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地の涯にある大漁祭り




あけましておめでとうございます
今年もみなさまに豊かな収穫がありますように











春を待つ心、吉凶交交(きっきょうこもごも)



新年、あけますとやはり新たな心持ちに自然となってくるものでありますね。まあやっている事はいつもと変わりないわけなのですけれども。ちょっと奮発してスーパーの味付け数の子なんか買ったりなんかして。いつだったか、味のついてない数の子を買って懲りたので、かならず味付けのものを買うようにしております。わたしは、たらこか明太子か、数の子があればそれだけで極楽でございますw
この「オホーツクの舟唄」は、おそらく誰もがご存じの「知床旅情」の原曲と言われている唄ですよね。森繁久弥さん主演の映画『地の涯に生きるもの』の撮影で、知床半島羅臼(らうす)を訪れた際に、記念に即興でつくったとされています。「徹子の部屋」の第一回ゲストであった森繁さんが、番組で歌っている映像で知られているかもしれませんね。
映画のロケ隊が去る前の日に、羅臼の人々の前で披露したそうです。そのための唄でした。その時の題名は「さらばラウスよ」だったそうですよ。その後レコーディングされましたが、加藤登紀子さんの歌唱で全国区の愛唱歌になりました。どちらのバージョンも味わい深くて大好きなのです。「オホーツクの舟唄」は、倍賞千恵子さんが歌い継いでおられますね。流行にまったく関係なく歌い続けられているのが素晴らしい。失われた国後島(クナシリトウ)への郷愁、静かな抗議、祖先と諍いの歴史への鎮魂と祈りが織り込まれているようです。あたたかな春の到来を待ち焦がれる切なさと希望があります。
賠償=さくら千恵子さんが大変お美しい。老いてもなお素晴らしいパフォーマンスで、惚れ惚れいたします。天は二物も三物も与えますね。ちなみに、岩崎宏美さんは、わたしの最初のアイドルでした。デビュー当時の髪型にはやられました。たしか近代映画社の写真集を通販でこっそり買った憶えがあります。なんで通販なんですかねえ。笑っちゃいますが。


※画像ありました。まさにこれです。
なつかしのご対面。





ついにわたしも、こういう大人の唄が段々と性に合うような年になって参りました。まさにこれは日本ならではの芸能ですね。「お富さん」の歌詞がよくわからない部分ありますが、調べてみたりすると勉強になります。子供の頃からテレビでさんざん耳にしていたけれども意味不明のこの謎の唄。歌舞伎の『与話情浮名横櫛』(通称:切られ与三郎)の世界を唄っているようです。わからんはずです。一番のさいごは「玄治店(げんやだな)」と言っているんですよね。日本橋界隈の古くからの通り名だそうです。
正月は芸能人大活躍の時期ですが、ちまたの話題によりますと、芸能人ブログがアメプロからLINEブログへの移行が続々と進んでいるらしいですね。けれどもそもそも、ブログかいて報酬が発生するものなのですね、芸能人は。移行すると移籍金がもらえるとか。あやかりたいですなあ。でもピグが好きだし、ペタも継続決定しましたので、わたしはアメプロで満足です。一つの所でじっくりマイペースでやるタイプですから。
さて六日には、会社の行事で朝早くから神社に参りまして、安全祈願があります。日本ではみなさん初詣で神社に行って、お願い事をしにいくのが習わしですけれども、それは神社におわします神様に対して不遜にあたるようですよ。すでに目に見えない働きによって、こうして生かされているのに、それに感謝することもなく、自分の願望ばかりお願いするのは、たしかに自分よがりがすぎますよね。願い事などせずに、感謝だけを捧げるのがよいようです。
そして神社のおみくじも段々と様変わりしているようでして「凶」がなくなり、「大大吉」が登場しているのだとか。神社も涙ぐましい営業努力?をしておるようですが。宝くじが大当たりした人達のその後は、かなり悲惨なことになってもいるようですので、幸も不幸も自分の捉え方次第。受け止め方次第。吉も凶も連鎖していくものですから、ことさらに気にする必要はないのですけれどもね。



大怪獣招来不況退散






このポスターは、どなたかが作ったフェイクですけれども、今年は新しい日本のゴジラが帰ってくるようです。ひとつ強烈なものをぶちかまして頂きたいところです。わたしの予感ですと、革命的な怪獣映画が現れるときに、世界はきっとよい方向に舵をとります。元気になります。とくに根拠はありませんが、経験的にこういう映画と世間の価値観の深化や経済の在り方はシンクロしているからです。やっぱり映画、とくに怪獣映画は、世相を反映していくものですからね。わたしが夢想するのは、古い枠組みを怪獣によって破壊することです。新たな創造のための破壊です。
この長い不況はいつもでたっても明ける気配がありませんが、それもそのはず、世界の金融は、闇の政府に握られておりますから。もっともっと締めつけられていくことでしょう。オホーツクの海原のように何処までも凍てついてしまった時代に、どんな春を持てばよいのでしょうか?
待たれているのは、こころの春です。季節がかならず巡ってくることを自然界は教えてくれています。あたたかな太陽は自分の内にある。それに気がつけば、夜明けは近いでしょう。財産を溜め込んでも、経済は人を満たしてはくれません。心を満たしてくれるものは別にあります。手を伸ばせば、自分の心の内側にあります。今年こそ、心の大漁祭りと生きましょう。













オホーツクの名曲秘話あれこれ
わたしを泣かすな 白いかもめを



映像は映画『地の涯に生きるもの』(1960年10月16日公開)のものです。歌詞に「白夜(びゃくや)」とありますけれども、実は北海道には、白夜はないそうです。それまで「白夜(はくや)」と読まれていたものが、この唄の大ヒットによって「白夜(びゃくや)」と読むのが標準になったのだそうです。そのことだけでも、この唄の影響力の大きさがうかがい知れますね。
わたしはこの唄が大好きで加藤登紀子さんのシングルCDを持っておりました。今でもありますが、最近歌われますこの歌は、三番の歌詞が変えられています。

「別れの日は来た 羅臼の村にも」
「別れの日は来た 知床の村にも」

すごく違和感がありました。ラウスがシレトコになおされておりますね。なぜなのでしょうか?ご本家の森繁久彌versionもシレトコで唄っております。どういう事情があるのでしょうか。
さらに唄のさいごの部分を、

「わたしを泣かすな 白いカモメよ」と加藤さんは歌いますが。
「わたしを泣かすな 白いカモメを」と森繁さんは唄っております。

「を」では日本語としておかしいのではないか?「よ」の方が自然な表現ではないか?とこれも永年の疑問でありました。
さらに付け加えますと「オホーツクの舟歌」が「知床旅情」の原曲とされていますが、ここにも知られざる逸話があったのでした。名曲の浪漫をあれこれ分析するのは野暮かもしれませんけれども、これまで知り得たことをまとめておきましょう。


