イムジン河に架ける虹の橋
あの素晴らしいゆりをもう一度
パッチギ!編
この映画から始まったようなものです
中村ゆりさんが新たなキョンジャを演じた映画
『パッチギ! LOVE & PEACE』
今作は主人公たちの出自を遡り辿っていく物語
理不尽・差別・憎しみ・闘争と破壊
その集積である戦争
冒頭より果てしのない諍いが容赦なく描かれる
同時に様々な愛の形
家族・人を恋すること・汚れていくこと・それでも譲れないもの・覚悟、そして病い
※
前作と同じく『イムジン河』がメインテーマ曲です
イムジン河とは朝鮮半島に流れる河であり、
それは人と人とを隔てるもの、
そして再び結ばれることを願いとする唄として響いてきます
※
ゆりさんは病を得て虹の橋を渡ることになりました
ご本人としてもファンとしても理不尽な現実です
喪失感にすさまじいものがあります
けれども世界は理不尽なだけではなく、
ここでしか出会えない大きなものがあるわけですけれども、
この理不尽さの大半は我々が作り出していると云うこと
人と人とを隔てるものが社会構造的にも、
我々の内側にもあると云うことの気付きが大切だと思います
※
1924年父親が済州島で生まれたことを劇中キョンジャはカミングアウトします
父が家族のために逃げたことを「私は恥じたことはありません」と涙ながらに語る魂の叫びは、
しかし更なる対立を呼ぶ
その救いようのない現状を映画はありのまま描いていきます
ゆりさんはこの映画に縁を持ったときから、
お役目として虹の架け橋になったのだと感じています
声高に何かを叫ぶわけでもなく訴える訳でもないけれども、
諍い分かたれた世界、
綺麗事だけでは生きて行けない世界とそっと一つになるように、
ありのままの自分で在り続けた
いつも静かに片隅を照らすように在り続ける人
そんな人の突然の知らせに、
今はとにかくさみしいです
いつも『イムジン河』を聴くと胸があつくなります
分かたれたものが、
再び結ばれることを願いとする
そういう唄として聞こえてくるからなのです
※
では何が我々を分けてしまったのか?
朝鮮の方々と日本人が対立構造に至った歴史的背景を記します
現在我々が分かたれているのはこういうことのようです
※
1910年(明治43年)に明治政府による韓国併合条約が調印
明治政府の併合の目的は決して侵略ではありません
最終的には朝鮮を独立国へ導くための経済的・教育的な支援を目的としました
その為に日本語を押しつけるのではなく、
当時朝鮮では使われていなかったハングル文字を復興させて教育に当たります
5000校もの学校を設立して識字率が4%から61%に上がり、
朝鮮人の平均寿命は24歳から56歳にまで伸びたといいます
かつて大日本帝国が朝鮮半島を領有する以前、半島には「両班」という特権階級が存在していました
彼らは生活の為に決して働いてはならない最も位の高い貴族だった
欲しいものはその都度全て民から召し上げて済ましていた
そしてそれに誰も逆らう事の出来ない仕組みがそこにあった
しかし韓国併合条約で差別階級制度が撤廃されました、
そして苗字がなかった民にも戸籍が作られます(=創氏改名)
好きな姓を名乗ることが許されたので、
多くの朝鮮人が日本風の名前を選んだのだそうです
当時の朝鮮人は日本を愛していました
戦争へも強制されていったわけではなかった
朝鮮人は優遇されていたために軍隊への徴兵はなかったけれども、
志願兵が多数いた
昭和18年には6300人の志願兵募集に対して
39000人の朝鮮青年の応募があり、出征した朝鮮人は24000人
うち21000人余人が戦死して靖国神社に祀られているのだそうです
アメリカのルーズベルトとソビエト連邦のスターリンの計画では、当初敗戦した日本は分断される事になっていたそうです
朝鮮半島は連合国による信託統治を一定期間行う予定でありましたが、日本はなぜか国土分断を免れます
実際に国土分断されたのは朝鮮半島でした
ではどうしてそういうことになったのか?
