※使用した画像はNHKの公式HPや、録画したドラマの
データから抽出して利用しております。
全て批評目的の引用であり、他意はありません
彼は語る。この木から家盛が落ちた日から、
家盛の実母である宗子は清盛に対して負い目を感じていたと。
それにしても、松ケン清盛のこの格好はギャグにしか思えない...
幼い頃の家盛は清盛の後を付いて回る子供で、苦手な木登りも
清盛に負けじと行った。そんな家盛が誤って木から落ちた時、
宗子はすごい剣幕で清盛を叱った。
「家盛に何かあったら承知せぬ」と。
「その時から宗子は清盛に対して負い目を感じ、
家盛もそんな母の言に従って清盛こそが嫡男と思ってきた。
しかし、このままでは母宗子は苦しみ続け、平氏は滅びるのみ」
そういったことを清盛に語った家盛。平氏一門を襲う波乱の幕開けです。
まぁ普通は神輿を射るなどという罰当たりなことをしでかして
比叡山から呪詛されるようなことになれば、お家の一大事。
劇中では清盛を守ろうとするミキプルーン忠盛や鳥羽法皇は
「清盛こそ新しい時代を作る者」といった認識でしたが、
当時では家盛のように考えるのが普通です。
ですが先にUPした関連記事
「祇園闘乱事件」について、ドラマの描写と史実の違いを検証してみた
でも述べたとおり、清盛が神輿を射たシーンは丸々フィクションです。
しかし罰金刑で済んだものの、「祇園闘乱事件」の後で
一時期清盛が日蔭者扱いされ、代わって家盛が引き立てられた
のは事実であるようです。家盛の躍進は清盛の立場を危うくしましたが、
鳥羽法皇熊野詣に病を押して同行した際に参詣の途中で病が悪化し、
都への帰途で急死しました。家盛の急逝が無ければ、保元の乱の
際に清盛VS忠正&家盛といった具合に平氏一族の骨肉の争いも
激化した可能性があります。そのため家盛謀殺説なども
あるようですが、確証が無いため滅多なことは言えませんね。
参考資料 平家盛Wiki
「清盛の母舞子の形見が宗子に見つかってしまった」
という家貞の報告を聞いて、
さすがに顔色が変わったパパ盛
史実的には清盛の母のことはほとんど不明な状態ですから、
創作のドラマでは好き勝手に設定を作ることができます。
だからといって、一夫多妻が当たり前だった当時において、
ここまで宗子(池禅尼)が先妻のことに拘ったのか
あまりにも現代社会の家族関係を作中に持ち込み過ぎな
気がしてなりません。
場面が変わって、賀茂臨時祭に奉納する舞いの稽古をしている
清盛と、練習に付き合う時子の場面。時子の上手いとはいえない
歌に合わせて舞う清盛の足さばきなどもかなり怪しい感じでしたが...
「そなたの歌では、舞えるものも舞えぬわ!」
と時子を怒鳴りつけ、お得意の
「何でも人のせいにする中二病」を発動する清盛
松ケン清盛のこういった「何でも人のせいにして、怒鳴り散らす」
主人公らしからぬ姿に嫌気がさして、このドラマの視聴を止めた人も
少なからずいるのではないでしょうか?
私は松ケン清盛が出てくる場面を除けば、他のキャラは
結構いい味出してて楽しめる部分があること、
こうしてツッコミツイートやブログ記事を書く楽しみがあること、
及びNHKの姿勢を観察するといった目的があって
視聴を続けていますが...。
「殿の暑苦しい舞いに調子を狂わされている」
と反論します。その言葉は尤もでしたが、
「光る君のように雅(みやび)に舞えぬのですか?」
は余計だ...。本当にフカキョン時子さんが盛んに繰り返す
「光る君なら」という源氏オタク発言はなんとかならんものか...。
そんなドタバタ劇場と化した清盛邸に、藤原家成卿がやってきます。
家成は宗子(池禅尼)のいとこで、平氏とは親しい間柄。
史実の清盛は若い頃家成の屋敷に通いつめていたらしいですから、
このドラマにおける清盛邸に入り浸ってる時忠みたいなことを
やってたんでしょうね。そのことからみても、清盛と宗子との間が
ギクシャクしたものであったという描写のあるこのドラマの設定は、
史実から逸脱しているわけです。
話をドラマに戻します。清盛は家成の来訪を
賀茂臨時祭での衣装の打ち合わせだと思っていましたが、
家成卿の口からでた言葉は...
「こ度は清盛殿に舞っていただく
ことは出来なくなりました」
という悲しいお知らせでした。
「鳥羽法皇は先の事件で清盛に一目置いたが、
世間の平氏への風当たりが一層強くなっている。
なので騒ぎの当事者である清盛が舞うことは
取りやめになったが、代理として家盛が舞うことになった」
という趣旨のことを家成は告げます。
この時のフカキョン時子さんの台詞
「家盛様ならば、きっと光る君のごとく」は...。
ことごとく自分から地雷を踏みまくってる、フカキョン時子さんです
義朝邸の場面で出てきた鷹。背景の武具といい、武骨な源氏らしい組み合わせ。
今年の大河清盛は、こういった小道具や動物シーンは結構いいと思う...
