2018年9月11日、四府県周遊ソロ徘徊。この日のネタで記事にしているのは、圧倒的メインターゲットでありながらもいわくつきなコレのみ。
今宵ご紹介するのは、この日の午後に通りかかったわたくし好みの橋。
さっそく、ドン。
奈良県道127号北野吐山線を北上していて通りすがった。場所はこちら。
地図で明らかなように、この川(深川という)が奈良市と山添村の境界となっている。これは山添村側から。
わたくしのどストライクなお姿にソッコーで停車。したものの…ああ、銘板が失われているパターンのようだ。
なので名称不明のままだったのだが、いつものように愛と信頼のQ地図様でお名前判明。「足渡(あしわたり)橋」だそうだ。
サイドアングル気味に…
撮って、思わず二度見。あった!隠し銘板。
あ、隠し銘板ってわたくしが勝手に読んでる呼び名なので、公式ではない。悪しからず。
そこには、
「工事請負人 奈良 尾田組」と。おぉ!これは嬉しい。
上流側よりサイドアングル。
深川に対して斜めに架かっているため、少々高欄がずれている。
こちら上流側高欄。
極めてシンプルだが、それがいい。
そしてこの下流側の高欄だけ、
あの「オレンジのやつ」が。なぜこちら側だけ?
「オレンジ色の苔」と書いてしまおうとしてふと調べてみたら、我々の趣味でよく目にするこいつは、苔じゃなくて実は「スミレモ」という藻の一種なのだそう。緑色で水中に繁茂するという「藻のステレオタイプ」から逸脱するニクイ奴である。
くりかえすけど、なぜに下流側にだけ?不思議~。
奈良市側より正対。
で、こちらにも左側親柱の側面に隠し銘板があった。
そこには…
「昭和四年七月架換」。ヤッター!お誕生日判明!
昭和ひとケタ橋、しかも「架換」ということで、確実に先代以前の橋が存在したわけだ。この架換時期を考えると、銘板は戦時中の金属供出で失われたのだろうか。側面の小さな隠し銘板は見逃された?見落とされた?
詳細は不明だが、隠し銘板だけ生き永らえていたことはちょっとしたプレゼントだった。
記事を書くにあたり、山添側の隠し銘板にあった奈良の尾田組をググってみた。すると、今でも盛業中であることがわかった。しかもこの尾田組、創業が天保元年だというから驚いた。
該社のHPメニューから「土木」をクリックして見ると、この橋のことは出てこなかったが、同じ奈良市柳生にあるわたくしお気に入りの橋である白梅橋(例によって記事にはまだしてないが)の現橋を架けたのもこの尾田組であることが判明。架換時の貴重な写真も載ってて、思わずトキメキ(笑)。あちらは昭和8年なので、こっちが4年先んじていたわけだ。
いやあ今回は、サイドトピックが充実してますね(謎
最後に、
ノートさん入りで一枚。
以上。