その背景にはルーズベルトの急死と連合国軍の最高司令官ダグラス・マッカーサーの存在がありました
マッカーサーは昭和天皇に会見したその時に、
自らの命を差し出し民の命を優先した陛下のその姿に打たれます
日本と天皇に対する考え方を根本的に改めた
それが日本に幸いしたようです
しかし日本は分断こそ免れたけれども、
もう一方で恐ろしい事が起こりつつあったのです
GHQ=「日本が再び米国の脅威とならないことを確実にする」
主導の下、1945年9月『在朝鮮人連盟』が結成されたのです
恐ろしいことです
それは日本を内側から分断することを目的として組織されたのですから
それに先立ちルーズベルトは『カイロ宣言』(=連合国の対日方針などが定められた)に於いて「日本は朝鮮人を奴隷化して搾取していた」と発言しています
史実を歪曲してある目的に方向付けようとした
ここで歴史は隠されねじ曲げられたのです
ルーズベルトはフリーメイソンとコミンテルン国際共産主義のメンバーだそうです
そしてここで朝鮮の人々に戦勝国としての特権が与えられます
引き替え条件はこのように主張せよです
●日本人に騙されて連行されてきた
●強制的に出兵させられた
●我々は日本人の奴隷であった
そしてその報酬・特権とは、
日本に於いて何をしてもとがめはないというものです
駅前の一等地であろうと、
財産であろうと女性であろうと望むまま
戦後まもなくの日本には女子供、老人しかいない
生き残った男性達はまだ戦地から帰っていない状況
そして警察もマスコミも機能していなかった
本来は犯罪なわけですが、
それは野放しにされ報道もされなかったのです
GHQはどんな蛮行であっても朝鮮人には干渉しない
暗に奨励されていたわけです
※
歴史はねじ曲げられたようです
朝鮮人と日本人
かつての兄弟としての絆は失われ対立し、
時に憎しみあっている状況
しかしそれはそのように方向付けられた結果なのです
※
映画では朝鮮と日本の若者達の諍いが描かれ、日本によって徴兵されて脱走を試みるキョンジャの父親たちのエピソードが描かれています
歴史は施政者・戦勝連合国・チカラあるものによって改変される
また時や世代を経ると客観的事実というものは解らなくなっていくものです
ここに綴った歴史的経緯も同じくでしょう
※
だからこそなのです
歴史を越えて、いきさつを超えて結び直す必要があるのです
そうとは知らずに操られている人生を取り戻すために
ひとり一人の意志によって
今ここで
問題となる対立や暴力の根源は社会的構造にもありますが、ひとり一人のこころの中にこそあります
変えられるのはこちらなのです
何者かの意図に踊らされている諍いからの脱却
あるいは解放
偏向した社会的構造からの自由
民族の優劣や出自は全く問題にならないのです
こころの在りかた・在りようの問題なのですから
暴力的革命は不要です
混乱と混沌を突き詰めれば、誰のせいでもありません
あるいは人類全員に関係しています
結局のところ、戦争の悲惨さは個人の闇の集積だと感じるからです
元からひとり一人が闇の一部でもあるからでしょう
それはこころの中で静かにおこすべき変化
静かだけれども決定的覚悟と決意をもって
※
とてもくるしかったかもしれませんが、
中村ゆりさんは見事に最後までやりきりましたね
現し身を離れてもこれまでの歩みは消えない
蒔かれたものは沢山の実を結び続けるでしょう
これからも
ヨハネによる福音書 12:24 新共同訳
一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままである だが死ねば多くの実を結ぶ
いづれ誰もが虹の橋を渡ることになる
終わりはまた新たなる始まりなり
特に少年チャンスの歌声が反則なのですが、
登場人物たちが歌うエンディングの画像がないので、この唄が生まれた当時の映像で
井筒監督にピグモンと呼ばれていたみたいですが、
この頃のふっくらしたお顔を拝見すると、
なるほどとっても綺麗なピグモンに見えなくもないですね(*^^*)
白い花ならゆりの花
す
中村ゆりさんが旅立ってしまった
あまりにも突然すぎるよ
テレビ画面にふと、あのいつもはにかんでいる笑顔が映り、一瞬結婚報道かと身を乗り出してしまった
まさかまさか23歳も年上のわたしよりも先にいってしまうなんて
病を得て、ふたたび得て、だからこそ、あきらめずにより良い人生を求めて、一つ一つ大切に歩んでいたのですね
※
韓国を題材にした映画に抜擢されて、
韓国に縁があることを自ら明かしたゆりさん
でも病のことは語らなかった
とてもつらい選択でしたね
いつもいつも真摯に向かい合うべきものに向かい合っていたと云うことですね
たくさんの人が強い人だと褒めたたえていますね
ゆりさんの旅は国境も超えたのかもですね
※
数多く残された映像の中で最も印象深いのは、
自転車に乗る番組で、一生懸命走り終えたあとの何とも云えない孤独感をたたえたあの瞳
ちからの限り走りきって座り込んで空を見上げているあの横顔です
※
2010年10月30日今は亡き銀座福家書店
あの握手会があって、
ゆりさんに発信するためにこのブログは生まれました
本当はそのためだけに初めてのブログを書き綴っていました
ゆりさん見たさに福岡までも行きましたっけ
10年くらい前なのですね
読み返すとなつかしいです
ありがとうしかないです
ブログって本当に良いものですね
あの頃の仕事は定年になって、
今はヘルパーになりました
