http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20090518/532710/

菊竹清訓氏が自邸として建てたスカイハウスの2階で、建具を全開にして撮影。背景のビルが現在の菊竹事務所。右手が菊竹氏で左が遠藤勝勧氏(写真:細谷 陽二郎)
きくたけ きよのり: 1928年福岡県生まれ。50年早稲田大学理工学部建築学科卒業。竹中工務店、村野・森建築事務所を経て53年菊竹清訓建築設計事務所設立。95年早稲田大学で工学博士号を取得。長野オリンピックの空間構成監督、2005年日本国際博覧会総合プロデューサーなどを務める
えんどう しょうかん:1934年東京生まれ。54年早稲田大学工業高等学校卒業。55年菊竹清訓建築設計事務所入所、94年同事務所退所。96年遠藤勝勧建築設計室設立


 日経アーキテクチュアが発行した書籍『スケッチで学ぶ名ディテール』。同書のパート5「著名建築家のディテール・寸法をひも解く」では、菊竹清訓建築設計事務所の元副所長である遠藤勝勧氏に、対談を通して建築家3人のディテール観を明らかにしてもらった。最後を飾るのが師匠である菊竹氏との対談だ。

 菊竹氏と遠藤氏の対談は2008年12月11日、菊竹事務所をお借りして行った。菊竹氏の代表作の一つである「スカイハウス」(1958年完成)のはす向かいに建っている。両者ともリラックスしたムードのなか、対談は始まった。どちらかと言えば聞き役に回っていた菊竹氏。話題が1963年の国立京都国際会館コンペに及ぶと、昨日のことのように一気に語った。入賞はしたが最優秀になれなかったコンペだ。菊竹氏は表情こそ穏やかだったものの、「今でもこのコンペの話をするとむかむかする」と悔しさをにじませた。

 この日はディテールの核心まで話が至らなかったことから、年明けの1月16日に“再戦”をお願いした。以下に紹介する菊竹氏の納まりに対する考えは、2度目の対談で語られたものだ。スケッチを通して、自らの設計のポイントを伝えようとしていた菊竹氏の姿、菊竹氏が納まりをどうとらえているかが明らかになった。

 書籍では、遠藤氏が菊竹事務所時代に描いた6枚の矩計図を掲載した。ホテル東光園(1964年完成)や都城市民会館(66年完成)、佐渡グランドホテル(67年完成)、そして京都国際会館など、遠藤氏渾身の手描き図面は必見だ。

遠藤――このスケッチを覚えていますか?
福岡市のバー「蟻」(1959年完成)をつくる時に、菊竹さんが描いてくださったものです(下の図を参照)。僕が事務所に入って初めて常駐した現場でした。難しいことを言われるより、こういうスケッチがうれしかったし、建築計画書一冊分くらいの迫力があった。

菊竹――よくそんなものまで取ってありましたね。

遠藤――今みたいにファクシミリはない時代ですから、おそらく出張先のホテルのロビーか何かでさっと描いて送ってくださったんだと思います。「失敗しちゃいけないのは、カウンターだよ」とおっしゃったのを覚えています。

菊竹――欧米に行った時、有名なお店を教えてもらって見学すると、一番面白いのはバーテンです。お酒の入ったグラスを、お客の所までカウンターの上をシューッと滑らせる。スケッチでカウンターの縁が4mm高くなっているのもそのためです。お客はその時どんな気持ちになるか、私は観察するわけです。だから、中心にあるのはものではなくて人間。そのためにカウンターの寸法やディテールが大事なんです。

遠藤――この一枚で目が覚めた記憶があります。

菊竹――自分が考えているのはこうだと伝えておくことは、それをまとめる人にとっては大切です。重要な所だけ描けばいいんです。

遠藤――いつだったか、頼まれて菊竹さんの個室を掃除していたら、厚さ3cmくらいの束になったトレーシングペーパーを見付けたことがあります。菊竹さんがトレースした外国の建物で、家具はもちろんカーペットの模様まで入っていました。

菊竹――我々が若かったころ、海外のことを勉強する場所は日比谷図書館くらいしかなかった。各国の雑誌がありましたから、いいと思ったものはとにかくトレペに写して持って帰りました。

遠藤――僕はそれを見た時、「ああ、これが菊竹さんだ」と思ったんです。つまり建築と言った時に、そこには人の生活がある、それにふさわしい寸法を知らなければ建築はつくれないということです。しばらくまねしたけど続かなかったです。鉛筆じゃなくて、丸ペンで描いてありました。

