「急がば回れで一回転」
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ベランダ事件




おひさしぶりです。




わたしです。クリス・ペプラーです。






さて





先日、なんとも信じがたい事件が僕の目の前で




まさに目の前で起きたので






「ベランダ事件」




と名付け、ご紹介させて頂きます。









僕の大学にNという友人がいます。




180cmオーバーの身長を有し、ガタイ良し、バイトはバーテンダー




ただし、













絶望的に顔がブサイク




という友人、Nと飲んだ時の話です。




みなさんは




「アブサン」というお酒をご存知でしょうか?







→アブサン(仏: absinthe)は、フランス、スイス、チェコ、スペインを中心にヨーロッパ各国で作られている薬草系リキュールの一つ。


アルコール度数が高く70%前後のものが多い。低いものでも40%程度、製品によっては89%を超えるものもある。
(wikipediaより)








アブサン。




価格の安さとそのアルコール度数の高さから




19世紀のフランスの芸術家の間で中毒者が続出。



一説ではあの天才画家、ゴッホもこの


「アブサン」


によって身を滅ぼしたと言われています。





そんな「アブサン」をNは








一気飲みしました




なぜかはわからないんですけど。







禍々しいまでのアルコールを秘め




ピッコロ大魔王の血液かと見紛うほどの緑色をした




「アブサン」を飲み干したNは




完全に酔っ払いと化しました。




芸術家とは程遠い見た目をしたNのそれはまさに




「悪酔い」と表現して差し支えのないものでした。




アブサンを飲み干し、15分ほど他の客に絡んだ後に




店の外に座り込み植木に嘔吐を繰り返していました。




何度か様子を見には行きましたが、




基本的には放置というスタンスを貫き、



約1時間半。




店が終わりの時間になったのでのたうち回るNをなんとか抱え込みタクシーへ。





近くに住んでいた友人の家にひとまず向かうことになったのですが






彼女が来ていた為に長居はできないという判断により





他の友人を呼び、車で10分ほどの距離にあるNの自宅に帰すことに。






家の前に到着し、カバンからカギを取り出すN…カギを取り出…





























「カギがないよおおおおおおおおおお!!!」










深夜1時に響き渡る酔っ払い男の嘆き。




「なんでないのおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


「ここにいつもいれてたのおおおおおおおおおおおおお」





カバンをひっくり返し中身を全て出すN。



カギはありません。




なぜ言葉遣いがオネエっぽかったのかは謎です。




カギがないということで、さっきまでお邪魔していた友人に電話する冷静な僕。




「カギ、落ちてないかな?」


「あ、これかな」








あった。




また車で10分の道のりをカギを持ってくるという目的だけで戻ります。




その間、Nは




「しんどい。」




と言うので、玄関前に放置しておきました。





今思えば、この判断が全ての始まりであり、終わりでもあったのです。








友人Bの車でカギを取り、また車に乗り込みます。




Nを放置した約20分。




ちなみに、Nの家は住宅街の少し奥まった場所にあり、離れた所に車を置かないとたどり着けないようなポジショニングです。






車を降りると、Nが




「はよ、はよ」



と、わざわざ僕たちを迎えに来ていました。



あんなに



「しんどい、しんどい。」



と、言っていたのに。



回復したのかなとカギをNに渡そうと近付くと、






























ベルトがハーフオープンしている。











「空白の20分間」






ここで何かが起きたであろうことを想像するには、あまりにも容易すぎるNの宣戦布告。




僕たちを試しているのかとも思えるような挑発的なNの態度。





まさか。まさかね。



21歳だよ。




「おい、N!! おまえまさか…」


問いただす僕にNは言いました。






