わたしは私で成りたい自分に近づいています
おそまきながら
※
書くということ
あるいは何かに打ち込むということ
どちらもそれはきっとこころの旅なのです
元々は強い人なんかではないですよね
あのいつもはにかんだ笑顔
深い孤独をたたえている瞳
一生懸命走りきった横顔
それが引力になっていて魅きつけられて
片隅をそっと静かに微笑んで照らすような人
やっぱりいいな中村ゆり
怪獣使いとノンマルト
戦いぬいた戦士に捧げるレクイエム
テレビの仕事にも怪獣映画にも興味のなかった沖縄出身の上原正三さん。同郷の金城哲夫さんの縁で円谷プロに入ります。沖縄がまだ外国領土だった頃でした。テレビ業界も激動の時代です。空想特撮シリーズの大成功。新企画の視聴率的な失敗。成功しても失敗しても累積する赤字。局プロデューサーとの軋轢。沖縄返還と海洋博。空想特撮シリーズの大黒柱であった金城さんは沖縄に帰ってしまいます。
フリーになった上原さんは、金城さんの後を継ぐ形で『帰ってきたウルトラマン』のメインライターに抜擢されます。初めてのメインライターでした。
それはとてもむつかしい仕事だったでしょう。なぜなら最初のウルトラマンのテイストは金城さんにしか描けないものだったからです。
夢のあるおおらかな寓話。近未来的な感覚。どこまでもやさしくあたたかな眼差し。理想を描く崇高な世界。そしてそれが描ける自由でエネルギッシュな時代背景や環境がありました。まとめ役の金城さんがいてくれたから、他のライターさんも自由に書くことができたはずです。わたしは金城さんのウルトラマンの大ファンですから、上原さん以降のウルトラマンにはずっと違和感を感じていたのも確かです。それなのに大好きなのが『帰ってきたウルトラマン』という作品でもあります。そして好ききらいをこえて、どうしても引きつけられてしまう何かがそこにはあるのです。
それが何なのか還暦をすぎた年になってようやくわかりかけてきたのです。
まつろわぬ民の語り部たち  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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上原さんは子ども番組だけにその生涯を捧げた方でした。
天に帰っていった上原さんの描いてきたものを感謝をこめて振りかえることは、自分に影響を与えたものを確認することでもあります。
テレビで空想特撮シリーズの洗礼を受けた少年のわたしは怪獣ごっこに明け暮れる日々をおくっておりました。たいていの男子はそんな感じだったでしょう。戦争の悲惨さも戦後の貧しい混乱期とも無縁な戦争をしらない世代です。個人的には差別もいじめもほぼ縁がありません。一度だけ銭湯で朝鮮人の二人組の子どもにからまれそうになった事があるだけです。平凡な日常の中でテレビに熱中し野を駆け廻る何も知らない何も知る必要のないような環境で育ちました。幸福なのかそうではないのか無知な子ども時代をおくったのです。
成人してから気づいたのは大切なことの多くをテレビから教わっていたという事実です。大好きな怪獣に対しても子どもの頃と今とではその認識が根本的に違っています。
怪獣というのは大人の目線で見ますと<まつろわぬ民>の代弁者なのです。
まつろわぬとは、神々や体制に抵抗するもの、従わぬものを意味するようです。歴史の表舞台から去って、存在を抹消されているもの。
それは平和に暮らしていた心優しきものたちが虐げられて鬼になっていくような心の煉獄です。
大きな秩序に滅ぼされ淘汰されていく存在たちの声であり化身が本来の怪獣というものだと思うのです。
また人間の想念だけではなく、人の営みに破壊される大自然も自然災害という形の怪獣に変わるかもしれません。
そういった諸々の無念や嘆きや自然界の聖なる怒りが人間の集合無意識に蓄積されていく。
それはいつか人間の手によって光を当てられ、解消され浄化されるのを待っているカオスのエネルギーでもあります。
それらを形にした象徴が怪獣の本質であり、それを色濃く反映していたのが空想特撮シリーズでした。
空想特撮シリーズに関わった初期の優れたクリエイターたちが、
沖縄や東北といったまつろわぬ民ゆかりの地出身だったのもおそらくは偶然ではなく、その気質や資質から、
時代に選ばれた形の方々なのでしょう。
初期のすばらしい作品を生みだしたのちに沖縄返還を前にして不思議と現場を離れたり、鬼籍に入られたりしております。
上原さんはそうした初期のメンバーの中でずっと変わらずに長い間、まつろわぬ民の声を語り続けてくれた方でありました。
弱肉強食の人間社会はまつろわぬ民の無念の想いの上に構築されていきます。
大和朝廷に滅ぼされた原日本民族もまつろわぬ民でしょう。世界中どこでも時代と地域を問わずおこっている人間の哀しき営みです。
それは平凡な日常で起きる終わることのない虐めの現実の中にも現れてきます。
上原正三さんの数多い作品の中で、強烈な印象を残しているのが「怪獣使いと少年」というお話です。
当初、納品を拒否された『帰ってきたウルトラマン』の中のこの作品は一部シーンを撮り直して放送にこぎ着けたそうです。
しかも脚本の上原さんと監督を番組から追放するという条件付きです。
いじめをリアルに描いていること。部落・同和問題を想起させることだけでも問題を抱えているわけですが、
なぜメインライターであった上原さんが、その立場でありながら、そのような題材の脚本を書いたのか?
