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菊竹清訓氏が自邸として建てたスカイハウスの2階で、建具を全開にして撮影。背景のビルが現在の菊竹事務所。右手が菊竹氏で左が遠藤勝勧氏(写真:細谷 陽二郎)
きくたけ きよのり: 1928年福岡県生まれ。50年早稲田大学理工学部建築学科卒業。竹中工務店、村野・森建築事務所を経て53年菊竹清訓建築設計事務所設立。95年早稲田大学で工学博士号を取得。長野オリンピックの空間構成監督、2005年日本国際博覧会総合プロデューサーなどを務める
えんどう しょうかん:1934年東京生まれ。54年早稲田大学工業高等学校卒業。55年菊竹清訓建築設計事務所入所、94年同事務所退所。96年遠藤勝勧建築設計室設立


 日経アーキテクチュアが発行した書籍『スケッチで学ぶ名ディテール』。同書のパート5「著名建築家のディテール・寸法をひも解く」では、菊竹清訓建築設計事務所の元副所長である遠藤勝勧氏に、対談を通して建築家3人のディテール観を明らかにしてもらった。最後を飾るのが師匠である菊竹氏との対談だ。

 菊竹氏と遠藤氏の対談は2008年12月11日、菊竹事務所をお借りして行った。菊竹氏の代表作の一つである「スカイハウス」(1958年完成)のはす向かいに建っている。両者ともリラックスしたムードのなか、対談は始まった。どちらかと言えば聞き役に回っていた菊竹氏。話題が1963年の国立京都国際会館コンペに及ぶと、昨日のことのように一気に語った。入賞はしたが最優秀になれなかったコンペだ。菊竹氏は表情こそ穏やかだったものの、「今でもこのコンペの話をするとむかむかする」と悔しさをにじませた。

 この日はディテールの核心まで話が至らなかったことから、年明けの1月16日に“再戦”をお願いした。以下に紹介する菊竹氏の納まりに対する考えは、2度目の対談で語られたものだ。スケッチを通して、自らの設計のポイントを伝えようとしていた菊竹氏の姿、菊竹氏が納まりをどうとらえているかが明らかになった。

 書籍では、遠藤氏が菊竹事務所時代に描いた6枚の矩計図を掲載した。ホテル東光園(1964年完成)や都城市民会館(66年完成)、佐渡グランドホテル(67年完成)、そして京都国際会館など、遠藤氏渾身の手描き図面は必見だ。

遠藤――このスケッチを覚えていますか?
福岡市のバー「蟻」(1959年完成)をつくる時に、菊竹さんが描いてくださったものです(下の図を参照)。僕が事務所に入って初めて常駐した現場でした。難しいことを言われるより、こういうスケッチがうれしかったし、建築計画書一冊分くらいの迫力があった。

菊竹――よくそんなものまで取ってありましたね。

遠藤――今みたいにファクシミリはない時代ですから、おそらく出張先のホテルのロビーか何かでさっと描いて送ってくださったんだと思います。「失敗しちゃいけないのは、カウンターだよ」とおっしゃったのを覚えています。

菊竹――欧米に行った時、有名なお店を教えてもらって見学すると、一番面白いのはバーテンです。お酒の入ったグラスを、お客の所までカウンターの上をシューッと滑らせる。スケッチでカウンターの縁が4mm高くなっているのもそのためです。お客はその時どんな気持ちになるか、私は観察するわけです。だから、中心にあるのはものではなくて人間。そのためにカウンターの寸法やディテールが大事なんです。

遠藤――この一枚で目が覚めた記憶があります。

菊竹――自分が考えているのはこうだと伝えておくことは、それをまとめる人にとっては大切です。重要な所だけ描けばいいんです。

遠藤――いつだったか、頼まれて菊竹さんの個室を掃除していたら、厚さ3cmくらいの束になったトレーシングペーパーを見付けたことがあります。菊竹さんがトレースした外国の建物で、家具はもちろんカーペットの模様まで入っていました。

