月イチ連載と謳いながら5月分やれませんでした~。失礼いたしました。
【地蔵湯橋】から上流方向に50mほど。そこに次なる橋が架かっているのだが、
どうですか、この得も言われぬ優美なフォルムは。
実はこのフォルムが、ここ大谿川橋梁群のデフォ。これからも何本か登場する。
正対しまして、
水平が取れてなくて申し訳ないが、いい橋だと思いませんか?そう、やっぱりね~。
現在地はこちら。なんとマピオン地図には載ってないっていうね。
この親柱がまた。
親柱一基に擬宝珠が四つも付いてるっていう大盤振る舞いだ。そして夜ともなれば、上部の火袋は灯かりが点くはず。そりゃあもう、一大観光地ですから。
そして、このフォルムの橋梁群に共通する最大の特徴が、実はこれなのだ。
「昭和元年拾貮月架之」。
いいですか皆さん。昭和元年とはすなわち大正15年であり、かつ大正天皇の崩御は12月25日。すなわち「昭和元年」とは、即日改元された12月25日から同31日までの、わずか一週間しかなかったのである。
そんな激レアな「昭和元年拾貮月」に架かったと高らかに宣言するこの銘板、これまたかなりの激レアであるが、そんな激レア橋がここ大谿川にまとまって現存しているのは…果たして知られているのかいないのか。
実際のところ、ピンポイントにこの一週間の間に完工したわけではないだろう。だってこの銘板を発注して納品されるまでに、すでに一週間以上かかりそうだし。
恐らくは大正から昭和への移り変わりの時期に完工したものに、この稀有なタイミングを記録に残す銘板を、という考えのもとに設置されたのではないかな、と。
現在までのところ、わたくし他に3件、昭和元年12月の親柱/銘板を確認している(滋賀2件、東京1件)。ちなみに、「大正15年12月」の親柱/銘板は、明確に判読できたものに限れば2件(京都、三重各1件ずつ)。この時期のやつ、ここにもあったよ!って情報をお持ちの方はぜひ教えてタモレ。
で、お名前は
「べんてんばし」。
川の濁りへの忌避により、昔からひらがな表記の際は濁らずに「はし」と表記する、というのが全国的によくある。実に日本的でいいなあと思う。実際に現在でも多くの管理機関でそのような内規が定められているというが、一方でこういうケースも時々あるのよね。このへんの「表記の揺れ」も興味深いんだな~。
橋上から望む、上流側。
次回のお題が見えてますな。
そして下流側。
向こうに見えるは地蔵湯橋だ。
渡って東側より。
城崎の温泉街だけに、なかなか人がいない状態では撮れない。遠慮しながらもササっとね。
こちらも全く同じ仕様の親柱で、
漢字のお名前、「辨天橋」。
昭和最初期からすでに存在していたにも関わらず、戦時中の金属供出を逃れてこうして銘板が現存しているのにも驚く。ってか、もしかして戦後に付け直されたものとか?
最後に、この艶めかしい曲線美を鑑賞。
うぅ~ん、セクシ~カ~ブ。
イイねぇ~最高だよ。(病
というわけで、まさにこのセクシーカーブな橋たち、「城崎温泉の弓型橋群」として土木学会選近代土木遺産Cランクとなっているのだった。
こんな感じで、【3】に続く。