菊竹――そこまで覚えてないですよ(笑)。

遠藤――かつての菊竹事務所は、菊竹さんの自邸「スカイハウス」の1階にあって、天井の高さが1950mm。僕はあそこで体験した1950mmという寸法にいろんなことを教えられました。

菊竹――今スカイハウスを見学に来られる人の9割が2階の部屋を立ったまま見て帰る。外国の方はともかく、日本人でしかも一応、建築を勉強している方が、ですよ。それは京都の桂離宮に行って、廊下で立ったまま見ておしまいにするのと同じです。この人たち、全然知らないんだなと思うから、そういう人には寸法なんて説明しません。座敷のある日本の住宅の場合、基本は座って見ることです。つまり座った目の高さで見た時、どういうものが見えるかが重要で、それはそこでどういう生活をするか想像しているかどうかでしょう。

遠藤――菊竹さんは実際に、2階の部屋に座ってテーブルに図面を広げたりされていましたよね。

菊竹――「2階の部屋で、どういう風にご飯を食べたり仕事をされたりするんですか」と聞くのが普通だと思うんです。聞けばなるほどそういうことでこの寸法が決まったのかと、何の説明もしなくても分かるわけです。

遠藤――2階の軒下の高さは1960mm。施工図では2090mmになっていますから、現場で変更されたんですね。「菊竹プロポーション」と呼ばれるものは、そういう試行錯誤の中から生まれてきたんだと僕は思っています。

菊竹――現場の大工さんに相談しながら、私は建築をつくってきました。現場で教えられることはとても大きかった。この欄間の方立て部分も、立てる時はほかにガラスだけしかない。つまり基準になるものがないから、どこからつくっていくか決めることから始めます。つくる人がとても苦労されているんです。でも、そんなことを聞く人もいないですね。

遠藤――九州でブリヂストンの仕事をした時、菊竹さんのご実家に泊めていただいたことがありました。立派な日本家屋で、中庭があって風が通って光が入って、18畳くらいの広間がある。そういう所で暮らしてこられたことも、菊竹さんの寸法感覚がはぐくまれた一因ではないでしょうか。

菊竹――どうでしょう。本人は分からないですよ。寸法は勘だから。遠藤さんも勘が素晴らしくいいんですよ。勘の悪い人には、何を言っても伝わらないもの。

遠藤――いや、そんな。僕は菊竹さんの後ろを影みたいにくっついてきただけですから。

菊竹――建築は寸法、そしてディテールです。早稲田大学時代に聞いた講義の中で、私が尊敬する内藤多仲先生が、自分はパリのエッフェル塔の6割の鉄骨量でテレビ塔をつくることができた、とおっしゃった。それはジョイントの工夫なんですよ。鉄骨同士が合わさる所の形を工夫することで、ボルトだけでプレートがいらないように設計してある、と。本当に材料や技術を知っている人でなければそんなことはできないですよ。

遠藤――部材を解体し、それを再利用して新たな建築を組み立てていく。菊竹事務所で取り組んできた、こうしたことにも通じていますね。

菊竹――それは昔から、私の基本的な考え方です。解体、組み立てを考えると面白いディテールが考えられるし、それがあれば材料の再利用もできます。ディテールというのは事ほどさように決定力を持っている。ゆるがせにできないんですよ。
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20090519ddlk13040358000c.html

 昨年度から「緑のカーテン」や「冷暖房の部分使用」などエコ対策に取り組み始めた「くにたち郷土文化館」(国立市谷保、平林正夫館長)で、前年度に比べ電気使用量で35%、使用料金で12%もの減少に成功したことが分かった。平林館長は「この工夫を一般家庭でも利用し、地球温暖化防止に役立ててもらいたい」と話している。

 文化館は94年に開館。建築家の石井和紘さんが設計を手がけた。北側に広がる安養寺の林など自然と一体化したデザインが特徴。しかし、幅5メートル、高さ10メートル、長さ35メートルの3面がガラス張りのエントランスは開閉できず、夏になるとガラス面が50度を超える熱さになっていた。

