【再考〜PV・10年桜〜】10年桜のPVが死後の世界ってホント??
おひさしぶりです
わたしです。
クリス・ペプラーです。
さて、突然ですが今回は
タイトルにもある通り
「10年桜」
のPVについて語らせていただきます。
なぜいまさら?
と思う方もいらっしゃると思いますので経緯をご紹介しますと
某大型掲示板やtwitterに
「10年桜のPVは死後の世界なんじゃないか?」
という書き込みがあったようで
後続ながら僕もその流れに乗ってみようかということで
PVを見直したところ
鳥肌ゾックゾク立ちまして。はい。
掲示板の意見と僕の考えをハイブリッドさせた形で発信してみようと思った所存でございます。
はい
それでは、そんな経緯を説明させていただいたところで本題に入らせていただきます。
あ、やむを得ずメンバーを「生きている」「死んでいる」と表現することもありますが、あくまでPV上の設定ですので、目をつむってくださいね。
また、あくまで僕の解釈ですので、断言する形になりますが、どうぞお付き合いください。
では。
【再考~PV・10年桜~】
本編は前田敦子がどこかの堤防でひとり、手紙を読んでいるシーンから始まります。
僕の解釈では、このシーンは「生」の世界です。
10年前にもらった手紙を、何度も読んだその手紙を、また読み返している。
「10年後にまた会おう」と約束した10年後のその日です。
このあと、大島優子も堤防に登場します。
妊婦さん。
「あぶないよー」
前田が手を取って隣に導きます。
大「あー、また(手紙)読んでる」
前「うん…」
大「来るかな、アイツ」
前「来るよ、きっと」
場面は変わり、渡辺、小嶋、板野がベンチに腰掛けて思い出話に華を咲かせています。
「プリクラとかあったよねー」「あったー!ぷり帳とか超、あ超とか言っちゃったー」「あははは」
久しぶりに再会した元クラスメイト同士の和やかな思い出話。
こちらは「死」の世界です。
理由は読み進めて頂ければわかりますが、とにかく「死」の世界です。
ですから、このPVは前田敦子と大島優子が活動する「生」の世界と、
渡辺、小嶋、板野が活動する「死」の世界、
そして何かが起きた「10年前」の世界の、
3つの世界が登場します。
そして、カメラは前田が読んでいる手紙を映し出し、場面は10年前にトリップします。
手紙の文章は
「今日は本当にありがとう。
卒業式のあとも、最後までみんなと一緒にいられて私はとても幸せでした。
今まで色々なことがたくさん、ホントにたくさん起こって 何度もくじけそうになって、学校にも行けなくなりそうだったけど、そのたびにみんなが支えてくれて、はげましてくれたおかげで、一緒に卒業できたのだと思います。」
察するに、卒業式の日にみんなと遊んだあとに書かれた手紙だと思います。
「色々なことがたくさん起こった」という部分は、図りかねますが、
「学校にも行けなくなりそうだった」という文章から、ポジティブな内容ではないことが推察できます。
そして同時に、「みんなが支えてくれて」という文から、
イジメなどではなく、病気や家庭の事情など複雑な背景があったことも見て取れます。
なにか難しい問題が一人の生徒に降りかかり、重圧に潰されそうになったけれど、仲間に支えられてようやく卒業することができた。
そんな感謝の手紙です。
ただ、この冒頭の部分、
「卒業式のあとも、最後までみんなと一緒にいられて私はとても幸せでした」
最後までって、なにか引っかかりますよね。
最後まで。
確かに、会の最後までという取り方もできます。そう考えれば自然に読めますが、
僕はどうもこの「最後まで」が、
「最期まで」
なのではないかと思うのです。
その解釈の理由は「10年前」の世界にまで遡ります。
バスの車内ではしゃぐクラスメイトたち。
恐らく、卒業式の帰りのバスでしょう。
みんなで帰るのか、これからどこかに向かうのかはわかりませんが、全員がこのバスに乗っています。
結論を言ってしまえば、
このバスは転落します。
転落とは断言できませんが、なにかしらのハプニングが起きます。
転落と言ったのは、この突然カットインしてくる反転させられた映像。
そして、乗り合わせたクラスメイトのほとんどが死んでしまう。
ビデオでは他にも様々な暗示と取れるシーンが存在します。
例えばこのシーン
ひた走るバスの横顔が映し出され、
次のシーンでは誰かの手がバスのおもちゃを動かしています
まだひた走るバス
ところが次のシーンでは、
バスのおもちゃを動かしていた手が、徐々に道を逸れていく。
そして次のシーンでは飛び散る鮮血をイメージさせる赤い星の装飾。
突然、車内が騒がしくなります。
クラスメイトのはしゃぎようが先ほどにも増して激しくなる。
吊り革にぶら下がって足を伸ばす子もいれば、
テニスのラケットをギター代わりに頭を振る子、
座席に腰掛けている子はもはやほとんどいません。
これはつまり、事故後の車内のパニックを表現しているのではないでしょうか?