アイヌの言葉でシレトクは、地の涯(はて)を意味します。知床を舞台にした戸川幸夫の原作小説「オホーツクの老人」を読んで、これは自分のための物語だと感動した森繁久彌さんは、私財を投げ打って、プロダクションまで設立して映画を製作します。それが、自ら主演も務めた1960年の映画『地の涯に生きるもの』でした。
漁師たちが去った後の最果ての番小屋で、漁網を鼠から守るためにたった一人残っている老人と極寒の世界で生きる人々の物語です。わたしもこの映画を観ましたが、楽しませてくれる娯楽映画とはちがいまして、記録映画に近いものがあります。映画のロケの前年に、98人がなくなる漁船の遭難事故があり、それが映画でも描かれております。村人たちは、もし国後島(クナシリトウ)に避難できていれば、このような惨事にならなかっただろうと考えています。極寒でのロケは困難を極めましたが、村人たちの協力もあり、無事に終了して、ロケ隊が引き上げる前の晩に羅臼の村人たちへのお礼として披露されたのが「さらばラウスよ」でした。
まったく同じメロディで「さらばラウスよ」「オホーツクの舟歌」「知床旅情(しれとこ旅情)」とあるわけです。ただし「さらばラウスよ」と「知床旅情(しれとこ旅情)」は題名が違うだけで同じ詞です。
撮影が終わってから、宿泊先の栄屋旅館では、森繁久彌さんを囲んで、出演者やスタッフがみんなで、村人に贈るための歌作りをしていたようです。
けれどもその元になったのは、地元でむかしから唄われていた作者不詳の唄でした。その唄は、かなりあいまいで人によって不確かなものでしたので、当時、助監督だった吉松安弘さんが村人たちに取材して、採譜・採詞したのだそうです。
そしてこの時に森繁久彌さんは、ほぼ同時に「オホーツクの舟歌」と「知床旅情(しれとこ旅情)」をまとめております。つまり「オホーツクの舟歌」が「知床旅情(しれとこ旅情)」の原曲なのではなくて、同時に生まれていて、原曲は羅臼の村伝承の唄だったのです。そして羅臼の人々に贈る唄として題名を「さらばラウスよ」としたのです。なので三番の歌詞は、当然「ラウス」になっております。


※森繁久彌さん直筆の詞



●「わたしを泣かすな 白いカモメよ」
こちらは空を飛ぶカモメに別れの悲しみを投影している心情的な描写ですね。加藤登紀子さんの夫、藤本敏夫さん(学生運動の活動家)が、初デートで、別れの時に歌った曲が「知床旅情」だったそうで、その堂々とした歌いっぷりに衝撃を受けて、この歌を大切にしているそうです。
●「わたしを泣かすな 白いカモメを」
なぜさいごが「を」になるのかと云いますと、「白いカモメ」は「羅臼の村人」のことだからなのです。去って行く「気まぐれガラス」は旅人である森繁さんでありロケ隊の面々のことです。カモメが空を舞っているのではないのです。それが森繁さんの意図ですので、ただ情感を込めて「よ」と歌ってしまったのでは、意味をなさなくなってしまう。ここが一番の「思い出しておくれ おれたちのことを」につながっているわけです。一番は村人の視点で、二番は旅人の視点で、三番はふたたび村人の視点で歌われているわけです。
森繁さんに無断でレコーディングしていた加藤さんでしたが、のちに森繁さんと会った時に、その部分の注意を受けております。加藤さんがその後ライブで、「を」と歌うこともあったようですけれども、録音も世間の認知も「よ」ですので、私の中の感覚でも「を」ですと若干の違和感があります。加藤さんの歌唱では「を」とも「よ」とも聴こえる微妙な歌い方をしているようにも聴こえます。
二番の歌詞の「今宵こそ君を(加藤盤)」と「君を今宵こそ(森繁盤)」の違いも、情景を主にしているか、村人を主にしているかの違いなのかも知れませんね。
ちなみに「ピリカ」とは、美しいアイヌの娘さんのことであり「エトピリカ」という海鳥のことのようです。


そしてこの歌を、森繁さんが、昭和37年(1962)の第13回紅白歌合戦で『しれとこ旅情』として唄っておりますけれども、本格的に世間に周知されるようになるのは、加藤登紀子さんが昭和46年(1971)にアルバム『日本哀歌集』でレコーディングした以降のことでした。そしてシングルカットされて、オリコンのヒットチャートで7週連続の1位、累計売上は140万枚。羅臼にある「しおかぜ公園」には『地の涯に生きるもの』の老人の像と「知床旅情」の歌碑が、またウトロ港の近くにある三角岩の前にも「知床旅情」の歌碑が建立されるほどの大ヒットとなりました。

「ウトロは観光地だべ。お金もあるし、有力な政治家もいる。で、森繁さんと「知床旅情」をとられちゃった」

羅臼の漁師さんの嘆きの言葉です。羅臼の村人たちへの贈り物だった唄から、全国区の大衆に愛される歌になっていきます。三番の歌詞が「別れの日は来た 知床の村にも」となっているのは、映画のロケが斜里と羅臼で行われている事に配慮されて、森繁さんが、最初から用意されていたのかも知れません。「さらばラウスよ」では「羅臼の村にも」、「しれとこ旅情」では「知床の村にも」と。
しかし加藤登紀子さんが藤本敏夫さんから聴いた曲は「さらばラウスよ」だったのでしょうか。当初、「羅臼の村にも」で歌われ続けて、近年に「知床の村にも」と変えて歌うようになったのは、知床半島全体の観光に配慮した時に「羅臼の村にも」というフレーズではそぐわない、という事かも知れないですね。一般の観光客にとって観光しやすい知床の地は、羅臼ではないようです。森繁さんとしましては、羅臼の村人に贈った「さらばラウスよ」と、また加藤登紀子盤「知床旅情」と区別するために「別れの日は来た 知床の村にも」と唄っていたのかも知れませんが。現在、動画サイトにアップされている「知床旅情」の様々なversionを聴いてみますと「ラウス」と「知床」と「よ」と「を」がバラバラに混在しております。


「何処へ 森繁久彌ラストコンサート Live」というCDが出ておりまして、そこで森繁さんが「オホーツクの舟歌」を唄っております。途中、歌詞を失念して無言になる場面があるのですけれども、そこさえもまた得も言われぬ味わいになっておりまして、まさに絶品の歌唱なのです。この唄は、国後島(クナシリトウ)の望郷の念を唄っております。旧ソ連の侵攻で故郷を追われた人々の心情を吐露した歌詞であります。森繁久彌さんが名実ともに素晴らしかったと思いますのは、生前、政治的発言をしなかったからでもあります。真の名優は、映画や舞台の上で語ってくれれば、それが永遠に人の記憶の中に残っていくのですよね。