それはやはり金城さんとの関わりにその答えがあるようなのです。
闘う神マルスの否定形ノンマルト  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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金城哲夫さんが『ウルトラセブン』の時に書いた問題作に「ノンマルトの使者」があります。
なにが問題なのかというと、
実は人類こそ侵略者であった(かもしれない)という設定だからなのです。
かつて侵略者であった人類によって海底に追いやられたノンマルトという民族が現れる。ノンマルトは地球土着の争いを好まぬ民族です。
それは大和朝廷に滅ぼされた原日本民族の末裔が登場するというのと同じ構図なのです。
落ち延びた海底からも住む場所を奪われようとする平和主義者のノンマルトが人類の兵器をうばって報復に現れるというお話なのです。
ウルトラセブンが人類を守るためにノンマルトを退治するならば、侵略者を倒すはずのウルトラセブンが侵略者に手を貸す存在となってしまう。ウルトラセブンという番組の基本構造を根底からひっくり返してしまう問題作なわけです。
実は金城さんのこの「ノンマルトの使者」以前に、上原さんが<島津の琉球侵略>を題材とした「三百年の復讐」という物語を書いているそうです。この映像化されなかった作品が、金城さんを刺激してメインライターの立場を忘れたかのようなノンマルトの物語を書かせたとも考えられます。
同郷のこのお二方は互いに触発される形で交互に問題作を書いているように見えるのです。
上原さんがメインライターを務めた『帰ってきたウルトラマン』に帰郷した金城さんが1本だけ脚本を書いております。
それが<沖縄に配置されていた毒ガス>を題材にした毒ガス怪獣のお話でした。
そしておそらく上原さんが、金城さんのノンマルトと毒ガス怪獣という問題作のアンサーとして書いた、
いえ書かずにいられなかった作品が「怪獣使いと少年」という物語だと思うのです。
「怪獣使いと少年」のあらすじ
メイツ星(友の意)から密かに気候風土の調査に訪れた宇宙人が、偶然その場に居合わせたみなしごの少年を救うことになります。
少年に襲いかかる怪獣を地底に封印し、飢えと寒さに震えて、死にかけている少年を介抱して一緒の暮らしが始まります。
しかし宇宙人は地球の気候に馴染めずに身体は次第に衰弱していくのです。
河原のバラックで暮らすこの得体の知れぬ二人に危険な宇宙人の嫌疑がかけられて、少年はことある毎に虐めを受けるようになっていきます。そして老人の姿の病んでいる宇宙人は、無抵抗のまま、街の暴徒たちによって惨殺されてしまうのです。
ふたたびひとりぼっちになった少年は、老人が埋めた宇宙船をさがすために今日も河原を掘り返すのでした。
いつかそれに乗って地球にさよならをするために。
教訓めいたメッセージなどが描かれることもなく、
ただただやりきれない現実を提示したまま物語は幕を閉じます。
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ウルトラマンを滅ぼす物語
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注目したのはこの宇宙人の設定でした。
上原さんはかつてウルトラセブンを観測のため地球に立ち寄った存在として描きました。
そして帰ってきたウルトラマンの設定は、少年を助けた主人公に感動して一心同体となることでした。
つまり気象観測にやってきて、少年を助け、怪獣を封印する能力を持つこのメイツ星人は、これまで上原さんが描いてきたウルトラセブン、帰ってきたウルトラマンそのものの性格と設定が与えられているのです。
姿こそ醜いメイツ星人ですが、かれはウルトラマンと同じ救世主的存在として描かれています。
そして劇中でこの宇宙人を一般市民たちによって殺してしまっている。
上原さんはメインライターでありながら、そのような超人をある意味では否定しているわけです。
このお話は番組の主人公である理想世界の超人ウルトラマンの否定でもあります。
メイツ星人という宇宙人に置き換えて殺してしまっているわけですから。
ではなぜそのようにしてしまったのでしょうか?
現実世界はこの物語のように偏見と差別に満ちた時に暴力の支配する世界である。この世界で生き抜いていくためには、救世主に頼ることなく、ひとりでたくましてあってほしい。そう描いているのではないでしょうか。
金城さんがふたつの最終回で描いた人類の平和は人類自らの手でというメッセージともリンクしています。
この「怪獣使いと少年」はウルトラマンと怪獣がいなくても成立してしまうお話です。
怪獣使いというサブタイトルなので、いかにも使役されている怪獣のように思いますが、
メイツ星人とは関わりのない、ただそこにいただけの怪獣にしかすぎません。
ウルトラマンは性格の与えられていない暴れるだけの怪獣を役割通りに倒すだけなのです。
上原さんが訴えたい、許すことの出来ない暴力は、善良なはずの一般市民の心の中にありました。
疑心暗鬼・自己保身・集団心理が救世主の性格を与えられた存在を滅ぼす物語。
ここには人間が怪獣(=悪役)化するという逆転と、
救世主(=メイツ星人に置き換えたウルトラマン)が怪獣(=まつろわぬ民)に移行するというふたつの逆転があります。
同じく逆転劇だった金城さんの「ノンマルトの使者」へのアンサーなのでしょう。
上原さんがメインライターの座を脅かされる危険を冒してでも描きたかった物語なのです。
忘れてはいけないこと  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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金城さんの晩年のエピソードですが、海洋博時期の創作ノートにウルトラマンタロウのシールが貼ってあったそうです。
(※特撮秘宝vol.8/続・金城哲夫をさがして/P.241)