「ベランダでウンコした」






アンビリーバブル。




デッドorアブサン。













「もともとウンコはしたかった。場所はどこでも良かった」




などとNは供述しており、肛門はパンツで拭いた主張している。




「気の緩みは肛門の緩み」


「漏らしたんじゃない、排便だ」


「する場所の違いだけじゃないか」









翌朝、ウンコを自らの手で掃除するNは、




何故か吹っ切れたいい顔をしていました。



*Qurith*

実録:脳震盪




こんにちは。

どうも、わたしです。
クリス・ペプラーです。



「春ですね」「春ですね」「では」「では」


これだけで会話が成り立つような陽気が続いていますね。


サンサンと注ぐ日射しと同じように、花粉もシンシンと降り注ぐ毎日ですが、僕も多分に漏れず"花粉症のはしくれ"を名乗らせていただいております。


"花粉症免許皆伝"の称号をお持ちの皆様にはツライ日々が続いてることと、はしくれながらも同情させて頂いております。



そんななか。



花粉症はしくれの僕は


クシャミをすると頭が痛いという現象に悩まされています。


いや、現象もなにも原因はハッキリしていて















脳震盪(のうしんとう)です







昨日(4/16)の10時ちょい前に受傷をしたそうなのですが
















その瞬間の記憶が全くない






知っている人は知っている、ミウラのボイラーみたいな情報ですが、僕ってサッカーやってるじゃないですか。






そんなサッカーの試合中、ハイボールを競りに行ったところ

















後ろからヘッドバットを喰らったらしい





「見ててね、ヤバイな~って思ったんですよ」「ピクリとも動かなかった」「一度は立ったんだけど、フラついてまた倒れたのでマズイと思ったね」「あれは悪意を感じましたよ」「とりあえず貸した金返せ」


様々な目撃談が飛び交っているために、記憶のない僕にはどの情報が真実なのかは判断できませんが、ひとつ確かなことは--
















脳震盪はヤバイ
(あとハイボールはクリアした)









何がヤバイってとりあえず脳神経科の先生が



白人女性。

名はオルテラって時点で、






「国境すらも超越してるのよウチらはね」



と、脳震盪とオルテラのドヤ顔が浮かんでくるしオルテラは割とキレイだし。



脳神経科のある2Fから、CTスキャンを撮るためにB1Fへ移動するのに車椅子に乗るのとかもヤバイ。




「大げさな。歩けるやい」


とか思ってたけど今考えると、めっちゃ助かった。

なにしろ、立ってる状況だと目眩がして座り込みたくなるし、それ以前に頭が割れるような痛みは断続的に続いていましたからね。


吐き気にも襲われました。待合中に病院のトイレで2回吐きました。


車椅子をサッカー部の女子トレーナーに操ってもらっていたのですが、堪え難い吐き気に襲われるたびに、


「といれ…」


と、か細い声で言いました。


幸い、僕の声質と彼女の体型は到底かけ離れているものだったので、「嘔吐うぃる」と言ったような告白も彼女にはなんのためらいもなく行うことができました。ありがとう。





余談ですが、オルテラもちょっとキレイな感じじゃなくて、若干劣ったところがあれば患者さんも変なプライドを見せずに全力でオルテラに甘えられるのになと思いました。

実際、車椅子使いますか?って訊かれたとき一瞬断るか迷いましたからね。



「危機的な状況の中でも自らに鞭打つ強い男アピール」


をしようかと思いました。が、脳という司令塔が負傷している状況では首を縦に振らざるを得ませんでした。



これがオルテラのような白人女医ではなく、柴田理恵のような土手臭いオバチャン女医ならば何の迷いもなく、車椅子を使えたのでしょうね。プライドって邪魔だよね、ベジータ。余談おわり。





CTスキャンとX線を撮影し、体内の放射線量を絶賛増量した後にまた長い長い待ち時間に突入。


車椅子でうたた寝をするという一生に一度の体験をしました。



オルテラに呼ばれて診察室へ。


「具合悪いなか、長い間待たせてしまってごめんなさいね。CTスキャンとX線の画像診断の結果、異常は見当たらなかったわ。とりあえずはおめでとうと言ったところかしら。だけど、まだ油断はできないわよ。これから20時間は安静にして、一人にならないように。誰か一緒にいてくれる人はいる?--そう。頭部外傷後の注意事項を書いた紙を渡しておくわ。なにかあればいつでも相談してください。なにか質問は?それでは、お大事に。」