ありました。加藤登紀子さんの「ラウス」ver.「知床旅情」。
かぐや姫の「なごり雪」がイルカのvocalとarrangeで大ヒットしたように、
女性の声によって、全国で愛されるようになった北海のオホーツクの名曲です。
「 はるか国後(クナシリ)に白夜は明ける 」
北海道に白夜はない事を承知の上で、領土問題が明るい解決をみるように、
願い、祈っている描写であると思われます。




ナメゴン一家の忘年会





全国1000万人のナメゴンLoveの会々員にみなさま、こんにちわわ☆
久々ですけれども今年最後のナメゴン通信で今年をふりかえります。








らっこまんブログ三位一体体制






まずブログでは、3カラムから2カラムにして、画像をより大きく表示できるレイアウトに変更しまして、魅せるブログレイアウトを意識するようになりました。これまでクリエイティブな仕事に携われなかったのですが、こうしてブログにおいて、ささやかながら創造性を満足させられるようになりました (^ー^)
もうブログを書くのが本当にたのしみでストレス発散にもなっています。そして、らっこまん7のブログでは本流のまじめな記事を、らっこまんDXのブログではその関連するくだけた内容を、らっこまんQのブログでは、念願のクリスマスオンリーの趣味の世界に内容を絞りまして、それぞれに特色を持たせたトリプル・ブログ体制で発信するようになりました。らっこまんブログの特徴としましては、未完成のままあげて、後からちょこちょこ加筆することですかねw三日くらい経ちますと、内容がかなり変わっている場合がままありますので、お気を付け下さい。


魂の映画『素晴らしき哉、人生』のこと、成田亨先生のこと、『スター・ウォーズ』のこと、
いつこの世を去っても悔いのないように大好きなものの事を思う存分記しておきましたよ。
まだまだ、あれもこれも書き残すべきものはあるのですけれども。
これまであまり書いてこなかった趣味のことを書いたのでした。
かなり溜飲を下げた気分です (^0^)
とてもすっきりしました。















祝☆ありがとう☆ペタサービス継続決定



そして何といっても喜ばしかったのは、ペタ機能の継続でしたね。一時は、どうなることかと思いましたけれども、アメーバさんがペタサービスの廃止を決定していたにも拘わらず、その決定を覆した。これはふつうあり得ない。こういう大きな決定を企業が変えるというのは中々ない。本当にびっくりしましたし、ユーザー&アメーバ双方にメリットのある決断になったと思います。まあ実際ペタを廃ししていたならば、かなりのユーザーが退会していたと思われますので、もしそういう事になりますと、アメーバブログが過疎化して、ますますユーザー離れの傾向が加速していたかもです。そうなってきますと、ピグサービスの終了にもつながりかねず、ピグファンのわたしとしましても困りますので。もっとも昨年あたりから今年にかけて、ピグで知り合った人たちのピグ離れが続いていまして、わたしも組合の集まりやら、ブログに熱中し出しましたので、ピグにインできない日が多くなってきています。釣りもワールドも数えられるくらいしか利用していない状態です。でもピグやめないでほしいですね。
ペタによるこの微妙な距離感によるコミュニケーションのメリット、その特異性をもっともっと認識すべきですよね。わかっていなかったのでしょうかね。すばらしい発案といってよいです。ペタとかピグは、アメーバならではの優れたサービスですので、ここにユーザーの利便性を考えたクオリティアップを図れば、アメーバもますます発展していくのではないでしょうかね。
※これはかってな事をかいているブログです (^ー^;)w


ペタしてね











カオスな現実の闇と光にコスモスを



一頃、よくコント番組をみていました頃、かまいたちの中国のドラのコントとか、キングオブコメディが本当に大好きでした。
芸人が売れるようになるための下積みというのは、並大抵のものではないと思いますけれども、もはやお笑い界で名実ともに立場があるというのに、何とも意味不明なこともあるものです。キングオブコメディというコンビは、破天荒でどう転がるかわからない今野氏のキャラと、それを理知的な高橋氏が冷静にさばく掛け合いに得も云われぬ味わいがありました。もうその絶妙なコンビネーションも過去の動画でしか、見られなくなってしまうのでしょうか。とっても残念ですね。どうしてこういう事がおこってしまうのか?
問題の根本は、彼の変態性にはないでしょう。だれでも一皮むけばそういういものを持っております。そういう問題は、それがしまわれているか、表に出ているかの違いにすぎません。これだけAV商品が巷に氾濫していて、制服でも下着でも、へたをしますと、DVDのおまけに付いてくる時代なのです。女性の方はご存じないかもしれませんが。そういうものを買うのを奨励するわけではないけれども、盗みに入って犯罪を犯すよりはまだましでしょう。そういった意味ではポルノ産業も、犯罪防止の防波堤としての役割を果たしていると云えます。


誰もが心の闇について甘く考えがちなのですが、深層意識に書き込まれたプログラムというのは、それに気がついて、書き換えない限り、意識のチカラで抵抗することなどできないのです。問題は変態かどうかなんてこととは関係がありません。心の奥底に<人生を破壊するプログラム>がいつの間にか書き込まれているのであり、それがどうしたって発動してしまい、自分を操ってしまうのです。おそらくはこれまでの人生のどこかで、深く傷つく体験があり、それがいやされておりません。
これまでに幾らでも考え直し、やり直すチャンスがあったはずなのに、己をふり返ることをしらず、闇のプログラムを癒やし、書き換える事ができなかった悲劇です。それは他人にはできません。まだ混沌としたカオスの状態にあり、結果が出ていない間がチャンスなのです。自分の人生を受け入れて、いやすコスモス=調和が必要です。
そして人は、理解をしらず、「変態」「捏造者」「落伍者」「危険人物」のレッテルを安直に張ってしまい世間から抹殺しようとします。いつだってそうです。自分たちの安全のために。しかし現実はその態度が、廻り廻って結局は自分の首を締めることにつながっているのですけれども。そのような心の冷たさが、またどれだけ人の心を深く傷つけていくのか全く考えていないのです。
世界がむかしから求めているのは、常識的態度などではなくて、いたみをいやす親の心、太陽の心でしょう。世界の常識なんてものはとうの昔に、闇の政府によってコントロールされてしまっているのです。
思いやりを持ち寄れば、まず自分がいやされます。いやされた心が集まったところに、その時に人類が待ち望んでいる天国が現れるのでしょう。