 昨年4月に就任した平林館長は、07年度の電気使用量が計31万3000キロワット時、約676万円にのぼったことにがくぜんとし、エコ対策を始めた。これまで、サービスと考えていた来館者が少ない平日や雨天の午前中の全体照明、それに全館の冷暖房を見直した。部分照明や100個以上あるスポットライトを、人の動きをセンサーで感知すると点滅するものに交換した。また、職員に衣服調整で夏冬の温度管理をさせたり、荷物運搬以外のエレベーター利用もやめようと呼び掛けた。冷暖房の温度も夏は28度、冬は23度に設定。廊下や階段は外気と同じ温度とし、温度調整のためガラス張りの屋根面によしずを張り側面にはヘチマやヒョウタンのツルをはわせた。

 これらの対策の結果、電気使用量が08年度は計20万466キロワット時、約596万円にまで減った。【斉藤三奈子】

〔多摩版〕
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr090512.htm
東京都教育委員会HP

「国立西洋美術館本館(ル・コルビュジエの建築と都市計画)」の世界文化遺産登録に関する国際記念物遺跡会議(イコモス)の評価結果及び勧告について
 東京都は、本日未明、文化庁から国立西洋美術館本館の「ル・コルビュジエの建築と都市計画」として世界遺産一覧表への記載推薦に関するイコモスの評価結果及び勧告について、通知を受けましたので、お知らせします。



1 通知内容
平成21年5月12日付け文化庁報道発表(PDF形式:1,387KB)のとおり


2 今後の予定及び対応方針
(1)第33回世界遺産委員会(平成21年6月22日~6月30日、於:スペイン・セビリア)
第33回世界遺産委員会において、イコモスの勧告を踏まえ、「ル・コルビュジエの建築と都市計画」を含む各締約国からの推薦物件の記載の可否が決定される。
(2) イコモス勧告を踏まえた対応については、この結果を踏まえて今後、文化庁・外務省及び台東区とも相談しながら対応を検討してまいりたい。
建築家の腹 痛-taidan01.jpg
座・高円寺を背景に立つ伊東豊雄氏(右手)と遠藤勝勧氏(写真:細谷 陽二郎)
いとう とよお:1941年京城生まれ。65年東京大学工学部建築学科卒業。65~69年菊竹清訓建築設計事務所。71年アーバンロボット設立、79年伊東豊雄建築設計事務所に改称。86年「シルバーハット」で、2003年「せんだいメディアテーク」で日本建築学会賞作品賞受賞
えんどう しょうかん:1934年東京生まれ。54年早稲田大学工業高等学校卒業。55年菊竹清訓建築設計事務所入所、94年同事務所退所。96年遠藤勝勧建築設計室設立


http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20090511/532528/

 日経アーキテクチュアが2009年4月27日に発行した『スケッチで学ぶ名ディテール』。同書は、建築家の遠藤勝勧氏が、菊竹清訓建築設計事務所時代に始めた実測スケッチを約100点収めているのが売り物だ。

 もう一つの目玉が、遠藤氏のかつての同僚である伊東豊雄氏と内藤廣氏、そして師匠の菊竹氏との対談。遠藤氏ゆかりの3人の建築家がディテールや寸法をどうとらえているか遠藤氏に明らかにしてもらった。3回にわたってこれらの対談のアウトラインをお届けしよう。

 まずは伊東氏。遠藤氏とは1960年代半ばに菊竹事務所で出会って以来の仲だ。意外にも、伊東氏が独立してから建築に対する考えを戦わせたことはない。対談は2008年12月22日、伊東氏の最新作である東京・杉並の劇場、「座・高円寺」で行った。

 開始時点では緊張気味だった2人は、対談が進むごとに硬さがほぐれていった。議論はディテール論にとどまらず、伊東氏の最近のデザインにまで及んだ。「これが最初で最後の対談になるだろう」と伊東氏が対談を締めくくると、遠藤氏もホッと胸をなで下ろした。

 対談後には遠藤氏の意見も聞きながら、伊東氏に自身のベストディテールを選んでもらった。自邸であるシルバーハット、せんだいメディアテーク、まつもと市民芸術館。さらに、遠藤氏の推薦を受けて中野本町の家、SUMIKA
パヴィリオンを加えた。中野本町の家を除く詳細図は書籍に収録したのでぜひご覧いただきたい。以下に対談の一部を紹介しよう。