残していったシリーズに対して、自分が関わらなかったウルトラマンタロウに対してどんな気持ちを抱いていたのでしょうか。
沖縄と本土の架け橋になろうという尊い志。空想特撮シリーズで積み上げた実績と栄光。そこでの挫折や障害。沖縄劇を書こうにも沖縄人としての資質に欠けているという自覚。海洋博での地元民との不協和音。そしてアルコール中毒症という哀しい現実。身も心も引き裂かれてしまった金城さん自身が、まつろわぬ民に呼ばれてしまったかのような最後でした。
けれど金城さんが考えていたのとは別の形ですが、すでに沖縄と本土との架け橋になってくれておりました。
光の国とウルトラマン・ウルトラセブンという永遠の理想像を残してくれたからです。
上原さんは沖縄人として金城さんとは別の選択をします。
架け橋という理想を掲げずに、沖縄人として本土で生きていく道。それは現実世界で人のチカラを頼りにしないで逞しく生きていく誓いでした。
しかしそれが結果的に沖縄と本土との架け橋になったのではないでしょうか。
そして金城さんの「ノンマルトの使者」と上原さんの「怪獣使いと少年」は特に<まつろわぬ民の声>を色濃くすくい上げている作品でした。
それは子ども達の無意識レベルに大切なことを植えつけてくれました。
現実世界はまつろわぬ民の亡骸の上に建てられていることをメッセージしてくれていたのです。
生きていく中でけっして忘れてはいけないやりきれない現実があるということを。
パン屋のおねえさんという救い  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「怪獣使いと少年」に登場する街の人々の中でひとりだけ少年にやさしくした人がおりました。
それがパン屋のおねえさんです。120円でパンを売ってあげる。ただそれだけのことでした。
ただそれだけのことが人間には中々できないのです。
自分のいる場所をそっと静かに照らすような、そんなおねえさんの行為でした。
天涯孤独。独りぼっちになった少年がずっとあきらめずに掘り続けているものがあります。
それは少年にとっての理想の国メイツ星へ行くための宇宙船でした。
でもその姿は骨を拾っているようにも見えます。
怒りや嘆きや無念の想いを抱いて歴史の表舞台から消えてしまった人々の骨を。
まつろわぬ民を生み出してしまう哀しき人間の営みはこれからも変わらないかもしれない。
でもだからこそ人間は光の国という理想のビジョンを追い求めてしまうのでしょう。
愚かだからこそノンマルトや怪獣使いのようなまつろわぬ民のことを忘れてはならないと思うのです。
絶対自力のウルトラ五つの誓い
沖縄の反骨精神のひと  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
脚本家の上原正三さんが2020年1月2日、地上を離れられました。82歳でした。それを知ったのが1月9日のわたしの誕生日。それもなにかの巡り合わせなのでしょうか。本当におつかれさまでした。特撮番組、そしてアニメにと子ども番組だけに生涯を捧げた方でありました。すべての人の子供心に寄り添ってくれた生涯でした。
1966年『ウルトラQ』「宇宙指令M774」がデビュー作。年末の4K放送でたまたまその回を観ていました。それもなにか不思議です。とっても長い旅でありました。
昨年12月の円谷コンベンションで生ライブの合間に挿入された石坂浩二氏によるナレーション。その原稿を書かれてもいました。なぜかウルトラシリーズは初期から中期まで沖縄の人がメインになって物語がつづられます。その出自ゆえなのでしょうか、差別が生まれてくる社会の在り方に差別される側から向き合う姿勢を崩さぬ方でした。
子どもや弱者に寄りそうこと。許せないものと闘うこと。そして約束はどんな小さなこともいのちをかけて果たす。守る。そんなメッセージを発信し続けてくれた孤高の精神の方でありました。
手がけた作品は、ウルトラシリーズ、ロボコンやゴレンジャーやキャプテン・ハーロック等々。また上層部に猛反対されていた時期の仮面ライダーの企画にも説得する立場で関わっております。
逸話をひとつ挙げるなら『帰ってきたウルトラマン』ではメインライターという立場なのに差別問題を題材にした作品を書いて問題となり、その結果、それを放送する事と引き換えに番組から追放処分されてもおります。その作品が製作放送もされて未だに観賞できることも奇跡なのですが、そもそも同和問題に通じる作品をしかも子ども番組で書こうとする時点で、たいへんな反骨精神の持ち主であることがわかります。それは現在よりも規制が緩かった当時であっても当然タブーの領域だったのですから。
天涯孤独な次郎少年とあの頃の自分  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
昭和四六年四月、第二次怪獣ブームと呼ばれるさなか、私は小学六年でした。両親は不仲で会話もなく、暗い家庭環境のなかで、このままだと近いうちに離婚になるだろうと、不安に押しつぶされそうな時期でありました。そんなときに始まったのが、上原正三さんが始めてメインライターを務めた『帰ってきたウルトラマン』でした。
父に買ってもらった英語学習用の録音機で今録音したばかりの番組を何度も何度もリピートしながら、なんかこれまでのウルトラマンとはちがうという漠然とした違和感をかんじながらも、最初から両親不在の主人公の郷秀樹や坂田兄弟にどんどん感情移入していきました。この番組においてはウルトラマンや怪獣よりも人間側に自分を投影していたのは、製作者の目論み通りだったかもしれませんね。
番組後半になるにつれクオリティが落ちていくのですけれども、あきるどころか、ついにはたった二人の兄弟さえ失って天涯孤独となってしまう次郎少年の境遇と心情におそろしいまでにシンクロしていく自分がそこにおりました。ちょうどその頃に両親はついに離婚。わたしは父と離れて母と弟と住むことになります。それは一緒に暮らしていても意思疎通がほぼ不可能な生活の始まりでした。