至福と共にあらんことを





さてさて、ナメゴンLoveの会の御本尊さまの飛びっきりの笑顔をごらんくださいませ。これからの時代このような笑顔で生きていきたいものでございます。(※写っているのは復刻のナメゴンです)
元々は『ウルトラQ』に登場した怪獣ですが、成田亨先生のデザインではありませんし、オリジナルはいかにも不気味な容貌なのですが、マルサンというおもちゃ会社で人形としてデフォルメされましたらば、なんとまあ愛らしいイメージになってしまいました。この形でテレビに出たわけではないのですけれども、ナメゴンと云えば、このラブリーな姿で世間でも認知されていると思われます。
幾人もの手とイメージを経ております。ですからこの愛らしいナメゴンの作者がだれかは特定されません。マルサンの人形師の方は、瀬戸の人形をつくってこられた方ということですが、マニアの間でもまだ知られていないのではないでしょうか。
わたしは著作権の在り方も今後はシフトしていった方がいいと思っています。独占する発想が狭いからです。すぐれたものは万人と共有されて然るべきなのではないでしょうかね。
よきもの、よき幸せはみんなで分かち合うものでしょう。そんな心の持ち主が増えますよう、祈念いたしまして、今年さいごのご挨拶とさせて頂きます。
みなさまがいつも、至福と共にありますように☆よいお年をお迎えください☆ありがとうございました☆





生まれてきたという奇跡







発見された愛すべき映画ここにあり



パブリックドメイン (public domain) とは、いわゆる著作権や知的財産権が消失した状態をいいますけれども、そのへんのワゴンセールで安い値段で売られているようなこの映画が、こんなに輝いている物語だなんて、おそらく信じられないでしょう。1946年の映画ですからね。さらに邦題が『素晴らしき哉、人生』ですよ。ずいぶんカビの生えたタイトルだなと正直おもいましたから。原題は『It's a Wonderful Life』ですから、まあそういうことなのですけれどもね。
そのメッセージを一言で表現するならば、とてもむつかしいですけれども<人は孤独な存在ではない>となるでしょう。なぜならば、あなたがいないのならば、世界はまったくちがう世界になってしまうから。そういうことを描いております。
今でこそ、アメリカではクリスマスシーズンに、毎年くり返しテレビ放映されて愛されているようなのですが、公開当時はまったく理解されずに、そのために版権が二束三文で売り渡されたようですね。何が幸いするかわかりません。そのために逆に再評価されることになるのですから。


この映画には、名作映画がみな持っているであろう黄金律が隅々にまでみなぎっております。モチーフ・テーマ・メッセージ、それらが崇高なだけなのではありませんよ。まず映画全体に愛嬌があるのです。とても愛らしく、その愛らしさがなつかしい雰囲気を醸し出しております。何十年も前の風俗も習慣もわれわれからしたら未知のものでなじみがないのですけれども、それが生き生きとして見えて、観ているうちにいつのまにか、自分が本当に間近でそれを観ていて、さらに体験しているかのような錯覚に陥ります。
演技を観ているのではなくて、むかしの時代の人達なのに、きらきらと息づいていて思わず引き込まれてしまうんですよね。そしてテンポがすこぶる心地よく物語りが語られていくのです。まったくの予想外でしたが、名作というものは時にひっそりとワゴンの片隅にいたりするのですね。
映画の演出技術とは、継承されて単純に進化していくものではないんですね。もうその監督一代限りのもののようです。物語がいいとか、面白いとか以前に、その語り口がもううっとりするほど見事な映画なのですよ。







金融家を天職とする者の使命とは



この物語の主人公は、金融家です。住宅金融という会社を背負うことになります。彼がその父親から引き継いだ仕事とは、利益をあげるための事業なんかではありません。主人公は怒りっぽく、けっして聖者ではないのですけれども、貧しい人々と共にあり、社長でありながら自分も貧しい家に住み、人々に家を提供して、街を共に造り続けます。彼のしあわせは人々と街と共にあるのです。
そう現代ユダヤの金融家が世界中でやっていることの真逆をやっているのが主人公なのです。奪うのではなく、ひたすら与えて分かち合っているのです。本来の金融家が何を為さなければならないかが、この物語に描かれています。
彼の会社は大金を置き忘れてクリスマスの晩に窮地に陥ります。万策は尽きてもう打つ手は何もなく、あとは最悪の事態が待ち受けているだけ。そんなふうに追い詰められる時がきっと誰にでもあります。
この物語では奇跡が描かれています。
それはなにかと云うと、自分が人々とけっして切り離すことができないのだと、その事実に主人公が気づくことでした。逆にいうと、人々と切り離されたら、それは耐えがたい絶対の癒やされることのない孤独でしかないのです。切り離されていたなら、自分という物語も存在していないという事実に、導かれて気づかされるのです。
その後に訪れるミラクルは映画的なマジックであり、おまけのようなものでしょう。けれども人間は、分け合うならば、そういう世界を実現できるはずなのです。





世界がありのままで美しいわけ



わたしはここのところずっと、賢者の語る言葉の意味を考えております。
「世界はありのままで素晴らしい、そのままで偉大である。」
「世界は美しい、人生は甘美なものである。」と・・・
なぜそう言えてしまうのだろう?世界はこんなに混乱して、乱れていて、想像もできないほどおぞましいことが時に公然と行われていて、それをだれもとめることができなくて、とても正視できない耐えがたい現実が人間の世界に古代から現代まで蔓延しているというのに、なんで世界は美しいと、言えてしまうのだろうか?
さらに賢者は「わたしとあなたのために、すべてを肯定しなければなりません。」とおっしゃる。
さらにさらにキリストと呼ばれた方は、すべてを背負われて、十字架にかけられたと司祭たちは語られていて、その方の生誕を祝う習わしがクリスマスなわけなのですが。



主人公の危機的は状況はなにも変わっていない。世界は混沌としたカオスのまま変わることがない。けれども、主人公の受け止め方が変わったのです。主人公はただ気づいただけなのです。つながりこそが自分の存在を支えてくれていることに。ただそれだけだったのです。
カオスとはありのままの状態のことです。それは混沌として混乱しているように人間の目には見えます。けれども人間がそこに関わることによって、暗転もすれば、光転する可能性も等しくある。
ひとり一人がその可能性の小さな因子です。もっとも大きな奇跡はあなたやわたしがこの世に生を受けているという事実でしょう。それに気がつくことが人生最大の果報であると、この物語は語ってくれておりました。
あなたがいて、わたしがこうして可能性の因子として存在しているから、世界はありのままで美しく、甘美で、素晴らしいものなのかもしれません。その最大の象徴が、イエス・キリストといわれる方の生誕を祝うクリスマスなのでしょうね。



  「賛美歌98番"天には栄え"」
   天(あめ)には栄え 御神(みかみ)にあれや
   地(つち)には安き 人にあれやと
   御使(みつか)い達の たたうる歌を
   聞きて諸人(もろびと)共に喜び
   今ぞ生まれし 君をたたえよ

       「蛍の光:原曲"Auld Lang Syne"」
        友よ 遠き昔のために
        遠き昔のために
        友情の杯を交わそう
        去りし日々を思い