来日何年目だと無駄な考えを巡らせるほどに流暢な日本語をオルテラは操ります。








フロントで7,050円という保険証バンザイの会計を終え、処方箋を手にタクシーへ。




車窓から見える枝垂れ桜に目を奪われてシャッターを押しました。


photo:01



こんな余裕があったんですね。生きているって素晴らしい。



病院のあの雰囲気、良くないと思いますよ。自動ドアの外に出た瞬間の解放感が異常でしたからね。


「俺らってさほら…具合悪いじゃん?」



みたいな無言の共通意識にやられたみたいなところもありますよね。やっぱり環境って大事だなあ。




帰宅後は貪るように眠りました。


左側頭部と右顎という東京とリオデジャネイロのような位置関係にある傷んだ箇所をかばいながらたっぷり9時間は眠りました。



起きてiPhoneを見ると、接触したと思しき選手からのメールを受信していました。Aとしておきましょう。



A『試合中とはいえ、ごめんなさい』

僕「大丈夫だよ!ただの脳震盪だから!」

A『よかったぜ!じゃあまた明日!』

僕「また!」







今朝は朝食を食べた後に吐きました。Aには会えてません。





大丈夫だから!心配しないで大丈夫だから!脳震盪の"盪"の字を書けるようにしてくれてありがとう!






「ただの脳震盪」の破壊力を思い知りまたひとつ大人になった一日でしたとさ。


*Qurith*

大ジャンプすんだってミスチルの歌詞があった気がする



(超)おひさしぶりです。


私です。クリス・ペプラーです。


まずは、このブログを読んでくださっている数少ない(であってくれ)被災された読者の方々、本当に胸の痛む想いをされたと思います。心から、心から、お見舞い申し上げます。


直接の被災者ではない自分からは、その想いを完全に理解することが出来ずに、日々胸のむず痒さを抑えることに精一杯です。


まだまだ、予断の許さない状況が続いているとは思いますが、どうか強い気持ちを持って明るい未来を共に創っていきましょう。


さて。というわけで、ぽぽぽぽーん


誰かが言っていました。


「高く飛ぶためには、その分沈まないといけないんだ」


「高く飛ぶためには、その分沈まないといけないんだけど、そのためには息をしてないといけないんだ」


僕が言ってました。ぽぽぽぽーん


命の尊さ。


普通に過ごしていた日々が、あんなにも脆く目の前で崩れ去っていった今だから、現実味を帯びてインプットされる言葉はとても多いと思います。


M9.0という未曾有(みぞうゆうでは変換されませんでした)の規模で日本を襲った大地震。


東北以外の地域でも震度5以上の揺れを観測し、自分自身も地震で初めて身の危険を感じました。


そんな今は、「自分がいつ命を失うかわからない」という言葉がスムーズに脳内に入ってきます。


明日死ぬかもしれない。明後日死ぬかもしれない。明々後日死ぬかもしれない。死明々後日……ぽぽぽぽーん


こうやって生き続けることで、次第にその意識が薄れていきます。


だけど、それは悪いことではないんです。普通に戻るためには必要なんです。


そうやって、今生きていることに感謝して生き続けましょう。


そして、半年後とかいつかにまた思い出して自分の命とそれを支えてくれる人々に感謝しましょう。


半年後には3/11よりも成長しよう。


それが僕たちにできる「大ジャンプ」なんじゃないでしょうか。


地震をバネにしてみたいな捉え方をさせてしまったらごめんなさい。


だけど、あれから11日が経過した今、ウダウダ言っていても仕方ないのです。


トイレットペーパーを買い占めても仕方ないのです。原発とうんこは関係ないのです。


ガソリンを買い占めても仕方ないのです。渋滞が一番燃費悪いことに気付け。


だから、不謹慎だとか言わずに普通の作業をもっと楽しみましょう。


命の尊さと、普通の素晴らしさ。


デマや風評の流れる世の中でも、信じられることは思ったよりも多くて、そしてそれは何よりも確かなモノなんだ。


命の尊さと、普通の素晴らしさ。


そう、それは何よりも確かなモノなのです。


ということで、カラオケ行きましょうか。


読んでくれてありがとウサギ。
私でした。クリス・ペプラーでした。


*Qurith*

10年後にまた会おう




こんにちは

わたしです。
クリス・ペプラーです。


いやいやいや


10年桜のPVに関する考察の記事をこんなに沢山の方に読んでいただけるとは思ってもいませんでしたよ!