ちなみに諸事情で番組を降板したヒロイン坂田あきにかわって登場するルミ子という女性も大好きでした。気の毒なことにあまり内面の性格が作品で描かれる機会が少なく類型的な存在感しかないのですが、それがかえって神秘性を与えているのか、身寄りのなくなった次郎少年にいつも寄りそうこの女子大生に対して聖母やシスターのようなイメージをもっておりました。
帰ってきた別世界のウルトラマン  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
上原正三さんは先輩格で同じ沖縄出身の金城哲夫さんがつくった前作までの神秘的なウルトラマンとは、あきらかに別のものにしてウルトラマンを登場させました。上原さんのウルトラマンは地球の平和と人類の自由のために「派遣された戦士」になっておりました。金城さんの時代のウルトラマンもウルトラセブンも、超越者が人類に干渉することから生まれる問題に配慮しております。超越者がやってきて人類が他力本願に陥る危険という問題です。だからどちらの最終回も人類の平和は人類自らの手によってとはっきりとセリフにして提示し、その問題に対処する結末にしておりました。
またそれまで名前がなかった扱いになっていて、地球人が外来者に名前を付けていた形にしていたものを、上原さんのウルトラマンは自らウルトラマンと名乗ります。
そしてもうひとつの決定的な違いは、前作のウルトラマンは超越者と人間が、一心同体になっている状態から、ふたたび分離して地球を去っています。それぞれ別の個体として。
ウルトラセブンははじめから人間と合体しておりません。
それに対して上原さんのウルトラマンは、超越者と人間が融合したまま、地球を去ります。かつてのウルトラマンを踏襲しなかったのです。なぜなのでしょうか。
それは精神がひとつになったということなのか。それはもう超越者ではなく、人間ウルトラマンになったということなのでしょうか。それとも人間が超越者になったのでしょうか。
そこにそれぞれが色んな思いを投影できると思いますけれども、この金城さんとは違うウルトラマンはそれ自体が子どもたちに向けたひとつのメッセージだと感じます。もうかつてのウルトラマンとは違うのだというメッセージです。
ウルトラ五つの誓いの意味するもの  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
『帰ってきたウルトラマン』の最終回のサブタイトルは「ウルトラ五つの誓い」です。
その誓いがなんであれ、上原さんのウルトラマンは「人類の自由と幸福を脅かすあらゆる敵と戦うこと」という決意表明で始まり、「いやなもの、許せないものとたたかえる勇気ある男になるといい」と次郎少年に決意をうながして結末を迎えます。
絶対自力の決意と誓いのウルトラマンなのです。
そしてどういうわけか次郎少年に決意を促すこの言葉はウルトラ五つの誓いには入っていないのです。
一つ、腹ペコのまま学校に行かぬこと
一つ、天気の良い日に布団をほすこと
一つ、道を歩く時には車に気をつけること
一つ、他人の力を頼りにしないこと
一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと
この五つというのは次回作に導入されるウルトラ五兄弟という設定にかけていて、そういう要請があったのかもしれません。他人の力を頼りにしないことというくだりが唯一、自力の決意に繋がりますけれども、この誓いとされる言葉の出典がなんであれ、当時テレビの前でずっこけたのはたしかです。これはウルトラと名付けるほど大層なものではないし、そもそも誓いというほど重いものでもない。生活上の約束事みたいなものでしかない。でもこれは上原さんが確信犯的にかかげているのであって、当時のウルトラQからみている子どもたちに向かって、もう卒業するときが来たのだよと促していたんじゃないかと、今にして思うとそう感じるのです。
だから最終回にかつてウルトラマンを倒した最強怪獣を登場させ、しかもむかしの映像を挿入することによって、かつてと現在の製作現場の落差を意識させるのも確信犯。君たちが望むような、もうあの頃のようなクオリティや気高い理想は維持できない。これが君たちの怪獣卒業式なんだよというメッセージを内側に込めているのかもしれないと思うようになりました。
光の国とウルトラの国  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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金城さんのウルトラマンは人間の上位者・超越者であり、その故郷は光の国でした。
そこはアンバランスゾーンとは対極にある光にみたされた理想郷といったイメージが漠然とありました。すべてが一体化したワンネスの世界でそれゆえに名前がないのでしょうか。
上原さんのウルトラマンは自ら名乗ります。誓いを立て決意し、証しを立てて初めてパワーを発揮するヒーローです。金城さんのウルトラマンの逆をやっているようです。人間の想像をこえた得体の知れないヒーローではなく、限りなく人間に近いウルトラマン像に翻訳し直しています。ウルトラマンの故郷はそれ以降、ウルトラの星とかウルトラの国と呼ばれるようになりました。
そして帰ってきたウルトラマンの最終回では、そのウルトラの星が戦争に巻き込まれ、その手助けをするために人間と一体になったウルトラマンは地球を去ることになります。科学文明は地球より発達しているかもしれませんが、もはや混乱した地球の情勢とさほど変わらぬイメージとなりました。そこには理想郷のイメージはかつてほどありません。人間と分離しないのは、やはり超越者から人間に近い存在へと変わったからだと解釈できそうです。
超越者から人間的な存在へとイメージの縮小がそこにありますが、わたしは『帰ってきたウルトラマン』の最終回を忘れることができません。ラストの別れのシーンは、次郎少年に自分を重ねていたあの頃を何度でも思い出させてくれます。
人間と一体となったまま帰っていくウルトラマンは、これからもここで闘っていくという上原さんの決意表明でもあるのでしょう。
