2024年5月9日に敢行した、福井県宿題回収ツアー第二弾。この日のネタで記事にしているのは阿曽隧道、春日野道の具谷暗渠。
今宵から何回かに分けてご紹介するこのネタは、フォローさせていただいているアバラボブさんのインスタで4年ほど前に知った物件で、当日のターゲットの中でも特に楽しみにしていたやつ。
当時はほとんど情報がなかったと記憶してるんだが、今改めて見たら、けっこう情報出てきてる?なので、やりそびれていたウチもここらでやっとこうかと。
さて、こんなとこに車を停めたんだが、
今回、この場所、および物件の地図は載せないでおく。越前市某所ってことで。
わたくしもこの物件の具体的な位置はわりかし苦労して探り当てたし、そういう楽しみも残しておいた方がいいよね…とか言いつつ、実は今なら調べたらすぐわかると思う。先述のように、知らん間にけっこう検索したらヒットするようになってるんでね。
で、そうしたおおかたの記事とは違い、わたくしはここから始める。
ほぼ平行に3本に分かれた道路、わたくしが進むのは…真ん中。
ちなみにここからレポ始めてる人、見たことない(笑)。
まっすぐ進むと、
すぐに突き当たりが見えてきた…が、
実は突き当たりではない。
石垣に沿って、まだ道が続いており、その先に何かの看板が立っているのが見えた。
その手前には、
「村国山(ほ山)登山道 入口まで40m」。
そしてその先、先ほどから見えていた看板に…
キターーー!!
そこに書かれていた内容は、
帆山トンネル
昭和7年に林一治病院長が、採掘技術者小山五郎助に依頼したトンネルです。奥越の中竜鉱山で働いていた経験豊富な小山は、一人でコツコツと掘り進んで、昭和22年に完成させました。
高さは約2.5m、延長は約60mあります。
おかげで、帆山や矢放方面から村国に容易に行き来できるようになりました。
北日野地区自治振興会
異色の出自。これから訪ねる隧道は、個人の依頼で掘られた私設のものだったということだ。にもかかわらず行き来が容易になった云々というくだりからは、一般に開放して供用されたことをうかがわせる。財力のある人物が地域に貢献した、というストーリーだろうか。
この病院長の名前で検索してみたら、なんと現在も武生駅前にある、その名も「林病院」を大正2年(!)に設立したのが、この林一治氏その人だった。公立または公的な病院の存在しない越前市において、100年以上もの長きにわたり地域医療を支えてきた、その礎を作った人物が掘らせた隧道か…。
同病院ホームページ内の沿革によれば、隧道が完成した昭和22年当時も変わらず、病院長という立場にあった同氏、これは意外と…自宅から病院への行き来が大変なのにうんざりして…みたいなことだったりとか?
ちなみに、その「行き来が容易になった云々」という最後の記述は、現在のこの場所周辺を見てもピンとこない。とてもそんな厳しい場所には思えないのだ。
かつてはかなり地形が違っていたということだろう、と今昔マップを見てみたら…
これは1930(昭和5)年の地図であり、隧道はまだ掘られていない時期だが、日野川の流れは今よりもはるかに村国山に迫っていたんだろう。確かに「あそこを隧道で抜けば…」ってポイントがありますな。
ほぼわかったかな?位置(笑)。
看板の先で、
道はにわかに雰囲気を醸し出し始める。そして正面にはまたも看板。
それはまたも村国山登山道入口を示すもので、
鉄の門扉に取り付けてある。右手はお堂か。
コンクリブロックで組まれたお堂には、
なにやら不可思議なものを含め、何体かの石仏?が。
…え?何スルーしてんだよって?
もちろんスルーなどしない。
今からじっくりと対峙させてもらうんだから。
【2】に続く。