救うのではない、導くのだ



そしてこの映画では、神さまと天使が登場するのですけれども、神さまの姿は見せませんが、天使は意外な姿で現れます。そしてこの天使はまだ翼のない二級天使という設定なのです。ここでは見えない世界と現実世界との協働ということが描かれております。神さまといえども、人間の行動に直接的な干渉はできないということなのです。気づくも気づかないも自分次第、人間の自由意志とその尊厳のことがさりげなく触れられております。神さまや天使などの存在であっても、人間を救うことなどできない。そして人間を導くことによって、天使もまた翼を得られるのです。つまり現実世界の動向は、神の支配にあるのではなくて、人間の行動に委ねられていると。
しかも人間は気がつくだけでよいのです。この世界がいかに神さまの采配と栄光に満ちたものであるのかを。つながり合っている世界がいかに輝かしく喜びに満ちたものであるのかを。
この現実世界のあれこれは、人の作ったからくりにすぎないのです。それ以前に、すでに目に見えぬ奇跡にこの存在は支えられており、われわれの日々は、目に見えぬ幸せに包まれております。それに気がつくだけで良いのだと、この映画は語ってくれているのです。


クラシックへ帰れ












もっとも日本らしい日本発のヒーローといえば、それはウルトラマンです。もちろんこれは独断と偏見にもとづいてはおります。しかし断言しておきましょう。ウルトラマンはなんといっても日の丸をその体躯に掲げております。銀地に赤はまさに日の丸の暗示ですから。もちろん制作者たちの考えの中にそのようなものはおそらくはなかった。けれどもやはりウルトラマンは日本人の集合無意識が生みだした日本を象徴するヒーローなのではないかとそう思うわけです。



名作が生まれる精神的土壌とは



スター・ウォーズシリーズはウルトラマンの後につくられています。なぜ空想特撮もののジャンルにおいて黄金時代を経験している日本が、スター・ウォーズ級の作品を生み出せないのか?それが現れない原因はどこらへんにあるのか?それがとても悩ましいわけですけれども。
ジョージ・ルーカス氏が創造したスター・ウォーズシリーズは、比較神話学者のジョーゼフ・キャンベル氏の体系的な神話をベースにしております。物語に神話的要素をちりばめたのではなく、物語自体が神話になっておりますので、もうそこらへんから日本の作るものとは良い意味で観点がちがうかもしれません。そもそも映画とテレビの違いもあります。優れた作品は、かならず崇高な精神性や気高い理想というものが土台にあって生まれてきます。日本の場合におきましては、やはり円谷英二氏の存在が大きく、ゴジラシリーズはもちろん、初期のウルトラシリーズも円谷英二氏の存在が強力な磁石になって、そこに様々な天才たちが結集しております。世界の円谷の名に恥じないものを作ろうという意欲に燃えていた。その結果、採算度外視があたりまえな現場の中で、今日の目でみても素晴らしい作品が世に出ました。しかしです。どれだけ人気が出ようとも、視聴率がどれだけ上がろうとも、作れば作るほど膨らむ赤字に、ウルトラマンは惜しまれながらも39話で終了せざる得なかった。それ以降はシリーズの赤字を埋めて、なんとか製作会社を存続する方向へシフトさせておりますから、初期の現場にはあった自由闊達な空気は失われています。企業を存続させるための周到なマーケティングに基づき、効率と経済性こそ正義であるとおのずとなりました。従業員の生活がありますから、それがわるいことなのではありませんけれども、それは同時に現場がかつてのような創造の場でなくなることを意味しておりました。初期の優れた作品を生み出してきた環境とは全く異質なものになってしまっている。これがかなしい現実なのでした。




クラシックは原典・バロックは虚飾



ウルトラマンのデザインをクリエイトしたのは、彫刻家である成田亨という人でした。この方の人となりは、厳格な教師のようであり、静かに語られる芸術的理念は、ウルトラシリーズのデザインに反映されていきました。理想を抱きそれをどんなときにも貫く。そういう精神性や性格が作品の中にやはり表れております。そこにしびれるわけです。またプライベートにおいても、成田美術教室を開いて若者たちに芸術を語る方でもありました。とても印象に残っておりますのは、人はクラシックへ帰るべきであると。それは在るべき営みの原典のことです。源を観つめるということでもあります。理想であってただの理想ではない、それは道のことでもあります。
人間は堕落してくると装飾過多のバロックに陥る。ものを複雑にしていき、本質からだんだんと離れていき、表面的な美しさや楽しみに心奪われていくのだと。本当に美しいものはかならずシンプルな形をしている。わからなくなったら迷ってしまったら、人はクラシックの原典に帰らなければならない。そういう意味のことを仰っておりました。
成田先生のデザインされたウルトラマンや怪獣たちは、まさにそのような美意識から生まれてきたのだなと分かってくるのでした。

その成田亨美術教室の理念は<文化を自分の目で見、美術的な技術によって自己表現する基礎を学ぶ>というものでありました。この<自分の目で見る>というのは、そんなこと当たり前ではないかと思うかもしれませんが、なかなかできることではないのです。人は自分の目で見ているようであって見ていません。情報はあふれており、意識の中にある様々な他者の概念によってしかものは見えていないのです。人間は自分の中にすでにある様々な価値観、これは生まれた時代や環境から写しとっていくものなのですが、それを無自覚の内に仕入れてしまっていて、改めて点検するという事がなかなかできない。そしてこれになかなか気づけません。通常、人は常識というオリの中から狭い範囲をのぞいているにすぎません。平たく云うと常識に洗脳されております。わたしたちの社会は通常、思われているほど安全でも平和でもありません。世界中の金融は一部の人々に牛耳られている。信じがたいことに世界の中央銀行のほとんどがユダヤの民によって握られているのは事実であります。よって世界中の政治も教育も医療もほぼすべて彼らの思うがままです。スター・ウォーズの帝国のような現状がすでにリアル世界にしかれております。仮にこういう情報にふれることがあっても人は自分の目で観ることができませんから、それをあらためて調べるということもしないわけです。それくらい<自分の目でみる>というのはできるようで出来ない大変なことなのです。そういう姿勢を教えていただきました。



ウルトラマンの独自性はどこなのか?



