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の続編です。
※使用した画像はNHKの公式HPや、録画したドラマの
データから抽出して利用しております。
全て批評目的の引用であり、他意はありません
舞子の形見が宗子の目に触れてしまったという家貞の
忠盛
「わしがこれを持っておるのは、陰陽師の
世迷いごとに惑わされた白河院が
罪なき女の命を奪ったのを忘れぬためだ!」
宗子(池禅尼)
「家盛が哀れです。
私は全てを受け入れております。
あなたの妻となり、清盛の母となることを
決めた日から」
忠盛は世迷い言を言うばかりの陰陽師に対して徹底的な
不信感を持っており、それが清盛が前妻明子が亡くなる直前に
陰陽師を呼ぼうとした時にそれを制止した理由であったことが
明らかになったシーン。パパ盛は白河法皇よりも陰陽師を
恨んでいるんですねぇ...。それに対して
「全てを受け入れてる」と口では言いながらも、
自分が産んだ子である家盛への同情を隠さない宗子。
確かに当時良く見られた光景かもしれませんが、
忠盛の舞子に対するPureな思いを気にし過ぎという描写で
あると思います。
第一ドラマではまだ未登場ですが、忠盛には熊野で
作ってしまった末子忠度(ただのり)もいるのです
現在進行形な話は無視して、いつまでも死んだ女性のこと
ばかりを気にする。このあたりの描写は、現代人の感覚を
必要以上に持ち込み過ぎであるように思えます。
その頃内大臣頼長邸では、頼長に召しだされた家盛が
家盛とその守役である維綱の台詞を赤字で記します。
この頼長、久方ぶりに感嘆いたした。」
「有難きお言葉」
「兄清盛の数々の不始末を補って余りある」
中略)
「では、いずれ跡取りになるはこの者か?」
維綱(家盛守役)
「それは...、そうなるが道理かと...」
鸚鵡を弄りながら、維綱の言葉を聞いてる頼長様
「道理。さよう、理にかなったことこそ好ましい」
頼長が何事にも筋を通す人柄であったことは、関連記事
「祇園闘乱事件」について、ドラマの描写と史実の違いを検証してみた
で述べた清盛部下に対する監督責任を問う意味で流罪を主張した
ことからも分かる通り、事実です。ですから、この頼長の台詞は
史実が伝える彼の性格を良く表していると私は評価しています。
「そなたのごとき優れたものが、
世に煌めくが道理じゃ!」
怪しく光る頼長Eye
家盛は無言で平伏しています。
その家盛の様子を見て満足げな頼長様。第八話で
清盛からボッシュートし、いつの間にかペットとしていた
鸚鵡君とのツーショットが非常にお似合いです
ですが、頼長の日記である台記によると、
>藤原忠通のもとに、鸚鵡と孔雀が献上された際に、
鸚鵡を観察したときのことを記している。
それによると鸚鵡の舌は人間の舌に似ているから、
よくものを言うのだろうとある。
鳴声は、中国から渡来したものなので中国語を話し、
日本人には聞いてもわからないのだろうと考えた。
平安期の日本の鸚鵡の観察記事としても珍しい資料である。>
という記載があるそうですから、史実通りなら鸚鵡くんとの
ツーショットは兄上である忠通卿であるわけです。
でもドラマに関して言えば、絵的には頼長の方が似合ってるので、
そのあたりはNo Problem ってことで
※参考資料 台記Wiki
場面が切り替わります。
ナレーション(頼朝)
明けて久安四年、清盛は依然として半ば蟄居の日々を
余儀なくされていた
清盛の館では、家人達が餅つきをしていました。
このままでは家盛様に、後継ぎの座まで奪われてしまいますよ」
清盛が平氏の次期棟梁と思ったからこそ、姉の時子を
後妻とするように清盛に勧めた時忠。ぶら下がり時忠にとって、
清盛が家盛に後継ぎの座を奪われることは己の浮沈にも関わる
一大事なのであります
「良いではありませぬか。後継ぎの座など譲って差し上げれば
光る君など、桐壺帝に誰よりも寵愛された更衣の子にも関わらず、
帝の座は兄上である朱雀帝に譲ったのですよ」
後継ぎの座など、家盛に譲ってやれば良いという爆弾発言を、
源氏物語エピソードに絡めてするフカキョン時子さん。
「光る君が譲ったわけでは無かろう」
このドラマでは粗野で無教養なキャラとして描かれている
清盛にツッコミをくらってます。実際源氏物語で源氏が帝に
なれなかったのは、母親の身分が低いうえに有力な後ろ盾を
持たなかったからです。ですから桐壺帝は有力な後ろ盾が無い
源氏を親王として遇するよりも、臣籍に降下させて自分の力で
道を切り開ける立場としたのです。
全く時子の言うことは的外れなのですが...
