【前篇】より続く。
渡りきって、振り返り正対。
こちらの主塔にもまた、いかなる情報もなかった。
渡った先にはこのような、
年季の入った空積みの石垣があり、かつて何かが存在した、そんな気配があった。
思えばもう少ししっかりとあちこち見回ればよかったんだが、その前にわたくし見つけてしまったんだな、ケシカランものを。
それは、橋の直下に。
おいおい…あれってさ。
親柱じゃないの!?
さっそく接近してみれば、ビンゴ。そこに書かれていた橋名こそ、
「うめづろばし」。ええ~!さっき見てきたばっかの橋と同じ名前じゃないか!
そしてもう一方の親柱には、
「日高川」と。うーむこれは別にいらん情報(笑)。
同名ながらも、先ほどの梅津呂橋の旧橋というような位置でもない。この状況を、現地でのわたくしはこう捉えた。「さっき見てきた梅津呂橋の親柱(おそらくは旧橋時代のもの)が、なぜか移設されて再利用されてる。」と。
そう思った最大の理由は、この親柱の向き。
銘板は、通常なら正対したときに正面に来る面に設置されるものだが、ここはご覧のように互いが向かい合う面に設置されている(現代の広い橋ならこのパターンのほうが多いが)。つまりは、この橋のものでなくてよそから移設したがためのこの状態ではないのかと。
この比較的近いエリアで同じ名前の橋が二本存在するとは思えなかったし、加えて位置的にこの二本が新旧の関係にあるとも思えなかったので、これ完全に無関係だろうと、そう読んだわけだ。
が、記事を書く段になって改めて写真をよく見返すと、青丸部分などいかにも元からここの設置されてたっぽいし、赤丸部分はおそらくここから延びていた旧橋の設備遺構かも、と思えてきて…。
県道橋だという事実が発覚したり、こういう謎が膨らんできたことで、いったんお蔵入りさせてしまったわけだが、今回もQ地図に助けられてしまった。
こちらをご覧あれ。ちょっと小っさいか?
※全国Q地図からのキャプチャ画像を加工しました。
中央右寄り、青→で示したのが、この記事で採り上げている橋であり、一目瞭然、点線道が県道を示す黄色で色付けされている。
最初見落としたのだが、少しずれた位置に(赤の下線で示した)「梅津呂橋」がある(この程度の位置ずれはQ地図ではよくある)。下流側の竹ノ瀬橋付近の位置だが、竹ノ瀬橋は別途ちゃんと記載されているし、クリックすると示される「延長62.3m、幅員2.1m」というスペックと、「田辺龍神線」という路線名が決定的な証拠となった。
実際現地にこの名前の親柱を見つけていることでもあるし、やはりこの橋は「梅津呂橋」なのだった。
ちなみに、少し上流の青色下線が(以前記事にしている)もうひとつの梅津呂橋。なんで同じ名前を…と思うが、実はこの点線県道(不通区間)をよく見ると、「梅津呂越」と書かれている。であれば、直接梅津呂越えに通じているこの橋こそがその名を名乗るに相応しいわけで、バッタモン扱いしてすみませんでした(笑)。
親柱のところから一枚。
親柱の位置も踏まえ、やはりこの位置(及び高さ)に先代の梅津呂橋が架かってたってことなんだろうか。
地形的に先代も吊り橋だったと思われるが、それだともしかして現橋の橋台って、旧橋のアンカーレイジだったのかも?この記事三枚目の写真を見ると、もう思えてくるんだが、はてさて?
それにしても、親柱の向きだけは謎だわ~。
まあ、現地ではそこまで深く考えなかった。
書きかけて一気に難しくなってしまうっていう、こういうパターン時々あるけど、ここはその最たるパターンだったな~。
橋上から望む上流側。
向こうに見えるはR371の龍王橋で、さらに500mほど上流に「アナザー梅津呂橋」(笑)があるという位置関係ね。
よく考えたらちゃんと見せてなかった、
梅津呂橋(ほぼ)全景。
最後に国道より、
「仮想旧橋ビュー」で一枚。
対岸のあそこに親柱を見つけたわけで、此岸も直接道路に接続してたんだろうな。たぶん、国道として拡幅整備されたのに伴い、今のような架橋位置に変更されたのだろう。
知らんけど。
最後の最後に、戻りに撮った動画を貼っとく。
こんなことなら、もっとちゃんと旧の親柱も撮っときゃよかったなあ。
以上。