超高価なオプチカルプリンターというフィルムを合成する装置を、資金のあてもないのに円谷英二氏が見切り発注してしまい、それがTBSで引き取ることになって、そこから最終的に『ウルトラQ』の企画が立ち上がることになったのは有名です。円谷英二氏の怪獣が毎週みられるという企画へと結実していったわけです。そして怪獣路線の決定版として『ウルトラマン』が世に出るのですけれども、これも当初は、人類に味方をする宇宙生物が主人公だったようで、そのデザイン画が残されております。







ウルトラマン遍歴のあれこれ



これが最初に東宝の美術の方が描かれたと言われているベムラー      
でも足がシンクロナイゼーションしてます
それは成田先生の大きな特徴なのですが。






主人公が宇宙生物とか宇宙怪人のイメージから、もっとヒーローらしくとシフトしていくのは、テレビ局側の意向であったようです。ベムラーと呼ばれていた宇宙怪人のデザイン過程において身体のイメージは、最終版のウルトラマンに近いものがすでに見てとれます。この時点で一つの革命がおこっております。けれども、もっとも肝心な顔、マスクにおいてはさらに試行錯誤をくり返した後がありますね。ヒーローらしくするための最大のポイントはそこにあるからです。
過去の七色仮面やナショナル・キッドにおいても、頭頂の処理がそれぞれ特徴があります。それと同じではなく別の形で処理する必要が当然あります。しかしそんな形は一朝一夕には決まりません。たいへんむつかしい作業です。成田先生は、これは単純化しかないだろうということで、なぜか決定的なデザイン画を描かずに、立体物の制作を別の方にゆだねることになります。同じく彫刻家である佐々木明という方なのですが、おそらくこの辺りのプロセスで、舞台装飾家オスカー・シュレンマー(1888-1943年) の『トリアディックバレー』(1920年代)第三部『黒い舞台』に登場する仮面の頭部をこのヒーローに導入することにしたのだと思われます。
シュレンマーのマスクとウルトラマンのそれと決定的にちがうのは、鼻の有無です。これを無くしたことがウルトラマンの大きな創造になりました。結果的に全く別の美しさに結実しております。出っ張った所(鼻)を引っ込めて、凹んだ所(目)を大きく誇張させました。シュレンマーのマスクには耳がありません。だから逆に特徴的な耳を付けました。顔の中央部のクレスト(ひれ)はそのまま生かしました。これが七色仮面でもなく、ナショナル・キッドでもないヒーローらしさをアピールするポイントだったからでしょう。この仮面の登場する演目が宇宙をモチーフとしていて、その仮面がそれまでのヒーローにはない意匠を持っていたからこそ、これが土台にされたのだと思われます。しかしあくまでも独自の意匠にこだわったはずです。ですから土壇場まで他に別の可能性がないのか試行錯誤した形跡がデザイン画にも残されております。けれど時間切れになったようです。今でこそ鼻のないウルトラマンの顔は見慣れていて、美しいと感じますけれども、果たして鼻のない前代未聞のデザインが立体として成立するかどうか未知数であったことでしょう。だから決定稿のデザイン画は書けなかったのではないでしょうか。この中央部のひれ、あるいはつば以外は全てオリジナルと逆のことをして生み出されたのがウルトラマンのマスクなのです。スケジュールのない中での苦渋の選択であったろうと思います。
シュレンマーの仮面を土台としたがそこから創造の飛躍を実現した。ですから盗作や盗用の類いではない。
ウルトラマンのデザインは装飾をそぎおとし原典にさかのぼったオリジナルの輝きを放っています。
成田先生がいつも語っていたクラシックの美意識が結晶化した永遠の傑作です。



カラータイマーはなくてよいのだろうか?



成田先生がウルトラマンにおいて生涯、拒んでいたのがカラータイマーの存在でした。これはテレビ局の意向か、あるいはテレビ的な発想から、ドラマに緊迫感を演出するために発案され、依頼されたもののようですから、成田先生は当初から難色を示されていたそうです。ロボットではないのだからエネルギーが切れたからといってそれが光ったりするのはおかしいだろうと。それはもっともなことです。考えたらおかしいとは思います。もっと別の設定があって然るべきでした。
成田先生が描くウルトラマンにはいくつかの例外を除いて、カラータイマーは入っておりません、さらには毎回番組に登場するパース人形にもカラータイマーはおそらく意図的につけられておりません。検討用のひな型人形にもこれはない。徹底しておりました。
けれども過去のヒーローになくてウルトラマンのオリジナル性を際立たせている要素のひとつがカラータイマーでもあります。たしかにピンチの時にわざわざ敵にそれを知らせるカラータイマーは変ではありますが、ウルトラマンの胸にあれがないとなれば画竜点睛を欠きます。物足りない。あそこにカラータイマーがないとそれはもうウルトラマンではないと思ってしまうほど必要なものだと感じています。成田先生ごめんなさいというしかありません、




プロダクションの主張している「みんなで考えて絵描きに描かせた」ということと別の意味ですけれども、もしウルトラマンに原作者がいるとするならば、それは当時の現場で様々な意見を出し合った全員ではないでしょうか。たとえばアクアラングスーツの問題であるとか、カラータイマーを提案した人、スペシューム光線とそのポーズを考えた人、具体的に造形した人、スーツに入って演技した人、デザイン以外の技術的なこと、キャラクターの設定をした人、声をあてた人、音楽を作曲した人、物語的なことも全てふくめて関わった全員の努力と創意工夫で初めてウルトラマンは成立しているわけですから明確な原作者はいない。そういった意味で成田先生がウルトラマンの原作者として著作権を要求できるものではないと個人的には思います。
しかし成田先生の原作料獲得の働きは後に続くクリエイターに道を拓く想いもあったのだと同時に感じております。
プロダクションは初期のウルトラシリーズにおける成田先生の多大なる功績というものを素直に認めて、これからでも御遺族と和解し然るべき権利を分けていく話し合いをされていくべきだと思います。
この問題は永年未解決のまま業界はこれにふれることもできずに停滞してしまっております。
御遺族との間でこの問題が解消されない限り、日本の特撮界もこのまま低迷、停滞し続けてしまうのではないかと危惧します。
スター・ウォーズに匹敵する作品は日本でこそ花咲いてほしいとそう思います。
成田亨先生が原作権と原作料を主張したことは先駆者として立派な行いだったと思います。
この面においても業界に多大な貢献をして下さいました。















バルタン星人は、セミ人間にツノとハサミを付けてほしいという発注でした。腰の辺りの格に書き忘れもあり、御本人の言通り、デザイン画をみましても、やる気のなさが伝わってきます。
芸術性を投入する余地のない注文だったからなのですけれども、実際には革命的な仕上がりになりました。バルタンのハサミの形状は、自然界にも人工物にもそれまで見たことのない形をしております。頭部の形状もまた然りなのです。どこを見ても形の意外性が静かに爆発しております。
シンクロナイゼーションというのは、立体の別々の面を同じ平面に表現する事をいうようですが、セミ人間は、セミを正面と上からみた形の同存化が試みられています。けれどふつうに見ましたらセミの顔そのままの印象です。セミの顔を宇宙人の顔にする、これだけでも革命ではありますけれども、そこにツノとハサミという別の形を融合するというのは、アバンギャルドな発想だったのです。そこに成田先生の感性が加わり、さらにデザイン画のイメージを増幅する造形がなされた事で、バルタン星人は以後の日本における宇宙怪人の典型となりました。形はそれぞれであっても、日本の宇宙人はみな不思議で独創的な形を追求するようになりました。ここから伝統が始まったのです。