菊竹――我々が若かったころ、海外のことを勉強する場所は日比谷図書館くらいしかなかった。各国の雑誌がありましたから、いいと思ったものはとにかくトレペに写して持って帰りました。

遠藤――僕はそれを見た時、「ああ、これが菊竹さんだ」と思ったんです。つまり建築と言った時に、そこには人の生活がある、それにふさわしい寸法を知らなければ建築はつくれないということです。しばらくまねしたけど続かなかったです。鉛筆じゃなくて、丸ペンで描いてありました。

菊竹――そこまで覚えてないですよ(笑)。

遠藤――かつての菊竹事務所は、菊竹さんの自邸「スカイハウス」の1階にあって、天井の高さが1950mm。僕はあそこで体験した1950mmという寸法にいろんなことを教えられました。

菊竹――今スカイハウスを見学に来られる人の9割が2階の部屋を立ったまま見て帰る。外国の方はともかく、日本人でしかも一応、建築を勉強している方が、ですよ。それは京都の桂離宮に行って、廊下で立ったまま見ておしまいにするのと同じです。この人たち、全然知らないんだなと思うから、そういう人には寸法なんて説明しません。座敷のある日本の住宅の場合、基本は座って見ることです。つまり座った目の高さで見た時、どういうものが見えるかが重要で、それはそこでどういう生活をするか想像しているかどうかでしょう。

遠藤――菊竹さんは実際に、2階の部屋に座ってテーブルに図面を広げたりされていましたよね。

菊竹――「2階の部屋で、どういう風にご飯を食べたり仕事をされたりするんですか」と聞くのが普通だと思うんです。聞けばなるほどそういうことでこの寸法が決まったのかと、何の説明もしなくても分かるわけです。

遠藤――2階の軒下の高さは1960mm。施工図では2090mmになっていますから、現場で変更されたんですね。「菊竹プロポーション」と呼ばれるものは、そういう試行錯誤の中から生まれてきたんだと僕は思っています。

菊竹――現場の大工さんに相談しながら、私は建築をつくってきました。現場で教えられることはとても大きかった。この欄間の方立て部分も、立てる時はほかにガラスだけしかない。つまり基準になるものがないから、どこからつくっていくか決めることから始めます。つくる人がとても苦労されているんです。でも、そんなことを聞く人もいないですね。

遠藤――九州でブリヂストンの仕事をした時、菊竹さんのご実家に泊めていただいたことがありました。立派な日本家屋で、中庭があって風が通って光が入って、18畳くらいの広間がある。そういう所で暮らしてこられたことも、菊竹さんの寸法感覚がはぐくまれた一因ではないでしょうか。

菊竹――どうでしょう。本人は分からないですよ。寸法は勘だから。遠藤さんも勘が素晴らしくいいんですよ。勘の悪い人には、何を言っても伝わらないもの。

遠藤――いや、そんな。僕は菊竹さんの後ろを影みたいにくっついてきただけですから。

菊竹――建築は寸法、そしてディテールです。早稲田大学時代に聞いた講義の中で、私が尊敬する内藤多仲先生が、自分はパリのエッフェル塔の6割の鉄骨量でテレビ塔をつくることができた、とおっしゃった。それはジョイントの工夫なんですよ。鉄骨同士が合わさる所の形を工夫することで、ボルトだけでプレートがいらないように設計してある、と。本当に材料や技術を知っている人でなければそんなことはできないですよ。

遠藤――部材を解体し、それを再利用して新たな建築を組み立てていく。菊竹事務所で取り組んできた、こうしたことにも通じていますね。

菊竹――それは昔から、私の基本的な考え方です。解体、組み立てを考えると面白いディテールが考えられるし、それがあれば材料の再利用もできます。ディテールというのは事ほどさように決定力を持っている。ゆるがせにできないんですよ。