2012年9月2日、おろろnさんプロデュースにて執り行われた、三重県北勢・中勢の橋シバキ倒し。この日のネタで記事にしているのは、平和橋と六把野井水拱橋。
先日そのおろろnさんから、この日の後半に訪れた津興(つおき)橋がついに架け替え工事に入った、と教えていただいた。やるやるとは聞いておったが、ついにか…。
今宵は、その津興橋の在りし日の姿を、不完全ながらも記録にとどめておこうと…。ここ最近、追悼記事多いな…。
津興橋は、一目見ただけで忘れられなくなるほどのインパクトある橋だった。
そう、このお姿。
イカツイ~(笑)。現在地コチラ。
リベットびっしりのガーダーが、
中央分離帯と側壁(高欄)として使われている。
このビジュアルですぐに想像がつくと思うが、この橋は鉄道橋の転用。昭和5年、伊勢電気鉄道(現・近鉄)の岩田川橋梁として架橋されたもので、昭和36年の廃線に伴う道路橋転用に際して、なんとガーダー橋をそのまま(でもないかもしれないが)舗装して使う、という荒技により、この姿となった。
以来60年近く、架橋からだと90年にわたって使われ続けてきたこの橋だが、大型車や特殊車両の安全な通行もままならないご覧の有様では、このご時世に見逃してもらえるはずもない。上2枚の写真は車の通行が途切れるのを待って撮ってるが、実際はなかなかの交通量であり、狭隘な歩道の危険さもあいまって、架け替えの判断もやむなしと言わざるを得ない。
サイドアングルもまた、
鉄道橋梁にしか見えない。
自動車が橋上にいるから、
かろうじて道路橋だと認識できるレベルだ。
ましてや、
この渋~い塗装の色味たるや、鉄道感五割増し(笑)。
そういえばこれ、
中路プレートガーダーってことになるのかな?
あ~…
萌える(笑)。
去る8月31日にガーダーの撤去が始まったということだが、橋の撤去は令和4年度とされており、詳細は不明だがけっこうな時間をかけて行われるようなので、もしかしたらあとしばらくはガーダーが架かった部分を見ることができるのかもしれない。
知らんけど(笑)。
この道路は、
地元では「近鉄道路」と呼ばれている。
鉄道橋の面影を色濃く残すこの橋が架け替えられた後も、そう呼ばれ続けるんだろうか。あるいは、徐々に風化していくのか…。
最後に、ストリートビューでご覧あれ。
2019年11月の最新版では、ご覧のように架設橋ができかかった状態。
さかのぼっては2012年、2015年、2017年のものを見ることができるが、17年のものがおすすめ。一番スッキリとこの橋を堪能できる。12年と15年は並行する水管橋が補修中で、それが見た目にウルサイ…。
津興橋、90年間お疲れ様でした。