横浜フリューゲルスと横浜FC 其の参 | ヴェルディの星

横浜フリューゲルスと横浜FC 其の参

横浜FCは1999年4月25日、横浜国際総合競技場でその歴史をスタートさせます。このクラブに特徴だったのが、「企業の論理」でいきなりクラブが解散することの無いように、FCバルセロナを習って「ソシオ制度」を取り入れたことです。親会社でなくサポーターが「ソシオ」(会員)となり、お金を出し合いクラブを支えると。「ソシオ・フリエスタ」と名づけられました。実は私も会員でした。Jリーグ上がって来るまでと…。しかしこのソシオは後に大きな火種に…。

 

開幕戦に合わせて、何と(我が先輩の)アルフィーが、フリューゲルスに続いてクラブソングを作ってくれることに成りました、しかもノーギャラで!CDの売り上げはアルフィーにでなく横浜FCに入ることに(そのためレコード屋では売られない。スタジアム、クラブショップでのみ購入可能)。

Wings of Freedom」と言います。アルフィーのアルバムには収録されませんでした(後に若干歌詞変えて収録)。勇気が出てくる本当に素晴らしい曲です。今更ながら我が先輩アルフィーと母校明治学院大学が誇らしく思えました。

 

お披露目はハーフタイム。曲が流れ、オーロラビジョンにフリエサポーターが必死に署名活動(泣いている人も)している姿、全日空前で抗議している姿のセピア色の映像。思わず目から汗が…。今でも横浜FC戦で試合前に会場で流れています。アルフィーファンじゃなくても是非聞いてみてください。

 

この年JFLを圧倒的強さで優勝。元ヴェルディの選手も多かったのでちょくちょく見に行きました。応援がバラバラだったフリエサポでしたが(どこかみたいだw)、横浜FC結成時は一つにまとまり、傍目からみても見事なサポートでした。優勝したことでJFL正会員に。そして翌年も連覇しJ2昇格が決まります。ここまでは順調でした。しかすべてが問題なくうまく行くわけでもなく…。

 

一つは「ソシオ」です。このクラブの大きな特徴でした。しかしこのソシオをめぐってサポーターにも意見の相違、対立が。「金は出すが口も出したい」サポと、「金は出すが口は出さない」サポとで。私はJ2上がるまでと決めていたので後者でしたが。ソシオを直接管理しようとするクラブ側とソシオ会員の一部の対立が泥沼化、訴訟沙汰にまで発展することに。この頃は私はすでに傍観者でしたが…。

 

もう一つが横浜フリューゲルスと横浜FCとの関係性。横浜フリューゲルスのお家再興を願い、旧フリエサポによって立ち上げられたのが横浜FCです。しかし2年の歳月が、「フリューゲルスの再興」と考えるサポーターと、「まったくの新しいクラブ」と考えるサポーターとで意識のずれを生むことに。その結果、クラブ立ち上げに携わった古参サポは脱退宣言することもなく、フェイドアウトでゴール裏を去って行くことになります。

 

今では「横浜FC」はまったくの「新クラブ」と言う認識が定説になっています。マリノスが持っているフリューゲルスの意匠権を取り戻そうと言う動きも無くなりました。私はこれに疑問があるのですが…。

 

横浜FC(横浜フリエスポーツクラブ)は後に(2004年ヴェルディのスポンサーだった)LEOCが事実上の親会社になります。言わば「普通のクラブ」に。ただしこの際サポーター側と「勝手に解散しない」「勝手に身売りしない」「勝手に移転しない」との誓約書を結びました。「企業の論理」は極力排除することにしたのです。今後のJクラブと企業との関係性を考える良い材料ではないかと?

 

横浜FCは2006年J2優勝で念願のJ1昇格を果たします。しかし「帰って来たフリエ」と言うような報道は皆無だったと記憶しています。わずか1年でJ2落ち。ただし最終戦浦和戦で、消化試合だったにも関わらず優勝目前の浦和を破る金星。浦和は最下位・降格が決定していた横浜FCに破れ優勝をさらわれるのでした。

 

横浜FCは今年20周年。私は今でもJリーグ史上最大の悲劇「横浜フリューゲルス解散」をきっちりけじめをつけない限り、落ち着くことはできないと思っています。次回最終回として問題をまとめたいと思います。

最終回