2023年1月23日、最強寒波に備えて前倒しで滋賀から東京に戻る際に、気になっていたJR横浜線相原駅付近のいくつかのポイントを、途中下車してチェックした。
ダイジェストは、やるほどでもないので割愛するが、今宵はメインで見たかった橋をご紹介。
いくつかのポイントを回ってから、都道47号八王子町田線の信号を渡り…
あれだ。あれがストビューでビビビときたステキ橋。
正対にて、ドン。
まさに我がストライク。ザ・昭和なコンクリート橋。現在地こちら。
昨日のネタと同じくここも川が境界となっており、その名もまさに境川。今いるのが東京都町田市、対岸は神奈川県相模原市となっている。
ちなみにQ地図様によれば、管理は相模原市が行っているようだが、拙ブログでは当日自分がアプローチした側で記録するというマイルールがあるので、東京の記事リストにて掲載することとする。
さらに余談。記事を書くにあたって気づいたのだが、町田市ってめっちゃ変な形してるなあ。どういう歴史的変遷でこういう形になったのやら。
さて、お名前は、
𠮷田橋。
ちなみに下の横棒が長い「𠮷」って環境依存文字なのだが、ここは「吉」に逃げず、親柱に忠実に表記したい。
…という気概(笑)はあったのだが、この文字だと記事タイトルでは表記されず、単に「田橋」となってしまうようなので、やむを得ず「吉」を使った。
お誕生日もちゃんと残っていて、ありがたい限り。
「昭和十二年八月」。戦前橋だ。
下流側高欄。
金属フェンスは当然後付けだろうが、それさえもナカナカな錆びっぷり。さらに年季入った感を強調するような。
下流側からのサイドアングル。
いやあ、よくぞ現役で。
橋を渡り、
神奈川県の人になって正対。
こちらも左側の親柱は、お誕生日。
こっちのほうが判読しやすいな。
で、右側は…って、
「危険」とは、橋自体のことでなく、親柱とガードレールの間の隙間が人が転落できるほどに広いから…だと思う。
この親柱は橋名のかな表記だったのだが、
「たはし」しか判読できないんだが。
つうかこれ、親柱上部、かなり昔に補修されてる?とか思えるほどに、文字の陰影がいまいち感じられない。「たはし」は比較的読み取りやすいのに。
ちなみにQ地図様によればこの橋、「きったはし」だそうだ。「よしだ」ではないのですな。
こう見えて、相模原市の橋梁点検結果判定は「2」(予防保全段階)。
「3」(早期措置段階)ではなかったようだが、点検実施は平成27年度とけっこう前。次回の点検結果次第では、架け替えが議論される能性がある。
やむを得ないことではあるが、少しでも長く現役を続けられることを願う。まずは2025年の米寿を目指して…(笑)。
以上。