それだけ、AKB48に関心を寄せる方々が多いと言うことですねえ。


すげえぜ秋元康!たかみな!むしろメンバー!


こういった作品への接し方も一種のAKB48の楽しみ方のひとつですね。



僕の記事を読んでくださって、コメントを残してくださる方、


純粋な感想を述べてくださる方もいらっしゃれば、ご自身の考察を教えてくださる方もいらっしゃいます。


非常にありがたいことですね。


この場を借りてお礼を言いたいと思います。ありがとうございます!


色々な人の考えを知ることができて、非常に面白いです。

興味のある方は、是非一個前の記事のコメント欄まで読んでみてください。


また、この記事を広めてくださった方々にも感謝したいと思います。


広めてくださった皆様がいなければ、多くの人にこの記事を読んでもらうことが出来なかったですからね!

本当にありがとうございます!






そして何よりも、こんな素晴らしい経験をさせてくれた、「10年桜」にたくさんのありがとうを言いたいと思います!



10年桜を通じてこのブログで出会うことのできたすべての皆様とAKB48に、













乾杯!!!!!



10年後にまた会おうぜ!!!!!

photo:01




*Qurith*

【再考〜PV・10年桜〜】10年桜のPVが死後の世界ってホント??




おひさしぶりです

わたしです。
クリス・ペプラーです。



さて、突然ですが今回は

タイトルにもある通り



「10年桜」




のPVについて語らせていただきます。

なぜいまさら?

と思う方もいらっしゃると思いますので経緯をご紹介しますと


某大型掲示板やtwitterに


「10年桜のPVは死後の世界なんじゃないか?」

という書き込みがあったようで

後続ながら僕もその流れに乗ってみようかということで

PVを見直したところ



鳥肌ゾックゾク立ちまして。はい。



掲示板の意見と僕の考えをハイブリッドさせた形で発信してみようと思った所存でございます。



はい

それでは、そんな経緯を説明させていただいたところで本題に入らせていただきます。

あ、やむを得ずメンバーを「生きている」「死んでいる」と表現することもありますが、あくまでPV上の設定ですので、目をつむってくださいね。

また、あくまで僕の解釈ですので、断言する形になりますが、どうぞお付き合いください。

では。

photo:01



【再考~PV・10年桜~】

本編は前田敦子がどこかの堤防でひとり、手紙を読んでいるシーンから始まります。


photo:02


photo:03



僕の解釈では、このシーンは「生」の世界です。

10年前にもらった手紙を、何度も読んだその手紙を、また読み返している。

「10年後にまた会おう」と約束した10年後のその日です。

photo:08



このあと、大島優子も堤防に登場します。

妊婦さん。

「あぶないよー」

前田が手を取って隣に導きます。

大「あー、また(手紙)読んでる」

前「うん…」

大「来るかな、アイツ」

前「来るよ、きっと」

photo:04



場面は変わり、渡辺、小嶋、板野がベンチに腰掛けて思い出話に華を咲かせています。

photo:05



「プリクラとかあったよねー」「あったー!ぷり帳とか超、あ超とか言っちゃったー」「あははは」

久しぶりに再会した元クラスメイト同士の和やかな思い出話。

こちらは「死」の世界です。

理由は読み進めて頂ければわかりますが、とにかく「死」の世界です。



ですから、このPVは前田敦子と大島優子が活動する「生」の世界と、

渡辺、小嶋、板野が活動する「死」の世界、

そして何かが起きた「10年前」の世界の、

3つの世界が登場します。

photo:06



そして、カメラは前田が読んでいる手紙を映し出し、場面は10年前にトリップします。


手紙の文章は

「今日は本当にありがとう。
卒業式のあとも、最後までみんなと一緒にいられて私はとても幸せでした。

今まで色々なことがたくさん、ホントにたくさん起こって 何度もくじけそうになって、学校にも行けなくなりそうだったけど、そのたびにみんなが支えてくれて、はげましてくれたおかげで、一緒に卒業できたのだと思います。」



