていた“小さなつながり”

ふとAさんの名前を見かけた日、

突然、懐かしさが胸に広がりました。

 

「あの頃、楽しかったな」
「元気でいるのかな」
「アメリカ人の彼ができたって聞いたけど、どうしたかな」

 

昔は、海外の友達とやり取りするにはハードルがありました。
英語やハングルの投稿を見ると、
「どう返せばいいかな」と迷ってしまったり、
辞書を引くほどの気力が出なかったり。

 

「返事をするのに少し時間がほしいから」
「言語が苦手だから」


そんな言い訳が、

自分を守る“クッション”になっていたのだと思います。

でも今は、自動翻訳が一瞬で助けてくれる。
こちらが言い訳する隙なんて、もうほとんどありません。

 

——だからこそ、ふと思ったのです。
じゃあ私は、本当はどうしたいんだろう?

 

連絡する?しない?その選択に“正解”はない

連絡してみてもいいし、

このまま思い出としてそっとしまっておくのもいい。

たぶん、どちらが正解ということではないのだと思います。
でも選択の前に、

一度 “自分の気持ち” に向き合ってみることは

大切だと思うのです。

  • なぜ思い出したのか

  • なぜ気になったのか

  • 何がモヤモヤしているのか

その答えに触れたとき、過去の出来事ではなく、
“今の私の気持ち”が浮かび上がってくるような気がしました。

 

細い糸で繋がっているご縁

SNSには、過去の誰かとの“未完のつながり”が残っています。
その人たちと、もう一度つながり直すのか。
それとも、思い出としてそっと胸に置いておくのか。

正解はどちらでもありません。


大切なのは、「私はどうしたい?」という自分の声。

 

韓国出身のAさんを思い出した日のモヤッとした気持ちは、
きっとその声に気づくためのサインだったのだと思います。

 

あなたなら、どうしますか?

 

目の前には楽しそうな参加者の方々。
イベント登壇者として、自分の言葉で未来や働き方について話す私。
数年前までは考えられなかった未来が、目の前にあったんです。

正直に言うと、当時の私は “変わりたい” と言いながら、変われない自分にイライラしてばかり。
親ガチャにハズれた私は、夢なんて「どうせ叶わない」と思っていたし、毎日ストレスフルな働き方に疲れ果てていました。

そんな私が最初に変わり始めたきっかけは、ラクアカ主催の市川やすこさんに出会ったこと。
そこで学んだ中庸思考は、頑張りすぎて自分を責める癖のあった私に、初めて「そのままの自分でいいんだよ」と優しく寄り添ってくれる考え方でした。

「子供がいない私」は女としてダメ。
「完璧じゃない私は価値がない」。

ずっとそんな風に思い込んでいたけど、やすこ先生の言葉に触れていく中で、初めて「できない自分がいてもいい」のかも?と思えるように…。
でも最終的に私が自分を認められるようになったのは、頭で理解したからではなく、やすこ先生や仲間たちに“受け止めてもらえた経験”が重なったからです。
完璧じゃない自分も、弱さも、情けなさも、全部そのままでいいんだと思えたとき、肩の力がすっと抜けて、初めてラクになれました。
すると不思議なほど、生き方が軽くなりました。

自分を責めるクセが減るだけで、こんなにも心が自由になるんだ…と驚いたのを覚えています。
肩の力が抜けていくと、今まで見えなかったものが見え始め、人との距離も自然と変わりました。
あれほど嫌いだった母との関係も、いつも八つ当たりをしていた旦那のとの関係も180度変わった。

気づけば、私の周りには応援し合える仲間が集まり、誰かの言葉に救われたり、時には私の経験が誰かの力になったり。
“ひとりで頑張らなくてもいい” 世界がそこにありました。

そして何より大きかったのは、
私は何を大事にしたいのか?
どんな未来を生きたいのか?
を自分に問い続ける習慣ができたこと。

中庸思考はバランスを整えるだけではなく、選択の軸を作ってくれました。
その結果、私はストレスで心も体も削られるような正社員の働き方を手放し、”好き・得意・無理なく続けられる” を大切にした働き方へ転換。

驚くほど自然に、夢や希望が「描くだけのもの」から「叶っていくもの」へ変わっていきました。




そして昨日、やすこ先生と出会う前から同じ心理学を学ぶ講座に通っていた仲間からこんなことを言われました。

「同じスタート地点にいたはずなのに、
この数年のあいだにどれほどの勇気と努力、
そして悔しさや葛藤を乗り越えてきたのだろう。
彼女が自分の手で“WATASHIらしさ”を磨き続けてきた姿に、ただただ尊敬の気持ちが湧きました。」


ただ自分を認めてあげたくて、ラクになりたくて続けてきた、やすこ先生の元での学びが、こんなことを伝えてくれる仲間がいる環境へとわたしを連れてきてくれた。


誰かと比べるためじゃなく、
誰かより上に行くためでもなく、
“自分のために学び続けること”

人をこんなにも優しく強くするんだと、改めて仲間たちの言葉から気づくことができました。
そして単純に、昔のわたしを知っている彼女からの
その言葉が、ただ嬉しかった。


出版社からのオファーをいただき、
トークイベントまで開催できるようになった今の私は、あの頃舌打ちをしながら「変わりたい」と言っていた私とは別人です。

変わるって、“遠い未来の誰か”になることじゃなくて、自分をちゃんと認められるようになったときに
勝手に道が開けていくんだと思います。

そしてその最初の一歩は、
いつだって「自分を否定しないこと」。
40代からでも、人は何度でも始められる。
私はそれを、学びと仲間に教えてもらいました。
変わりたいと思っている40代のあなたへ。
焦らなくていいし、完璧にならなくていい。
未来は、ほんの少し視点を変えるだけで動き出します。私がそうだったように。
【誰もがこの環境でいられる社会を創る】
また新たな私の夢が出来事の話です。

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。