場面変わって、源氏の義朝邸。
義朝の三男ながら、母親由良御前の身分の高さから嫡男扱いされてる
鬼武者(頼朝)。母親の身分がものを言った時代です。
しかし鬼武者という無茶な幼名ですが、事実らしいです。
名前を頻繁に変えた昔だからこそ良かったものの、
今だったら100%グレるのが確実な名前ですなぁ...。
以下はドラマで展開されたシーンの会話をまんま文字起こし
したものです。青字は為義&由良御前、赤字が義朝です。
「父上、今日はいかなるご用で?」
「近く賀茂の祭りがあるであろう。
内大臣様(頼長)より道中の警護を命じられた。
そなた(義朝)も参れ」
「申し訳ござりませんが、
私は鳥羽の院にお仕えする身」
「何を言っておる我が源氏ははるか昔より、
藤原摂関家のご恩を受けてまいったのだぞ」
「往時のしがらみに縛られとうはございません」
藤原摂関家との友好関係に拘り続ける為義と、
その藤原摂関家の勢力を抑えて平氏を始めとする武士を
重用することで成り立っている白河-鳥羽ラインの院政。
相反する両者に仕えていることから、後々二人の関係は
修復不能なまでに悪化します。
「源氏の嫡男なれば、きっと参れ」
といって立ち去るダメ義為義。
為義が去った後、義朝の正妻由良御前は義朝に
父為義の指示に従うよう義朝に進言します。
「父上様の仰せに従うべきかと存じます」
「先の見えぬ世、峻烈なるお人柄で知られる
内大臣(頼長)様を、無暗に敵に回すのは
危のうございます」
全く由良御前の言うとおりです。ホモ長ならぬバイ長である
藤原頼長は、その正義感あふれる性格&藤原摂関家の栄光を
取り戻すべく日夜政務(性務)に励む人物ですが、
非常に沸点の低いという面も持ち合わせています。
「無暗に敵にするのは愚かな行為」というなっちゃん由良さんの
言うことは尤もなのですが...
「女子(オナゴ)が口を出すでない」
と由良の口出しを拒む義朝。そもそもプロポーズの言葉が
「そなたも俺の子を産むか」
「そなたには嫡男を産んでもらいたい」
でしたからねぇ...。このドラマにおいては、由良を「産む機械」
としか考えてない義朝。嫡男(鬼武者=頼朝)を得た今となっては、
最早由良は用済みと言わんばかりの鬼畜さを発揮してます。
「ならば、何のために私を妻となさいましたか
都のことをろくにご存じない殿に、
朝廷のこと、公卿方のことを
諸々お教えするためにございましょう」
新聞もネットももちろん存在しないこの当時、宮中に仕えて
その情報を発信してくれる女性の存在は、何よりも大事な
必須アイテム的存在なハズ。義朝もそれを望んで
なっちゃん由良さんを嫁にしたハズですので、
自分の言うことに全く耳を貸さない義朝に対して
由良さんが怒るのは当然のことであります。ですが...
「殿が良くても、私や鬼武者を飢えさせる
ようなことはしないでくださいませ」
という台詞は余分だったかも...。由良は統子内親王に仕える
女房でもありますからそこからも俸禄(給料)が出るでしょうし、
いざとなれば実家に泣きつくという手もあります。
まぁ現代の視聴者に分かりやすいようにと
「人間の好き嫌いで仕事を選ぶな」
といったニュアンスの言葉を使ったんでしょうけどね...。
後の平治の乱を見ても分かる通り、彼の人を見る目と
政治的センスはかなり怪しいものがあります。
平治の乱で義朝が組んだ相手である藤原信頼は、
陸奥守や武蔵守といった役職を自分や一族の者達に
任じたことで、東国に対して大きな力を有していました。
その信頼が力を持っている東国に勢力基盤を持っていた
義朝は、自然と信頼と接近することになったのでしょうが、
清盛の逆襲によって逆賊の烙印を押された信頼の陣営に
留まり続け、結局は信頼と共に身を滅ぼした義朝。
このドラマでの義朝は、そういった脇の甘さがいい感じで
描かれているように感じます。
そんな感じで源氏のターンの方がよっぽど大河ドラマらしくて、
安心して観ていられます。対する平氏のターンは...。
主人公の清盛が怒鳴り散らしてるばかりで不快になるも、
ミキプルーン忠盛の安定感によって支えているといった
感じが否めません。
平清盛第14話「家盛決起」Vamos流解釈2 危険な男=悪左府頼長にロックオンされた家盛編
に続きます
「主人公の清盛が出張る平氏のターンより、源氏のターンの方が断然良い
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