2011年6月1日、房総の隧道王子(当時・笑)ことまききさんと、2回目の合同探索。
…ってほどの大げさなものじゃなく、ブラブラしながらまききさんおススメの隧道に連れてっていただくっていう、ゆる~い俺得企画(笑)。この日のネタで記事にしているのは、追憶の池田橋、新旧の小食土隧道、長谷隧道。
今宵ご紹介するのはこの日の最後にご案内いただいた物件で、ひときわ印象的な思い出がある。先日アップされたSubaru6さんの記事(2025年4月ご訪問)を見て、わたくしも記事にしておきたいと思った次第だ。
まずはぜひ当該記事をご覧いただくと、より対比を実感していただけると思う。リンク許可ありがとうございます!
接近しながら、まききさんが「あっ、あれーっ!?」と声を上げた。
なんと、ついこの前まで現役だったはずの隧道が、現役を退いてる…らしい。こっちは初見だし、真新しく見えるデカい掘割とも相まって、えっ、そうなんですか?って感じで。
まずは、つい先日まで現道であったぽい旧道敷に駐車しての、この景。立入禁止看板がまだ残されていたが、どっからでも入り放題だった。現在地このへん。
ちょっと説明しておくと、真新しく見える掘割は拡幅されたもので、元から(というか平成初め頃かららしいが)隧道は大多喜方向への一方通行。長南町へ向かう北行きは掘割を抜けて…という上下線分離となっていた(県別マップルにもそう描かれていた)。で、その掘割が拡幅改修された結果、隧道はその役目を終えた…という状況のようだった。まさにごくごく最近に。
こうして見たら完全に現役。
廃の気配は微塵も感じられない。
このあたり、Subaru6さんの記事にほぼ同位置の画像があるが、14年経つとこんだけ変わるんだな~としみじみ。今では廃オーラバリバリだもんな~。
改めて引きで。
以前は、隧道直前で上下線が分離していたようで、イエローラインと隧道向かって右側に続く擁壁が、旧道位置を示していた。また分離点には天下一品…もとい進入禁止看板が立ち、一方通行であったことを伝えていた。
またちょっとわかりにくいのだが、盛大にパッカーンされた現道の歩道が、隧道前からの旧道との接続を無視して整備されており、「こっち側」にはもう用はないのだという事実を冷徹に感じさせられた。
北側扁額。
「小土呂隧道」。これで「おどろ」と読むようだ。
入洞…して振り返り~の、
鉄板の構図。
Subaru6さんの記事どおり、現在は両側とも金網封鎖されているのだが、封鎖時期は早く2011年の暮れごろのようで、9月ごろにはすでに北側坑口に簡易なバリケード封鎖措置がされていたらしい。
ちなみにこれらの情報は、パパゲーノ先輩の2度の記事(これとこれ)より得たもの。ありがとうございます~。
ちなみに最近はすっかりYouTubeに主戦場を移されたP先輩。勝手に宣伝のためリンクを貼っとく。
房総のあんな穴・こんな穴ならお任せ!登録者数2.59万人はダテじゃない。
さて、洞内もまったくもって現役そのもの。でも…
もはや灯っていない照明が廃の証なのか。
トンネルリスト(平成16年度道路施設現況調査)によれば本隧道は昭和24年建設、延長は96mとのこと。台帳上で正式に廃止された時期は不明だが、Q地図様の2018年度全国トンネルマップでももう表示されないので、手続きも早々に行われたのだろう。
南側、抜ける手前で鉄板の構図。
これはフラッシュ・オンしてますな。
抜けて振り返り。
建設年次のイメージ通りの、殺風景なコンクリポータルだった。
南側扁額。
北側扁額とほぼ同一の筆致。揮毫者は不明だ。
それにしても、南行き一方通行だったことを考えれば、現役中にこの扁額をしげしげと見たという人はまれだっただろうな~。
南側旧道。
思えばこの先も行っとくべきだったが、何気に時刻は18時半近く、ここまでで引き返した。
戻りの洞内でのひとコマ、
お手製強力照明で照らすまききさん。
わたくしのシャドウ。
今となってみれば、貴重な洞内写真…かな?なにもわからんけど。
最後、坑口付近から北側旧道を。
現在の廃感満点ムードとはかけ離れた、変な言葉だが「フレッシュそのもの」な旧道。
ここまで「フレッシュ」な廃道・廃隧道を訪ねたのは、ここが唯一かも。というか、その稀有なタイミングと連れてってくださったまききさんに改めて感謝ですな…。
その点で、冒頭に書いたとおりひときわ印象的だった、小土呂隧道でありました。