レッドキングのデザイン画がなぜこんなにゆがんだポーズをしているのか?
永年疑問だったのですが、中に入る演者とぬいぐるみとの間にできるたるみをわざわざ描いてみせているのでしょう。
身体中の階段状の蛇腹は、小さな頭部までの距離感・巨大感を演出すると同時にスーツにしわが寄らないメリットがある事をデザイン画に描いてアピールしているようです。
ちなみにぬいぐるみを製作した高山良策さんは、このままの足を造形・再現しております。






ウルトラマンの故郷





















ウルトラ怪獣の魂百まで



昭和42年。埼玉県越谷市。春にはれんげの花咲く田んぼのあぜ道をランドセルの小学二年生はあわててかけもどっておりました。大切な答案用紙をおとしてしまったのです。35点。いや28点だったかも。まあじまんできる点数ではありません。やばいはずかしい。そんな気持ちもあったでしょう。
でもそれよりうらにびっしりと怪獣がかいてありました。テスト中にかいたのかもどってきてからかいたのか。なにをやっているのでしょう。われながらさすがです。ですから答案用紙というよりも精魂こめただいじな作品だったのです。すると向こうのほうで少年たちがあつまって何やら手にしてみています。それはまぎれもなくわたしの落とした答案用紙なのでした。少年たちが見ていたのはもちろん裏がわでした。大好きなザラブ星人やらバルタン星人の二代目やら。ゴモラやら。レッドキングやら。「これ、きみがかいたの?」
そしてほめられたんですね。とってもこそばゆいきもち。こんななにげない少年時代のことを今でもおぼえているのは、よっぽどうれしかったのでしょうね。
怪獣新聞もつくったりしました。ウルトラマンのつま先はとんがっているときとそうでないときがあるとか。かおが前よりかっこよくなってきたとか気づいたことを記事にして。もちろん怪獣の絵をつけて。10円とかで社宅の下級生にうったりしましたけれども、せっかくつくったものを手放すのがおしい気持ちもありました。今なら当然コピーしてつくるでしょう。
社宅の団地ですから子どもがいっぱいいます。あそぶのはいつも集団ですよ。たんぼにはカエルもいたし、アメリカザリガニもいたし、自転車をとばして荒川までいって、たなごをとる仕かけもおそわりました。
そしてウルトラマンごっこ。怪獣のソフビ人形。ひきだしには5円の怪獣ブロマイド。ビデオはなくてもいつでも友だちと情報交換をして怪獣図鑑をよんで想像のつばさを広げておりました。ゲームはなくてもテレビをつうじて、自然をつうじて、遊ぶことに不自由しない昭和のよき時代。よき環境におりました。
ふたつ上の上級生のたまちゃんが手作りのザラブ星人のかっこうをして団地のかどからふいにあらわれたときはこおりつきました。とっても不気味な妖怪のようなザラブ星人でしたが、そこだけハッとするような異次元感があって。とにかく怪獣のことを考えているときがいちばんしあわせでした。生活のほぼすべて怪獣のことしか頭にない。そんなモーレツな毎日でした。
ウルトラQが始まる前に怪獣の名前募集というスポットが流れていました。それとも特番だったのか。ガラモンがダムを破壊するあの印象的なシーン。少年はそれ以来怪獣のとりこになりました。あの強烈なビジュアルにやられてしまったのはまちがいありません。




これは五つしたの弟です





それもこれも成田亨というひとのデザイン感覚にやられたのだと思います。物語はときに童話のようでもあり社会派のドラマのようでもあり、昭和の高度成長期のあつくてあたたかなエネルギーにあふれています。今でもいや今でこそすばらしいのはまちがいない。でもまずビジュアルにやられたわけです。
当時は怪獣やヒーローたちが次から次へとうまれてきました。でもその中でもこころひかれるのは不思議と成田デザインの怪獣なのだとあとからしるわけです。造形も奇跡的にすばらしかった。ほんとうにいのちがやどっているように見えます。とくに目ですよね。デザインに生命をあたえて怪獣を造形した高山良策というかた。ウルトラマンを造形した佐々木明というかた。奇跡の造形のちからがなければやはり生命はやどらなかったでしょう。
後年わたしが決定的に心うばわれたのは、成田さんが怪獣をつくるにあたって大切にしていた怪獣三原則に出会ってからでした。当時の怪獣書籍にも掲載されているのですがそれをわたしはもっていなかった。だからしらなかったのです。
資料によって表現にいくつかバリエーションはありますけれども、

●既成の動物を巨大化させただけの発想ではなく独創性を出す
●首が二つとか、手足の多い奇形は作らない
●内蔵が剥き出しで血を流すような身体が壊れたものを作らない

この内容が名作をうみだす絶対条件だとまでは思いませんが、仕事に対して、子どもたちに向けてこんなにも真摯な良心をもってデザインされていたというその精神にふかく感激しました。なるほどそこからちがうのかと。ビジュアルだけでも心酔していましたが、それからはもう成田亨信者です。宇宙船という雑誌で、成田さんが美術教室を開いているとしって出版社に電話をかけました。個展にも顔を出しました。声もかけさせて頂きました。そんな行動力はじめて発揮しました。雲のうえのひとが目のまえで微笑んでいましたね。
ちなみに成田亨美術教室の理念は<文化を自分の目で見、美術的な技術によって自己表現する基礎を学ぶ>という高邁なものでした。美術の素養のないただの成田怪獣ファンでしかないわたしはこりゃ場違いなとこにきてしまったのかという感覚はやはりありました。そして信者ではありますが、自分の目でみろと教わりましたので盲目的な信者ではないと思っています。



成田亨という大天才をかかえていながら日本特撮界はその才能を生かすことができずに『スター・ウォーズ』や『E.T.』のような大作の夢ついにかないませんでした。残念なことだと思います。晩年まで創作意欲とその孤高の精神と感性は衰えることはありませんでした。いつかまた世に問うための秘蔵のアイディアもお持ちだったかもしれません。その習作にあたるものはあたらしい目録で公開されました。
お身体は長年の不摂生がたたってはおりました。脱線することばもあったかもしれません。けれどどんなときもごまかしを云わずご自分に正直な方でした。妥協をゆるさぬ在りかたなのでうわっ面のおせじなんかきらいなようでした。まことの芸術家は己の信じたものをどこまでも深く追求する姿勢が常人とはちがいます。求道者なのです。そういう精神があってはじめてたどりつける境地や作品があるのだとしりました。
贅沢な少年時代を過ごしましたね。いまだに初代ウルトラマンのデザインと造形がビジュアルの頂点かもしれません。それは妥協を許さぬ精神からうまれてくる。イデアという原型を追求する姿勢からしかうまれない。それをもっていたのが成田亨というひとでした。こんなにも神々しく同時に人間味のあるヒーローに少年時代に出会えてしあわせだと思います。