極論すれば板一枚あればいい

伊東――ディテールをどうとらえるか、建築家によって随分違うように思うんです。一般的に言われるディテール、つまりものの納まりみたいなことに僕はあまり興味がないんです。建築のコンセプトを最も明快に表現するには、どういう納まり方にするか、そこにしか興味がない。
 「シルバーハット」(1984年完成)が自分の中では一番面白いと思っているんですが、あの建築をつくった時に、ディテールのオーソリティーみたいな人から「この家にはディテールがない」と言われました。「先生とは考え方が違うんです」と逆らった覚えがあるんですけど、あの時はできるだけ、ものを即物的にプリミティブ(原初的)にとらえていこうというのが全体の考え方でした。
 極端に言えば、板が一枚あればキッチンになると考えてみる。照明も裸電球が吊り下がっていればそれでいい、間仕切りもパンチングの板をぶら下げるだけ、というようなことです。だから人によっては全然ディテールがないように見える。でもこちらはそういうコンセプトでつくったんです。遠藤さんは、納まりについてどう考えられますか?

遠藤――僕もそうですよ。実は菊竹さんの設計も複雑なディテールがあるようでいて、一つひとつ見ていくと、そうでもないんです。

伊東――そうですよね。そういうことを、僕は菊竹さんから教わったんだと思います。

遠藤――こういうディテールでやれ、と言われるようなこともなかったですね。手すりなどは人の手が触れるので、下がったり上がったりする場所を角を出して曲げると怒られましたけど。菊竹さんは村野藤吾さんに学びましたから、そういうところは村野さん譲りなんじゃないですか。それくらいですよ。菊竹さん自身がいろんな材料を使わなかったから、結果的にはすごいディテールを考えなくてもよかった。

伊東――今の日本はメーカーの力がすごいですね。設計の段階から、ガラスをどう入れるか、サッシをどう納めるか、メーカーの担当者にイメージを話していくと技術的にフォローしたものを考えてきてくれる。構造や設備のエンジニアと同じくらいに、こちらの考え方を分かってくれる人がいます。ですから日本でものをつくる時はものすごくやりやすいんですけど、海外で同じことをやろうとするとできない。材料メーカーが相談に乗る、というようなサービスは全くないですね。

遠藤――菊竹事務所でも、鉄ならこの人というようにメーカーの優秀な技術者がいて、設計している時から来ていただいて、その場でスケッチしながら相談していました。いま菊竹事務所を辞めて、いろんな事務所で若い人と話をしても、メーカーというと若い人にとってはイコールカタログなんです。担当者を呼んで相談するという雰囲気がない。呼ぶのは何か持ってきてほしい時。

伊東――うちの事務所は幸い、実務にかかわる形で若手を指導してくれるスタッフがいるので、一緒につくっていくのがスタイルになっています。

遠藤――それが本来あるべき姿だと思いますよ。

手描き図面で職人やメーカーが乗ってくれる

伊東――スケッチを描くということを、遠藤さんはどうお考えでしょう。実測については、僕も菊竹事務所にいるころはよく「測ってこい」と言われていました。遠藤さんは今でも測っておられますが……。

遠藤――測ることが目的ではないんです。寸法を知りたい。その寸法を自分の身体で感じておきたいというのかな。スケッチも実測もそのための訓練です。伊東さんの紹介で、僕は「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」(02
年完成)の工事監理に参加しましたけれど、あの時、何が役に立ったかというと、手描きで図面やスケッチが描けたことです。
 極端な言い方だけど、設計者のアレハンドロ・ザエラ・ポロさんとファーシッド・ムサビさんは、コンピューターで設計した図面をフロッピーに入れて工場や施工者に渡しさえすれば、何から何までつくってくれると考えているフシがあった。
 僕は現場へ行って、フリーハンドの原寸図面を描く。そうすると職人さんたちがみんな寄ってきて「こういうことか」と分かってくれるし、乗ってきてくれる。そうなれば、後はコンピューターの図面でもできるんです。だから若い人と一緒に仕事をする時、コンピューターで描いた図面と同じものを手描きでも描いておけと言いますね。例えばメーカーと話をしていて、らちが明かない時、手描きの方を出せと。そうすると、仕事が進んで思わぬ結果が出ることがあるわけです。

伊東――それはどういうことなんですかね。一方でモニターの中の抽象的な図面があって、それと原寸図みたいなものがあれば、その中間はなくていいのかな……。

遠藤――僕は、コンピューターは使えないから、そこは何とも言えませんが、人間の心にはそういう不思議なところがあると思う。これからの時代は分かりませんけど。


スケッチで学ぶ名ディテール―遠藤勝勧が実測した有名建築の「寸法」