そしてついに静まり返る車内。
パニックが終わり、誰ももがくことがなくなった世界
「死を受け入れた状態」
と僕は解釈しています。
続々とバスを降りる少女たち。
「停留所なんて見当たらないただの平坦な道にも関わらず」
です。
事故の起きた「生」のバスでパニックになるも、「死」を受け入れた一種の諦めの境地を乗り越え、バスを降りる。つまり、この世からいなくなる。死ぬ。
バスを降りた子は、死んでしまった子たちです。
車内には前田敦子と高橋みなみだけが残されます。
高橋によりかかって寝てしまっている前田。
目を覚ました前田が隣を見ると、そこにいたはずの高橋がいなくなっている。
周りを見回すと、背後の窓に降車した高橋の姿が。
先ほども言った通り、
降車=死
を意味します。
今にも泣き出しそうな高橋
前田の手には、いつの間に手渡したのか、高橋からの手紙が。(深読みしすぎかもしれませんが、赤い文字で手紙書きますかね普通)
「今日はホントに楽しかった。最後までみんな、私のことを気遣ってくれてみんなで騒いで、バカやって、本当にどうもありがとう。
これからは、すぐに会えなくなるけれどみんなのことは忘れません。もし出来るなら、みんなが私のことを覚えていてくれたら……10年後にまた会いましょう」
別れの手紙。
「これからは、すぐに会えなくなるけれどみんなのことは忘れません」
卒業としては、自然な文章。進学や就職などで予定が合わなくなりますよね。上京なんてしたら尚更です。
引っかかるのは次の文章。
「もし出来るなら、みんなが私のことを覚えていてくれたら」
卒業式の日に盛り上がった後に出てくるような文章ではないと思います。
さっきまで一緒にいた仲間に、
「もし出来るなら」
覚えておくという簡単なことも出来なくなるような状況に自分がなっている?=死を予想している?
そう考え出すと、先ほどの
「すぐに会えなくなるけれど」
も、違う解釈をすることができます。
「私はもう死んでしまったから、この世に残るあなたとはすぐに会えなくなるけれど」
こういう風にも取れませんか?
そして何よりも僕が怖いのは文末に書かれたこの
「……10年後にまた会いましょう」
会えるのはどこの世界?
このPVには3つの世界があります。
「生」の世界
「死」の世界
「10年前」の世界
さあ、いったいどこの世界で前田と高橋は再会するのでしょう。
前「夢?んー10年前のほうがいっぱいあったような気がする」
大「そう?」
前「夢、ある?」
大「んー、今は…コレかな?(お腹をさすりながら)」
前「…そろそろ、いこっか。みんな待ってるし」
大「集まってるかなあ?」
前「大丈夫だよ、きっと」
誰かが来たのか、手を振る「死」の世界の3人。
10年後に約束通り現れた高橋。
目線の先には一体誰が。
前「名前、決まってるの?」
大「女の子だったらねえ…さくら」
前「えっ!?」
大「んなワケないでしょっ」
前「…えへへ」
「生」の世界に残った前田と大島。
先ほどのやりとりから、これから10年前のクラスメイトに会いに行くのでしょう。
突然、夢を聞く大島。
特にないと応える前田。
次の命を授かった大島。
そろそろいこっかと切り出す前田。
夢の話を聞かれて子供と返す。
素敵なことだと思います。
しかし、前田はこの大島の夢に対してなにもコメントを返さない。
10年前のクラスメイトにも関わらず、です。
未来に希望のある大島。
それに言葉を返すことのできない前田。
「生」の世界での未来はないと考えている?
子供の名前を聞く前田。
女の子だったら、さくらと名付けると応える大島。
えっ!?と、過剰なまでの反応を示す前田。
憶測ですが、劇中の高橋の名前は「さくら」です。
そう考えれば、前田のこの反応にも説明がつきます。
10年前に死んでしまった仲間の名前を子供に付ける友人。
驚くのも当然です。
そして、このPVの監督、高橋栄樹さんはこう言っています。
『10年桜』のPVは『桜の花びらたち2008』で感じた『卒業』や『桜』ってことに対する、一種の死生観が出てる気がする。
入学とは誕生で、卒業とは死。
もちろんその『死』は次のステージでの『誕生』を意味する『再生』でもある。そういうことを象徴的に教えてくれるのが『桜』なんじゃないか。
「死」の象徴とも言える「桜」という名前を持つ高橋。
そんな友人とこれから会いに行く前田。
つまり、
「これから死にに行くのでは?」
10年前の友人との約束を守るために、「生」の世界から「死」の世界に行こうとしている。
全ては友人と再会するために。
渡辺、小嶋、板野が手を振っているのは、前田と高橋の二人。
友人との約束を覚えていた前田は10年後に高橋に会いに来た。
命と引き換えに。
「生」の世界に執着することなく、友人との約束を選んだ。
そして大島は、前田の覚悟を理解し、身重の体を気にもかけず、最期のお見送りをした。
残されたもう一つの命に「さくら」の意志を遺すと誓いながら。
どうでしょうか?
これが僕の解釈です。
合ってるとか合ってないとかは、ないんじゃないかなと思います。
その人が取れるように取れってことだよね。
まあ、つまり大島だけが「生」の世界にいるってことです。
前田は「生」よりも「死」を選んだ。
全ては友人との約束を守るために。
「10年後にまた会おう」
みなさんもぜひ、自分なりの解釈をしてみてはいかが?
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