まずは場所をば。
2012年9月2日。おろろんさんに案内していただいた、永らく行きそびれていた念願の物件、それが
「六把野井水拱橋」(ろっぱのいすい きょうきょう)。
大正五年七月竣功のコンクリートアーチ橋梁。土木学会「日本の近代土木遺産 - 現存する重要な土木構造物2000選」に選ばれている。その評価はAランク。そこに書かれた評価情報を見るだけでも、土木好きなら心拍数が上がるだろう。曰く、
ねじりまんぽ/現在存在が確認されている唯一のCブロック製ねじりまんぽ(型枠整形が不揃い)/現存する斜拱渠の最大スパン(9.14m)/現存する斜拱渠の最急斜角(40度)/楯状迫石(Cブロック)
「ねじりまんぽ」とは(…って、初めてまともに解説するのか・笑)、れっきとした土木用語。鉄道が川や道路と一定角度以上斜めに交差する際に用いられる煉瓦の特殊な積み方を指し、線路と直角に積むことで必要な強度を得る、と言われる。で、その積み方で作られた橋梁を斜拱渠という。下をくぐる川や道路からそれを見たときの見え方が、まるで漫画のタイムトンネルのような、非常に奇天烈なビジュアルとなるのだ。そう、 以前紹介したコレを参照していただくと、ねじりまんぽと通常の長手積みの違いがわかりやすいかと。
そんなねじりまんぽ、現存が確認されているのは全国で30例ほどだが、その中で唯一無二、コンクリートブロック製の物件がココなのだ。しかもその径間長(スパン)、斜角がいずれも最大・最急というのだから…
同好の諸兄よ、結論から言おう。
コイツは死ぬまでに一度は見るべきだ、と。
刮目せよ!
南側より。
行きますよ?
思い思いに鑑賞中の、左よりピカ氏、おろろん氏、でこぴんロケット氏。
ピカ氏が一生懸命撮ってるのは、
コレ。
どうしても目が行くのは左端、「工事請負人」ではないだろうか?郡竹治郎(こおり・たけじろう)は久米村坂井(現在の桑名市坂井)の土建業者で、北勢鉄道の楚原~阿下喜東(後に六石・すでに廃止)の工事を請け負ったという。
大正四年~五年ごろといえば、煉瓦からコンクリートブロックへの移行期。この新しい素材を用いて、一体全体、いかなる経緯で、彼はこの唯一無二の橋を架けたのだろう?この橋を建造するには、全て異なる形状のコンクリートブロックを成型し、緻密に組み上げる必要がある。コストや手間を考えるに、どう見てもこの工法の必然性が感じられない。まさか鉄道会社からの依頼?彼の土建屋としての進取の気概?
その詳細は不明だが、実際組み上がって100年近く、今も現役として生きているこの橋梁を間近に見れば、無条件で沸き起こる「よくぞこんな異形の土木構造物を創ってくれた!」という畏怖と感謝の念を禁じ得ない。竹治郎の墓は地元である桑名市坂井にあり、郡家には鉄道会社からの感謝状が今も残っているという。
ごたくは十分に並べた。
後は見て、感じちゃってほしい。