2023年2月16日に敢行した「行田周辺チャリでシバキ倒し」。この日のネタで記事にしているのは、序盤の新佐賀橋、午後の八ッ島橋。今宵ご紹介するのは、八ッ島橋の少し前に訪ねた物件。
いきなり、ドン。
ぱっと見、なんてことない橋に見えるだろう。現在地こちら。
しかしながら、この橋…
ステキ高欄を持ってるのであります。
瞳を思わせるモチーフの、デザイン性の権化のような欄干。いや~、素晴らしいね!
さらに、親柱にも不思議な意匠が陽刻されている。
鉄パイプで隠れてるのが残念だが、三菱のマークみたいなモチーフの中央にエックスマーク(適当に命名)。何を意味してる?そして基部は台座的にせり出している。
これぞ、コンクリート橋梁王国・埼玉クオリティ、実に奔放なデザインだ。
対して、反対側の高欄はいたってシンプル。
とはいえ、これまた決して新しそうではない。
こっちのほうには銘板があり、
「玉野橋」と。
渡って反対側より。
あの高欄が見えるように撮ってしまう~。
こっちは外側に隠し?銘板があり、
「昭和三十八年六月竣功」と。
が、これはたぶんこっち側の高欄ができた時…すなわち拡幅改修されたと思われるタイミングのものだろう。絶対もっと古いはず…と思ったら、やはり。昭和8年完成のようだ。
根拠は?って?それはもう少し後で。
渡って正対。
向こうにも橋が見えているのがわかるだろうか。実はこの玉野橋、あの橋とも浅からぬゆかりがある。これも後ほど。
親柱には、
「たまのはし」。
改めて、この高欄。
デザインした人、センス切れてるよな~。めっちゃイイ。
ここで、ちょっと残念なお話&さっきの伏線回収を。
実はこの玉野橋、土木学会近代土木遺産に選ばれているのだが、その登録名称は「玉野用水取入樋管(玉野橋)」。つまり、かつてはこの橋上流側(上の写真欄干の外側)に樋管(分水工)が存在していたのだが、近年撤去されてしまった。
その往年のお姿と詳細な解説を、バイブルたるフカダソフトさんの「きまぐれ旅写真館」より、ぜひご覧いただきたい。まる投げ~。いや、わたくしが書いたところで、まる投げがまるパクりに代わるだけだし![]()
ここで「昭和8年」と書いておられるが、これは「日本の近代土木遺産(オンライン改訂版)」にそのように掲載されているもの。
そう、まさにこの場所に、
玉野用水取入樋管の堰が載っかっていたんだが、今では二門のスルースゲート遺構が残るのみだ。てか、この鉄パイプと角材による雑な柵?はなんなの?
在りし日の姿をストビューで。とはいえ、あんまりいい画角で見られるものがない。
これは2012年8月の撮影。ストビュー画像の変遷から判断すれば、2018年ごろまでは残っていたようだ。
ところで、さっき少し触れた、向こうの橋。
あちらもまた、まったく同じ境遇。「玉野用水分水堰(長郷橋)」として近代土木遺産に選ばれていたが、やはり同時期に堰が撤去されて現在に至る。
上に貼ったストビューでこちらも確認できるが、撤去後に残っている橋としてはいまいちパッとしないので、記事では割愛した次第。
ちなみに、二橋の間に立っている石碑は、橋や樋管には全然関係ないものだ。
以上。