察するに、卒業式の日にみんなと遊んだあとに書かれた手紙だと思います。


「色々なことがたくさん起こった」という部分は、図りかねますが、

「学校にも行けなくなりそうだった」という文章から、ポジティブな内容ではないことが推察できます。

そして同時に、「みんなが支えてくれて」という文から、

イジメなどではなく、病気や家庭の事情など複雑な背景があったことも見て取れます。



なにか難しい問題が一人の生徒に降りかかり、重圧に潰されそうになったけれど、仲間に支えられてようやく卒業することができた。


そんな感謝の手紙です。



ただ、この冒頭の部分、

「卒業式のあとも、最後までみんなと一緒にいられて私はとても幸せでした」



最後までって、なにか引っかかりますよね。



最後まで。



確かに、会の最後までという取り方もできます。そう考えれば自然に読めますが、

僕はどうもこの「最後まで」が、


「最期まで」


なのではないかと思うのです。

その解釈の理由は「10年前」の世界にまで遡ります。

photo:09


photo:10



バスの車内ではしゃぐクラスメイトたち。

恐らく、卒業式の帰りのバスでしょう。

みんなで帰るのか、これからどこかに向かうのかはわかりませんが、全員がこのバスに乗っています。



結論を言ってしまえば、



このバスは転落します。



転落とは断言できませんが、なにかしらのハプニングが起きます。

転落と言ったのは、この突然カットインしてくる反転させられた映像。

photo:11



そして、乗り合わせたクラスメイトのほとんどが死んでしまう。

ビデオでは他にも様々な暗示と取れるシーンが存在します。

例えばこのシーン

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ひた走るバスの横顔が映し出され、

photo:13



次のシーンでは誰かの手がバスのおもちゃを動かしています

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まだひた走るバス

ところが次のシーンでは、

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バスのおもちゃを動かしていた手が、徐々に道を逸れていく。

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そして次のシーンでは飛び散る鮮血をイメージさせる赤い星の装飾。

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突然、車内が騒がしくなります。

クラスメイトのはしゃぎようが先ほどにも増して激しくなる。

吊り革にぶら下がって足を伸ばす子もいれば、

テニスのラケットをギター代わりに頭を振る子、

座席に腰掛けている子はもはやほとんどいません。

これはつまり、事故後の車内のパニックを表現しているのではないでしょうか?

photo:18



そしてついに静まり返る車内。

パニックが終わり、誰ももがくことがなくなった世界

「死を受け入れた状態」

と僕は解釈しています。

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photo:22



続々とバスを降りる少女たち。

「停留所なんて見当たらないただの平坦な道にも関わらず」

です。

事故の起きた「生」のバスでパニックになるも、「死」を受け入れた一種の諦めの境地を乗り越え、バスを降りる。つまり、この世からいなくなる。死ぬ。

バスを降りた子は、死んでしまった子たちです。

photo:23



車内には前田敦子と高橋みなみだけが残されます。

高橋によりかかって寝てしまっている前田。


目を覚ました前田が隣を見ると、そこにいたはずの高橋がいなくなっている。

周りを見回すと、背後の窓に降車した高橋の姿が。

photo:24



先ほども言った通り、

降車=死

を意味します。

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今にも泣き出しそうな高橋

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前田の手には、いつの間に手渡したのか、高橋からの手紙が。(深読みしすぎかもしれませんが、赤い文字で手紙書きますかね普通)

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「今日はホントに楽しかった。最後までみんな、私のことを気遣ってくれてみんなで騒いで、バカやって、本当にどうもありがとう。

これからは、すぐに会えなくなるけれどみんなのことは忘れません。もし出来るなら、みんなが私のことを覚えていてくれたら……10年後にまた会いましょう」



別れの手紙。



「これからは、すぐに会えなくなるけれどみんなのことは忘れません」

卒業としては、自然な文章。進学や就職などで予定が合わなくなりますよね。上京なんてしたら尚更です。



引っかかるのは次の文章。

「もし出来るなら、みんなが私のことを覚えていてくれたら」

卒業式の日に盛り上がった後に出てくるような文章ではないと思います。

さっきまで一緒にいた仲間に、

「もし出来るなら」


覚えておくという簡単なことも出来なくなるような状況に自分がなっている?=死を予想している?