沖縄と本土との架け橋にならんという理想を持つが故に葛藤された金城さんと、沖縄人のまま本土で闘い暮らしていく誓いを立てた上原さんの人生がそのままウルトラマン像に投影されているのかもしれません。
ニライカナイとは沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地に伝わる理想郷のことです。わたしはそれを光の国だと思っています。
金城さんが描いていたであろう調和された永遠が支配する理想の世界です。
上原正三さんの熱い闘いの決意表明はゾフィのバラードの作詞のなかにも込められました。
本当に最後まで子どもたちのために差別と向かい合い、弱きものによりそい闘い抜いた方でした。
どうか闘いの矛と盾をおさめて光の国というニライカナイでやすらかにと祈るばかりです。
ケロヨンのあたらしいぼうけん
なつかしきケロヨンとの再会がTwitterであるとこがなんとも時代です。ケロヨン【ほんもの】というアカウントでの活動。はじめはほんものかなって思いました。ありえないけれども幼なじみに当時とかわらぬ姿で出逢ったようなおどろきです。しかもコメントしたらその御本人から返信がかえってきて2度びっくり。オフィシャルなキャラから返信つくのはそうそうない。
しかし不思議なのはあれだけ一世を風靡したはずのケロヨンがなぜなんだろうという疑問。
ケロヨン【ほんもの】とするくらい薬局のキャラと間違えられていたり、昭和後半生まれですと何となく名前くらいしか知らないらしいのです。それもそのはず番組ごととつぜんのように消えてしまったのですから。調べてみますとテレビで大活躍していたのは4年ほどだったようです。万博でもりあがった高度経済成長期の真っ只中です。熱狂と同時に空気みたいな存在でもありました。でも気がついたらいなかった。かつてのTVシリーズのネガは行方不明だそうです。映画版の2本のみソフト化されています。
番組ごといきなり消えてしまった理由を2019年の読売新聞の連載からしることができました。
こどもたちのアイドル/ケロヨン基礎知識  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
●「木馬座アワー」1966年11月21日~1979年3月18日/日本テレビ系
・月~金/11:00~11:20・再放送:同日17:00~17:30
●「木馬座と遊ぼう」1967年10月5日〜1969年9月/日本テレビ系
・木曜/19:30~20:00/1967年10月〜1968年3月
・土曜/18:00~18:30/1968年4月〜1969年9月
●「ケロヨンと遊ぼう」1971年4月〜9月/TBS系
・月〜金/17:35~17:45
●「ケロヨンと三人組」1971年10月〜12月31日/ 日本テレビ系
月〜土/8:05 - 8:20
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ケロヨンとはぬいぐるみテレビショー「木馬座アワー」のワンコーナー
「カエルのぼうけん」の主人公です
原作はケネス・グレアムが1908年に発表した「たのしい川べ」という児童文学
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それを元に A.A.ミルン(くまのプーさんの作者)が戯曲を書いた
「かえる屋敷のトード」のお話なのだそうです
ウィキペディアでは「ヒキガエル館のヒキガエル」
ディズニーでも「イカボードとトード氏(1949年)」としてアニメ化されています
ケロちゃん風と共に去りぬ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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テレビだけでもものすごい展開ですね。しかも劇場でショーをやったり、団地や遊園地で興業もしていましたからケロヨンを見ない日はなかったと思われます。しかも原作があるとはしりませんでした。ビジュアル的にもほとんどオリジナルではないでしょうか。空想特撮シリーズでいうとウルトラQからウルトラファイトくらいまでの時期です。なにかここにも、種が蒔かれて役割をおえると去ってゆく時代の神意のようなものも感じます。
生みの親は影絵作家として著名な藤城清治さんです。読売新聞の記事によれば、
信頼していた仲間のクーデターというご本人の言葉が出てきます。人気絶頂のころになにがあったのでしょうか。
◎ケロヨンの生みの親/藤城清治さん主な年表
●1964年/藤城清治さんが中心となり人形劇場「ジュヌ・パントル」結成
●1952年/テレビ放映を機に「木馬座」と改名
●1961年/「木馬座ファミリー劇場」としてぬいぐるみ人形劇となる
●1967年/「木馬座と遊ぼう」という番組としてテレビ放送開始
●1971年/武道館公演での二重発券問題により経営不振。同年12月倒産
●1972年/藤城清治さんが木馬座を離れる
◎二重発券問題とは・・・
1971年(昭和46年)日本武道館5月3日~5日公演において。
4日の2回目分の切符が売れ残る。それで招待券を配ることにした。招待券を出しても10人にひとりしか来ないと踏んで定員数を越えた枚数を配る。実際に会場に来たのは、招待券を持った人とその同伴の人々。加えて3日と5日の切符を買えなかった人々が4日の2回目の当日券を買いに殺到。約1万5000人が武道館に入れずに長蛇の列となって会場を取り囲む。
これが誤解されマスコミに叩かれる原因となります。子どもを金儲けのだしにしたという類いのバッシングだったようです。またその頃、テレビでは大ヒットしていましたので電波料の値上げがあります。それもあって次第に経営が苦しくなっていき木馬座は倒産します。そしてテレビ放送もなくなったようです。
ケロヨンの活躍は木馬座の舞台公演をふくめると8年くらいの期間だったようです。
ケロヨンの残した楽曲を現在もCDで聴くことができます。
そこで描かれているのは世界中みんななかよくという世界平和のイデアの世界です。
藤城清治さんが人形劇に取り組んでいた約10年間は影絵制作をしていなかったそうです。
