2020年1月29日に訪ねたラジオ塔をご紹介。
ラジオ塔について、萩児童公園のラジオ塔、大和公園のラジオ塔、八瀬のラジオ塔、小松原公園のラジオ塔と、過去に4件記事にしている。そもそもラジオ塔とはなんぞや?についても過去記事を参照のこと。
地下鉄烏丸線・北大路駅からそう遠くないところ。目指す公園はこの右側なんだが、
左側の煉瓦塀もいい感じだ。
結構広いこの公園、
さて、どこにあるだろう…と見回すと、
明るい公園にあって唯一影のさした東の端…
そこにあった。…と最初は思ったのだが。
すぐにそうじゃないと気付いた。
これ全体がラジオ塔というべき、この造り。
記事にしてないのも含め、現在までに八基のラジオ塔を見ているが、ここまでラジオ塔を軸としたトータルな空間作りがなされている(あるいは保存されている)のは、ここが随一だ。
「小松原公園のラジオ塔」で書いたとおり、2019年に「戦前竣工の京都市児童公園群」が土木学会の選奨土木遺産に選定された。その選奨理由にある「(前略)軸線配置された施設群(特徴的なラジオ塔,水呑み場など)がヴィスタを形成(後略)」という一文は、まさにここのラジオ塔はぴったりだなあと。これは素晴らしいなあ~。
さて、「本体」を観察。
やはり、他で見たどれとも形が違う。ほんと、ラジオ塔のデザインって一貫性がなくって面白い。
つくづく、
現役時代の姿を見てみたいもんだな~。
この角度で見ると、この一画を区切るフェンスが「本体」と一体でデザインされていることがよくわかる。フェンスの中央にラジオ塔が配されている、という形だ。
側面の「窓」。
かつて何らかの扉が付いていたとおぼしき蝶番が残っている。
背面に飛び出した、四本のボルト?的なもの。
これも、何か取り付けられていた名残なんだろうか?
改めて「この一画」を。
ほんと、この一画だけ影がわだかまっている。
いや、ヘンなことを仄めかすつもりはなく、単に時間が悪かった。おかげでコントラストがつきすぎて、全体が見えにくい写真ばっかに。
この一画の特異さがもっとも伝わるかな~と思ってる一枚がこれ。
この令和の世の中、ここだけ戦前にタイムスリップしたかのような。まるで軍事施設みたいじゃないか。児童公園内に於いて、あまりに異質だ。
ウィキ先生によると、ここのラジオ塔は設置時期不明となっているが、いずれ昭和5年~18年の間であることは間違いないみたいだ。
特に気に入ったのは、
この開口部。
これまでに訪ねたラジオ塔では、
ここがベストだな~やっぱり。
そして、これも前回書いたことだが、やっぱり解説の看板がほしいよなあ、と。特にこの紫野柳公園のやつは、絶対に解説看板があるべきだ。つうか、登録有形文化財に指定されてるラジオ塔もある中で、ここのはそれに値しないのか?
最後に引きで…
見たら、もうどこだかわからない(笑)。
最後まで影に覆われた、不憫なラジオ塔。でも、古いモノ好きのご同輩におかれては、一見の価値はあると思う。最後になったが、場所はコチラ。電車で行けるよ。
以上。