仮面ではないマスクの創造



前衛バレエの世界ですけれども、舞台装飾家オスカー・シュレンマー(1888-1943年) の『トリアディックバレー』(1920年代)第三部『黒い舞台』の衣装のひとつ銀の仮面が、初代ウルトラマンにそっくりだという指摘が数年前からなされております。なるほどとても似ております。似ているけれどまったくちがうとも言えます。ちなみにこのようなデザインは、それ以前にアフリカの仮面などにも見られます。かならずどこかに似たものが存在するのは当たりまえではあります。
成田先生は生前これについてひと言もふれていなかったはずです。もしかしたらウルトラマンのデザインはこれを叩き台にして進められたのかもしれない。そう考えるのが自然だとおもいました。なぜなら古今東西の資料収集に余念のなかった先生が、同じ彫刻家であったオスカー・シュレンマーのこの仕事を知らなかったというのはむりがあるからです。
しかしだからといってウルトラマン創造の成果が損なわれるものではありません。成田先生の感性がそこに入ることによって結果的にシュレンマーのマスクとは別次元の魅力にあふれたものになっているからです。
成田先生は参考とした形の要素を逆にして強調するということをよくします。なぜウルトラマンの目があのように飛び出した形になったかといえば、シュレンマーの仮面の目が凹んでいるからでしょう。そういう発想だとするならば演者の覗き穴の処理がはじめからの課題であり、結局解決できなかったことも合点がいきます。そののちにデザインされたウルトラセブンもヒューマンもはじめから覗き穴の問題をクリアする形でデザインされていきます。
そしてシュレンマーのマスクにはない耳をつけ、逆に鼻をとったところデザイン上の革命がおこりました。しかも口元にアルカイックスマイルをたたえ血のかよった表情をあたえます。さらにコンセプトとしては仮面ではないそうです。
それ自身が皮膚なのか仮面なのかわからないもの。つまりそれまでのヒーローの覆面や仮面姿の系列ではないものです。
未知の宇宙超人のビジュアルがここに誕生したわけです。シュレンマーの仮面とは別のイメージが結実しました。また不思議なことに、放送では一週間はやいマグマ大使もウルトラマンも当初現場では口元を可動させる予定があり実際に試みられておりますけれども、仮面ではない金と銀の画期的なヒーローがほぼ同時に誕生したことになります。


予算の都合で、怪獣のぬいぐるみが別の怪獣に流用されることが多々ありました。成田デザインは原型の要素の逆をするというわかりやすい例が見られます。ベムラーはギャンゴに。ゴモラはザラガスに改造されていますが、ベムラーの短い腕は、ギャンゴでは異様に長い腕にされます。ゴモラは横に張り出したツノに特徴がありますが、ザラガスではツノが縦というか手前に付きだした形にデザインされています。元になったデザインの要素を逆に強調するので原型がわかりにくくなります


それからガラモンですが、これは映画『禁断の惑星』のロボット・ロビーが原型になっております。似ても似つきませんけれども、ガラモンを要素で分解するとロビーと同じなのです。おそらくガラモンが宇宙から送られてきたロボット怪獣という設定だからなのでしょう。ガラモンの腕は生物としては不自然に手前に突き出ていますね。かなり唐突な発想です。これはロビーの腕がそのように前に突き出ているからです。ガラモンの口は魚のコチを参考にしたと後年語られておりますが、それはそうだとしましても、それ以前にロビーの口に当たる部分がそのような形をしているからでしょう。ガラモンの足に段々があるのは、やはりロビーがそうなっているからです。ガラモンの全身に生えているヒレも不思議ですけれども、あれはロビーの表面が丸くつるりとしているので、逆にロビーにはない要素を付け加えたという発想なのではないでしょうか。あれがロビーのアンテナにあたるのかも知れませんね。ロボットという設定ながら、その逆に生物感で全身をまとめていって全く別のデザインに決着しています。常人には中々できない天才の発想法です。ガラモンをデザイン画でみるとベムラーに近いものがありますよね。自信のあるデザインだから、ウルトラマン第一話の怪獣に発想を流用したのだと思われます。














物語のコスモス・現実のカオス



成田先生は番組をはなれたところで、ウルトラマンがコスモス(秩序)で怪獣がカオス(混沌)とよくかたっておりました。ドラマでそのように描かれたわけではありませんが、初期の作品が様々な良心によって支えられ作られていたのは幸いでした。採算を考えずに仕事ができた環境がまだありましたから、その分だけ後世にほこれるクオリティの高さを維持できていました。
そんな幸福な初期の作品群でしたが、そのウルトラマンも現実世界ではいくつかのもめごとや訴訟の対象になっております。どのもめごともウルトラマンはだれのものなのか?ということのようです。その権利をめぐっての対立です。
ウルトラマンは光の国からきたことになっています。皮肉なものです。イデアが輝けばかがやいているほど現実の闇もまたきわまる状況があります。



いまだこりずに怪獣新聞



こうしてわたしは子どものときにひとりで怪獣新聞をつくっていたのと全くおなじことをパソコンをつかって今しております。これがあの時のつづきです。まだ終わらない宿題のようなものです。
ウルトラ怪獣をつうじて、また成田先生をつうじてテーマとして与えられたもの。それはカオスとコスモス。絶望と希望。空想や観念ではなく現実を生きるための問題です。あの強烈なビジュアル体験はこのテーマに導くためのものだったのでしょうか。そしてカオスとコスモスの黙示録のようです。応援歌でもあります。
本来だれのものでもないウルトラマン。イデアとしてのウルトラマン。その故郷がどこなのか。

●カオス=混沌・暗転と光転の因子が眠る現実化以前の状態
●コスモス=秩序・調和・存在をいかすもの
●絶望=暗転を生みだす心の状態・可能性が閉ざされた心の牢獄
●希望=光転を生みだす心の状態・可能性が解放された魂の飛翔
●ウルトラマン=人間の在るべき未来のビジョン
●光の国=見果てぬイデアの世界

人間は煩悩とイデアとの間でゆれてひきさかれている存在です。
イデアとは可能性の原型や青写真のことのようです。
帰るべきところを見失った人間は何を手に入れようとも儚い蜃気楼。うたかたのかなしい夢。
ウルトラマンの物語は帰るところをまちがえないように、
未来人の姿で見果てぬ光の国へと少年少女を導いてくれているのかもしれません。

このすばらしい動画にウルトラマンのメッセージがきっと語りつくされています

このウルトラマンマスクは放送終了時にオリジナルから記念にぬかれたものだそうです。
神々しい色合いですが塗装ではなくて長年のヤニがしみついたもの。写真ではわかりませんがちょうど覗き穴あたりのダイヤカットが破損していてセロテープがはられておりました。
この色合いがのちに黄金のウルトラマン=神変のイメージになりました。
現在べつの色に塗りかえられる以前のカラーです。