そう考え出すと、先ほどの

「すぐに会えなくなるけれど」

も、違う解釈をすることができます。


「私はもう死んでしまったから、この世に残るあなたとはすぐに会えなくなるけれど」


こういう風にも取れませんか?





そして何よりも僕が怖いのは文末に書かれたこの



「……10年後にまた会いましょう」



会えるのはどこの世界?


このPVには3つの世界があります。

「生」の世界

「死」の世界

「10年前」の世界

さあ、いったいどこの世界で前田と高橋は再会するのでしょう。


photo:28



前「夢?んー10年前のほうがいっぱいあったような気がする」

大「そう?」

前「夢、ある?」

大「んー、今は…コレかな?(お腹をさすりながら)」

前「…そろそろ、いこっか。みんな待ってるし」

大「集まってるかなあ?」

前「大丈夫だよ、きっと」

photo:29



誰かが来たのか、手を振る「死」の世界の3人。

photo:30



10年後に約束通り現れた高橋。

目線の先には一体誰が。

photo:31



前「名前、決まってるの?」

大「女の子だったらねえ…さくら」

前「えっ!?」

大「んなワケないでしょっ」

前「…えへへ」


「生」の世界に残った前田と大島。

先ほどのやりとりから、これから10年前のクラスメイトに会いに行くのでしょう。

突然、夢を聞く大島。

特にないと応える前田。

次の命を授かった大島。

そろそろいこっかと切り出す前田。



夢の話を聞かれて子供と返す。

素敵なことだと思います。

しかし、前田はこの大島の夢に対してなにもコメントを返さない。

10年前のクラスメイトにも関わらず、です。

未来に希望のある大島。

それに言葉を返すことのできない前田。

「生」の世界での未来はないと考えている?



子供の名前を聞く前田。

女の子だったら、さくらと名付けると応える大島。

えっ!?と、過剰なまでの反応を示す前田。

憶測ですが、劇中の高橋の名前は「さくら」です。

そう考えれば、前田のこの反応にも説明がつきます。

10年前に死んでしまった仲間の名前を子供に付ける友人。

驚くのも当然です。

そして、このPVの監督、高橋栄樹さんはこう言っています。


『10年桜』のPVは『桜の花びらたち2008』で感じた『卒業』や『桜』ってことに対する、一種の死生観が出てる気がする。

入学とは誕生で、卒業とは死。

もちろんその『死』は次のステージでの『誕生』を意味する『再生』でもある。そういうことを象徴的に教えてくれるのが『桜』なんじゃないか。


photo:32



「死」の象徴とも言える「桜」という名前を持つ高橋。

そんな友人とこれから会いに行く前田。



つまり、

















「これから死にに行くのでは?」




10年前の友人との約束を守るために、「生」の世界から「死」の世界に行こうとしている。

全ては友人と再会するために。

渡辺、小嶋、板野が手を振っているのは、前田と高橋の二人。

友人との約束を覚えていた前田は10年後に高橋に会いに来た。

命と引き換えに。

「生」の世界に執着することなく、友人との約束を選んだ。

そして大島は、前田の覚悟を理解し、身重の体を気にもかけず、最期のお見送りをした。

残されたもう一つの命に「さくら」の意志を遺すと誓いながら。










どうでしょうか?

これが僕の解釈です。

合ってるとか合ってないとかは、ないんじゃないかなと思います。

その人が取れるように取れってことだよね。

まあ、つまり大島だけが「生」の世界にいるってことです。

前田は「生」よりも「死」を選んだ。

全ては友人との約束を守るために。



「10年後にまた会おう」



みなさんもぜひ、自分なりの解釈をしてみてはいかが?

→AKB48 10年桜【公式】

*Qurith*
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