巨額の借金を抱えてしまった藤城清治さんは、ふたたび雑誌「暮らしの手帖」で影絵連載をすることになります。
興味深いのはそれまではモノクロのみであった作品がカラーとして連載を再開したことです。
わたしたちが知っている影絵はおもにそれ以降の作品のようですね。
藤城清治さんの人生にやってきたおおきな転機は光と影の煌びやかな世界を世に贈りだすことになります。
藤城清治さんにとってきびしい苦難であり喜びでもあったでしょう。
そしてわたしたちにとってはただただ素晴らしい贈りものとなりました。
それは云われなき迫害を受け、
それでも赦すこころの種を蒔くために十字架にかかったイエスさまの生涯ともかさなってみえます。
その作品はまるで教会のステンドグラスのような荘厳さです。
ケロヨンのうまれた時代とシフトする時代  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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木馬座の運営をめぐって内部の行き違いがあったようです。芸術家としての感性と経営者としての判断の両立のむつかしさがそこにあったでしょうし、人気絶頂期での暗転はこの世に働いている崩壊の定めでもあります。おどろくのは負債を抱え、打ち込んでいた人形劇の夢なかばでそれを手放しているのに決してあきらめていないことです。それでもなお精力的な創作活動を今も続けておられます。
まさにおおきな夢をつむぐために生まれてきたような不屈の精神の方であります。
あのころは時代そのものがおおきな夢を描いておりました。
蒔かれた夢の種もたくさんありました。そして大阪万博が開かれます。
そのテーマは「人類の進歩と調和」でした。 そこで描かれた未来は・・・
●テレビ放送での教育●4時間労働●高速通勤列車● ガンの克服。等々でした。
すばらしい着眼点ですが残念ながらどれも実現されておりませんね。
そしてかつて昭和の時代までは日本はこういう国でした・・・
●国民1人当たりGDP世界第2位
●定期預金金利5%=2000万円を2年満期で年間250万円の利息
●年金は60歳から
●年金支給月々30万円超
●国保は現在の約半額
●高齢者の外来窓口負担は800円
●消費税なし
そしてこれが時代のおおまかな世界規模での変化になります。
●狩猟時代に求められるスキル=狩りの腕・強靱な肉体
●農耕時代に求められるスキル=自然現象についての経験値・観察眼
●工場時代に求められるスキル=識学力・生産管理能力
●事務時代に求められるスキル=さらなる高等教育・分析力・営業企画力
それぞれの時代において求められるものが違ってきました。
その時代の変化についていけないものは社会の最下層で生きるか淘汰されるしかありませんでした。
そしてさらなるテクノロジーの進化によって、それまで人が担ってきた仕事がAIに置き換えられていくようになっていきます。
終身雇用・年功序列賃金の崩壊・終焉はそれを背景にうまれているようです。
高等教育を受けて大企業に入って終身雇用で退職という時代ではなくなります。
ではその先にあるものですけれども、これを引用したサイトでは思考の時代と呼んでいました。
市場が何を求めているのか。価値があるものはなにか。それを自ら考え働き方を生みだす時代ということです。
その通りだと思いますけれども何か足りないような気もします。
考えること以上に人工知能ではできないこと。それは魂の次元でネットワークを構築することだと思われます。
もっと正しく表現するならば、すでに張り巡らされてつながっている、いのちのネットワークを観つけだしていく時代です。
すべてがつながっていることを自覚して、生きる方向と方法を定めていく時代に入ったのでしょう。
それは求められるスキルという次元をさらに越えた、いのちの次元に働き方をつなげるというこれまでにない転換です。
現在の資本主義は人間性を根本から無視した在りかたでしかありません。だから当然に疲弊していくのです。
頂点の一部の人間しか潤いませんからそうなります。
資本主義から魂主義へ。
時代の呼びかけに耳をかたむけていけるかどうかが肝心なことです。
じつはその<種>があの時代に子ども番組をつうじても様々に蒔かれていたと思うのです。
メルヘンにやどる光と影  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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なかまのどうぶつたちがなかよく暮らすケロヨンの世界。そのメルヘンの世界はつねに和を願いとするメッセージを発信しておりました。その運営組織の木馬座が内部分裂による活動休止においこまれてしまったのは皮肉なできごとかもしれません。
けれども大事なことは挫折からまたあきらめずに復活してきたということだと思うのです。
藤城清治さんはとてもおおきな転機をのりこえて偉業を為し続けております。真の芸術家の魂です。
ケロヨンはその芸術の申し子です。倒れてもあきらめない不屈の精神のケロヨンです。
ですからケロヨンの復活そのものがあきらめるなという応援メッセージだと思いました、
幸運だったのはあの時代にすでにこころに種が蒔かれているということです。
それはどんなときも和をわすれない希望の種でありました。
それをわすれずに育てていけばよいと思うのです。
あの時に蒔かれた種がちゃんと育っているかどうかケロヨンがたしかめにきているのかなって思いました。
メルヘンの影とは現実逃避です。そんな危険もあります。
これからの日本の高齢化社会は人類史上類を見ない現象だそうです。
きびしい現実がそこまで来ております。同時にそれは生涯現役で働く時代。こころの在りかたが大切にされる社会。変化の試練と希望の時代。そんな時代だからこそメルヘンの希望といやしが必要なのかなと感じます。
















































