「それくらい広い心を持ちなさいと申しておるのです
さようなことを一々気に病むようなお方は、
そもそも後継ぎの器ではございませぬ」
と持論を曲げません。本当にフカキョン時子さんの
「光る君はー攻撃」はウザい。
いつもなら怒鳴り散らす清盛ですが、
この時は不服そうな顔をしながらも餅を食べることに徹し、
言葉は発しませんでした。
個人的には、この時の時子の的外れな意見には
怒って怒鳴り散らしても良かったように思います...。
ナレーション(頼朝)
一方家盛は、従四位の下右馬頭(うまのかみ)に昇進任した。
その後の頼長の屋敷でのシーン。これはある意味
悪左府頼長ファンにとってはヒジョーに嬉しいシーンです。
頼長の台詞を青字、家盛の台詞を赤字とします。
「そなたも飲むが良い」
「もったいのうございまする」
「良いから、ちこう寄れ」
頼長は家盛の杯に酒を注ぎ、家盛はそれを飲み干します。
普通にあった光景でしょうが、頼長が絡んでるので
非常に怪しい光景です。
「長かったであろう。怪し気な出自の
兄の影で過ごした不遇の時は」
「さようなことは...」
緊張感からか汗が噴き出る家盛と、怪しい目つきで見つめる頼長。
まさに蛇(頼長)に睨まれた蛙(家盛)状態です
「あったはずじゃ。物分かりの良い弟の顔を
しながら、なにゆえ正妻の子である自分が
こんな思いをせねばならぬのかと」
「まことならば、己こそが嫡男。
己こそ次なる棟梁。
あの兄さえいなければと、
そう思おて生きてきたはずじゃ」
頼長の術中にハマり、動揺しまくりの家盛
「私がかなえてやろう。清盛など取るに足らぬ」
「まこと世に煌めくは、家盛そなたじゃ」
平氏一門にも、鳥羽の院にも」
こうして、大河ドラマ史上初なのではないか?
と思われるBoys Loveなシーンが展開された
わけです。まさに頼長無双
ここで頼長が家盛の不満を煽り、自分の味方に
引き入れたことの意味合いを考えてみます。
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史実を基に検証する藤原摂関家の家庭の事情 忠実-忠通・頼長親子編
で述べたとおり、頼長自身も摂関家の主である忠実の次男であり、
兄の忠通 とは異母兄弟です。
しかも兄とは23歳とまるで親子といっても良いほど歳も離れています。
頼長は父忠実が宇治で不遇な蟄居の日々を過ごしていた時に
生まれた子であり、更に飛びぬけて頭の良い子であったことから、
父忠実からは摂関家復権の切り札として非常に溺愛されて育ちました。
兄の忠通に長らく子が生まれなかったことから、忠実は忠通に
頼長を養嗣子とすることを提案し、それを一旦忠通も受け入れます。
しかし忠通に実子基実(もとざね)が誕生したことから、
頼長との養子縁組を解消。その結果父忠実&弟頼長との間柄は
修復不能なまでに悪化したわけです。
ですが 藤原忠通Wiki によると、忠通の後を継いだ近衛基実は
忠通の四男であり、基実以前にも三人の男子がいたようです。
ですがその三人はどうやら母親の身分が低かった模様。
想像するに、忠通の屋敷で働いていた女房か何かに忠通が
手を出した結果産まれた男子であったのでしょうが、
母親の身分の低さから藤原摂関家の氏長者たる忠通の後継者とは
出来なかった故に、一度は頼長を養子にしたと思われます。
ホントに藤原摂関家は、調べてみるとポロポロネタが出てきます。
「藤原摂関家の昼ドラ関係を主軸に大河ドラマ作れるんじゃないの」
というくらいな濃密さであります。
そんな事情を抱えていた頼長ですので、父から認められた
学識優れた自分が、兄忠通の下風に立たねばならないことが
不満でたまらない。
出自の怪しい兄清盛の下風に立っている正妻の子家盛は、
自分と同じ不満を抱えていると思い、こうした誘惑をかけてみた。
そう考えると、頼長による家盛の取り込みそのものは十分
理解できる展開です。
しかし、家盛を頼長の男色の相手にしてしまうとは...。
頼長は「台記」という日記を残しており、そこには男色の相手の
記録も バッチリ書き残されています。
まさに平安の黒歴史を記した書である台記ですが、
藤原頼長Wiki
台記Wiki
の記載内容を見る限りでは
平氏一門の人間を 相手にしたことはなさそうです。
むしろ、義朝の弟である源義賢(よしかた。木曽義仲の父)の
名前が堂々と載っているんですよ
こうして史実をガン無視した脚本によって、
頼長の毒牙の餌食となった家盛。
彼の行く末はいかにということで続編
平清盛第14話「家盛決起」Vamos流解釈4 家盛決起の刻!編
に続きます。
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